浪速のボスゴリラ   作:五十嵐 響

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北の大地

1月の修道館での寒中稽古を終えたゴリラ女たちは、2月に開催される「第34回大阪府女子柔道選手権大会」に向けて、いよいよ北海道合宿へと出発した。この大会は体重制限のない無差別級の個人戦であり、全日本女子柔道選手権の大阪府予選を兼ねた、絶対に落とせない大一番である。

当日、巨大なスポーツバッグに柔道着、トレーニングウェア、そして母に持たされた厳重な防寒具を詰め込んだ5人は、大阪府豊中市にある大阪国際空港で合流。JALで一気に新千歳空港へと飛び立った。

 

新千歳空港駅から、白銀の車窓を眺めながら快速エアポート、特急カムイ、そして名寄から特急サロベツへと乗り継ぐ長い道中。車内の一角を完全に占拠する総体重400kgオーバーの5人は、駅弁を平らげながら賑やかに武道論や格闘技論を交わしていた。改めて、この最強オーダーを走る列車の座席順に紹介しよう。

① 【先鋒】チンパンジー柔道女

奈良県天理市出身、天理大学体育学部卒業。165cm・70kg。軽量級並みの俊敏性と、天理伝統の圧倒的なスタミナを誇る特攻隊長。開始早々の袖釣込腰は一撃必殺。 チーム一番のムードメーカーで、とにかく四六時中喋り倒している。

② 【次鋒】マウンテンゴリラ女

京都市上京区出身、龍谷大学経営学部卒業。 175cm・78kg超級。パワーもさることながら、相手が嫌がる組み手を徹底する冷徹なインサイドワークの達人。ゴリラ女とは大学時代からの宿敵であり良き理解者。頭脳戦を好む。

③ 【中堅】オランウータン柔道女

兵庫県西宮市出身、武庫川女子大学健康・スポーツ科学部卒業。170cm・78kg級。どれだけ強い相手が来ても、どっしり構えて決して軸がブレない岩のような防御力。温厚で面倒見が良く、激しい練習の後にそっとアイシングの氷を準備してくれるチームの母。

④ 【副将】キングコング女

大阪府東大阪市出身、大阪体育大学体育学部卒業。

182cm・95kg。チーム最大級の体躯から繰り出される豪快な内股と払腰は、当たれば相手が天井まで舞う。ゴリラ女の高校・大学を通じての同期であり、地獄の練習を共に生き抜いた戦友。

⑤ 【大将】ゴリラ女

大阪市天王寺区出身、大阪体育大学体育学部卒業、同大学院スポーツ科学研究科博士前期課程修了。

180cm・90kg。元プロレスラー、元総合格闘家。かつて「野生の塊」としてケージで暴れ回った経歴を持つが、現在は大学院で修めたバイオメカニクスを融合させた怪物。

 

サロベツが雪煙を上げて美深駅に滑り込んだ時、ゴリラ女は「ついに来たか、美幸線の街……」と胸を熱くした。駅の目の前は一面の銀世界。シンシンと降り積もる雪に、ここがガチの北の大地であることを思い知らされる。

今宵の宿は、駅の目の前にある老舗旅館『しらかば荘』。2月の予選の舞台となる美深町民体育館までは徒歩7分と、アスリートにとって最高のロケーションだ。

冷え切った身体を温泉でじっくりと温めた後、5人は大部屋で夕食後の談笑に耽っていた。話題は、自然とそれぞれの大学時代の思い出、特に講義の提出物の話へと流れていく。

「うちらの大学の頃ってさ、まだレポートが紙提出メインやったやん?」

ゴリラ女が、ストーブの火を見つめながら懐かしそうに呟いた。

「熊取駅から大学までの地獄の坂道な、ただレポート用紙を提出箱に入れるためだけに、片道1時間半かけてわざわざ大学まで行かなあかんかったんや。締め切り5分前に柔道着のままあの坂猛ダッシュしたの、今思えばただの罰ゲームやで」

「ほんまな」とキングコング女が笑う。「今の学生はポータルサイトからオンライン提出やろ? 羨ましいわ。移動時間ゼロやん」

「まぁ、お前の場合はシステムの問題以前に、単純に授業サボり過ぎて4年の最後に『残り20単位事件』起こしたからやろ」

マウンテンゴリラ女の鋭いツッコミに、ゴリラ女はウッと胸を突かれた。

「うるさいわ! あの時はマジで、生まれて初めて柔道着よりペン握ってる時間の方が長かったんやから! 猿女達に泣きついてノート写させてもらって、死ぬ気で勉強して可をもぎ取った執念、舐めんといてや!」

そう談笑をして5人は就寝した。

 

「あかん! 単位が……!」

翌朝、ゴリラ女は大量の寝汗をかいて跳び起きた。

スマホのポータルサイトの画面に、真っ赤な文字で「単位不足のため、留年が確定しました」という通知が表示されている――そんな最悪の夢だった。昨夜、寝る前に20単位事件の生々しい話を細部まで思い出しながら語ってしまったせいだ。

大学を卒業して何年も経った今でも、年に数回はこの留年通知の夢に魘される。彼女にとって大体大の4年後期は、UFCのケージで殴り合っていた時と同じくらい、人生のトラウマ的デッドラインだったのだ。

バクバク言う心臓を押さえながら、ジャージに着替えて朝食を済ませる。一歩外に出れば、-10度以下の刺すような冷気が出迎えてくれた。

しかし、体育館までの雪道に一歩足を踏み入れた瞬間、ゴリラ女の顔は子供のように輝いた。

積雪量の少ない大阪育ちの彼女にとって、膝まで埋まりそうな新雪はそれだけでテンションが上がる。

「おい! 遅れるなよ!」

180cm・90kgの巨体で豪快に雪を跳ね飛ばしながら、ゴリラ女は嬉しそうに雪道を疾走した。後ろからチンパンジー柔道女が「姉ちゃん早すぎるって!」と雪に足をとられながら追いかける。

美深町民体育館に到着し、キンと冷えた道場で真っ白な柔道着に袖を通す。

全員で入念にアップを済ませると、そこからは外の寒さを完全に忘れるほどの、延々と続く乱取りが始まった。

「しゃあ、コング! いくぞ!」

「おう、来い!ゴリラ!」

ガシッと強固な組み手が交わされ、180cm台の巨体同士が畳を唸らせて激突する。

きつい。肺が破れそうに冷たい空気を吸い込み、全身の筋肉が悲鳴を上げる。だが、それが猛烈に楽しかった。

(あぁ、やっぱり柔道は最高やな……)

ゴリラ女は、技を掛け合いながら確かな充実感を噛み締めていた。

かつて戦っていたMMAのスパーリングは、顔面への打撃や関節の極め合いがあり、どうしても脳や身体へのダメージが蓄積しやすく、本数をこなすのにも限界があった。しかし、純粋な柔道の乱取りは、お互いにどれだけ全力で投げ合っても、畳の上での受け身さえしっかりしていれば、身体の致命的なダメージは少なく、体力が続く限り何本でも、何時間でもやり込める。

プロの檻の窮屈さを経て、再びこの純粋な畳の上に戻ってきたからこそ、この泥臭い練習が愛おしくて堪らない。

「マウンテン、次うちと組め! 大学院のバイオメカニクスで計算した、雪国仕様の新しい大外の角度、試したるわ!」

外は猛吹雪の美深町。しかし、町民体育館の一角だけは、2月の大阪府女子選手権、そしてその先にある皇后杯の舞台を見据えた5人の熱気で、真夏のように燃え上がっていた。

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