2024年3月。白鷺城の城下町、兵庫県姫路市にて「第34回近畿女子柔道選手権大会」の幕が上がる。
大阪府予選をベスト4で突破したゴリラ女にとって、この大会は前年の講道館杯以上に明確な「殺気」を孕んだ一戦だった。何故なら、ここで5位以内に入れば、全柔連の最高峰にして全柔道家の憧れ、全日本女子柔道選手権大会への出場権が手に入るからだ。
決戦の朝、新大阪駅の改札口で、ゴリラ女は相棒のキングコング女と待ち合わせた。
山陽新幹線に乗り込み、車内で並んで座るツインタワーは、それだけで圧倒的な存在感を放っている。今回はいつもの5人ではなく、大阪予選を突破したこの2人きりでの出陣。だからこそ、互いの背中に懸かる期待の重さが心地良かった。
「コング、ここ勝ったらマジで皇后盃やな」
「おう。うちら大柄やけど、あんたは寝技で泥臭く極めるゴリラで、うち投技からブン回すコングや。2人の個性を出せば、近畿の強豪なんて恐るるに足らんで」
姫路駅で山陽電車に乗り換え、手柄駅で下車。会場の兵庫県立武道館に一歩足を踏み入れると、近畿一円から集結した現役バリバリの大学生の有力選手や実業団のエリート達が、独特のピリ付いた空気を醸し出していた。
「講道館杯の時より、なんかゾクゾクするわ……」
ゴリラ女の格闘家としての野生の血が、静かに滾り始めていた。
1回戦。試合が始まれば、ゴリラ女の動きは冷静そのものだった。
大柄な体躯を活かして圧力をかけ、相手をじわじわと場際へ追い詰める。相手がその巨体に気圧されて強引な投げを打ってきた瞬間、ゴリラ女は待ってましたとばかりに巨体を浴びせ、電光石火の速さで寝技の攻防へ引きずり込んだ。
180cmの長い四肢が、蛇のように相手の腕に絡み付く。
クラッチを切ると、バイオメカニクスに基づいた完璧な角度でレバーを引くように腕を伸ばした。
――技あり、からそのまま腕ひしぎ十字固め。
パチパチと相手が畳を叩く。1回戦、危なげなく一本勝ち。得意の寝技で仕留めるか、組み手で圧倒して指導差で勝つ。これが今の彼女の鉄板の勝利方程式だった。
ここからが本当の地獄だった。相手は実業団の現役選手。組み手の力が1回戦とはまるで違う。
襟の取り合いが続き、何度も息が上がる。しかし、ここで生きたのが、2023年に積んできた全国実業団準優勝、講道館杯出場というプロさながらの修羅場の経験だった。
「焦るな、うちはUFCのケージで揉みくちゃにされてきたんや。この程度の圧力、どうってことない」
冷徹な理性を保ち、相手のスタミナが切れた一瞬の隙を見逃さず、寝技の抑え込みで技ありを奪取。
見事にベスト8進出。全日本の切符まで、あと1勝。「あと少しや……」ゴリラ女は道着の襟を正しながら、武道館の天井を見つめた。
準々決勝。近畿大会最大の山場。相手は全日本を本気で狙う、関西学生界トップクラスの若き怪物。
ここを勝てば文句なしでベスト4=全日本確定だったが、試合は凄絶な消耗戦となった。激しい組み手争い、一進一退の寝技の攻防。互いに体力の限界を迎え、最後はゴリラ女の一瞬のステップの遅れを突かれ、技ありを奪われて惜敗。
畳に大の字になり、悔しさに歯噛みする。しかし、彼女の目は死んでいなかった。
「まだ終わってへん。敗者復活がある!」
5位決定戦。もう後がない。負ければ全てが水の泡になる極限状態。
相手も同じく泥水を啜ってて上がってきた執念の塊だったが、ゴリラ女の経験値と練習で培った下半身が、最後の最後で上回った。
どれだけ投げを打たれても軸がブレない。相手のスタミナが尽きた瞬間、ゴリラ女は重戦車の如く上から圧殺し、泥臭く横四方固めで抑え込んだ。
「それまで!」
電光掲示板のタイマーが20秒を数え、一本のブザーが鳴り響く。
近畿大会5位入賞 ―― 全日本女子柔道選手権大会、出場権獲得。
「よっしゃ……」
大声で吼える気力すら残っていなかった。ただ、畳の上に膝を付き、深い安堵の息を漏らした。UFCを引退し、バイトをしながら修道館の畳で泥に塗れて積み上げてきたものが、遂に全国という最高の形で結実したのだ。
因みに相棒のキングコング女は、上からの豪快な投技で相手をねじ伏せ、見事に3位入賞を果たし、こちらも全日本への切符を獲得。大体大ツインタワーが、揃って全国の舞台へ這い上がった。
姫路からの帰りの山陽電車、そして新幹線の中。
心地良い疲労感と、胸を突き上げるような圧倒的な充実感の中、ゴリラ女はスマホを取り出し、天王寺の実家へ真っ先にメッセージを送った。
『コングと一緒に、全日本決まったわ』
数秒後、グループLINEが爆発した。
母:『ほんまか! 凄いやんあんた! お祝いにお肉焼いたるわ!』
猿女:『やったやん。UFC帰りの意地見せたな』
チンパンジー女:『おいおいマジで全国やん! おめでとう姉ちゃん!』
オランウータン女:『おめでとう! でもまた遠征増えるな〜(笑)』
車窓を流れる関西の景色を見つめながら、ゴリラ女は静かに闘志を燃やしていた。
2023年は「復帰してどこまでやれるか」というチャレンジャー精神だった。しかし、2024年の今は違う。「全国の切符を、自分の力でもぎ取りに行く」という強い意志を持って戦い、そして勝った。
次はいよいよ、新年度の4月。舞台は横浜武道館。
「待っとれよ、横浜。天王寺のゴリラと東大阪のコングが、日本最高峰の畳をこれでもかってくらい荒らしたるからな」
33歳。元UFCファイターにして理性の怪物。彼女の「本当の格闘技人生の第2章」が、今、最高の輝きを放ちながら幕を開けようとしていた。