実業団体の劇的な優勝から僅か3週間。長浜伊香ツインアリーナの興奮も冷めやらぬまま、舞台は彼女達のホームグラウンド、城東区の「講道館大阪国際柔道センター」へと移る。
実業団体での「女子第1部優勝」という最高の栄誉を勝ち取った修道館クラブだったが、余韻に浸る時間は一瞬しかなかった。6月下旬、ゴリラ女の視線は既に「大阪府柔道体重別選手権大会」へと向いていた。
目的は明確。秋の「国民スポーツ大会」の大阪代表の座。そしてもう一つ、彼女の心に火を付けていたのは、昨年、大怪我からの復帰戦として挑んだこの大会で、悔しくもベスト4に終わったという事実だった。
「あの悔しさは、同じ畳でしか返せへん」
今大会、修道館からは57kg級に次鋒のマウンテンゴリラ女、そして無差別級に大将のゴリラ女が出場する。
「マウンテン、絶対勝つぞ」
道場での居残り練習の後、ゴリラ女が声をかけると、マウンテンゴリラ女は力強く頷いた。
「はい、必ず2人で優勝しましょう!」
大会当日。会場は勝手知ったる講道館大阪。
入口で待ち合わせたマウンテンゴリラ女は、前日の軽量のために連日大阪入りしていたという。無差別級のゴリラ女には、当然ながら計量のプレッシャーはない。その分、体調は万全。道着に着替えて帯を締め直すと、あの鋭い眼光が戻ってきた。
トーナメント表を見る。
どちらも3回勝てば優勝という、一瞬の油断も許されない短期決戦のトーナメントだった。
1回戦。試合が始まると、軽量級の57kg級は目まぐるしいスピード感で畳が躍動する。
先陣を切ったマウンテンゴリラ女は、実業団体での粘り強さをそのままに、鋭いステップで相手を翻弄。無理に大技を狙わず、強烈な組み手で相手に柔道をさせない。冷徹に指導を誘い、狙い通り指導差2での優勢勝ちを収めた。
畳から降りてきた仲間に、ゴリラ女が声をかける。
「良し良し!マウンテンらしい手堅い勝ち方や! 最高の滑り出しやな」
続いて無差別級、ゴリラ女の1回戦。
相手が組もうと間合いを詰めてきた瞬間、ゴリラ女は巨体に似合わぬスピードで低く滑り込んだ。寝技への移行かと思わせた刹那、相手の右腕を高速でキャッチ。電光石火の腕挫十字固。
パチリと極まった瞬間、相手が堪らずタップ。鮮やかな一本勝ちに、今度はマウンテンゴリラ女が目を輝かせる。
「ゴリラ女さん、流石ですね! キレッキレじゃないですか!」
「当たり前やろ! 去年とは仕上がりが違うんや」
2回戦、マウンテンゴリラ女が再び技術の高さを見せる。
相手が強引に仕掛けてきた大外刈りに対し、体幹の強さで完璧に軸をずらすと、カウンターの大外透を炸裂させた。見事な一本勝ち。テクニカルな柔道を持ち味とする彼女らしい、美しい勝利だった。
そしてゴリラ女の2回戦。ここで重量級ならではの激しいハプニングが起きる。
得意の寝技に持ち込もうと、相手の足に自分の足を引っ掛け、強引に引き込もうとした瞬間、お互いの巨体のバランスが崩れた。そのまま凄まじい勢いで場外へ共倒れ。その際、畳のすぐ横に設置されていたデジタルタイマーの機材に2人の身体が激突し、タイマーを派手に押し倒してしまった。
周囲が「ガシャーン!」という音にざわつき、審判が慌てて割って入る。
起き上がった直後、ゴリラ女の頭の中は驚くほど冷静だった。
(あ、タイマー止まったな。完全に外、出たか)
相手選手はタイマーを壊してしまったかもしれないという焦りで明らかに動揺していたが、ゴリラ女のメンタルは1ミリもブレない。
(機材に当たったか。まあ、これだけ激しくもつれたら、しゃあないわな)
長く格闘技の修羅場を潜り抜けてきた彼女にとって、試合中のこの手のハプニングは「良くあること」の範疇だった。主審がタイマーを直させ、試合再開の合図を待つ間、ゴリラ女の思考は既に「次の一手」に完全移行していた。
(もう一回、立ちから組み直すか。次はどう入る……良し、あれで行こう)
「始めて!」の声と共に再開。動揺が残る相手に対し、ゴリラ女は鋭い大内刈で技ありを奪取。そのまま残りの時間を盤石にコントロールし、優勢勝ちで決勝へと駒を進めた。
試合後、マウンテンゴリラ女が心配そうに駆け寄ってくる。
「さっきタイマー倒したの、大丈夫でしたか!? びっくりしました…」
ゴリラ女は道着の埃を払いながら、ガハハと余裕の笑みを浮かべた。
「こんなことくらい、格闘技やってりゃあるあるやろ! 骨が折れたわけじゃなし、平気平気!」
勝てば優勝、近畿ブロック大会への出場が決まる決勝戦。
先に畳に上がったマウンテンゴリラ女の試合は、息を呑む大接戦となった。中盤、相手の鋭い内股を食らい、技ありを先取されてしまう絶体絶命のピンチ。残り時間は1分を切る。
しかし、彼女の目は死んでいなかった。焦って大振りの技を仕掛ければカウンターの餌食になる。マウンテンゴリラ女は冷徹に相手の勝ち逃げしようとする油断の隙を待った。
残り15秒。相手が時間を潰そうと腰を引いたその一瞬の隙を見逃さず、懐に深く潜り込む。渾身の背負投が虚空を裂いた。相手の身体が綺麗に一回転して畳に突き刺さる。審判の「一本!」の声。劇的な逆転一本勝ちに、修道館サイドは沸き返った。
「おい!! やったなマウンテン! 最高の背負いや!」
ゴリラ女が自分のことのように喜ぶと、マウンテンゴリラ女も興奮気味に拳を握り締める。
「やりました! ゴリラ女さん、次です! 2人で近畿ブロック大会行きましょう!」
「おう、待っとけ。すぐ決めてくる」
ゴリラ女が決勝の畳に上がる。
相手は大将のゴリラ女が引き込みからの寝技を得意としていることを完全に警戒し、極端に腰を引いて低く構えていた。
(なるほどな。最初から寝技を警戒して低くなっとる相手に、無理に引き込んでもガードが固くて攻めにくいな……)
瞬時にプランを切り替える。
(なら、まずは立技で完全にうつ伏せに崩して、上からコントロールするのが定石や)
ガッチリと組み合うと、相手の低い姿勢を逆手に取り、上から相手の帯を掴んで豪快に煽り立てる。そこから一気に潜り込んで帯取返!
巨体が畳に転がり、まずは技あり。
うつ伏せに崩れた相手に対し、ゴリラ女のグラウンドの動きは容赦なかった。相手がディフェンスしようと固める腕を、強靭なパワーでこじ開け、流れるように腕緘へ移行。関節が完璧にロックされ、相手がタップ。
「合わせ一本!」
審判の手が挙がった瞬間、ゴリラ女は小さく拳を握った。去年のベスト4の悔しさを、最高の形で晴らした瞬間だった。
「よっしゃ!!」
「勝ったぞ、マウンテン!」
2人はお互いの健闘を称え合い、揃っての近畿ブロック大会出場を確定させた。
その夜、自宅に帰ると、待っていた母や姉妹から大歓声で迎えられた。
「お帰り! 優勝おめでとう!」
「流石実業団王者の大将やね! 2冠やん!」
食卓に並んだ豪華な食事を囲みながら、昼間のタイマーを薙ぎ倒したハプニングや、マウンテンゴリラ女の劇的な逆転バックドロップ並みの背負い投げの話で大盛り上がり。家族の笑顔に囲まれながら、ゴリラ女は冷たいビールを喉に流し込む。最高の味だった。
しかし、彼女の心にある闘志の火は、更に大きく燃え盛っていた。
大阪予選はクリアした。次は近畿ブロックの猛者達が待っている。そこを勝ち抜けば、目指す国民スポーツ大会の本戦だ。
グラスを強くテーブルに置き、ゴリラ女は家族の前で、そして自分自身に言い聞かせるように熱く誓った。
「実業団体だけじゃ終わらへん。この勢いのまま、秋の国スポも絶対に修道館の名前背負って出場して、天辺獲ったるからな!」
リベンジを果たした女王の夏は、ここから更に加速していく。