2025年6月。怪我から5ヶ月が経ち、リハビリも順調に進む中、ゴリラ女の生活は審判とコーチ、そして己の身体との対話という、これまでになく多角的な柔道人生のピークを迎えていた。
6月1日の朝7時過ぎ。ゴリラ女は前日に引き続き、堺市立大浜武道館の会場に到着していた。
この日は「高校総体大阪府予選・女子個人」と「大阪高等学校柔道選手権大会女子段外の部」の二つの大会が同日開催される過酷なスケジュールだ。
受付を済ませると、顔馴染みの先生から「今日も宜しくお願いします」と声をかけられる。
審判服に身を包み畳の傍らに立つゴリラ女の心境は、先月とは少し違っていた。
(よし、今日も一日、しっかり公平に裁こう)
かつての緊張感は小気味良い責任感へと変わり、一本の判定、指導のタイミング、場外の処理まで、副審とのアイコンタクトも驚くほど自然に決まるようになっていた。
昼休みにベテラン審判の先生から「大分落ち着いて、良い判定するようになったね」と声をかけられた時は、心の底から嬉しさが込み上げた。
大会終了後、大阪府柔連の先生から「ゴリラ、来週の7日もお願い出来るか?」と次の派遣の打診があった。
ゴリラ女は少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、その日は北海道で修道館の団体戦がありまして……。今年は選手じゃなく、コーチとして帯同するんです」
「おぉ、そうやったな! 去年チャンピオンやもんな。チーム、連覇目指して頑張ってや!」
先生の温かいエールに背中を押され、彼女は次なる戦いの舞台へと意識を切り替えた。
6月7日。前年は自分も選手として大将を張り、歓喜の日本一に輝いた「全日本実業柔道団体対抗大会」。今年は舞台を札幌市豊平区の北海道立総合体育センターに移し、ゴリラ女はコーチの腕章を巻いて臨む。
関西国際空港のロビーで選手達と合流した時、その役割の違いを改めて実感した。
去年なら自分の分厚い柔道着が入った巨大なバッグを背負っていたが、今年のカバンに入っているのは作戦ノート、ストップウォッチ、そしてテーピングなどのサポート用品だ。
北へ向かう飛行機の機内。ゴリラ女は通路を挟んで、今回は変則的なオーダーとなった修道館5人娘のシートへ代わる代わる移動し、個別に声をかけていった。
会場に一歩足を踏み入れた瞬間、「去年は滋賀の長浜でみんなで暴れてたんやな……」と、畳に立てない寂しさが一瞬だけ胸を過った。しかし、ベンチに座ればそんな感傷は一吹きで飛んだ。
試合が始まると、ゴリラ女は怒涛の勢いで指示を飛ばす。
先鋒のマントヒヒ女はガチガチになりながらも、ゴリラ女の「落ち着け!」という鋭い声に我を取り戻し、貴重な引き分けをもぎ取って最低限の仕事を果たした。
続く次鋒のチンパンジー柔道女が積極的な攻めで優勢勝ちを収めると、中堅のマウンテンゴリラ女が十八番の豪快な一本勝ちでベンチは最高潮に盛り上がる。
副将のオランウータン柔道女が粘り強い柔道で引き分け、チームのリードを守り切ると、最後は大将のキングコング女が絵に描いたような豪快な大外刈で一本を奪い、勝利を決めた。
決勝戦で惜しくも敗れはしたものの、堂々の準優勝。
ゴリラ女は畳の上で戦うことは出来なかったが、ベンチから「相手の右手の癖!」「残り30秒、指導一枚リードやから無理すな!」と、冷静に試合の状況を伝え続けた。
己の肉体をぶつけるのではない、「畳の外から戦う」という初めての感覚。選手ではない形でチームの勝利に貢献できたことに、これまでにない深い充実感を覚えていた。
大阪への帰りの飛行機。
シートで泥のように眠る5人の顔を見つめながら、ゴリラ女は窓の外の夜空を見つめた。
(コーチも、めっちゃ面白いな……)
胸の奥で、新しい柔道の楽しさが静かに灯っていた。
大阪に戻って2週間後の6月22日。ゴリラ女は審判服を着用し、講道館大阪国際柔道センターで行われた「国民スポーツ大会少年男女大阪府予選」の会場に居た。
審判控室に入ると、年配の先生方から「おぉ、ゴリラ。北海道の実業団どうやった?」と口々に聞かれた。
「皆めっちゃ頑張ってくれて準優勝でした。自分は外から声出すしか出来なかったですけど」
ゴリラ女が答えると、ベテランの先生が優しく微笑んだ。
「ええ経験したな。選手としての強さだけやなくて、若い内にコーチも審判も経験出来たんは、これからのあんたの大きな財産になるで」
6月の終わり。天王寺の自宅でリハビリノートを開きながら、ゴリラ女はこの一ヶ月を振り返っていた。
気づけば今の生活は審判、コーチ、己のリハビという三本柱で回っている。
(去年の今頃は、自分が勝つこと、相手をぶっ倒すことしか考えてへんかったな……)
今年は違う。柔道という競技を、上から、外から、そして内側から、あらゆる角度で見つめている。
勿論「一刻も早くあの畳の上に戻って、大暴れしたい」という現役としての野生の血は1ミリも衰えていない。しかし同時に、胸の中には確かな大人の自信が芽生えていた。
(もし将来、いつか選手を引退する日が来ても、ウチにはコーチや審判として、この大好きな柔道に命を燃やせる道がちゃんとある)
2025年6月。それは35歳になるゴリラ女にとって、ただの負傷離脱期間ではない。一人の怪物選手から、柔道界を背負って立つ「真の柔道家」へとその器を大きく広げた、最高に実りの多い1ヶ月だった。