2025年7月。1月の前十字靭帯損傷から半年──「全治約半年」の宣告を受け、暗闇の中で始まったリハビリ生活も、遂に終わりが見え始めていた。7月は正に、ゴリラ女にとって「怪我から完全復帰するための総仕上げの月」となった。
7月6日の朝。ゴリラ女は大阪駅から新快速に乗り込み、姫路の兵庫県立武道館へ向かっていた。
車窓から見える風景を眺めながら、バッグに入ったネクタイとブレザーに手を触れる。審判としての活動も、もう3ヶ月目だ。
会場の審判控室に入ると、5月・6月にも顔を合わせた近畿の先生方から、明るい声が飛んだ。
「お、ゴリラ女! もう審判の動きも板についてきたな」
「立ち振る舞いがすっかり落ち着いて、風格出て来たで!」
この日は副審だけでなく、主審も複数試合を担当。
5月の頃なら一瞬迷っていたような際どい投げ技の場面でも、講習や現場で叩き込んだ「技の勢い」「着地の角度」「最後のコントロール」を瞬時に落ち着いて見極め、堂々と「技あり!」「一本!」を宣告出来るようになっていた。
大会終了後、ベテラン審判から「最初の頃より格段に自信が付いた良い裁きやったぞ」と褒められ、素直に誇らしさが胸にこみ上げた。
7月13日は、昨年まで自分自身が出場し、勝ち上がってきた国民スポーツ大会の大阪府予選会。
審判服姿で会場の畳の脇に入ると、ウォーミングアップ中の顔馴染みの選手たちが一斉に寄って来た。
「ゴリラ女先輩! 来年はまた畳の上で勝負してくださいよ!」
「膝の具合、どうなんですか!?」
ゴリラ女は「もうちょっとや」と答える。
試合を裁きながら(去年はここで自分がバチバチに組んで投げ飛ばしてたんやなぁ)と感慨が過るが、焦りは全くない。
「今年は審判として、こうして大阪の大会を支えられて良かったわ」
畳の外から関わる喜びが、心の中にしっかりと根付いていた。
7月中旬、主治医から「段階的な実技再開」の許可が下りた。
本気での組み手はまだお預けだが、半年ぶりに分厚い柔道着に袖を通し、帯を締め、畳の上で汗を流す感触は涙が出るほど愛おしかった。
道場で一緒に汗を流すマントヒヒ女や修道館の仲間達も、「ゴリラ女さん、もうすぐ完全復帰ですね!」と自分のことのように喜んでくれた。
7月26日から始まった修道館伝統の「暑中稽古」。
今のゴリラ女は、コーチ兼復帰間近の選手というハイブリッドな立ち位置だ。
朝の稽古では、 ウォーミングアップを主導し、子供や若手選手達の乱取りを眼光鋭く見守りながら、「そこ! 足払いのタイミング早過ぎるぞ!」と技術的なアドバイスを飛ばす。
その一方で、自分の番になれば許可された範囲で集中して打ち込みを行い、技の感触を一つひとつ確かめた。
稽古の合間、若手から「ゴリラ女さん、もう試合出られるんですか!?」と聞かれると、
「焦らん焦らん。ここで無理したら半年のリハビリが水の泡や。ちゃんと完治させてから暴れ散らかすんや」
とニッコリ笑って答える余裕すらあった。
暑中稽古を無事に終えると、その足で「国スポ近畿ブロック大会」の会場である五條市上野公園総合体育館へ直行。
ここでも一日中、審判として畳の前に立ち続けた。
半年間で積み重ねた経験と知識のお陰で、最早試合全体の流れや選手の呼吸まで読む余裕が生まれていた。
大会後、大阪府柔道連盟の役員の先生から「怪我もそろそろ完治か?」と声をかけられた。
「8月から本格的に乱取り復帰する予定です」と答えると、先生はニヤリと笑った。
7月末。この半年間、自分の身体の一部のように付き合ってきた審判服をクリーニングに出しながら、ゴリラ女は静かにこの6ヶ月間を振り返っていた。
1月に「前十字靭帯損傷、全治半年」と言われた時は、目の前が真っ暗になり、「何で今なんや」「半年も柔道が出来へんなんて……」と絶望に打ちひしがれた。
しかし、立ち止まっていた訳ではなかった。
「柔道は、自分が相手を投げて勝つだけが全てやないんやな」
8月からは、いよいよ本格的な実戦練習、そして試合復帰へのカウントダウンが始まる。
怪我をする前よりも、確実に「柔道家としての器」が何倍も大きくなった35歳のゴリラ女。
審判として得た「全体を見渡す目」を己の柔道に融合させ、彼女は再び、最強の現役選手として畳の上へ舞い戻る準備を完璧に整えたのだった。