2025年8月。35歳の誕生日を迎えたゴリラ女にとって、この月は遂に畳へ戻る月となった。
半年間に亘るリハビリ、そして審判やコーチとしての経験を経て、彼女は再び一人の「選手」としてスタートラインに立つ。
8月2日と3日。堺市立大浜体育館で行われた大阪高校総体。
怪我自体は完治していたが、復帰直前ということもあり、ゴリラ女はこの2日間も審判として会場に入った。
会場に溢れる高校生達の熱気。思い切りのいい技の応酬を裁きながら、彼女は静かに意気込みを新たにする。
「攻め切る気持ちは、やっぱり一番大事やな」
3日の大会終了後。審判控室でブレザーを畳んでいると、連盟のベテランの先生から声をかけられた。
「ゴリラ、次は選手やな」
ゴリラ女は落ち着いた口調で、短く答えた。
「はい。久しぶりなんで、ちょっと緊張します」
半年間、自分の体を支えるように着続けてきた審判服を丁寧にカバンへ収める。
(この半年、本当にええ勉強になったわ)
感謝と共に、彼女の意識は完全に現役選手へと切り替わった。
8月中旬、修道館で本格的な乱取りを再開。
最初は流石に半年分のブランクがあり、体の鋭さが思うように戻らない。
「焦るな。体力はすぐ戻る」と声をかけるキングコング女。
「久々やのに普通に組めてますやん」と驚くボノボ女。
周りの言葉に対し、ゴリラ女は客観的に自分の状態を分析して返す。
「組み手と技は出る。ただ、試合の間の感覚がまだ戻ってへんな」
言葉数は少ないが、焦りは一切ない。自分の体の声を冷徹に聞き取りながら、一日一日、着実に試合勘を研ぎ澄ましていった。
約10ヶ月ぶりの実戦の舞台。兵庫県尼崎市。
朝、更衣室で白い柔道着に袖を通し、キュッと帯を締める。
「やっぱり、こっちの方がしっくりくるな」
半年間、審判服を着続けたからこそ分かる柔道着の重み。静かに胸が高鳴った。
1回戦。最初はやや動きが硬く、お互いに組み手を探る静かな立ち上がり。
しかし、一度寝技の展開に入ると、半年休んでいたとは思えない落ち着いたコントロールを見せる。じわじわと圧力をかけ、最後は横四方固めで一本勝ち。
試合後、短く吐き出した息と共に、「……やっと帰ってこれたな」と安堵の表情を浮かべた。
2回戦。力のある実力者との対戦。立ち技では互角の競り合いが続いたが、審判経験で培った「試合の流れを読む目」が活きる。終盤、相手にプレッシャーをかけて指導を誘い込み、冷静に優勢勝ち。試合勘が急速に戻ってくるのを感じていた。
準決勝。昨年も上位に入っている強敵との一番。試合は一進一退のままゴールデンスコアへもつれ込む。
寝技で何度かチャンスを作るも決め切れず、一瞬の隙を突かれて相手の大内刈りで技ありを奪われ、惜しくも敗退。
3位決定戦は気持ちをすぐに切り替えて臨んだ一戦。
最初から前に出る攻めの柔道を貫き、終盤に得意の寝技へ持ち込むと、相手をガッチリと抑え込んで一本勝ち。
復帰戦は3位という結果で幕を閉じた。
会場の控室に戻ると、修道館の仲間達が温かく迎えてくれた。
「おかえり!」「充分過ぎる復帰戦やで!」
ゴリラ女はタオルで汗を拭きながら、静かに、しかし力強く言った。
「おおきに。……まあ、まだまだ戻せるな。次はもっと動ける」
天王寺の自宅に帰宅後、結果を待っていた母親からも「無事に終わって良かったな」と声をかけられた。
「怪我も問題なかったわ」
短く答えたものの、胸の奥にはじわじわと温かい実感が込み上げていた。
半年間の遠回り。
しかし、ただ休んでいたわけではない。審判として学んだ「客観的な視点」、コーチとして得た「冷静な分析力」、そしてリハビリで鍛え直した身体。
全てを携えて畳に戻ってきた35歳のゴリラ女。
「勝つこと」だけを目指していた去年までとは違う。
柔道家として一回りも二回りも大きくなった彼女の、現役第2章がここから本格的に始まっていく。