浪速のボスゴリラ   作:五十嵐 響

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意気込み

2025年は思うような年にならなかった。前年が絶好調だっただけに怪我での離脱は悔しさが残る。しかし、審判やコーチなど新しい立場を経験したことで、柔道家としてのセカンドキャリアを知る貴重な機会となった。

9月に秋風が吹き始めると、総合格闘家時代のトレーナーとの数年ぶりの再会を経て、胸の奥の火種が再び大きく燃え上がり始めた。目標は明確だった。2026年2月8日、全日本女子柔道選手権大会の大阪府予選を兼ねた大阪府柔道選手権大会。

本格的な復帰に向け、ゴリラ女の熱い秋と冬が始まった。

 

11月。秋も終わりに近付き、大阪も朝夕はひんやりと冷え込む季節となった。

修道館の着慣れた道着に袖を通し、畳の上に立つ。怪我で離れていた期間を取り戻すべく、乱取りを再開した。

最初は思わず苦笑いが漏れた。

「あかん、こんなにしんどかったっけ(笑)」

技そのものは身体が覚えていても、組みついた瞬間の瞬発力や相手を動かす感覚、投げた後にすぐ次の攻防へ移る体力が明らかに落ちている。乱取り後半の集中力も続かない。特に重量級同士の乱取りは一回一回の消耗が激しく、以前なら何本もこなせたが数本で息が上がってしまった。

しかし、「きついから止める」ではなく、荒い息を吐きながら胸に込み上げてきたのは別の感情だった。

(……これや、これ。)

久しぶりに全身を包む疲労感そのものが、堪らなく愛おしく、懐かしかった。

筋トレも同様だった。柔道特有の引き手を使うトレーニングやスクワットを追い込み、

「脚終わった……」「明日絶対筋肉痛や」とボヤきながらも、翌日にはまた当たり前のように修道館へ足を運んだ。復帰直後は重量を追うことよりも、動作の質と身体の感覚を取り戻すことを最優先した。

それでも、以前と大きく違う所があった。

審判やコーチとして客観的に試合を見ていた半年間のお陰で、ただ「強くなるために稽古する」という感覚から脱却していたのだ。

(この場面なら無理に技を掛けんとこう動くな)

(ここで相手の体勢を崩せば省エネで投げられる)

選手として俯瞰して自分を見る目が養われていた。乱取りの本数を少しずつ増やしていく内に、最初は息切れしていた体力が数週間後には最後まで持つようになり、若手相手にも組み勝てる場面が増えていった。

「良し。来年はちゃんと試合やろう」

練習で己を高めていく実感が、そのまま自信へと変わっていった。

 

12月に入ると、柔道と並行してバイト先の回転寿司店も怒涛の繁忙期に突入した。年末の寿司店は普段の落ち着いた営業とは別物。寿司担当のゴリラ女の元へ次々と注文が押し寄せる。

「はい、次これ!」

確認し、握り、盛り付け、レーンに流す。目紛しいテンポを完璧に回す彼女の手際に、山田店長も目を丸くした。

「ゴリラ女さん、めちゃくちゃ早くなったね」

「ほんまですか? やっと慣れてきましたわ」

手応えを感じていたゴリラ女だったが、どうしても苦戦するのが揚げ場だった。唐揚げやフライ系は注文を受けてから加熱するため時間がかかる。油は跳ねるし暑いしあまり好きではない。しかし寿司を順調に処理している間に揚げ物のオーダーが溜まり、

「ゴリラ女さん、揚げ物お願いします!」

「あ、今やります!」

と焦る場面も。寿司は完璧にこなせるようになったものの、揚げ場は忙しいとどうしても後回しになりやすい難所だった。それでも秋から冬にかけて寿司屋のバイトでかなり稼ぎ、懐も潤った。

仕事で一日中動き回り、足腰がパンパンの状態で修道館へ向かう日もあった。

「今日は仕事だけでも結構疲れたな……」と思いながら道着に着替えるが、畳に上がれば一瞬でスイッチが入る。

2月8日の大阪府選手権を見据え、乱取りの本数と筋トレの強度を通常に近づけていった。ただ、2025年1月の怪我を教訓に、「絶対に無理をして再発させない」というセルフケアの意識も徹底していた。

そして年末、ここでパタリと練習をストップした。

「ここから正月はしっかり休む」と決め、身体をリセットさせたのだった。

 

店が休みに入った大晦日。

実家には猿女、チンパンジー女、オランウータン女の四姉妹と、従姉妹のボノボ女が集まった。RIZINを全員で観戦するのが恒例だ。

ゴリラ女にとっても、仕事と柔道を完全に忘れて純粋に格闘技を楽しむ至福の時間──のはずだったが、試合が始まるとすぐにゴリラ女とチンパンジー女の熱い格闘技談義が幕を開ける。

画面を見ながら、チンパンジー女が口を開く。

「今のロー効いてるやろ」

「効いてる。でも蹴った後に距離詰められたら危ないで」

「いや、あれは打撃で削ってからやろ」

「MMAはそこだけ見たらあかんって(笑)」

身乗り出して議論を重ねる二人を見て、周りが呆れ顔で笑う。

「また始まった(笑)」

「二人とも試合より解説のほうが熱くない?」

「でも言ってること聞いてると面白いで」

柔道とMMAの両方を極めたゴリラ女は、投げや寝技が出ると即座に反応する。

「今の組み手、柔道やったらもっとこうするわ」

対して空手・キック経験者のチンパンジー女が返す。

「でも立ち技なら今の距離の方がええやろ」

剣道の猿女、弓道のオランウータン女、薙刀のボノボ女も全員武道家だが、競技の角度が違うため「なるほど、そういう見方をするんや」と感心しながら耳を傾けていた。

全試合が終わり、画面が静かになると猿女がぽつりと聞いた。

「結局、どっちが強かったん?」

「そこを説明すると長くなるで」とゴリラ女が返すと、

「止めとき(笑)」とチンパンジー女が制し、リビングは温かい爆笑に包まれた。

怪我に泣いた2025年。しかし最後はしっかりとリハビリを終え、仕事もやり抜き、大好きな家族と格闘技を観て笑い合って一年を締めくくった。

年が明ければ、2026年2月8日。

自らが再び暴れ回るための舞台、大阪府柔道選手権大会がすぐそこに待っている。

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