3月の近畿大会でベスト4に入り、2年ぶりとなる全日本女子柔道選手権大会への出場を決めたゴリラ女。修道館での稽古の空気感は、それまでとは一線を画すものへと変わっていた。
大阪府予選の試合勘を取り戻す、近畿大会の全国切符を掴むという段階を越え、今の目標は明確だった。
(折角全国まで来たんやから、やれる所までやる——)
重量級の猛者達と互角以上に渡り合う激しい乱取りを重ねる。しかし、35歳で前年に大怪我を負っている身だ。昔のように毎日限界まで身体を追い込む無茶はしない。
高い強度の稽古から軽めの調整、完全休養というメリハリを徹底した。特に大会直前は疲労を抜き、コンディションをピークへ持って行くことに全神経を注ぐ。
「ここでまた怪我したら、全部終わりやからな」
2025年1月の絶望的な長期離脱を経験したからこそ、自身の身体への配慮は過去最高に慎重だった。
皇后盃の舞台は横浜。新大阪駅から新幹線に乗り込み、新横浜を目指す。
スポーツバッグには、手入れされた柔道衣、帯、テーピング、サポーター類、そして着替えをコンパクトに詰めた。移動中の車内では極度に緊張することもなく、スマホを眺めたり、流れる車窓の風景を目で追いながら静かに集中を高めて行く。
夕方、横浜のホテルに到着。部屋に入ると、実家の母からLINEが届いた。
『着いた?』
『着いたで。明日頑張って来るわ』
短く返信を済ませると、ホテルの近くで栄養バランスの取れた夕食を摂り、早めにベッドへ潜り込んだ。
4月19日。大会当日、会場である横浜武道館の熱気は独特だった。
ゴリラ女にとって全国の舞台は決して初めてではない。だが、「無差別級日本一」を決める皇后盃の空気はやはり特別だ。更衣室で柔道衣に袖を通し、帯を固く結び直す。周りを見渡せば、全国から勝ち上がって来たトップクラスの柔道家達が鋭い殺気を放っている。
(やっぱ全国は違うな……)
そう胸の中で呟きつつも、浮足立つことは一切ない。すぐさま試合場へ向かい、足の裏で畳のグリップ感を確認すると、淡々とウォーミングアップを開始した。
開会式。整列する彼女の表情には、普段以上の硬さと勝負師の凛とした冷徹さが漂っていた。
(ここまで戻ってきたんや。あとはやるだけや)
1回戦。試合が始まると静かに間合いを詰める。全国レベルの相手も圧力を警戒して慎重になるが、ゴリラ女は相手の組み手の隙を見逃さなかった。崩しの攻防から一瞬の隙を突き、相手の後ろへ素早く回り込む。総合格闘家時代から得意の裸絞をガッチリと極め、見事な一本勝ち。2年ぶりの全国舞台で、鮮烈な復活の狼煙を上げた。
(まずは1回戦勝てたな)
続く2回戦の相手は、ナショナルチームに入るトップ選手。
ゴリラ女は長年培った経験と勝負勘をフル動員し、力だけに頼らない巧みな崩しと組み手で食い下がる。倒しては得意の寝技へ持ち込もうと泥臭く攻め続けた。
しかし、相手のスピードと対応力も全国トップクラス。互いに一歩も譲らない激闘の末、僅かな手数の差で判定負けを喫した。
上位進出はならず、2回戦敗退。
畳を降り、控室へと戻る道すがら、悔しさが波のように押し寄せる。
「……あかんな。もうちょっとやれたと思ったんやけどな」
ただ全国に出られただけで満足するような選手ではない。だからこそ負けは心底悔しかった。しかし、額の汗を拭い、荒い息を整える内に冷静な考えが巡る。
(まあ……全国で勝つには、まだ足りんということか)
試合が終わると、長居することなく手早く荷物を纏めた。スポーツウェアに着替え、横浜武道館を後にする。
新横浜駅から新幹線に乗り込み、新大阪への途に着いた。分岐器を通過して揺れる車内、疲れが一気に押し寄せ、彼女は座席に深く身体を沈めて静かに寝た。
2時間後、車内放送で目が覚めた。
「間もなく新大阪です。東海道線、おおさか東線と地下鉄線はお乗り換えです…」
「おお、そろそろか」
ゴリラ女は荷物棚からバッグを下ろして新大阪駅で降りた。そして東海道本線の姫路行きに乗り換え大阪駅で大阪環状線で鶴橋駅まで行き、駅の改札を出た。
駅から少し歩くと家に到着。ドアを開けると、リビングから家族の声が飛んで来た。
「おかえり! どうやった?」
「2回戦で負けた」
「そっか……」
「まあ、全国はそんな甘ないわ」
どこかあっけらかんと言い放つゴリラ女だったが、お茶を一口飲み、少し間を置いてからポツリと付け加えた。
「でも……全国まで戻って来れたんやから、そこは良かったわ」
その言葉に、母も姉妹達も静かに頷いた。
2025年1月の大怪我から始まった絶望。そこから半年のリハビリ、審判やコーチとして畳の外から柔道を見つめた日々、8月の実戦復帰、2026年2月の大阪府予選、3月の近畿大会ベスト4、そして4月の皇后盃へ——。
約1年3ヶ月の月日をかけ、35歳で再び全国の畳の上へ戻って来た。
不満や言い訳はない。胸に残ったのは、「まだ自分は柔道が出来る」という確かな手応えと、格闘家・柔道家として培ってきた熱い魂だった。
「良し、また稽古行こ」
スポーツバッグを部屋の隅に置いたゴリラ女の目は、早くも次の畳の上を見つめていた。