第65回大阪府柔道体重別選手権大会では珍しく勝ちを逃して敗退することになり、胸の奥に苦い悔しさが残った。だが、いつまでも引きずるような性格ではない。1週間後には宮崎県延岡市で「第76回全日本実業柔道団体対抗大会」が控えている。ゴリラ女は速やかに思考を切り替え、団体戦に向けた仕上げの稽古に打ち込んでいた。
今回のチーム構成は盤石だ。
アグレッシブに攻め立てるチンパンジー柔道女。組み手の巧みさと器用さを併せ持つマウンテンゴリラ女、手堅く引き分けてチームのバランスを取るオランウータン柔道女、一発の豪快な投げ技を誇るキングコング女、泥臭く相手を極める固技の絶対的要・ゴリラ女
女子1部は5チームのエントリーのため、一発勝負のトーナメント戦ではなく全5チームによる総当たりリーグ戦だ。敗退即終了のトーナメントに合わせた手堅く守る柔道より、1ポイントでも多く勝ち星を重ねる攻撃的な柔道が必要になる。勝敗数や残り時間、ポイント差といった具体的な試合状況を模した実戦乱取りを繰り返し、チーム全体のイメージを深めた。
ゴリラ女は無差別級のため前日計量はないが、他4人のメンバーは翌日13日の本番に向けて、12日16時からの前日計量をクリアしなければならない。そのため、前日の昼までには延岡へ乗り込むスケジュールが組まれていた。
大会前最後の調整稽古が終わり、着替えを済ませた5人は道場で雑談を交わしていた。
「延岡って誰か行ったことあるか?」
「九州の東側ですよね? チキン南蛮の発祥地でしたっけ」
「計量終わったら絶対チキン南蛮食うぞ。それを楽しみに減量耐えてるんやからな」
遠征前の独特な高揚感が漂う中、各自が荷造りのために帰路に就いた。
自宅へ戻り、遠征バッグに荷物を詰めていると、母から声をかけられた。
「今回の試合、どこであるん?」
「延岡。明日の早朝からJRで行く」
「また遠い所やなあ。宮崎県の方やろ?」
「全日本実業は会場が毎年変わるからしゃーないんよ。去年は札幌やったしな」
母との短い会話を済ませ、早めに床に就いた。
翌朝、まだ薄暗い早朝の新大阪駅。集合場所に5人が揃い、新幹線に乗り込んだ。
車内の会話は、自ずと柔道一色になる。仕事と競技の両立の難しさや、それぞれのルーツに触れる懐かしい思い出話に花が咲いた。
「ゴリラ女、お前が初めて出た大会って覚えてるか?」
キングコング女が缶珈琲のプルタブを開けながら尋ねる。
「……覚えてるで。2000年の第5回マルちゃん杯近畿少年柔道大会。親に連れられて神戸まで行ったわ」
「へえ! 結果どうだったんですか?」
チンパンジー柔道女が興味津々に身を乗り出す。マウンテンゴリラ女とオランウータン柔道女も視線を向けた。
「1回戦で背負投食らって一本負けや」
「あのゴリラ先輩が一本負け!? めっちゃ貴重ですねそれ!」
「当時は技の理合いも何も分かってなかったからな。小4で図体だけデカくて、ただ力任せに組みに行ったら一瞬で軸崩されて綺麗に投げられた。まあ、そこから組み手と崩しの理論を勉強し直した訳やけど」
「ふん、その敗北から始まったからこそ今のゴリラがおる訳やな。うちも最初は投げられてばかりやったわ」
キングコング女が不敵に笑う。オランウータン柔道女が「仕事やりながら柔道続けるのも大変やけど、そういう負けの積み重ねがあるから今も畳に立ちたくなるんやろな」としみじみ呟いた。
新幹線は山陽新幹線を西へ進み、新関門トンネルの暗闇を抜けると北九州の街並みが広がり、小倉駅に到着した。
小倉からは日豊本線の特急にちりんシーガイアに乗り換え、九州東海岸を南下する。早朝起きだったこともあり、車窓を流れる太平洋の景色を眺めている内に強烈な眠気が襲い、5人は揃って爆睡。大分県境を越え、気が付けば列車は目的地である延岡駅に滑り込んでいた。
駅からタクシーで会場となる新宮崎県体育館へ直行。16時からの計量に臨み、ゴリラ女以外の4人も無事に一発で計量をクリアした。
その夜はホテルで一息つき、解禁された名物のチキン南蛮を心ゆくまで満喫。下らない雑談で盛り上がりながら、リラックスした状態で決戦の前夜を過ごした。
6月13日。いよいよ開幕した第76回全日本実業柔道団体対抗大会。
女子1部のリーグ戦は、初戦から各社エース級がぶつかり合う激戦となった。
1回戦と2回戦は先鋒のチンパンジー柔道女がアグレッシブに前へ出て勢い良く流れを作り、次鋒のマウンテンゴリラ女が巧みな組み手でポイントを奪う。中堅のオランウータン柔道女が手堅く引き分けて主導権を渡さず、副将のキングコング女が鮮やかな投げ技で一本を奪取。大将のゴリラ女もガッチリと抑え込んで盤石の立ち回りを見せ、開幕2連勝を飾る。
準決勝は強豪実業団チームとの一戦。先鋒・次鋒が引き分け、中堅が相手の技ありで落とす厳しい展開。しかし副将のキングコング女が起死回生の内股で一本勝ちを収めてタイになると、勝負は大将戦へ委ねられた。
ゴリラ女は相手の巨漢選手と泥臭い組手争いを繰り広げ、足払いから相手の体勢を崩すと、一瞬の隙逃さず寝技へ移行。そのまま横四方固めに仕留めて抑え込み一本勝ち。チームを逆転勝利へと導いた。
勢いに乗った5人は決勝戦も圧倒。攻めの柔道を貫き通し、4戦全勝で見事に女子1部優勝を果たした。
前週の大阪府大会での不甲斐ない結果を完全に払拭する、文句なしの完全制覇だった。表彰式を終え、金メダルを胸に掲げたメンバーの顔には充実した笑顔が浮かんでいた。
大会終了後、延岡駅から再び特急と新幹線を乗り継ぎ、大阪への長い帰路に就いた。
行きの車内とは違い、全員の膝の上には優勝の賞状と大きなトロフィーがある。
「いやー、やっぱり攻めの柔道にして正解でしたね!」
「計量後のチキン南蛮も美味かったし、最高やな」
新大阪駅で解散し、天王寺の自宅へと帰り着いたゴリラ女。バッグから道着を取り出して脱衣所に置き、風呂でしっかりと汗と疲労を洗い流した。
部屋に戻り、ベッドの上で今日勝ち取った金メダルをじっと見つめる。
小4の大会で背負投を食らって沈んだあの日から、関電、MMA、大学院での研究を経て、今この場所へと繋がっている。1週間前の敗北から、きっちりと引き寄せて掴み取った全国のタイトル。
「……まあ、勝てばええんよ」
ぽつりと呟き、ゴリラ女は満足気な笑みを浮かべて静かに目を閉じた。次の戦いへ向けた日常がまたここから始まる。