8月半ば、お盆の真っ只中。連日の猛暑が大阪の街を包み込む中、ゴリラ女の天王寺の実家前には、荷物を積み込む5人の姿があった。
トランクに荷物を放り込みながら、賑やかな会話が飛ぶ。
「婆ちゃんの所、何持って行く?」
母が助手席のドアを開けながら尋ねると長女の猿女が紙袋を掲げた。
「あべのハルカスで買ったお菓子持ったよ」
「飲み物は?」と三女のチンパンジー女。
「途中のサービスエリアで買えばええんちゃうん?」四女のオランウータン女がスマホから目を離さずに返す。
最後尾に大きなリュックを積み込んだゴリラ女が腕を組みながら言った。
「向こう行ったら何か旨いもん食べるやろ」
「あんたはそればっかりやな(笑)」
母が呆れ顔で笑い5人を乗せた車は天王寺を出発。
7月にチンパンジー柔道女が修道館クラブを抜けて天理へ帰り、8月は公式戦の予定もない。少し気持ちと身体を休めるには丁度良いタイミングだった。
「そういえば」と三女のチンパンジー女が思い出したように言った。「修道館のメンバー、最近結構変わったんやって?」
「先月チンパンジー柔道女が天理に帰ったやろ。転職先に柔道部ないから奈良のクラブチームに移籍したわ。で、来月はマウンテンゴリラ女が東レに転職して京都の実家に帰るねん。勤務地も稽古場も大津になるから、あっちはクラブから企業の柔道部へ移籍や」
「へえ、一気に減ったなぁ」と長女の猿女がバックミラー越しに目をやる。
「学生やったら卒業するまでチームが変わることなんて基本ないけどな」とゴリラ女は窓の外に流れる田園風景を見つめながら続けた。「社会人は転職やら引越しやらで環境が変わったら、そのまま所属チームもガラッと変わる。会社に部がなければクラブチーム行くし、部がある会社に行ったら実業団に入る。それだけの話や」
三女のチンパンジー女が頷く。
「確かに。仕事と生活がメインで、そこに柔道が着いて来る感じやもんね」
「まあな。でも、どこへ行っても畳の上で柔道続けてる限りはまた大会で組むこともあるやろ」
ゴリラ女はそう言って、シートに深く体重を預けた。仲間達がそれぞれのライフステージに合わせて環境を変えるリアルさを実感しつつも、その選択をどこまでも尊重し、納得しているゴリラ女だった。
車が南へ進むに連れ、話題は自ずとそれぞれの武道へシフトした。警察官である長女の猿女が切り出した。
「そういえば私、最近警察の稽古でさ……」
「警察の剣道ってやっぱ激しいん?」とゴリラ女。
「まあ、普通の一般の大会とは雰囲気も間合いもちょっと違うな」
「へえ」
ALSOK勤めの三女・チンパンジー女も「うちも訓練あるけど、普段の空手の稽古とは全然別やからな」と頷き、四女のオランウータン女が「弓道は暑い日に道場行くとほんと大変」と愚痴を溢す。
ゴリラ女はふと窓の外を眺め、呟いた。
「結局、全員普通に仕事して、仕事終わってから武道やってんねんな」
母がバックミラー越しに目を細める。
「ほんまやなあ。あんたら昔から全然変わらんな」
「剣道、柔道、空手、弓道って、良く考えたら4人ともバラバラやな」
ゴリラ女の言葉に、猿女が笑う。
「でも全員、武道じゃん」
「姉ちゃんはMMAまでやってたから余計そう思うんじゃない?」とチンパンジー女。
「MMAはもっと打撃と組みの総力戦やから全然違うやろ」
オランウータン女が「でも結局、みんな毎日練習してるしね」と言うと、ゴリラ女も「それはそうやな」と納得したように頷いた。
紀ノ川を越えると、車窓の景色はビル群から青々とした山々と澄んだ清流へと一変した。日高川町へ入ると一気に豊かな自然が広がる。
久しぶりに訪れる祖母の家にゴリラ女が目を細めた。
「この辺来るとほんま田舎やな」
「昔はもっと不便やったで。高速もここまで伸びてへんかったし」と母。
猿女が尋ねる。「婆ちゃん昔この辺で学校行ってたんやろ?」
「そう。中津小学校、中津中学校行って、高校も日高高校の中津分校やで」
ゴリラ女が山間の風景を見渡しながら漏らす。
「今の私らからしたら想像つかんな」
「高校までずっと地元なんや」「そうやで」と、車内は祖母の少女時代に思いを馳せる穏やかな空気に包まれた。
日高川沿いの集落に建つ実家に到着すると、玄関から祖母が出迎えてくれた。
「よう来たなあ」
「おかん、皆連れて来たで」
「まあ、5人も来たら一気に賑やかやな!」
ゴリラ女は大きな体躯を少し丸め、祖母に声をかける。
「婆ちゃん、元気やった?」
「元気元気。ゴリラも相変わらず大きくて頼もしいわ」
居間に上がり、冷えたお茶と西瓜を囲みながら団欒が始まった。
「ゴリラ、柔道はまだやってるんか?」
「やってるよ」
「何歳までやるん?」
ゴリラ女は西瓜の種を吐き出し、少し考えて答えた。
「選手としては自分が納得してやり切るまでかな。40歳くらいまではやるつもり」
「無理したらあかんで」
「分かってる(笑)」
そこから、祖母の昔話が始まった。
「昔はこの山奥から学校行くのも一苦労やってな。今みたいに道も綺麗やないし。そこから大阪に出て働いて……」
猿女は静かに耳を傾け、チンパンジー女は「へえー、大阪出て来た時怖くなかったん?」と質問を重ねる。オランウータン女はスマホで昭和初期の地図を調べ、ゴリラ女は腕を組みながら真剣に聞いていた。
「婆ちゃん、ようそんな不便な所から一人で大阪まで出て来たな」
「若かったからなあ。何でもやってやろうと思ってたんよ」と祖母が笑う。
山間の静かな時間が流れる中帰り際、祖母が4姉妹を見渡して言った。
「皆スポーツ好きで元気で良かったわ」
母が返す。「好きというか、もうこの子らにとっては生活の一部やな」
「まあ、私は柔道ないと暇やし」とゴリラ女。
「私は仕事のストレス発散もあるから」と猿女。
「私も空手あるし」「私も弓道がある」と妹達も続く。
「じゃあ、身体に気ぃ付けて長く続けなあかんな」
「うん。まあ、ぼちぼちやるわ」
ゴリラ女はそう言って、祖母の温かい手を握り返した。
夕方、祖母に別れを告げ、車は再び大阪への帰路に就いた。
日高川町の山並みに夕日が沈んで行く。1日中動き回り、久しぶりに家族としての時間を過ごした疲労感から、後部座席のゴリラ女は急速に瞼が重くなった。
「ゴリラ寝た?」と助手席のチンパンジー女が振り返る。
「寝たな」とオランウータン女。
「早っ(笑)。試合の時より豪快な顔して寝てるやん」と猿女が笑う。
後部座席で大きな身体を丸め、静かに寝息を立てるゴリラ女。仲間が去り、大会で負け、少しだけ肩の荷を碌に降ろせていなかった彼女にとって、この車内の揺れは何よりの薬だった。
バックミラー越しに娘達の姿を見つめながら、母が静かに呟いた。
「今年も皆忙しかったから、たまにはこういう日もええな」
半分夢の中へと落ちて行きながら、ゴリラ女は低く掠れた声で、短く応えた。
「……うん」
車は夕闇の阪和道を走り抜け、天王寺の街へと静かに帰った。