乗っ取り系魔物「クックックッ、俺に身体を貸せ……」魔法少女「貴方の力なんて借りない!」 作:タロスズ
「うーん」
「どしたぁユキぃ、溜息なんかついてよぉ。」
部屋の隅に据え付けられたテーブルに教本を広げ、ペン先で額をとんとんと叩きながら頭を悩ませるユキ。
珍しくため息をつくその姿に、アークはあおるように頭上をくるくると旋回しながら声をかける。
窓の外はもう日が傾きかけていて、机の上には飲みかけの麦茶と、開いたままの参考書が数冊……ここ数時間、ろくに休憩も取らずに向き合っていたのだろう、ユキの目の下にはうっすらと疲れの色が滲んでいた。
ユキはアークを邪魔だと言わんばかりに手で押しのけると、億劫そうにため息の理由を口にする。
「もう少しで魔少課の試験があってね。その勉強。」
「魔法少女って勉強するのか?」
「私は学校行かないで魔少課で魔法少女やってるから、コッチの方で最低限の学問のテストがあるの。」
そう答えながらも、ユキの視線は教本から離れない。ペンを持つ手は止まっているのに、目だけは文字列をなぞり続けている……根を詰めすぎているのは明らかだった。
「へぇ……つっても、お前基礎学力バリバリ高そうなイメージだけどな。」
「買い被り過ぎ。普通の高等教育分にプラスして最近は次元獣関連の座学も増えたし、専門科目もあるから、意外と範囲広いの。」
ユキはペン先で参考書のページをとんとんと叩きながら、淡々と続ける。
「魔法理論とか、次元獣の生態とか、あと救護と応急処置。実技だけできても駄目なの、魔少課は。」
「あー……なるほどな、現場で使えねぇと意味ねぇもんな。」
アークはふむ、と何かに納得したように腕組みをして宙に浮く。だが、その視線はすぐにユキの手元――開かれたノートに並ぶ、几帳面すぎるほど整った文字に落ちる。
「にしても、随分根詰めてんじゃねぇか。目の下、隈できてんぞ。」
「……そう?」
言われて初めて気づいたとでもいうように、ユキは指先で軽く目元をなぞる。だが特に気にした様子もなく、またペンを取り直して手を動かし始めた。
その素っ気なさに、アークはやれやれと言いたげに肩をすくめる仕草をする。
「あのなぁ、根詰めすぎて試験当日ぶっ倒れたら本末転倒だろうが。」
「大丈夫。まだ余裕あるし。」
「その台詞、3時間前にも聞いた気がすんだけどなぁ?」
図星を突かれ、ユキの手がぴたりと止まる。ちらとアークを睨むが、反論の材料が見つからないのか、ふいと視線を逸らして誤魔化すようにページをめくった。
その様子を見てアークはひとこと言葉を漏らす。
「身体乗っ取って無理やり休ませるぞ。」
「……少し休憩する。」
「素直でよろしい。」
満足げにケラケラと笑うアーク……その炎のような輪郭が、部屋の灯りを受けてゆらゆらと揺れる。ユキは椅子の背にもたれかかると、こわばった首筋を軽く回し、小さく息を吐いた。
アークはユキの体を借りて軽い軽食を作る……サンドイッチにコーンスープと、いたって普通の軽食だ。ユキとアークはそのサンドイッチに手を付けながら互いに会話をする。
「つか、試験ってどんくらいの頻度であんだよ。」
「半年に一回。今回は座学が中心で、実技は次回に回されるみたい。」
「ふぅん……ちなみに、落ちたらどうなんの?」
「……補習。あと、しばらく現場に出してもらえなくなる。」
その一言に、ユキの声が僅かに硬くなる。アークはそれを聞き逃さなかった。
「現場に出れねぇのが、そんなに嫌か?」
「……別に。ただ、休んでる間も次元獣は待ってくれないから。」
ぽつりと零れた本音に、アークは一瞬黙る。だが、深く突っ込むような真似はせず、ただ「へぇ」とだけ返した――こういう時に無理に踏み込まないのも、この短い間で覚えたユキとの間合いだった。
「まぁ、なんにせよ根詰めすぎんなよ。飯もちゃんと食え。」
「わかってる。」
すると、ユキは暫く肩の荷を下ろしたように背もたれに沈み込むと……珍しく少し弱音のようなものを吐く。
「……まぁ、次元獣や魔法少女に関するところは良いんだけど、普通の数学とかが少し……ね……」
「あぁ?そっち!?」
アークが驚きながら机の上を覗き込むと、確かに広がっているのは数学の教本だ。ノートを見れば数式をいろいろ消しゴムで消した跡が残っている。
「魔法理論はバリバリ理解してんのに、なんで普通の数学でつまずくんだよ……」
「……別に、つまずいてない。ちょっと計算が遅いだけだし。」
「いや遅いっつうか、この式、答え合ってねぇじゃんか。」
アークが炎の指先でノートの一部を指し示す。ユキはむっとした顔で覗き込むと、しばし沈黙してから式を目で追い……やがて観念したようにぽつりと呟いた。
「……間違えてる。」
「だろうな。しかも一箇所じゃねぇ、ここもここも。」
「わかった、わかったから、いちいち指摘しないで。」
顔を赤くしながら計算し直すユキ……その様子を見て、アークはニヤニヤと愉快そうに旋回する。
「意外だなぁ。あの氷結の魔法少女様が普通の連立方程式でコケるとか。」
「……別に魔法少女なのと勉強できることは関係ないし……こっちは、こういう時しか使わないから。」
「へー、なるほどね。」
納得したように頷きながらも、アークはふと何かを思いついたような顔をする。
「なぁ、俺教えてやろうか?」
「……貴方、数学わかるの?」
「ばっかお前、俺何百年生きてると思ってんだ。人間の学問なんぞ、廃れちゃあ生まれ変わるの何周もこの目で見てきてんだよ。」
「……何百年前の数学、今と同じかは怪しいと思う。」
「うるせぇな、基礎は変わんねぇんだよ基礎は。ほら、貸してみ。」
半ば強引にペンを取り上げようとするアーク……だが、次の瞬間ペン先がポキっと折れる……どうやら筆を執るなんて真似はさすがのアークでもあまり経験したことのない、いわば苦手な事柄のようだった。
「……」
「……」
「……教えるの、無理じゃない?」
「……お前、今笑ったろ。」
「笑ってない。」
口元をきゅっと結んで表情を消すユキだが、目元には隠しきれない笑いの気配が滲んでいる。アークはむっとしたように鼻を鳴らすと、ふてくされたようにユキの周りをぐるぐると旋回し始めた。
「くそ、じゃあ口頭で教えてやるよ。ほら、その問題見せてみ。」
「……はぁ、お願い。」
素直に問題を指し示すユキに、アークは咳払いを一つしてから――何百年間の記憶を掘り起こすように、ゆっくりと語り始めるのだった。
アークの指導は思いのほか適切で、教本とにらめっこして自分一人でやるよりもはるかにわかりやすかった。禁断の魔物がまるで家庭教師のような有様だが、もはやそこに突っ込むものはこの空間には存在しない。
思いのほか的を射た説明に、ユキは意外そうに目を瞬かせる。てっきり適当な減らず口で誤魔化されると思っていたのだが……アークの語り口は、存外筋が通っていた。
「……なるほど。」
「だろ? ほら、この式のxに数字を代入してみ。」
言われるがまま手を動かすユキ……ペン先が紙を滑る音だけが、静かな部屋に響く。しばらくして、彼女の口から小さな呟きが漏れた。
「……解けた。」
「だろうなぁ。教え方だけは自信あんだよ、こう見えても。」
得意げに胸を張るアーク――形はないくせに、妙に堂々とした佇まいだ。ユキはそんな彼を横目に見ながら、少しだけ口元を緩める。
「……次の問題も、教えて。」
「おう、任せろ。」
窓の外はすっかり茜色に染まり、机の上のコーンスープはとうに冷めていた。それでも、ペンを走らせるユキの手つきは、先ほどよりも幾分か軽くなっているようだった。