先に動いたのは、ギルガメッシュだった。
笑みを残したまま、右手をわずかに振る。
それだけで、宿儺の周囲へ新たに八つの門が開いた。今度は刃ではない。杭に似た長い宝具が、円を描くように地へ突き立つ。石畳が悲鳴を上げ、金属の胴が深々と沈み込んだ瞬間、宿儺の足下に広がっていた黒い影が、まるで見えない壁に触れたようにきしんだ。
宿儺が片眉を上げる。
「ほう」
「汚らしいものを好きに伸ばされては不快でな」
ギルガメッシュの声は冷たい。
「結界じみた細工なら、潰し方はいくらでもある」
影はなおもじわじわと這うが、杭の円を越えるたびに、火花のようなものを散らして鈍る。完全には止まらない。だが、さきほどまでの滑らかな侵食ではない。
宿儺はその変化を見た。
ただ力で押し返しているのではない。場そのものに楔を打ち、広がり方の理屈を乱している。壊すより、噛み合わせを狂わせる類の手。
「道具が多いだけの成金かと思ったが」
宿儺が喉で笑う。
「少しは頭を使うらしい」
「貴様ごときに褒められても虫唾が走る」
即座に、今度は杭の内側へ金の雨が落ちた。
宿儺は動かない。
最小限だけ首を傾け、肩をずらし、膝を沈める。避けるべきものだけを外し、あえて二本を受ける。一本は左脇を貫き、もう一本は太腿を削いだ。血が飛ぶ。だが宿儺の視線は傷ではなく、巻きついた黄金の鎖へ向いていた。
引かれるたびに重い。
ならば。
宿儺は、一瞬だけ、自身の呪力のざわめきを薄くした。
ほんの瞬き程度。
だが、その一瞬で鎖の締まりがわずかに緩む。
ギルガメッシュの瞳が、そこで初めて明確に動いた。
「……」
宿儺は笑った。
次の瞬間、緩んだ右腕を一気に振り抜く。鎖は千切れない。だが、引かれたギルガメッシュの身体が半歩だけずれた。その半歩を踏み台にするように、宿儺の斬撃が横薙ぎに走る。
ギルガメッシュは門を一つ、自分の真正面に開く。
現れた大盾めいた宝具が、斬撃と激突した。轟音。盾の中央に深い亀裂が入り、後方へ吹き飛ぶ。だが、その一拍で十分だった。ギルガメッシュは後退し、同時に十数本の短剣を宿儺の関節へ散らす。
宿儺は前進を止めず、膝と肘で弾いた。
「締まり方が変わった」
「だからどうした」
「鎖も、貴様も、見栄ほど万能ではないと言っている」
ギルガメッシュの口元が吊り上がる。
「なるほど。ようやく吠え方に知性が混じってきたか」
その言葉とともに、黄金の門がさらに増える。
だが、今度の配置は違った。宿儺の正面に厚く置かれた門の列。左右には少なめ。背後、市街へ向かう方角には、重い気配の宝具が偏っている。
宿儺はそれを見て、鼻で笑った。
「隠す気もないな」
「王の采配だ。貴様の目に見えるように置いてやっている」
「違う」
宿儺は、わざとゆっくり言った。
「そこを抜かれたくないだけだ」
次の瞬間、宿儺の指が軽く弾かれる。
斬撃はギルガメッシュではなく、杭の一本を狙った。
金属が悲鳴を上げる。杭の胴に、深い斜線が刻まれる。完全には断てない。だが、それだけで円の一角が乱れた。黒い影が、その裂け目へ一気に流れ込む。
ギルガメッシュの目が冷える。
「下劣だな、雑種」
「勝手に庭だの王だの言い出したのは貴様だ」
宿儺は足を進める。影が杭の外へ滲み、市街地へ伸びるように見せながら。
「なら踏み荒らされる覚悟くらい持て」
ギルガメッシュの返答は早かった。
開いた門から飛び出したのは、剣ではない。杯、鏡、奇怪な石版、用途のわからぬ装飾具。宝具と呼ぶにはあまりに奇妙な品々が、影の先端へ向かって叩き込まれる。触れた瞬間、黒が揺らぎ、濁り、広がり方を鈍らせる。
宿儺は、その一つ――古びた鏡めいた品が、影の表面を波立たせる様子を見て、舌打ちした。
「嫌なものを持っている」
「貴様のような不浄を払う道具は、山ほどある」
「なら全部出してみろ」
宿儺はそう言うと、進路を変えた。
市街ではなく、横。
港に積まれたコンテナ群と、燃料タンクの並ぶ方角へ。
ギルガメッシュの反応が、ほんのわずかに遅れる。守るべきは街だと見せておいて、実際にはそこへ繋がる導火線を踏みに行く。一本道ではない。港湾設備ごと吹けば、市街への被害は遅れて拡がる。
ギルガメッシュは忌々しげに舌を打った。
「獣以下だな」
「今さらか?」
宿儺の斬撃が、燃料配管の基部へ走る。
届く、その寸前。
黄金の鎖が、今度は地面の下から噛みついた。
宿儺の足首へ巻きつき、引き倒す。体勢が沈む。そこへ上空から巨大な槌が落ちた。避け切れない角度。宿儺は腕を交差して受ける。鈍い衝撃が全身を揺らし、地面が半径数メートルにわたって陥没した。
粉塵の中、ギルガメッシュが低く言う。
「二度も同じ手が通ると思うなよ」
「二度目だから効いたのだろう」
粉塵を裂いて、宿儺が笑う。
地に伏せた姿勢のまま、下から斬撃が跳ね上がった。ギルガメッシュは上体を反らしてそれをかわす。金の髪が数本、夜気へ舞う。
それだけで、空気が変わった。
ギルガメッシュは避けたまま、落ちた髪を見もしない。
だが、その声音から愉悦が抜ける。
「……よい度胸だ」
「怒るのか?」
宿儺が立ち上がる。四つの眼が愉しげに細い。
「今のでようやく、少しは生き物らしい顔をした」
ギルガメッシュの周囲に、門が二重三重に展開する。
先ほどまでとは違う。数ではなく、圧だ。開いただけで空間が重くなる。剣呑という言葉では足りない。一本ごとに、場へ別種の法則を持ち込むような威圧。
宿儺は笑みを崩さない。
だが、見ている。
一本だけ、他と違う門がある。
金ではある。だが輝きが鈍い。深い。底の見えない裂け目のように、静かに回る門。その奥にあるものは、まだ半ば影に沈んでいて、形をよく見せない。ただ、そこから吹く気配だけが、他の宝具と根本から違った。
斬るとか、貫くとか、爆ぜるとか――そういう武器の気配ではない。
もっと粗暴で、もっと根源的だ。
宿儺の笑みが、少しだけ深くなる。
「隠し玉か」
「貴様ごときに見せるほど安くはない」
「そうか?」
宿儺は首を鳴らした。
「なら、抜かせてやる」
足下の影が、また広がる。
今度は先ほどまでとは違っていた。這うように伸びるのではない。地面そのものが沈むように、周囲一帯の景色が暗く薄れていく。倉庫の壁も、コンテナも、死骸も、壊れた杭も、色を失いはじめる。
ギルガメッシュが眉をひそめる。
「閉じぬのか」
宿儺は返さない。
普通の結界なら、囲う。断つ。内と外を分ける。
だがこれは違う。
境界を作らず、ただ現実の上に、別の理を重ねてくる。
ギルガメッシュは見た。杭がまだ刺さっているのに、影がその内外を選ばず侵食していく。潰したはずの噛み合わせを、まるで別の場所から上書きしている。壊す、閉じる、閉じ込めるという常識の外から。
「……成程」
ギルガメッシュの口元に、薄く笑みが戻る。
「小賢しい。囲いもせず射程だけを押しつけるか」
宿儺が、そこでようやく答えた。
「賢いだろう?」
「気に食わん手だ」
「それは結構」
二本の腕が、静かに印を結ぶ。
黒が濃くなる。
地面の裂け目の向こう、何もないはずの空間に、木の匂いがした。
湿った古木。煤けた梁。古びた社とも、屠場ともつかぬ、嫌に静かな建材の気配。
ギルガメッシュの赤い瞳が、その“匂い”の正体を探るように細まる。
宿儺の背後、闇の中で、何か巨大なものの輪郭だけが立ち上がりはじめていた。
屋根。
柱。
そして、笑っているように見える無数の口。
ギルガメッシュはそこで、ためらいなく腕を伸ばした。
他の門ではない。
あの、深く回る異質な門へ。
ゆっくりと、しかし迷いなく、その奥のものの柄を掴む。
宿儺がそれを見て、愉快そうに喉を鳴らした。
「ようやく抜く気になったか、王様」
「勘違いするな」
ギルガメッシュの声音は、冷え切っていた。
「貴様の芸が、この街の地面を汚すに足ると判断しただけだ」
宿儺の背後で、闇が裂ける。
社が、現れきる直前の、あの嫌な静けさ。
ギルガメッシュの門の奥で、世界そのものを軋ませるような低い唸りが、初めて夜気へ漏れた。