低い唸りは、武器の音ではなかった。
世界が、自分の継ぎ目を思い出す時の音だった。
ギルガメッシュの手が掴んだ剣は、剣と呼ぶにはあまりに粗雑で、あまりに尊大だった。円筒を重ねたような三枚の刃。刃というより、断層そのものを束ねたような異形。抜き放たれた瞬間、夜気が歪む。周囲の門から溢れていた金の輝きさえ、その一振りの前では従属物に成り下がった。
宿儺は、それを見て笑う。
「それだ。最初からそれを出せばよかったものを」
「貴様のような塵に、王の秘蔵を見せること自体が不愉快だ」
ギルガメッシュは剣――否、乖離剣を肩に担いだまま、宿儺の足下に広がる黒を見下ろした。
「だが、庭を焼かれては寝覚めが悪い」
宿儺の背後で、社の輪郭がさらに濃くなる。
柱の影が伸びる。瓦の反りが闇の中で鈍く艶めく。無数の口に見えたものは、梁に刻まれた意匠だったのか、それとも別の何かだったのか、まだ判然としない。ただ、見ているだけで、人が踏み入ってはいけない“内側”が、そこにあるとわかる。
ギルガメッシュは理解した。
これは単なる攻撃準備ではない。
場を書き換える手だ。
結界ではない。閉じ込める気がないからこそ厄介だ。外と内を分けぬまま、現実の側へ別種の理を滲ませる。だから杭で縛っても、別の継ぎ目から滲み出る。
「面倒な真似をする」
「王を名乗る割に、狭いことばかり気にする」
宿儺が口端を吊り上げる。
「土地。街。庭。所有。守るものが多いな」
「雑種の手が届く範囲に置いてやっているだけだ」
「違うな」
宿儺の四つの眼が、愉しげに細まる。
「抱え込んでいる。だから弱い」
ギルガメッシュは嗤った。
「ああ、そうだとも。王とは背負うものだ。貴様のように、ただ食い散らかすしか能のない飢えた獣とは違う」
その返答に、宿儺の笑みがほんのわずかに深くなる。
侮蔑はあった。だが、それだけではない。
相手の傲慢が、ただの飾りではないと知った時の、あの愉悦だった。
「なら見せろ。貴様の背負うものとやらが、どれほど硬いか」
宿儺の二本の腕が、静かに組まれる。
印。
それは派手でもなく、神々しくもない。むしろ簡素で、ぞっとするほど迷いがなかった。
ギルガメッシュの赤い瞳が細まる。
来る。
ただの大技ではない。今までの斬撃とも違う。場の空気が変わる速度が、明らかに段違いだった。宝具の雨で削る、鎖で縛る、そういう“対処”の段階を越える。
だからこそ、ギルガメッシュは待たなかった。
「開け」
その一言と同時に、乖離剣の円筒が回転を始める。
重い。
音が遅れて空気を裂くのではない。回った瞬間、周囲の空間が悲鳴を上げる。倉庫の壁面に走っていた罅が一斉に開き、コンテナの角がねじ切れ、地面の石畳が巻き上がる。
宿儺の足下の黒が、初めて明確に乱れた。
「……ほう」
「境界を押しつける術なら、境界ごと裂けばいい」
ギルガメッシュの声音には、先ほどまでの冷笑とは異なる硬さがあった。
「小癪な細工だが、所詮は地の上の話だ」
回転が増す。
裂ける。
宿儺の背後に立ち上がりかけていた社の輪郭が、縦に引き裂かれたようにぶれる。柱の影がずれる。瓦の線が歪む。現れかけた“内側”が、完成を拒まれるようにきしんだ。
だが、消えない。
宿儺は印を崩さないまま、笑う。
「惜しいな」
その声とともに、黒が今度は“地面”ではなく、“空気”の側へ滲み始めた。
裂け目の中へ入り込むように。
乖離剣が裂いた継ぎ目へ、逆に別の理が食い込んでくる。
ギルガメッシュの眉が動いた。
「……閉じぬからか」
閉鎖型の結界なら、境界を裂けば崩れる。だがこれは違う。宿儺の術は、閉じた箱ではない。むしろ外へ押し広げる構造だからこそ、裂いた空間そのものが侵入路になる。
宿儺が、そこでようやく印を解いた。
「遅い」
次の瞬間、社が現れる。
完全ではない。
だが十分だった。
港湾倉庫街の景色の上に、古びた社の内装が半透明に重なる。鉄骨の天井に、黒い梁がかぶさる。コンクリートの床に、板張りの木目が浮かぶ。現実と異界が、どちらも主張を譲らぬまま噛み合っている。
そして――斬撃が、変わった。
宿儺の指も、腕の振りもない。
ただ、そこにいるだけで、周囲の空間へ“切断”が発生する。
ギルガメッシュの左頬に、線が走る。
次いで肩。鎧の表面が火花を散らし、金の板が浅く裂ける。さらに背後の門の一つが、開いたまま真横に断たれ、砕けた。
ギルガメッシュは即座に後退した。
だが、距離では薄まらない。
「自動で刻むか……」
「ようやく見えたか、金ピカ」
宿儺の声が、社の内側からも響くように重なる。
「貴様が立つ場所そのものを、切る」
ギルガメッシュは笑った。
笑ったが、その目は冷え切っていた。
「雑に広いだけの処刑場だな」
「そう見えるか?」
「見えるとも」
言いながら、ギルガメッシュは門を連続展開する。自身と宿儺の間に、盾、鎧、奇妙な碑文板、布、鏡、杯。武器ではない宝が何重にも挟まる。次の瞬間、それらがまとめて刻まれた。
一枚で耐えるものもある。二枚で消し飛ぶものもある。完全には防げない。だが、差は出る。
宿儺はそれを見た。
「硬いものを選んだか」
「貴様の術は、同じように切っているのではない」
ギルガメッシュの声が鋭くなる。
「物によって削れ方が違う。強度か、格か、そこにある意味か――どれを噛んでいるかはまだ読めぬが、少なくとも無差別ではない」
宿儺の笑みが、ほんの少しだけ獰猛になる。
「よく見ている」
「王を誰だと思っている」
ギルガメッシュは乖離剣を正面へ構えた。
回転は止めない。むしろ増す。宿儺の“社”が重ねた現実へ、今度は真正面から穴を穿つつもりだった。
宿儺もまた、わずかに腰を落とす。
必中の切断圏。対界の裂断。
どちらも、相手の土俵ごと壊す術だ。
だからこそ、ここで雑にぶつければ終わらない。終わらぬどころか、両者ともに決め手を見誤る。
その一瞬の判断が、二人の動きを同時にわずかだけ遅らせた。
そして、その遅れの中で。
倉庫街の外れ、見えないはずの場所から、微かな悲鳴が上がった。
人間だ。
避難の遅れた作業員か、野次馬か、それとも魔術師どもの残党か。
どちらにせよ、二つの王にとって意味は違う。
宿儺は笑った。
ギルガメッシュの目から、最後の遊びが消えた。
「……下郎が」
「選べ」
宿儺が言う。
「俺を刻むか、そいつを守るか」
ギルガメッシュの周囲に、無数の門が咲く。
その半数が、悲鳴の方角へ向く。
残る半数が、宿儺へ向く。
足りない。
どちらにも、足りない。
その一拍の不足を見て、宿儺は確信した。
「やはり抱えているな」
「黙れ」
ギルガメッシュが、初めて怒気を隠さずに言い放つ。
同時に、乖離剣の回転が一段上がる。
空間の裂け目が、社の床板へ爪を立てる。
宿儺の背後で、柱が一本、軋んだ。だがその瞬間、宿儺自身の周囲の切断圏もまた濃くなり、ギルガメッシュの前に並べた宝の壁がまとめて薄紙のように裂けた。
「――領域を割るつもりか」
「貴様のような小賢しい箱庭、まとめて捻じ切ってくれる」
「やってみろ」
言葉が落ちるより先に、二人は同時に踏み込む。
宿儺は、切断圏の中心をずらすように斜めへ。
ギルガメッシュは、悲鳴の方角へ半身を残したまま、乖離剣を振り抜く軌道を選ぶ。
守りながら殺す。
その無理を、王として通すための一手。
だが宿儺は、その“半身”こそを待っていた。
四つの眼が、獲物を見つけた獣のように細くなる。
「見えた」
次の瞬間、宿儺の切断圏が、ギルガメッシュ本人ではなく――彼の背後、悲鳴の方角へ向けて、わずかに軸をずらした。