だからアタシはXカリバー 〜全て忘れてしまった俺と全て忘れたと嘘つく彼女〜   作:リリリリ

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第一話 俺も貴方も

「アンタが、アンタが悪いのよ」

 

 間一髪で追撃を振り切り、辿り着いた崖の上。ルギコは息も絶え絶えに吐き捨てた。身体中のあちこちに傷や汚れが目立つ。視線の先で倒れている少年を強く睨め付け、舌打ちをする。

 少年の名はキーカ。今の彼に意識はなく、その胸から流れ出る血は明らかに命が許す量を超えている。放っておけば、残り数分すら待たずに死ぬだろう。

 

「ずっとお互い様だって納得してみてたけど……お互い様なわけないじゃない……!」

 

 膝立ちになり、キーカの胸元へ手を当てる。生温かい血の感触が、ひどく不愉快だった。

 顔を近づけた。ともすれば親しさの証とも見られるような距離だ。安らかな表情が、死を迎える者としてはあまりにも安らかな表情が、堪らなく腹立たしい。

 

「……」

 

 頬を引っ叩きたくなる衝動を押し殺し、ルギコはゆっくりと目を閉じた。顔を離す。

 

「……でも、今回だけは助けてあげる」

 

 血に塗れた手を伸ばし、今度はキーカのベルトへ取り付けられた、空の鞘に触れた。

 ルギコとキーカを繋ぐための魔道具だ。ここしばらくの彼との関係は最悪であり、いつ手放してもらっても構わないくらいに思っていたものだが、まだ身につけていたとは。

 思わず頬が緩みかけるも、即座に自覚してルギコは強く唇を噛んだ。鉄臭さが舌の先を掠める。

 

「アタシもそうしてもらったものね」

 

 魔力を込める。すると鞘が淡い光を放ち始めた。徐々に徐々に広がり、やがてキーカの身体全体を包み込む。

 

「……本当、バカみたい」

 

 ルギコは自嘲気味に呟き、右の小指に歯を立て、ためらいなく噛みちぎった。痛みで滲んだ涙を乱暴に拭う。溢れ出した血を二滴ばかりキーカの胸元へ垂らす。

 

「これで貸し借りなし。おしまいよ」

 

 傷口より新たな小指が生え始める様を眺めるうちに、キーカの胸の傷はすっかり塞がっていた。健康的な小麦色へ戻った肌を見るに、失った血も大分補われたようだ。

 

「また何か忘れてても知らな……」

 

 言葉は途中で霧散した。キーカに怪我を負わせた犯人。確かに直視したはずのその姿がまるで思い出せない。立ち会った仲間の誰かなのか、乱入した第三者なのか。

 巻き込まれただけの自分でこれだ。当の本人、キーカの記憶が無事であろうはずはない。

 

「…….関係ないわよ」

 

 深くため息を吐き、背後の森へ向けて歩き始めた。が、数秒もせずに目眩に襲われ、その場に座り込む。

 ルギコは身体が弱かった。ただ日常生活を送る分には問題ないとはいえ、大怪我を治すような真似をすると流石に負担が大きい。

 このままでは森を抜けることすらままならない。 

 

「……」

 

 キーカが目覚めるまでには多少猶予があるはずだ。少しだけ、休もう。

 ルギコは再びキーカの腰の鞘に触れた。彼女の身体がほどけるようにして光へと変じ、鞘に吸い込まれていく。空白だったその場所が、一振りの剣で満たされる。

 

 

 

 目を覚ました時、彼、宇津々キーカの頭の中は真っ暗な闇で包まれていた。

 

「ここどこだ……?」

 

 立ち上がって周囲の様子を確認する。現在地はどうやら崖の上のようだ。背後には森が、崖のふちの方角には無限とも思える草原が広がっている。円形の何かに囲まれた点の集合体は、おそらく街だ。

 

「……異世界かな」

 

 すとんと納得した自分に、キーカは眉をひそめた。太陽が二つあるだとか、空飛ぶ竜を見ただとかならばともかく、この程度の景色は海外のどこかしらに存在してもおかしくない。

 まず「異世界」という発想が浮かび、かつ納得できることは異常だ。

 

「そもそも俺なんでこんなところにいるんだ?」

 

 どういう訳か今に至るまでの経緯を微塵も思い出せない。

 一度、明確な事柄をまとめてみよう。まず、名前は宇津々キーカ。十七歳の日本人。

 

「日本……ね」

 

 故郷が「日本」で、この世界が生まれ育った場所とは異なることはなぜか確信できている。「日本」の常識も忘れていない。平和で、食に旺盛な国だ。

 ただし、友人や家族についてはどれだけ考え込んでもわからない。こめかみを抑えながら、記憶の時間軸を過去に遡ろうとも他の人間は現れず、薄っすらとした不安が胸中を満たしている。

 キーカは深くため息を吐いた。

 

「……ん?」

 

 そこで覚えのない服装をしていると、キーカは気がついた。くすんだ緑の柄無しシャツの上にはそこそこ厚みがある革のベスト。膝当て付きの長ズボンは腰のベルトで支えられており、一方そのベルトは剣を支えている。鍔と鞘の間に目立つ赤黒い汚れは……まさか血痕だろうか。

 おそるおそる、抜いて確かめようとしたところで、ふと胸元に疼きを感じた。服の隙間から手を差し込んでみる。指先はすぐに疼きの原因に辿り着いた。

 皮膚は存在し、出血はない。それでいて平らでもない。指が滑る途中で僅かに引っかかり、硬く盛り上がった「線」を越える。その周囲だけ感覚が鈍い。一拍遅れて己の指の温度が伝わってくる。つまり、傷跡だ。

 

「なにこれ……」

 

 混乱が深まる。何より不思議なのは、服装といい剣といい傷跡といい、記憶のない全てに対して、違和感だけはまるで覚えないことだ。頭ではわからずとも心が、それらは失われた記憶の中で得たものだと告げている。

 

「謎が多すぎる」

 

 とにかくまずは記憶を戻すのが先決か。自らの意思でこの場所を訪れた可能性もある。日本での日々を思い出せないようでは、帰りたいのかどうかすら判然としない。

 だが無計画はよろしくない。キーカはとりあえず座り込み、幼子の癖のように、左手を握ったり開いたりしながら、諸々を思案した。

 

「……?」

 

 程なくして頭の中に、一つの単語が浮かんできた。

 記憶の蛇口が、手慰みの動作によって一瞬だけ開かれた、ということか。

 一粒の水滴に含まれた単語を声に出してみる。

 

「〝歪む空間(ディスト)〟」

 

 次の瞬間、空間が歪んだ。左手の指の動きに呼応して。

 まるで柔らかなゴム細工であるかの如くだ。力を抜くと元に戻るが、よく見るとしばらくの間は細かく振動している。

 意味不明が過ぎる。キーカが再び思考の渦に溺れそうになったその時──びり、と足元の空気が震えた。

 音の出処を探り、即座に崖のふちへと向かう。広大な草原の一角で、異形の怪物に襲われている何者かの姿が、視界に入り込む。

 

「……?」

 

 既視感が、ある。似た事態に直面し駆け出した過去の自分を、キーカは記憶の残滓に見た。

 掌に〝歪む空間(ディスト)〟の感触が現れる。崖下との絶望的な距離をゼロにするために必要な手順が、その理屈を伴い、意識の深奥より蘇ってくる。

 

「……よーし」

 

 降りる方法は見つかった。あとは武器だ。腰の剣を抜く。

 軽い助走の後、キーカはその勢いを一切殺さず崖から飛び出した。

 足先が切り裂く虚空の中を、彼の身体は真っ直ぐに落下する。背中側から風が這い上がり、衣服が膨らむ。遠ざかる崖の縁と、駆け抜ける岩肌。世界は上下を失わず、彼だけが引き抜かれるように下へ下へ速度を増す。

 全体の半分程を過ぎたところで、キーカは両の手の指を広げ、たった一言静かに唱えた。

 

「〝歪む空間(ディスト)〟」

 

 強く、空を握る。掴んだ空を起点に、景色が引き伸ばされる。その歪みが大きくなるにつれて、落下速度が遅くなっていく。

 本来、落下速度に変わるはずだった崖の上からの位置エネルギーを、空間に肩代わりさせる。そうすれば高所からでも速度を抑えて着地できる。

 既視感は正しく、実際に数秒後、外傷なしにキーカは獣の目前へ降り立った。

 空を掴んでいた手を離すと同時に〝歪む空間(ディスト)〟を解除する。

 引き伸ばされた景色が目にも止まらぬ速さで元の位置へ回帰し、そこで空間が波打つのをキーカは感じた。本当にゴムみたいだ、と思いつつ、剣を構える。

 

「頼む! 助けてくれ!」

 

 襲われていたのは、いかにも冒険者らしい男性だった。裏返った叫びが響く。頑張ってはみたがそろそろ限界。そんな様子だ。

 気を張らせ続けては酷だろう。大怪我はしていない。逃げるくらいはできるはずだ。

 

「何とかするんで行ってください」

 

 端的に告げる。

 

「しかしそれじゃあ……」

「いいから」

「……街門で待つ!」

 

 そう言い残し、彼は走り出した。音が遠ざかっていく。

 追おうとする獣を剣で牽制。標的が自らに変わったのを確認して、キーカはとりあえず安堵した。あとは倒すだけだ。

 獣は一匹。四足で地を掴み、体高は馬ほど。胴は異様に細長く、肋骨の形が皮膚の下に浮き出ている。

 頭部は狼に近く、口元から溢れ出す息は腐肉の饐えた臭いを帯びてキーカの鼻腔に届いた。

 

「腐臭……ゾンビなのか?」

 

 キーカが呟いた直後、前触れなく、唐突に獣が巨大化した。違う、迫ってきてるんだ。

 

「〝歪む空間(ディスト)〟」

 

 剣を握る右手を後ろに下げ、左手を突き出す。空を強く握り大きく横へ払った。応じて空間がぐにゃりと歪み、魔物の攻撃を逸らす。

 好機。剣を全力で突き出した。樹皮のような皮膚を貫いた重い手応えと共に、腐敗した溶けかけの肉体が崩れ落ちる。

 荒れた呼吸を整えつつ、剣を鞘に納める。そして眉を顰めた。だっておかしいじゃないか。

 剣術も〝歪む空間(ディスト)〟も、驚くほど身体に馴染んでいる。「習得した」というより「思い出した」という感覚に近い。

 だがそもそも日本の高校生に戦闘の心得があるはずはない。生き物を殺すことの可否についても、それ自体は個人差であれど、手慣れていては流石に不自然だ。

 考えてみれば傷跡の時点で導き出せて然るべきだった。おそらく、荒事が珍しくもない日々が、思い出せない記憶の中には眠っている。

 キーカは剣を目の前に持ってきた。銀色の刃に己の顔が映る。

 

「一体俺に何があったんだ?」

『……サイアク』

「うわっ」

 

 突然脳内に響いた冷たい声に、キーカは間抜けな声を上げて尻餅をついた。

 続けて、剣が光に包まれる。そのまま手を離れて前方に移動し、徐々に徐々に人型を成す。

 しばらくして露わになった声の主の姿。純白の上衣と軽いスカートを身につけた女性だ。装飾としてか、あちらこちらに控えめな金と蒼が走っている。

 年の頃は十代の終わりから二十代前半に見える。背はキーカより頭ひとつ低い程度。腰まで届く長い髪は、研ぎ澄まされた刃を思わせる淡い銀色で、暗い森の中でも仄かに艶やかだ。

 美人であることは疑いようがない。しかし、顔について最もキーカの気を引いたのは造形ではなく、なんだか不機嫌そうな表情だった。

 

「……」

 

 最初の一言を決めかねているうちに、彼女が小さく何かを呟いた。

 

「え?」

 

 聞き返すも答えはなく、代わりなのかどうか、彼女はふいに距離を詰めてきた。吐息が交わりそうなほどに近い。

 照れが抑えきれず目を逸らそうにも、顔は彼女により固定されている。紅色の瞳に吸い込まれそうな感覚は、むしろ覗き込まれていることの証左だった。

 

「……酷い有様ね」

 

 はっきりとそう言って彼女は頬から手を離した。心地よい冷たさと妙な悔しさだけが残る。

 特段「酷い有様」というほどの怪我などはないので……今のは記憶喪失を見透かされたのか?

 

「じゃあアタシは行くから」

「いやちょっと待ってよ」

 

 冒険者の男が去った方向──街の方向とは反対側へ、彼女は歩き出そうとする。当然、キーカは慌てた。

 

「一緒にいた訳だから色々と……あ、いやそっか、貴方だから勝手に剣を使ったのはごめんなんだけど、できたら色々教えてくれませんか?」

 

 一体何を言っているんだ。あまりに支離滅裂だ。自分の発言と思いたくない。キーカは辟易した。

 だが、彼女は足を止めた。一応意味は通じたのだろう。ただし、振り返ってはもらえない。黙って立っている。

 失敗を繰り返すまいと、言葉を慎重に組み立てているうちに、結局沈黙は彼女によって破られた。

 

「……アタシの名前は?」

 

 絶望だった。間違えたらおそらく彼女は行ってしまう。でも無理だよ記憶喪失なんだから。

 そのような弱音めいた開き直りが頭の中でぐるぐる渦巻く。まともな思考も巻き込み肥大化していく。

 

「ルギコでしょ……あれ?」

 

 つまり、口を突いて出た言葉は完全に無意識だったのだ。キーカは首を傾げたものの、その疑問はすぐに吹き飛んだ。

 

「わかった。じゃあ一つ……」

「マジ!? ありがとう!」

 

 彼女改めルギコの了承を得られたためだ。これは今のキーカにとって何よりも喜ばしい。

 向き直ったルギコに詰め寄りそうになる衝動をぐっとこらえて聞く。

 

「早速なんだけど俺に何があったの?」

「えっと……教えられない」

 

 心なしか先ほどまでよりルギコの口調が柔らかい。

 

「というと……?」

「それは……いや……」

 

 しどろもどろで、なんだか迷っているような様子だ。所在なさげな手元にも不安が現れている。

 

「……」

 

 いたずら心に駆られての行動だった。恥ずかしさの仕返しでもあったかもしれない。

 

「ね、教えてよ」

 

 キーカはルギコの掌にそっと自らの手を重ねた。瞬間、指先がぴくりと跳ねる。彼女の手は驚くほどの熱を帯びて感じられた。顔に触れられた時の冷たさが嘘のようだ。

 

「えっ、あっ、はぁっ?」

「……?」

 

 ルギコの反応は想像とは異なっていた。感情過多で却って掴めなくなっている表情に、もしや引っ叩かれでもするかと身構えたが、彼女の手は動かなかった。意地になっているのか。

 あと十秒経ったら離そうと、内心数えつつ、ふと考える。

 携えていた剣より現れた以上、ルギコは赤の他人ではない。戦闘の中で目を覚ましたのならば、それまでは自分と同じく気絶していたのだろう。加えて「酷い有様」という発言。

 点と点が繋がり、過程に先んじて結論が言葉のかたちを得る。

 

「……もしかして貴方も記憶喪失?」

「えっ? えっと、いや……」

 

 空白。静寂。視線が揺れて──ルギコが静かに頷いた。

 

「マジ!? 仲間じゃん!」

 

 思わず手を握りしめ、大きく上下に振る。十秒のカウントも、触れるに留めていた一応の線引きも、キーカは忘れている。いくらかの矛盾に気がつく冷静さはもはや彼のうちにはない。

 

「ね、俺さ。記憶戻したいんだ。貴方がいると心強い。一緒に来てくれない?」

 

 同じ立場の人がいる安心は何にも変え難い。

 

「……離して」

「ハイ?」

「……わかったから手、離して」

「あ、すみません」

 

 かくして旅は始まった。




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