カーストルーム・オブ・ザ・デッド   作:戦竜

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第10話 代償

茶柱佐枝、星之宮知恵、真嶋智也、坂上数馬の四人は、

理事長室を出たあともしばらく、

自分たちの足で歩いているという感覚を持てずにいた。

 

廊下に戻った瞬間、現実が再び全身へ叩きつけられたからだ。

 

火災報知器の警報音。

遠くで上がる悲鳴。

何かが倒れる音。

そして、ときおり不自然に途切れる叫び声。

 

理事長室の中では、空気の温度すら違っていた。

外でどれほどの騒乱が起きていようと関係ないとでも言うような、

あまりにも切り離された静けさがあった。

そこでは月城が落ち着き払った顔で試験を語り、

司馬が銃器の使い方を淡々と説明し、四人は訳も分からぬまま武装させられた。

 

だがドアの外へ出た瞬間、

その理解の追いつかなさなど一切待ってくれない現実が戻ってきた。

 

血の匂いがした。

 

鉄のような、鼻の奥へへばりつくような臭いだった。

まだ新しい血の生臭さと、床へ広がって少し時間が経った血液特有の、

わずかに甘ったるいような臭いが混ざっている。

人間が本能的に不快と感じる種類の匂いだ。

職員棟の廊下は本来、教師が行き交い、書類を抱えた職員が足早に歩き、

生徒が呼び出しで緊張した顔をして現れる程度の場所でしかない。

少なくとも、血と死を連想させる空気に満ちた場所ではなかった。

 

だが、いまは違う。

 

倒れた掲示物。

蹴飛ばされた椅子。

割れたガラス。

引きずられたような赤い跡。

それらが視界の端へ入るたびに、

ここがもう学校ではなくなりつつあるのだと思い知らされる。

 

四人は立ち止まらなかった。

 

立ち止まって月城の説明を頭の中で整理する余裕があるのなら、

その時間で一人でも多くの生徒を見つけたかった。

怒りも混乱も疑問も、いまは全部押し込めるしかない。

 

「前方、二体」

 

真嶋が低く言った。

 

四人の足が自然に止まる。

 

少し先、曲がり角を過ぎたあたりに影が見えた。

ふらつくように揺れながら、しかし確実にこちらへ近づいてくる。

人間の歩き方ではない。重心が妙に前へ倒れていて、

関節の使い方にも意思が感じられない。

だが、遅いというほど遅くもない。

相手が人間だと思って一歩反応を遅らせれば、そのぶんだけ距離を詰められる。

 

茶柱は、月城から渡されたマグナム拳銃を握る手に力を込めた。

コルト・パイソン .357マグナムというリボルバー。

重い。

 

職員室を出た直後からずっと感じていたことだが、

この武器の質量は、ただの金属の重さではないように思えた。

これを撃てば、確実に何かを壊す。

その壊れる対象が元は人間だったものであると理解しているからこそ、

重量は余計に重く感じられる。

 

だが、撃たなければならない。

 

司馬の声が脳裏で蘇る。

 

「頭部。そこを破壊しない限り、止まりません」

 

単純な説明だった。

単純だが、受け入れがたい説明でもあった。

 

教師として生徒を指導してきた自分が、

いまは頭部を狙って撃てと教え込まれている。

もしそれが相手を殺す行為であれば、

茶柱はもう少し違う反発を覚えたかもしれない。

だが現実には、それ以外に止める方法がない。

むしろ中途半端に躊躇するほうが、味方を危険へ晒す。

 

「撃つぞ」

 

真嶋の声が、司馬の説明よりもよほど現実味を持って響いた。

 

星之宮がM1911キンバー ウォリアーハンドガンを構える。

坂上がH&K MP5A4サブマシンガンを持ち上げる。

茶柱もマグナムを上げる。

 

引き金を引く、その瞬間があまりにも長く感じられた。

 

発砲。

 

真嶋のステアーAUGアサルトライフルが短く連射する。

茶柱のマグナムが、廊下全体を叩くような重い音を響かせる。

星之宮のハンドガンが、乾いた音でそれに続く。

 

最初の一体は、真嶋の連射を肩と胸に受けてなお止まらず、一歩、二歩と進んだ。

胴体を撃っても止まらないというのは、頭では理解していた。

だが、実際にそれを目の当たりにすると背筋が冷える。

普通の人間なら確実に崩れるはずの衝撃を受けながら、

それでもなお前へ出てくるという事実そのものが、人間の感覚を拒絶している。

 

茶柱の一撃が、その頭を大きく揺らした。

 

重い反動が腕へ返る。

銃口が跳ねる。

それでも、相手は今度こそ崩れ落ちた。

 

もう一体は、星之宮の最初の一発が頬を掠めただけで止まらず、

坂上の連射が頭部へ二発入り、ようやく床へ沈んだ。

 

静かになる。

 

いや、本当は静かではない。警報音も悲鳴もまだ続いている。

だが、いまこの数秒だけは、自分たちの呼吸のほうが大きく聞こえた。

 

「……行けるか」

 

坂上が言う。

 

その問いは、自分自身へ向けた確認でもあっただろう。

 

「行くしかない」

 

茶柱が答える。

 

教師である以上、ここで立ち尽くしてはいられない。

理事長室で何を言われたかに関係なく、いまは生徒を探し、

必要なら助け、カードキーを渡し、少しでも道を作らなければならない。

 

四人は慎重に進み始めた。

 

慎重に、というのは遅いという意味ではない。

視線を止めず、音を聞き、角を取る前に一度だけ足を緩める。

いまの彼らにできる“慎重さ”とは、その程度のことだった。

 

自分たちは兵士ではない。

この前提は、歩くたびに意識させられる。

 

銃器の取り扱いを一通り教えられたとはいえ、

それはあくまで即席の知識にすぎない。

マガジンの交換手順、セーフティの位置、ジャムの対処法。

頭の中には入っている。

だが、それを極限状態の実戦の中で迷わず再現できるかといえば、話は別だ。

 

足りないものが多すぎる。

 

訓練。

経験。

実際に撃って慣れる時間。

仲間と射線を分け合う呼吸。

銃器が手元で起こす予期せぬ不具合への反射的な対処。

 

全部がない。

 

だからこそ、茶柱たちは一歩ずつ進むしかなかった。

生きている生徒に出会えるまでは、

自分たちのほうが死なないことを最優先にしながら。

 

途中、何度かゾンビと遭遇した。

 

廊下の奥からゆっくりと現れる個体。

半開きになった会議室の中から音もなく出てくる個体。

床に倒れていると思ったら、近づいた瞬間に跳ね起きる個体。

 

司馬の説明がなければ、四人はとっくに混乱していたはずだった。

 

頭部。

それ以外は時間の無駄。

近距離では距離を取る。

連射しすぎるな。

音は増援を呼ぶ。

止めるために撃て。

 

その一つ一つを思い出しながら、彼らは進む。

 

茶柱はマグナム拳銃の重さを利用して、

確実に一体ずつ仕留めていった。

真嶋はアサルトライフルの制御に苦戦しながらも、

短いバーストで頭へ寄せていく。

星之宮はハンドガンを両手で強く握り、

怖がりながらも引き金を引く。

坂上は、最初はぎこちなかったが、

数を撃つうちに銃の跳ね方へ少しずつ身体が順応していっていた。

 

それでも、素人は素人だ。

 

焦れば照準がずれる。

反動に驚けば次の一手が遅れる。

撃ったあと、相手がまだ動いていることに一瞬戸惑う。

 

その一瞬が、極めて危うい。

 

やがて、その危うさは現実になる。

 

坂上のサブマシンガンが、突然止まったのだ。

 

時刻にすればほんの数秒。

だが、当事者にとってはそれ以上に長く感じられる一瞬だった。

 

前方から、三体のゾンビが迫ってくる。

真嶋と茶柱が左右へ分かれ、

星之宮が後方を確認しながら中央の一体へ照準を合わせていた、そのとき。

 

坂上が撃った。

撃った、はずだった。

 

だが弾は出なかった。

 

乾いた、情けない音だけが返ってくる。

 

「……っ!」

 

坂上の表情が変わる。

 

もう一度引く。

出ない。

 

ジャム。

 

頭ではすぐにその単語が浮かんだだろう。

司馬も確かに説明していた。

排莢不良の確認。

ボルトの動作。

マガジンの状態。

 

だが説明と現実のあいだには、決定的な隔たりがある。

 

坂上は教師だ。

兵士ではない。

射撃訓練を受けてきた人間ではない。

目の前に理性のない怪物が迫る中、

冷静に不具合の対処をしろというほうが無理なのだ。

 

「くそ、どうなってる……!」

 

手元を見る。

次の瞬間には前を見る。

そしてまた手元へ視線が落ちる。

 

その焦りが、判断を遅らせた。

 

一体が、もうそこまで来ていた。

 

「坂上先生!」

 

星之宮が叫ぶ。

茶柱も気づく。

真嶋が銃口を向ける。

 

だが、間に合わない。

 

ゾンビが飛びかかる。

 

坂上は反射的に銃で顔を庇うような格好になる。

その動き自体は悪くない。

だが、銃は殴るための道具ではない。

 

次の瞬間、噛みつかれた。

 

肩口だった。

 

制服の布地ごと食い込み、坂上の顔が苦痛に歪む。

 

「うあああああああああああああ!!」

 

絶叫。

 

その悲鳴が、廊下の空気を凍らせる。

 

茶柱が撃つ。

真嶋が連射する。

星之宮も止まらず撃つ。

 

ようやくゾンビが坂上から剥がれ、床へ沈む。

だが、遅かった。

 

坂上はその場へ膝をつく。

 

肩を押さえようとしているのに、指がうまく動いていない。

目の焦点も、どこか定まりきらない。

 

「……っ、坂上先生!」

 

星之宮が駆け寄ろうとする。

だが真嶋が腕を掴んで止めた。

 

その一瞬に、星之宮は全部を悟る。

 

噛まれた。

 

それだけで、もう答えは出ている。

 

「……そんな」

 

星之宮の声が小さく震える。

 

坂上は何かを言おうとしていた。

怒りかもしれない。

謝罪かもしれない。

あるいは、生徒のことを頼むつもりだったのかもしれない。

 

だが、言葉にはならなかった。

 

呼吸が短くなり、体が崩れ、やがて完全に動かなくなる。

 

三人は、その場でほんのわずかだけ立ち尽くした。

 

坂上は、さっきまで生きていた。

数秒前まで同じ教師として走り、怒り、月城へ噛みつき、銃を握っていた。

 

それが、今は床へ横たわっている。

 

教師の死。

しかも、自分たちの目の前で。

 

その事実は重かった。

 

「……行くぞ」

 

最初に口を開いたのは真嶋だった。

 

冷たい。

だが、それ以外に言いようがない。

 

「近いうちに、坂上先生も変わる」

 

その通りだった。

 

ここへ留まることは、自殺に近い。

 

茶柱は坂上を見た。

ほんの一秒だけ。

 

その視線の中にどれだけの感情があったのか、自分でも分からなかった。

哀悼、怒り、悔しさ、無力感。

その全部が混ざりすぎて、もう個別に切り分けられない。

 

それでも、進むしかない。

 

三人は坂上の遺体に背を向けた。

 

生徒を守るために教師が仲間を置いて進む。

そんな判断は本来あってはならない。

だが、今この学校では“本来”のほうが先に壊れている。

 

進みながら、星之宮がぽつりと口を開いた。

 

「防火シャッター……」

 

茶柱と真嶋が同時に彼女を見る。

 

星之宮は少しだけ息を整えてから続けた。

 

「下ろせば、ゾンビの進行をかなり止められるんじゃない?」

 

確かに。

 

この校舎には、防火用の手動シャッターが区画ごとに設置されている。

火災や煙の拡散を防ぐための設備だ。普段は意識することもないが、

学校の構造を知る教師たちには、その位置が頭へ入っている。

 

シャッターを下ろす。

 

それは極めて有効な防衛手段に思えた。

ゾンビは扉を押し開けることはできても、

金属製の防火シャッターを突破するのは難しいだろう。

少なくとも進行速度は大きく落ちる。

 

だが同時に、問題もある。

 

「生徒の退路を塞ぐ可能性がある」

 

茶柱が言う。

 

もし向こう側にまだ逃げている生徒がいたら。

もし、この先のどこかからこちら側へ来ようとしている者がいたら。

シャッターは敵だけでなく味方も遮断する。

 

真嶋は考えた。

 

短い時間で。

だが、かなり深く。

 

「全部は閉めない」

 

結論は、そこだった。

 

「一部だけだ。逃げ道を消さない程度に使う」

 

最善とは言えない。

だが、最善を選べるほど余裕もない。

 

星之宮がうなずく。

 

「少なくとも、私たちが通ってきた廊下は閉めるわ」

 

職員室へ続くルート。

 

そこは、自分たちが通ってきた道だ。

生徒がわざわざ職員室へ逃げ込む可能性は低い。

絶対ではないが、教室や階段より優先して目指す場所ではないと考えられる。

そして、職員室へ通じる他の廊下のシャッターを開けておけば、

完全に逃げ道を失わせるわけでもない。

 

もっとも、手動で操作できるのは今いるこの区画だけだ。

校舎全体のシャッターを遠隔で制御できる立場ではない。

 

「ここしかないってことね」

 

星之宮が言う。

 

「十分だ」

 

真嶋は短く答えた。

 

すでに判断は終わっている。

あとは動くだけだ。

 

三人はシャッター操作盤へ急ぐ。

 

だが当然、その動きをゾンビが待ってくれるわけではない。

 

また来る。

 

足音。

引きずる音。

呻き。

 

「右!」

 

茶柱が叫ぶ。

 

真嶋がアサルトライフルを構え、短く撃つ。

頭部へ二発。

倒れる。

 

茶柱もマグナムを上げる。

一発。

また一体。

 

星之宮は、さっきまでより明らかに撃ち方が速くなっていた。

恐怖が消えたわけではない。

だが、恐怖に対して身体が少しだけ慣れてしまったのだろう。

 

慣れたくもないことに慣れていく。

その事実自体が、教師である彼女たちをさらに疲弊させた。

 

シャッターがゆっくりと降り始める。

 

金属の擦れる音。

重い。

だが、その重さは頼もしさでもあった。

 

向こう側から迫るゾンビが、次第に遮られていく。

完全にではない。

それでも、この廊下ひとつを切り離すだけで、進行の圧はかなり違うはずだ。

 

「……行くぞ」

 

真嶋の声で、三人はさらに奥へ進む。

 

向かう先は、プールに近いエリアだった。

 

職員棟から体育館寄りへ抜けるには、そこを通るのが比較的近い。

もっとも、近いというだけで安全ではない。

 

実際、その付近へ近づいた瞬間、空気が変わった。

 

湿気。

塩素に似た匂い。

水の気配。

 

そして、数。

 

「……多い」

 

星之宮が思わず呟く。

 

前方の通路。

プールへ近いその区画には、

これまで見てきたものとは比較にならない数のゾンビが集まっていた。

 

ただ立っているだけではない。

何かに引き寄せられているように、一方向へ密集し、

それでいてこちらの動きに気づいた瞬間、まとめて振り向く。

 

「シャッターを下ろす!」

 

星之宮が判断した。

 

正しい。

 

この数を正面から捌くのは無謀だ。

だが、区画を遮断できるなら話は変わる。

 

彼女は操作盤へ走る。

 

茶柱と真嶋が前へ出て援護する。

 

「急げ!」

 

真嶋が撃つ。

茶柱も撃つ。

 

数体は倒れる。

だが、群れ全体の勢いは落ちきらない。

 

そのときだった。

 

「真嶋先生!」

 

茶柱が叫ぶ。

 

真嶋が、わずかに遅れていた。

 

援護のために前へ出すぎていたのだ。

シャッターが降り始める。

このままでは、真嶋だけが向こう側に取り残される。

 

星之宮の顔色が変わる。

 

「止められない……!」

 

シャッターは重く、手動操作とはいえ途中停止が難しい。

このまま閉じれば、真嶋は完全に孤立する。

 

茶柱は咄嗟に周囲を見た。

 

目に入ったのは、近くに転がっていた大きなゴミ箱だった。

 

考えるより先に体が動く。

 

持ち上げる。

重い。

だが構わない。

 

完全に閉まりきる直前のシャッターへ、力任せにねじ込む。

 

金属同士がぶつかる鈍い音。

シャッターが止まり、わずかな隙間が残る。

 

「早く!」

 

茶柱が叫ぶ。

 

真嶋が走る。

 

滑り込むように体を落とし、その隙間からこちら側へ潜り込もうとする。

 

もう少し。

あと少し。

 

だが、ゾンビのほうが早かった。

 

後方から伸びた手が真嶋の足へ絡みつく。

もう一体。

さらに別の一体。

 

「放せッ!!」

 

真嶋がもがく。

 

茶柱が腕を伸ばす。

星之宮も身を乗り出す。

 

だが隙間が狭い。

引っ張るには限界がある。

しかも、その向こう側には群れがいる。

 

次の瞬間、真嶋の下半身が向こう側へ引き戻されるように持っていかれた。

 

悲鳴。

 

断末魔。

 

それはほんの短い時間だったはずなのに、茶柱には異様に長く感じられた。

 

真嶋は、それでも最後まで意識を失わなかった。

 

片手で床を掴み、もう片手をポケットへ入れる。

そして取り出した。

 

カードキー。

 

二枚。

 

体育館の武器庫。

ブラックルームへの鍵。

 

真嶋は、それを茶柱へ差し出した。

 

「……これを託す」

 

声というより、呼気に近かった。

それでも確かに届いた。

 

茶柱は、ほとんど反射でその二枚を受け取る。

 

次の瞬間、真嶋の身体は完全に向こう側へ呑まれた。

 

シャッターが、ゆっくりと下りきる。

 

視界が閉ざされる。

 

だが、それで音まで消えるわけではない。

 

向こう側から届くのは、短く途切れる叫びと、

無数の足音、何かが床へ叩きつけられる鈍い衝撃。

 

それが何を意味しているか、考える必要はなかった。

 

茶柱は、手の中のカードキーを見た。

 

冷たい。

 

ただの樹脂と金属片のはずなのに、ずしりと重かった。

 

月城から押しつけられた役目。

真嶋の死。

坂上の死。

生徒たちの混乱。

 

その全部が、この二枚へ詰まっているように感じられた。

 

星之宮が、息を呑んだまま立ち尽くしていた。

 

目の前で、二人目の教師を失ったのだ。

それも、助けようとして助けきれなかった。

 

「……佐枝ちゃん」

 

声が震えている。

 

だが、泣いている暇はない。

 

茶柱は自分でも驚くほど冷えた声で言った。

 

「行くぞ」

 

それは感情を失った声ではない。

感情を押し潰してでも前へ出るしかない時の声だった。

 

「ここで止まれば、真嶋先生も坂上先生も無駄になる」

 

星之宮が、唇を噛みしめながらうなずく。

 

二人は、その場を後にしようとした。

 

そのときだった。

 

闇の向こうから、強い光が差し込んだ。

 

懐中電灯。

 

細い廊下の奥から、鋭く二人を照らしてくる。

 

反射的に茶柱が銃を構える。

星之宮も同じく身を固くする。

 

生き残っていたのがゾンビである可能性はない。

だが、だからといって人間だと即座に信じられる状況でもない。

 

光の向こうで、人の気配が動く。

 

「……誰だ」

 

低い声。

 

男の声だった。

 

そして、その声には明確な理性があった。

 

ゾンビではない。

 

生きている。

 

茶柱と星之宮が、ほぼ同時に息を止める。

 

光が少し下がる。

その向こうに見えたのは――生徒たちだった。

 

先頭にいるのは高円寺六助。

その後ろに平田、一之瀬、櫛田、松下、須藤、伊吹、石崎、アルベルト。

 

高円寺グループ。

 

生きていた。

 

ちゃんと、生きて、ここまで辿り着いていた。

 

その事実を認識した瞬間、

茶柱と星之宮は初めて、ほんの少しだけ緊張を緩めた。

 

肩から力が抜ける。

完全ではない。

だが、さっきまでとは違う。

 

自分たちだけではなかった。

 

まだ、生徒はいる。

守るべき命がある。

渡すべき鍵もある。

 

「……やっと、会えた」

 

星之宮がそう呟いた声には、泣き出しそうな安堵が混じっていた。

 

茶柱もまた、深く息を吐く。

 

ほんの一瞬だけだった。

本当に、わずかな間だけ。

 

それでもその一息は、ここまで自分を縛っていた

絶望の重さを少しだけ和らげるには十分だった。

 

この地獄の中で、ようやく生きている生徒に辿り着けたのだと。

 

そして茶柱は、真嶋から託されたカードキーを握り直した。

 

ここからだ。

 

ここからが、教師としての本当の役目になる。

 

月城が課した試験ではない。

自分が選ぶ行動として。

 

生徒を導くための戦いが、ここから始まるのだ。




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