カーストルーム・オブ・ザ・デッド   作:戦竜

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第13話 選択

スーパータイラントの頭部が爆発とともに砕け散り、

灰色の巨体が校庭へと崩れ落ちたあとも、

誰一人としてすぐには気を抜かなかった。

 

銃声の残響がまだ耳の奥にこびりついている。

火薬の匂いも、爆発で巻き上がった土と砂の匂いも、

風に薄められながらなお周囲へ残っていた。

さっきまで確かにこの場には、

生きるか死ぬかの境界線が張り詰めていたのだと、

全身が遅れて理解しているようだった。

 

スーパータイラントはもう動かない。

 

その事実は視覚的には明らかだった。

頭部を失った怪物に、再び立ち上がる余地などない。

だが、ここまで何度も常識を裏切られてきた以上、

「倒れたから終わりだ」と即座に思い込むほど、誰も楽観的ではなかった。

 

綾小路清隆はショットガンを下ろさず、しばらくその巨体を見つめていた。

引き金へかけた指も、完全には緩めていない。

仮に何らかの反応があれば、すぐに二射目へ移れるような構えのままだ。

 

龍園翔もまた、アサルトカービンを片手で保持したまま、

口元にうっすらと笑みを残していた。

勝った。

その実感はある。

だが、それと同時に、まだ次があることも分かっている顔だった。

 

堀北鈴音は呼吸を整えながら、

スーパータイラントと自分たちの位置関係を再確認する。

軽井沢恵は両肩を上下させながら、ようやく止まった怪物を見て

「終わった……?」と心の中で何度も問い直しているようだった。

ひよりは強く握りしめていたハンドガンのグリップを少しだけ持ち直し、

橋本正義は浅い呼吸のまま、坂柳有栖のすぐ隣で座っていた。

 

そして、その橋本を見た瞬間。

 

その場にいた全員の意識が、戦闘の余韻から一気に別の問題へ引き戻された。

 

橋本の胸元の傷。

 

さっきまで、戦いの最中では視界の端で捉えることしかできなかったその傷が、

いまはあまりにも明確な意味を持ってそこにあった。

制服の前身頃は大きく裂け、布の下の皮膚も鉤爪に沿う形で切り裂かれている。

深くはない。少なくとも、出血だけを見れば命に直結する傷ではない。

実際、橋本自身もまだ立っているし、声も出せるし、意識もはっきりしている。

 

だが、問題はそんなことではない。

 

この学校で起きている感染は、外傷の深さで安全かどうかを決めてくれない。

 

血液。

接触。

ウイルス。

 

それを理解してしまっているからこそ、むしろ傷が浅いことが残酷に思えた。

致命傷なら迷いは少なくて済んだのかもしれない。

だが、橋本はまだ生きていて、まだ会話ができて、まだ自分の足で立っている。

 

だからこそ、その先にある変貌が余計に現実味を持って迫ってくる。

 

最初にその現実を口にしたのは龍園だった。

 

「……感染した以上」

 

龍園は視線を橋本から外さないまま、低い声で言った。

 

「始末するしかねえ」

 

短い。

だが、その言葉には迷いがなかった。

 

彼は合理で動ける人間だ。

感情を持たないわけではない。

ただ、必要なときには感情より結論を優先できる。

それが龍園という男の強さでもあり、ある意味での冷たさでもあった。

 

アサルトカービンの銃口が、橋本へ向く。

 

その動きは速くも遅くもない。

脅しではない。

本気だからこそ、静かだった。

 

場の空気が変わる。

 

ひよりが息を呑む。

軽井沢の顔から血の気が引く。

堀北の眉がわずかに動く。

 

だが、誰もすぐには「やめて」と言えなかった。

 

合理だけを見れば、龍園の判断は間違っていないからだ。

 

感染した者を放置する。

それはこの学校では、時限爆弾を抱えて移動するのと同じ意味になる。

いつ発症するか分からない。

どの瞬間に理性を失うか分からない。

戦闘中、移動中、仲間が気を緩めた瞬間に変貌すれば、

その被害は橋本一人では済まないかもしれない。

 

分かっている。

 

分かっているからこそ、止めにくい。

 

橋本本人は、その銃口を見ても表情を崩さなかった。

 

むしろ、乾いた笑いを漏らした。

 

「……まあ、そうなるよな」

 

それは諦めの笑いだった。

だが、ただの諦めではない。

 

自分がいまどういう立場に置かれているかを理解したうえで、

その結論の妥当性まで受け入れてしまっている笑いだ。

 

橋本正義という男は、どこまでも現実的だった。

 

坂柳の側近として、彼は綺麗事だけでは生きてこなかった。

誰を切るべきか。

どこで引くべきか。

どうすれば勝ち筋が残るか。

そうした“盤面”を見てきた人間だ。

 

だからこそ、自分がいま切られる側へ回ったことも理解してしまう。

 

「一瞬で殺してくれ」

 

橋本はそう言った。

 

強がりも入っているだろう。

怖くないはずがない。

生きたいに決まっている。

だが、ここで見苦しく命乞いをすれば、坂柳の足を引っ張ることになる。

その判断が先に立つあたりが、いかにも橋本らしかった。

 

龍園の指が、引き金へ少しだけ力を込める。

 

そのときだった。

 

「待ってください」

 

坂柳有栖の声が、静かに響いた。

 

その一言だけで、龍園の動きが止まる。

 

全員の視線が坂柳へ集まる。

 

坂柳は、さっきまで橋本の庇護を受ける側だった。

身体的なハンデがある以上、走れず、乱戦で自分から距離を取ることも難しい。

だが、その彼女がいまは恐ろしいほど落ち着いていた。

 

「私に少し考えがあります」

 

声音は穏やかだった。

だが、その内側にある意志ははっきりしている。

 

龍園が怪訝そうに眉をひそめる。

 

「……こいつはもうゾンビになるだけだぜ?」

 

それは問いではなく、現実の確認だった。

坂柳が普段どれだけ聡明でも、今この場で奇跡は起きない。

そんなものに縋って動きが鈍るなら、そのほうが危険だと龍園は言いたいのだろう。

 

だが坂柳は、少しも怯まなかった。

 

「まだ時間はあります」

 

即答だった。

 

そして、そのまま綾小路へ視線を向ける。

 

「綾小路くん。橋本くんを背負ってください」

 

綾小路は一瞬だけ坂柳を見た。

 

その言葉の意味を確認するように。

だが、次の瞬間には頷いていた。

 

「……分かった」

 

それだけで十分だった。

 

綾小路が橋本へ歩み寄る。

橋本は自分でも苦笑いしながら言う。

 

「おいおい……マジかよ」

 

だが、その声にはさっきまでの諦観とは別の色が混じっていた。

半信半疑。

いや、半分だけ戻ってきた希望と言ったほうが近いかもしれない。

 

綾小路は余計なことを言わず、

そのまま橋本の腕を自分の肩へ回させ、背負い上げた。

特別な動きではない。

だが、その無駄のなさは異様だった。

 

橋本の体重を持ち上げるというより、

持ち運ぶことを前提とした姿勢へ自分の体を組み替えたように見える。

そこに苦しさも気負いもない。

ただ「必要だからそうする」というだけの自然さがあった。

 

龍園が小さく舌打ちする。

 

「……ちっ」

 

不満ではある。

だが止めはしない。

それは、坂柳の表情を見て何かしらの算段があると判断したからでもあり、

綾小路が迷いなく動いたことで、

この場で無理に争う意味がなくなったからでもあった。

 

「移動します」

 

坂柳の一言で、一同は再び動き出した。

ちなみに坂柳は龍園がしぶしぶ背負った。

 

校舎の中は、先ほどまでの死闘を経て、

ある意味では不自然なほど静かになっていた。

 

相当数のゾンビがすでに排除されている。

 

これまでのように曲がり角ごとに群れが待ち受けているという状態ではなく、

残っているのはぽつぽつと徘徊している個体ばかりだった。

もちろん、ゼロではない。

油断すれば噛まれるし、数が少ないからといって脅威でなくなるわけでもない。

だが少なくとも、さっきまでのような連続戦闘にはならない。

 

綾小路たちは進みながら、必要最低限の交戦でそれらを処理していった。

 

発砲数は少ない。

 

数発。

本当に、指で数えられる程度だ。

 

綾小路がショットガンでまとめて止める。

龍園が脅威度の高い個体をバーストで落とす。

堀北が無駄撃ちなく頭部を抜く。

ひよりと軽井沢も、ここまでの戦闘で得た感覚を失わず、ちゃんと当てていく。

 

橋本を背負って移動する綾小路の速度は落ちていない。

普通なら明らかに機動力が落ちるはずだ。

だが彼は、速度こそわずかに抑えているものの、

動きそのものはほとんど乱れていなかった。

 

橋本が背中で少しだけ苦笑する。

 

「……お前、ほんとなんなんだよ」

 

綾小路は答えない。

ただ前を見る。

 

坂柳は橋本の呼吸と顔色を観察している。

発汗。

皮膚の色。

視線の揺れ。

会話の明瞭さ。

その全部を見ながら、まだ間に合う余地があるかどうかを計っていた。

 

 

やがて、体育館へ辿り着く。

 

体育倉庫の前。

 

そこに見えた人影を確認した瞬間、ようやく一行の中から本物の安堵が漏れた。

 

茶柱佐枝。

星之宮知恵。

そして高円寺六助を中心とした別動隊のメンバー。

 

合流できた。

 

その事実が、緊張の糸をほんの少しだけ緩めた。

 

軽井沢が息を吐き、

ひよりがほっとしたように目を細め、

一之瀬と平田と松下は見慣れた顔ぶれを見て、

ようやく生者の集団の中へ戻ってこられたような感覚を覚えた。

 

石崎が真っ先に反応する。

 

「龍園さん!」

 

その声は、いつもより明るかった。

生きて再会できたこと自体が嬉しいのだろう。

 

伊吹は腕を組んだまま、しかし明らかに安堵した顔で龍園を見る。

アルベルトも無言で一歩前へ出る。

 

龍園は、ぶっきらぼうに顎をしゃくった。

 

「お前らもなかなかやるようになったな」

 

その言い方は素っ気ない。

だが、素っ気ないなりの最大限の評価だった。

 

石崎が即座に敬礼する。

 

「もったいないお言葉っす!」

 

その全力の反応に、場の空気が少しだけ和らぐ。

 

須藤はまっすぐ堀北のもとへ駆け寄った。

 

「無事か、鈴音!」

 

堀北は最初こそ少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの表情へ戻る。

 

「ええ。あなたたちも無事でよかったわ」

 

それから、少しだけ声音を柔らかくした。

 

「みんなを守ってくれてありがとう」

 

その一言は、須藤の胸に真正面から刺さったらしい。

 

「っしゃあ!」

 

思わず拳を握る。

ガッツポーズまで飛び出すあたりが、実に須藤らしい。

 

その横で、高円寺が悠然と歩み出てきた。

 

「やっと私と同じ土俵へ立てたというところかな」

 

いつものように壮大だった。

何かを褒めているようでいて、

自分が頂点にいる前提を崩さないあたり、徹底している。

 

綾小路は、そんな高円寺を見ても特に表情を変えずに答える。

 

「そうかもな」

 

短い。

だが、その短さが逆に高円寺には面白かったのかもしれない。

口元の笑みが少しだけ深くなる。

 

そうした再会の空気を、茶柱がパンパンと手を叩いて断ち切った。

 

「いいか、全員聞け。高円寺たちには説明の繰り返しになるが……」

 

その声だけで、場が一気に引き締まる。

 

いまここにいる生徒たちは、それぞれが死地を越えてきている。

だが、教師の声にはやはり別の意味での強制力がある。

しかも茶柱は、この場にいる誰よりも多くの答えを持っていた。

 

「これは偶然起きた災害じゃない」

 

茶柱は、綾小路たちへ向けて言う。

高円寺グループにはすでに説明した内容だ。

だが、全員が揃ったいま改めて共有しなければ意味がない。

 

「今回の一件は、デッドエスケープ特別試験として最初から仕組まれていた」

 

ざわめきが広がる。

 

軽井沢の顔が強張る。

ひよりも目を伏せる。

堀北は、予想していたとはいえ改めて

言語化されることで現実味が増したようだった。

 

茶柱は続ける。

 

「この試験は、綾小路清隆を退学に追い込むためだけに起こされた事件でもある」

 

その一言で、生徒たちで反応の色が分かれた。

 

軽井沢、龍園、坂柳、堀北、高円寺、須藤、松下、

伊吹、石崎、アルベルトは、納得したような顔をする。

やはりそうか、という反応だ。

綾小路の異常性を断片的にでも見てきた彼らにとって、

学校全体を巻き込んだ異様な試験の中心に綾小路が置かれていることは、

信じがたい一方で妙に納得もできてしまう。

 

対して、橋本、ひより、一之瀬、平田、櫛田は言葉を失っている。

分かっていたつもりでも、それを教師の口からはっきり聞かされると重みが違う。

 

「そして、最大の真実がもう一つある」

 

茶柱の声が低くなる。

 

「この学校は、優秀な生物兵器開発計画――

ブラックルームプロジェクトの舞台でもあった」

 

今度は、全員が明確に息を呑んだ。

 

学校。

教育。

生徒。

試験。

 

そうした言葉と、生物兵器という単語は本来結びつかない。

いや、結びついてはならない。

 

堀北が一歩前へ出る。

 

「私たちが交戦した大型クリーチャーは、退学した山内春樹と真鍋志保だった」

 

その事実を改めて皆へ説明する。

 

高円寺グループの面々も、それには露骨に驚きを見せた。

 

石崎が目を剥く。

一之瀬と松下が口元を押さえる。

平田も顔を曇らせた。

伊吹は露骨に眉をしかめる。

 

まさか、自分たちが学び、競い合ってきたこの学校の裏側で、

そんな非人道的なことが行われていたとは思わない。

 

龍園が舌打ちしながら唾を吐き捨てた。

 

「胸糞悪すぎて反吐が出るぜ」

 

その感想は、この場の多くの人間の気持ちを代弁していた。

 

茶柱はさらに言う。

 

「そして、そのブラックルームの管理者である月城は、

おそらく地下研究所で待っている」

 

根拠は明確だった。

 

理事長室から退室する直前、月城が残した一言。

 

「然るべき地で待っていますよ」

 

それは明らかに、自分のいる場所へ綾小路たちが辿り着くことを前提にした言葉だ。

そして、その然るべき地が地下施設――

ブラックルームであることは、もはや疑いようがなかった。

 

全員の視線が、体育倉庫の奥へ向く。

 

そこには、普段なら誰も意識しないような壁面があった。

だが近づいて見ると、明らかに不自然な継ぎ目がある。

隠し扉。

 

電子ロック。

パスワード入力部。

そしてカードキーの差し込み口。

 

茶柱は二枚のカードキーを取り出した。

月城から押しつけられ、真嶋が死の間際に託したものだ。

 

それを見たとき、一同の表情がまた引き締まる。

 

ここから先は、単なる逃走ではない。

真相の中枢へ降りることになる。

 

カードキーが挿し込まれる。

認証。

パスワード入力。

解除。

 

重い電子音。

続いて、隠し扉がゆっくりと開いた。

 

その先に広がっていたのは――武器庫だった。

 

一瞬、誰も言葉を失う。

 

壁一面に並ぶ銃器。

棚に整然と収められた弾薬箱。

ショットガン、アサルトライフル、サブマシンガン、ハンドガン。

予備のマガジン。

光学サイト。

グリップ。

バレル。

グレネードランチャー用の弾体。

軍用と見紛うような装備の数々。

 

体育倉庫の奥に、こんなものが隠されていた。

 

その異様さが、いまさらながら学校そのものへの嫌悪感を増幅させる。

 

ひよりが、小さく呟いた。

 

「……すごい……」

 

一之瀬も、ほとんど同じ声で「すごい……」と漏らす。

二人ともミリタリーに詳しいわけではない。

それでも、この空間が普通ではないことだけは直感で理解できた。

 

綾小路は、いままで使っていたショットガンを静かに置いた。

 

そして新たに手に取る。

 

ベネリM3ショットガン。

重さ、グリップ、ポンプとセミの切り替え。

手にした瞬間、それがいまの自分に最適な選択肢の一つであると判断したのだろう。

余計な説明も感想もない。

ただ自然に選び、自然に扱う。

 

高円寺は鼻歌を歌いながら自分のデザートイーグルを見下ろし、

そこへ10インチバレルを組み込んでいく。

どう見てもより強力な威力を発揮するための改造だ。

だが、その強化が高円寺には妙に似合う。

 

龍園はアサルトカービンにドットサイトと

レーザーサイト付きのフォアグリップを選んでいる。

ただの火力ではなく、精度と制御を意識した拡張だ。

こういうところに、いまの龍園の変化が出ていた。

 

堀北、平田、須藤、石崎、伊吹は、まず弾薬の補充を優先した。

撃てる武器があっても、弾がなければ意味がない。

その判断は全員が共有している。

 

軽井沢、ひより、一之瀬、櫛田、松下は、

武器の種類が多すぎて何をどう選べばいいのか分からないという顔をしていた。

それを見た茶柱と星之宮が、即席ではあるが丁寧に説明を始める。

 

装弾数。

反動。

取り回し。

近距離戦向きか、中距離向きか。

片手でも撃てるか。

再装填のしやすさ。

 

生徒たちは、教師の説明に耳を傾けながら装備を整えていく。

 

そんな中、坂柳が静かに口を開いた。

 

「さて」

 

その一言だけで、全員の意識がそちらへ集まる。

 

「橋本くんを、どうするかです」

 

橋本はすでに床へ座り込んでいた。

呼吸は荒い。

汗も浮いている。

まだ意識はある。

会話もできる。

だが、その正常さそのものが残酷だった。

 

間もなく、変わる。

 

そのことを、誰もが分かっている。

 

坂柳は全員の視線を受け止めたまま言う。

 

「私は提案します」

 

一拍。

 

「私を地下研究所へ連れて行ってください」

 

真っ先に反発したのは伊吹だった。

 

「あんた、走ることもできないのに?」

 

その通りだ。

坂柳は身体的なハンデを抱えている。

戦闘能力が低いわけではなくても、

機動力の面ではどうしても足手まといになりかねない。

 

須藤も眉をひそめる。

 

「これからどんな化け物が出てくるか分かんねえんだぞ?」

 

無理もない。

ここまででも十分すぎるほどの地獄を見てきた。

地下研究所へ降りるということは、その地獄の中枢へ向かうという意味でもある。

 

だが坂柳は静かにうなずいた。

 

「それは百も承知です」

 

その上で続ける。

 

「地下研究所には、注射したウイルスの遺伝情報をもとに、

人の体内で抗原を作り、結果として抗体と結合させることで、

ウイルスを無毒化できるワクチンが保管されている可能性が高いです」

 

その理屈の細部までは、全員が即座に理解できたわけではないだろう。

だが、結論だけははっきりしていた。

 

橋本を助けられる可能性がある。

その事実に、一同は息を呑む。

 

綾小路が短く言った。

 

「確かに、それが入手できれば橋本のゾンビ化は防げるかも知れない」

 

坂柳が綾小路を見る。

 

「ワクチン製造の経験は?」

 

綾小路は少しだけ考え、それから答えた。

 

「経験というほどじゃないが、知識としてはある」

 

その答えに、全員が同時に、妙な納得と呆れを浮かべた。

 

「……まあ、綾小路だしな」

 

須藤だったか、石崎だったか、誰かがそう言った。

もう驚く段階は越えている。

綾小路が普通ではないことは、いまさら確認するまでもなかった。

 

坂柳が静かに告げる。

 

「ワクチンは主に私が作ります。綾小路くんはその手助けをお願いします」

「わかった」

 

迷いのない即答。

 

そして、結論が出る。

 

地下研究所へ向かうメンバー。

 

綾小路。

坂柳。

龍園。

堀北。

須藤。

アルベルト。

 

この六人。

 

他のメンバーは、一足先に脱出手段――

バスや大型車両が駐車してある車庫の安全確保へ向かう。

地下研究所を攻略し、月城と決着をつけ、

ワクチンを得たあと、全員で脱出するためだ。

 

その分担に、全員が同意した。

 

綺麗な理想ではない。

だが、いま最も現実的で、生き残る可能性が高い選択だった。

 

大型エレベーターの前へ集まる。

 

地下研究所へ続く専用エレベーター。

普段なら存在すら知らされない設備。

この学校の裏側へ繋がる縦穴。

 

六人が乗り込む。

 

そのとき、堀北が後ろにいるみんなへ振り返った。

 

彼女は少しだけ間を置いてから、短く言う。

 

「必ず、生きて帰るわ」

 

その言葉は、命令ではなかった。

祈りに近い。

それでいて、堀北らしく必要以上に感傷的ではない。

 

綾小路はそれを聞き、小さく微笑んだ。

 

本当に、わずかに。

だが、確かに笑った。

 

「ああ、任せろ」

 

その瞬間――その場にいた何人かが、文字通り固まった。

 

「……え?清隆?」

 

軽井沢が目を見開く。

須藤も「は?」と間の抜けた声を出す。

石崎まで目を丸くしていた。

 

「あの綾小路が笑った!?」

 

そんな驚きの声と、小さな笑いが重なる。

 

それは緊張の中に生まれた、ほんのわずかな、人間らしい温度だった。

 

そして。

 

エレベーターの扉が閉まる。

 

綾小路。

坂柳。

龍園。

堀北。

須藤。

アルベルト。

 

六人を乗せたその箱は、静かに――地下研究所へ向かって降下を始めた。




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