怪物の頭部へ至近距離から叩き込まれたショットガンの轟音は、
廊下に張りつめていた恐怖を一瞬だけ粉々にした。
乾いた破裂音。
肩に返る重い反動。
鼻を刺す火薬の匂い。
綾小路清隆が引き金を引いた直後、
2メートルを超える灰色の怪物の頭部が大きく弾かれる。
白濁した目が揺れ、巨体が半歩、いや二歩ほど後方へと押し戻される。
それは、この場にいた誰もが初めて見る光景だった。
あれだけの体格、あれだけの筋力、
あれだけの耐久性を見せつけていた異形が、明確に押されたのだ。
だが、それでも倒れはしない。
崩れ落ちることも、膝をつくこともない。
顔面の一部は明らかに傷つき、散弾の痕が痛々しく残っている。
にもかかわらず、その怪物はまだ立っている。
まだ機能している。まだこちらを殺せる。
その現実が、安堵しかけた空気を再び冷たく締めつけた。
そして次の瞬間、その冷たさを吹き飛ばすように、別方向から銃声が連なった。
「撃て!!」
怒号が走る。
聞き覚えのないようでいて、
しかしその粗暴さゆえに一度聞けば忘れようのない声だった。
宝泉和臣。
その一喝に合わせるように、廊下の向こう側、
さっきまで2年生たちの視界になかった位置から、複数の銃口が一斉に火を噴く。
轟音。
閃光。
火薬臭。
ショットガン。
ライフル。
おそらくサブマシンガンまで混じっている。
廊下という閉鎖空間の中で銃火器が同時に使われるという異常そのものが、
目の前の惨劇と同じくらい非現実的だった。
だが、その非現実は紛れもなく現実の効果を発揮していた。
ゾンビたちの頭部が、正確に撃ち抜かれていく。
ただ乱射しているのではない。
狙いがある。
いや、狙いしかないと言ってもいい。
頭部。
さっきまで綾小路や坂柳が共有したばかりの唯一の急所を、
彼らは最初から当然のように理解していた。
人間離れした怪物だけではなく、廊下の左右や床際から迫っていた
ゾンビの群れまでもが、一斉掃射の前に次々と沈黙していく。
音の密度が違った。
斧が頭蓋へ叩き込まれる鈍い衝撃ではない。
包丁を握る手が震えながら生身へ踏み込む感覚でもない。
距離を取ったまま、一方的に制圧していく暴力。
それは、さっきまで2年生たちがやっていた必死の抵抗とは明確に質が違っていた。
綾小路たちは、ただそれを見ているしかなかった。
綾小路がショットガンを構えたまま視線を向ける先で、
数十人規模の1年生たちが整然と射線を分け合いながら前へ出てくる。
統率とまでは言わないにしても、混乱した学生の集団には見えない動きだった。
誰かが撃てば、別の誰かがカバーへ回る。
誰かが装填に入れば、その間を埋めるように別の銃口が上がる。
素人の寄せ集めにしては、あまりにも滑らかだった。
怪物が再び前へ出ようとした瞬間、
今度は複数方向からの集中射撃が頭部と上半身へ叩き込まれる。
よろめく。
初めて、あの怪物の巨体が大きく姿勢を崩した。
白濁した目が不快そうに細まり、低く、獣とも機械音ともつかない唸りを漏らす。
そのまま怪物は前進を断念したように一歩、二歩と後退し、
次の瞬間には、廊下脇の壁へそのまま巨大な肩をぶつけた。
鈍い衝撃音。
コンクリートのひび割れる音。
粉塵。
壁が壊れる。
怪物は自ら壁を突き破り、そのまま別の区画へと姿を消した。
消えた、というよりは、こちらから見えない場所へ移動しただけだ。
あれほどのものが簡単に仕留められたはずがない。
だが、それでも少なくとも今この廊下からは脅威が取り払われた。
銃声が次第に間引かれ、やがて止む。
火災報知器の音が、ようやく耳へ戻ってくる。
さっきまで押し込まれていた悲鳴や荒い呼吸の音も、
少し遅れて現実へ帰ってきた。
廊下には、頭部を破壊されて動かなくなったゾンビたちが無数に転がっている。
火薬の匂い。
コンクリートの粉塵。
血の鉄臭さ。
それらが入り混じり、息を吸うだけで肺の奥がざらつくようだった。
誰もすぐには声を発せなかった。
助かった。
少なくとも、今この場では。
だが、その助かったという認識の裏側には、もう一つ別の現実があった。
――1年生たちは最初から銃を持っていた。
――しかも、それを使う準備ができていた。
――さらに、あの怪物とゾンビの群れを同時に
押し返せるだけの火力と人数を揃えていた。
それら全部が、2年生たちの胸に別種の警戒心を生んでいた。
「よォ、センパイ」
口元を歪めながら歩み出てきたのは、宝泉和臣だった。
大きく、無遠慮で、場の空気を自分のものとすることに慣れた歩き方。
手にはレミントンM1100ショットガン。
その持ち方にぎこちなさはない。
それだけで、この異常な光景の中にさらにもう一枚の異常が重なる。
「ずいぶん苦戦してたじゃねえか」
その声音には余裕があった。
いや、余裕を装っているのではない。本当に余裕があるのだろう。
少なくとも、この場を制圧した直後の宝泉たち1年生には、
さっきまで2年生が味わっていたような切迫感がほとんど見えなかった。
堀北鈴音が一歩前へ出る。
まだ息は荒い。
額には汗がにじみ、包丁を握っていた手にも強張りが残っている。
それでも、クラスの代表として前に立つことだけはやめない。
「……助かったわ」
短く言う。
「ありがとう」
礼は礼だ。
どんな相手だろうと、自分たちが今この瞬間に命を拾ったのは事実なのだから。
だが、その言葉に対し、宝泉は鼻で笑った。
「勘違いすんなよ」
その一言だけで、廊下の空気がまた別の緊張へ切り替わる。
「助けたわけじゃねえ」
宝泉は軽く銃口を持ち上げ、それを肩へ預けるようにして言った。
「交渉しに来たんだ」
何人もの生徒が顔を見合わせる。
交渉。
いま、この状況で。
ゾンビと怪物が徘徊する校舎の中で。
死体が廊下に並び、火災報知器が鳴りっぱなしのこの地獄の中心で。
それでも、宝泉の声音には冗談の色がなかった。
「……は?」
須藤が思わず声を漏らす。
それは怒りというより、理解が追いつかないことへの反応だった。
「何言ってんだよ……交渉って」
「そもそも」
松下千秋が、警戒の混じった目で1年生たちの武器を見回しながら言う。
「その武器、どこで手に入れたの?」
「何で1年がそんな余裕ぶってんのよ」
伊吹も続ける。
龍園のように恐怖に強い耐性があるわけではない彼女ですら、
目の前の1年生たちの出来すぎた準備に違和感を覚えたのだろう。
「お前ら、何か知ってんのか?」
石崎の声も重なる。
当然の疑問だった。
どうして1年生は銃を持っているのか。
どうしてその銃の使い方を理解しているのか。
どうしてさっきの怪物相手に、あれほど迅速に射線を組めたのか。
そして何より、どうしてこの状況で交渉などという言葉を平然と口にできるのか。
宝泉はその疑問の全部に、今すぐ答えるつもりはないらしかった。
「とりあえず場所変えようぜ」
顎で廊下の先を示す。
「ここでベラベラやってても、また別の化け物が来るだけだ」
その指摘自体は正しい。
怪物は退いたにすぎず、倒れてはいない。
ゾンビも校舎中を徘徊している。
いま目の前の廊下だけが静かになったとして、
それが5分後も保証される理由はどこにもなかった。
「空き教室だ」
宝泉は言う。
「そこで話す」
綾小路は周囲を一瞥した。
反対する理由はない。
というより、ここで反対して1年生と正面から揉めるほうがはるかに危険だった。
「……行こう」
彼が短く言うと、堀北はわずかに不満そうな表情を浮かべながらも頷いた。
龍園は面白そうに口元を歪め、坂柳は静かに目を細める。
一之瀬だけが、一瞬だけ1年生たちと2年生たちを交互に見比べた。
助けられた事実と、その直後に取引を持ちかけられている現実とのあいだで、
まだ感情が整理しきれていないのだろう。
それでも、全員が移動する。
いまは少しでも壁と扉のある場所へ入るべきだ。
それが全員の共通理解だった。
案内された空き教室は、すでに1年生たちの避難拠点として使われていた。
時刻は既に夜の7時を回っており、外は暗闇に包まれている。
扉には机や椅子が積み重ねられ、
簡易的ながらしっかりとしたバリケードが築かれている。
窓際にも棚や備品が寄せられており、外から見通しが利きにくくなっていた。
さらに教室の奥には、水や簡易食料、弾薬箱らしきものまで並べられている。
準備が良すぎる。
それが綾小路の率直な感想だった。
たまたま空き教室へ逃げ込んで立て籠もった生徒の集団、という雰囲気ではない。
ここは最初から一時拠点として使うことを前提に整えられている。
その教室の中には、すでに数十人規模の1年生がいた。
壁際に座り込んで息を整えている者。
武器を分解して確認している者。
窓の隙間から外を見張っている者。
明らかに戦闘要員と、そうでない者とで役割分担ができていた。
そして、その中に八神拓也の姿もあった。
彼は教室のやや奥、窓と壁のあいだあたりに静かに立っていた。
普段通りといえば普段通りの、穏やかそうな表情。
だが、その目だけが少し違う。
柔らかい笑みの奥で、こちらを値踏みするような冷たさがある。
綾小路と八神の視線が、一瞬だけぶつかった。
そこで何かが交わされるわけではない。
だが、互いに相手がただの被害者側の生徒ではないと
感じているような沈黙があった。
「じゃ、細かい話はここでいいだろ」
宝泉が教室の中央近くまで歩み出て、手を軽く打ち鳴らす。
「人払いだ」
そして顎で示した。
「綾小路、堀北、龍園、坂柳、一之瀬。とりあえずセンパイ側はそのへんでいい」
各クラスの中心人物だけを指定した、ということだろう。
実際、ここで全員を交渉の席へ座らせても話は進まない。
高円寺、平田、須藤は自然と扉付近へ移動した。
いざというとき外へ対応できる位置だ。
高円寺は壁へ軽くもたれながら、しかし気配だけは外へ向けている。
平田は教室内の生徒たちの不安を少しでも和らげようと、
近くにいる2年生へ短く声をかけて回る。
須藤はまだ宝泉たちへの警戒心を隠しきれず、露骨に眉間へ皺を寄せていた。
女子生徒たちは後方へまとまった。
軽井沢恵。
櫛田桔梗。
松下千秋。
椎名ひより。
神室真澄。
それぞれに表情は違うが、
共通しているのはほんの一瞬だけ緊張の糸が緩んでいることだった。
外の廊下にいたときは、次の数秒を生き延びることで精一杯だった。
だが今は、一応は壁があり、扉があり、銃を持った戦闘要員がいる。
もちろん安全ではない。
それでも、人間は完全な地獄から半歩でも引いた場所へ入るだけで、
ほんの少し呼吸ができるようになる。
その短い平穏を、一部の生徒たちは無意識に噛みしめていた。
だが、宝泉はそんな時間を与えない。
間もおかず、本題へ入った。
「単刀直入に言う」
教室の空気が、再び締まる。
「こっちは武器をいくらか分けてやる」
その一言だけなら、悪くない話にも聞こえる。
実際、2年生たちはいま、銃火器の有無ひとつで
生存率が激変する現実を見せつけられたばかりだった。
だが、宝泉の口元には最初から対価を要求する人間の笑みが浮かんでいた。
「その代わり――」
わずかに間を置く。
聞く側が意味を予感して、身構えるだけの時間。
「脱出ルートは、1年を優先しろ」
堀北がすぐに眉を吊り上げた。
「……どういう意味?」
「言葉通りだ」
宝泉はこともなげに返す。
「ヘリコプターでも、ボートでも、バスでもいい。
学校から出られる乗り物があるなら、まずは1年から乗せる」
その言葉が教室に落ちたとき、一瞬だけ空気が止まった。
意味は明確だ。
あまりにも明確すぎる。
2年生が先に武器を持てば、戦力として使える。
ゾンビや怪物相手の前線に立てる。
そのあいだに、1年生が脱出する。
つまりそれは――。
「囮にしろということじゃない」
堀北が冷たく言った。
「2年生を前に出して、そのあいだに1年生が逃げる。そういう話でしょう」
「まあ、そう聞こえるだろうな」
宝泉は否定しない。
むしろ、そこを隠す気さえない。
「ふざけんな」
龍園が口を開いた。
口調は荒い。
だが、怒鳴るのではなく、低く抑えている。
そのぶん逆に、機嫌の悪さがよく分かった。
「誰がそんな条件飲むかよ」
坂柳も静かに続く。
「交渉というより、要求ですね。しかも一方的すぎる」
一之瀬の表情にも困惑が広がっていた。
「そんなの……認められるわけないよ」
彼女にとって、みんなで助かるという発想はまだ捨てられていない。
むしろ捨てたくないのだろう。
その彼女にとって、今の宝泉の条件は
最初から誰かを切り捨てることを前提にしているように聞こえたはずだ。
だが、宝泉は笑っていた。
余裕がある。
なぜか。
その理由を、綾小路はもう理解していた。
「いや」
彼が静かに口を開く。
「すでに契約は成立している」
その一言で、今度は2年生側のほうが沈黙した。
「……は?」
須藤が、さっき廊下で宝泉の言葉を聞いたときと同じように、
理解が追いつかない顔で綾小路を見る。
堀北も眉をひそめる。
「どういうこと?」
綾小路は視線を宝泉から外さずに答えた。
「オレは、さっきショットガンを受け取っている」
その言葉に、教室の空気がさらに重くなる。
事実だった。
怪物が一之瀬へ迫ったとき、宝泉が綾小路へショットガンを放り投げた。
綾小路はそれを受け取り、そのまま発砲している。
七瀬翼が静かに補足する。
「綾小路先輩は、私たちの武器を受け取り、それで怪物へ発砲しました」
声色は淡々としていた。
感情を挟まず、事実だけを述べる調子。
「対価の発生です」
天沢一夏は、その横で楽しそうに笑っている。
だが、その笑い方は軽くても、内容は軽くない。
助けたわけじゃない。
そう宝泉が言った意味は、ここで初めて完全に輪郭を持った。
あのショットガンは善意ではない。
あの瞬間、綾小路はすでに1年生から何かを受け取っている。
つまり宝泉たちは、その既成事実をもって、
いまの条件を後出しのように突きつけているのだ。
「そんなの……!」
堀北が反論しかける。
だが言葉が止まる。
理不尽だ。
卑怯だ。
まともな手順ではない。
それでも、武器を渡し、それが使われたという事実そのものは覆せない。
少なくとも、ここで完全な白紙に戻せる類の話ではない。
「対価が発生した以上、それは契約だ」
綾小路は淡々と言う。
「合意が明文化されていなくても、構造としては成立している」
冷たい論理だった。
だが、その冷たさはこの場においては異様な説得力を持っていた。
感情を抜きにすれば、綾小路の言っていることは間違っていない。
一之瀬は唇を噛み、何も言えなかった。
彼女は理不尽だと感じている。
それでも、すでに助けられたという事実を無視して、
今さら完全拒否を貫くことが正しいのかどうか、答えを出せないでいた。
宝泉は肩を揺らして笑った。
「いいねえ」
いかにも愉快そうに。
「やっぱテメェが一番まともだ」
そのまともが、どの意味で使われているのかは、ここにいる全員が理解していた。
この状況で善悪や感情を横へ置き、構造だけを見て判断できる人間。
宝泉にとって、それは話の早い相手という意味だった。
坂柳が、小さく息を吐いた。
「合理的ですね」
その声音には皮肉も少し混じっている。
「倫理はさておき、そんなの、おかしいよ……」
一之瀬がようやく絞り出した言葉は、それしかなかった。
だがそれは、ここにいる多くの2年生の本音でもある。
おかしい。
間違っている。
でも、いまのこの場に正しいだけで生き残れる保証はない。
その矛盾が、教室全体へ重く沈んでいた。
その空気を、天沢が妙に軽い声で割った。
「ねえ宝泉くん」
机の縁へ腰を預けながら、楽しそうに首を傾げる。
「さすがに囮はかわいそうじゃない?」
その口調はフランクだった。
雑談に口を挟むような気軽さ。
だが、話している内容は決して軽くない。
「一緒に別の脱出ルート探してあげればいいじゃん」
宝泉は即座に切り捨てた。
「そんな余裕ねえよ」
一刀両断だった。
七瀬も静かに続ける。
「それは効率的ではありません」
彼女の言葉には感情がない。
そこにあるのは、損得だけだ。
「限られた時間と戦力で最優先すべきは、1年生の生存確率を最大化することです」
それは冷酷だが、筋は通っている。
自分たちの学年を優先する。
それ自体は集団心理としては自然だ。
だが天沢は引かない。
「でもさぁ」
指先でS&W M66 .357マグナムの銃身を指で撫でながら、あえて明るい声で言う。
「もし大勢で脱出できるルートがあるなら、その大勢が助かったほうがよくない?」
その言葉は一見すると善意に聞こえる。
だが、綾小路にはそれが単なるお人好しの発言には見えなかった。
天沢は、この場の反応を見ている。
宝泉、七瀬、2年生たち。
誰が何に食いつき、何に反発するのかを、楽しむように観察している。
坂柳が、その流れへ静かに加わった。
「ヘリやボートはともかくとして」
視線を少し落としながら、しかし言葉は明瞭だった。
「バスであれば、全生徒、全教師が乗れるだけの可能性があります」
その指摘に、教室内の何人かが反応する。
バス。
学校規模での移動手段。
この高度育成高等学校には、
校内送迎や行事で使う大型バスが存在していても不思議ではない。
龍園が面白そうに口を歪める。
「問題は、そこまで行けるかどうかだろ」
「ええ」
一之瀬も続く。
「それに、運転する大人が無事じゃないと意味がない」
教師たちは別働隊として動いている。
無事かどうかも、どこにいるかも確定していない。
仮に車庫へ辿り着けたとしても、運転できる人間、
鍵、燃料、進路の安全。問題はいくらでもある。
話は広がる。
だが、宝泉はそこでもまったく方針を変えなかった。
「だから関係ねえって言ってんだろ」
その声が、議論を断つ。
「仮に全員助かるルートがあったとしても」
教室内をぐるりと見回す。
「学校中を化け物がうろついてる中で、2年を優先する理由はねえ」
冷たい。
だが曖昧さがない。
「あくまで1年優先だ」
堀北が再び口を開く。
「そんな一方的な――」
「待て」
それを遮ったのは、綾小路だった。
堀北が振り返る。
一之瀬も、龍園も、坂柳も、同時に彼を見る。
綾小路はしばらく無言だった。
考えているというより、すでに答えは出ていて、
それをどの言葉で落とすか選んでいるような間だった。
「宝泉の方針でいい」
その一言で、教室の空気が固まる。
「銃器を提供してもらう」
誰もすぐには言葉を返せない。
「……何を言ってるの?」
堀北の声音には、明確な苛立ちが混じっていた。
「危険を承知でそんな条件を飲むの?
それに、あなたはさっきから何を考えてるのよ」
一之瀬も、理解できないという顔をしている。
「どうしてそこまでして……」
綾小路は一度だけ視線を落とし、そして短く言った。
「この学校で、少し調べたいことがある」
それだけだった。
あまりにも短い。
あまりにも核心を伏せた答え。
「何を調べるの?」
堀北がさらに問う。
「この状況で?危険を承知で?」
一之瀬も重ねる。
「そんなの、今じゃなくても……」
だが綾小路は答えない。
答えられないというより、最初から答えるつもりがないのだろう。
この学校には教育以外のなにかがある。
もしかしたら、ホワイトルームに酷似した何か。
それらが彼の中で一本の線として繋がり始めている。
そしてその線の先には、おそらくこの事態の根そのものがある。
坂柳が、その沈黙の意味を察したように目を細めた。
「なるほど」
小さく呟く。
「そういうことですか」
その口元にはごく薄い笑みすら浮かんでいた。
「私も綾小路くんの意見に賛成です」
その言葉は、彼女が綾小路の答えない理由まで
ある程度読み取ったことを示していた。
龍園は、そのやり取りを聞きながら鼻を鳴らす。
「どうせ助かるルートが全員分なかったとしてもだ」
そして不敵に笑った。
「銃がありゃ、化け物だろうがゾンビだろうが
撃ち散らしながら正門ぶち抜いて出りゃいい」
大胆だった。
無謀ですらある。
だが、その発想は龍園らしい。
ルートが用意されていないなら、
用意されていることを前提に悩むのではなく、
火力と胆力で道を作ればいい。
そういう思考だ。
須藤がその言葉に反応する。
「……それ、アリかもしれねえな」
正規の脱出手段がないなら、校門突破。
バスだのヘリだの以前に、武器さえあれば
生きて外へ出る道を自分たちでこじ開けられるかもしれない。
平田は複雑そうな表情をした。
その案が非現実的に見えて、
しかし現状では完全に否定もできないからだろう。
軽井沢や櫛田たちのような戦闘向きでない生徒にとっては、
どの案も結局は恐怖の形が違うだけにすぎない。
それでも武器が増えるという一点だけは、確実に生存率へ繋がる。
堀北はしばらく黙っていた。
不満。
反発。
納得のいかなさ。
それら全部が表情に浮いている。
だが彼女もまた理解している。
今ここで1年生との契約を蹴れば、
2年生側は斧と包丁であの怪物とゾンビの群れに立ち向かわなければならない。
それは、現実的ではない。
一之瀬もまた、苦しそうに視線を伏せた。
みんなで助かりたい。
その願いを捨てきれない彼女にとって、
宝泉の条件を飲むことは非常に苦い選択だ。
だが、だからといって条件を拒絶した先に明るい道があるわけでもない。
結局。
この場にいる誰もが、同じ壁へ突き当たっていた。
武器が必要だ。
それ以上でもそれ以下でもない現実。
宝泉は、2年生たちの沈黙を見て、満足そうに笑った。
「決まりだな」
その言い方は、まるで最初から結果が分かっていたかのようだった。
実際、そうなのだろう。
最初にショットガンを投げた時点で、宝泉はこの流れを作っていた。
善意ではなく既成事実。
救助ではなく契約。
力の貸与を口実に、2年生へ拒否できない条件を呑ませる。
それは卑劣で、だが鮮やかでもあった。
こうして、綾小路たちは宝泉の条件を受け入れることになる。
共闘ではない。
友情でもない。
信頼など、最初からどこにもない。
あるのは利害だけだ。
武器が欲しい2年生。
脱出優先権が欲しい1年生。
それぞれが、それぞれの生存確率を上げるために手を組んだにすぎない。
そして綾小路は、教室のざわめきの向こうで静かに思考を巡らせていた。
銃を手に入れた。
行動範囲が広がる。
調べる余地が生まれる。
この学校が何を隠しているのか?
月城理事長代理は、どこまでこの地獄を把握しているのか。
それらの答えは、まだ闇の中だ。
だが、もう以前のように普通の学校生活へ戻るつもりはない。
戻れるとも思っていない。
高度育成高等学校は、最初からどこか歪んでいた。
いま、その歪みが完全に表へ噴き出しているだけだ。
だからこそ、綾小路は見届けなければならない。
この地獄の最深部に、何があるのかを。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると助かります。