カーストルーム・オブ・ザ・デッド   作:戦竜

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第8話 潜行

綾小路清隆たちが月城理事長代理を目指し、別ルートで校内を進んでいるころ。

 

もう一つの集団もまた、同じ目的地を目指していた。

高円寺六助を先頭にした一団である。

 

分断直後の混乱の中で、高円寺が咄嗟に示した「体育館で合流」という方針は、

単なる場当たり的な退避先ではなかった。

少なくとも彼の中では、あの瞬間すでに複数の選択肢が並べられており、

その中で最も生存率が高いと思われるルートが選ばれていたのだろう。

 

ただ、それを説明するつもりが彼にはなかっただけだ。

 

彼は、もともとそういう男だった。

 

理由を丁寧に共有して周囲を納得させるより、結果で黙らせる。

自分の判断が正しいかどうかではなく、

自分が正しい前提で世界がついてくるべきだとでも思っているような人間。

その傲慢さと実力が同居しているからこそ、

高円寺六助という存在はいつも他者を苛立たせ、同時に否応なく頼らせる。

 

いま、その高円寺を中心に動いているメンバーは、

決して相性の良い者たちばかりではなかった。

 

平田洋介。

須藤健。

櫛田桔梗。

松下千秋。

小野寺かや乃。

一之瀬帆波。

伊吹澪。

石崎大地。

そして山田アルベルト。

 

立場も気質も戦い方も、あまりにばらばらだ。

綾小路たちのグループが気づけば合理的な形にまとまっていたのに対し、

こちらは最初から最後まで火種を抱えたまま進んでいるような集団だった。

 

ただし、戦力だけを切り取るなら決して弱くない。

むしろ、火力と身体能力だけなら綾小路たちの隊に匹敵するか、

それを上回る場面すらありえた。

 

高円寺が持つのは、デザートイーグル.50AEと呼ばれる大型拳銃。

マグナム弾を撃つ、重く、反動も大きく、普通の人間には持て余しかねない拳銃。

だが高円寺の手にかかれば、

それは気まぐれに振り回すだけの贅沢な武器ではなくなる。

重さをものともしない握力。

片手で保持してなおぶれない手首。

反動を吸収する体幹。

そして何より、自分の身体性能に対する絶対的な自信。

 

平田は、警察特殊部隊が使うH&K MP5A5サブマシンガンを抱えていた。

その見た目だけを切り取れば、この中では最も訓練された人間に見える。

実際、平田はこのグループの中で銃の扱いを最も手順に落とし込めている側だった。

 

須藤はスパス12ショットガン。

似合っていると言えば、あまりにも似合っていた。

乱暴で、大味で、近距離において絶大な威力を誇るその武器は、

須藤の戦い方そのものに近い。

ただし、須藤はもう以前のように勢いだけで突っ込む男ではない。

少なくとも、この地獄の中ではそうならざるを得なかった。

 

櫛田と松下と小野寺はハンドガン。

櫛田はワルサーPPK。

松下はP230JP。

小野寺はベレッタM84S。

軽量で扱いやすく、構造も比較的シンプル。

初めて銃を手にした人間にとっては、もっとも現実的な武器だった。

 

一之瀬が持つのは、L96A1スナイパーライフル。

その華奢な体格、優しい空気、いつもなら誰かを安心させる側である彼女の手に、

遠距離狙撃用の長銃は一見、不釣り合いに見える。

だが、いざ構えれば、冷静な判断力で標的を的確に仕留める姿は様になっていた。

 

伊吹はルガーP08の二丁拳銃。

扱いは難しい。

片手ずつ別の照準を制御し、体幹でぶれを殺しながら射撃する必要がある。

普通なら趣味の悪い見栄えだけの装備になりかねない。

しかし伊吹には、そうした無茶を身体能力で押し切るだけのものがあった。

 

石崎はM16A2というアサルトライフル。

龍園クラスの中ではパワー型という印象が強いが、

銃を持つとその粗さは別の方向へ出る。

撃ち方そのものはまだ雑だ。

だが、雑なりにちゃんと頭部へ集弾させるセンスがある。

 

アルベルトは、スカーLと呼ばれるアサルトライフルに加えて、

M203グレネードランチャーまで携行していた。

それだけでも過剰火力と言えるのに、

彼はその重装備を苦にする様子もなく黙々と持ち歩いている。

大柄な体格と無言の圧が、もはや移動式の防衛拠点のようですらあった。

 

火力だけを見れば、綾小路たちの隊にも負けない。

むしろ対怪物戦だけを想定するなら、

こちらのほうが分かりやすく凶悪な装備を持っていると言えた。

 

だが、戦力とチームワークは別の話だ。

 

高円寺グループの進行は、最初からぎくしゃくしていた。

 

それは武器の扱いが未熟だからではない。

むしろ、銃の扱いそのものには、

1年生から最低限の手ほどきを受けたぶんだけ皆がきちんと適応しつつあった。

 

問題は、人間関係だった。

 

高円寺をリーダーとして受け入れている人間が、このグループには決して多くない。

 

平田は表向き誰とでもやっていける。

一之瀬も協調を優先する。

小野寺も必要があれば淡々と合わせる。

櫛田は内心どうであれ、その場に応じた顔を作れる。

 

だが、須藤と石崎は違う。

 

高円寺のような、他人を見下ろすような男がもともと気に入らない。

しかもその高円寺が、どこか本気で自分が一番上だと

疑っていない態度を崩さないものだから、神経に障るのだろう。

 

進行中も、たびたび火花が散る。

 

「隊列が乱れているよ」

 

高円寺が、まるで教師が出来の悪い生徒を指導するような口調で言ったとき。

 

須藤が即座に食ってかかった。

 

「うるせぇな!そんな悠長に並んでられる状況かよ!」

「悠長ではない。基本だよ」

 

高円寺は涼しい顔で返す。

 

「君たちは自分の足元しか見ていない。だから全体が見えなくなる」

 

その言い方がまた、相手を苛立たせる。

 

「テメェ……!」

 

須藤の顔が険しくなる。

 

だが、その前に平田が割って入る。

 

「須藤くん、今はやめよう。高円寺くんも、言い方を少し考えて」

 

平田の仲裁は、理性的だ。

しかも彼自身がちゃんと前線で戦っているだけに、言葉へ一定の重みがある。

 

高円寺は鼻で笑うだけだった。

 

「事実を言っているだけさ」

 

それがまた、火種になる。

 

別の場面では、石崎と伊吹が反発した。

高円寺が伊吹の拳銃の持ち方を見て、いかにも癇に障る調子で言ったのだ。

 

「武器の扱いが雑だねぇ」

 

伊吹の目が細くなる。

 

「……何よ?」

「君たちの撃ち方は勢いに頼りすぎている。だから無駄弾が増える」

 

石崎がすぐさま口を挟む。

 

「文句があんならテメェが全部やれよ!」

「できるならそうしたいところだけれど」

 

高円寺は肩をすくめた。

 

「残念ながら、君たちにも最低限の役割はある」

「ぶっ殺されたいの……!?」

 

伊吹の声は低い。

その反応は半分本気だ。

 

またも平田が割って入る。

一之瀬と櫛田と松下もフォローへ回る。

 

「今は喧嘩してる場合じゃないよ」

「そうだよ、みんなで協力しなきゃ」

「ここでバラバラになったら、本当に終わるから」

 

一之瀬の言葉には切実さがあった。

櫛田の声音は柔らかい。

だが、その柔らかさ自体が緊張の裏返しだ。

 

アルベルトは無言のまま、視線だけで宥めるようにしている。

彼は多くを語らない。

だが、このグループの中では珍しく本気で争う気がない人間でもある。

 

小野寺は、その様子を見て小さく息をつく。

 

「やれやれ……」

 

呆れているのだろう。

けれど、完全に見放してはいない。

 

こういうとき、小野寺は不思議と冷静だった。

競技者として、極限時に感情を切り離す訓練が身についているのかもしれない。

 

平田が、少し疲れたように、それでも真面目な声で言う。

 

「厳しい状況なんだ。文句を言いたくなる気持ちも分かるよ」

 

そのうえで、一之瀬と櫛田が重ねた。

 

「だからこそ、協力しないと」

「みんなで生き残らないと意味ないよ」

 

理屈としては正しい。

だが、高円寺はそれを聞いても、あくまで不敵な笑みを崩さない。

 

自分を下げることをしない。

相手へ歩み寄るような仕草も見せない。

 

その壮大な態度が、やはり須藤や石崎の神経を逆なでする。

いまは押さえている。

だが、押さえているだけだ。

 

高円寺グループの粗さは、精神面にあった。

 

戦力は高い。

だが、一枚岩ではない。

それが綾小路たちのグループとの決定的な違いだった。

 

それでも、彼らは前へ進んだ。

 

ゾンビとの交戦において、このグループの火力は圧倒的だった。

 

最初に本格的な交戦となったのは、旧体育館棟へ向かう長い連絡通路だった。

 

照明はところどころ落ちている。

非常灯だけが点滅し、白く冷たい光を断続的に床へ落としている。

その光の切れ間の向こうから、ゆらゆらと複数の影が近づいてきた。

 

「前から六……いや、八体」

 

一之瀬がライフルのスコープ越しに静かに言う。

彼女の声には、すでに最初のころの動揺がほとんど残っていなかった。

 

構える。

息を止める。

撃つ。

発砲音。

 

最前列の一体のゾンビの頭部が大きく仰け反る。

倒れる。

 

次。

 

再装填というほど大きな動きもなく、すぐに二体目。

また頭部。

 

命中。

 

その精度は異様だった。

 

100発撃てば90発は頭部へ入る。

そんな比喩が誇張ではないように思えるほど、一之瀬の射撃は安定している。

 

彼女は本来、こういう方向の才能を見せる人物ではない。

だが、集中するときの精神の持っていき方が上手いのだろう。

余計な恐怖や迷いを、スコープを覗いているあいだだけ切り離せている。

 

平田がその横からサブマシンガンを二点バーストで撃つ。

短く、無駄がない。

連射しすぎればぶれる。

引き金を引きっぱなしにすれば装弾数も反動制御も悪化する。

そのことを、平田は即席の指導だけでかなり深く理解していた。

 

二発。

二発。

二発。

 

ヘッドショット。

次。

またヘッドショット。

 

射撃という行為が、妙に丁寧だった。

 

須藤は逆に荒い。

 

「どけェ!!」

 

半ば叫ぶようにしてショットガンを撃つ。

散弾がゾンビの上半身ごと吹き飛ばす。

見た目の派手さは群を抜いていた。

だが、その荒っぽさの中にも、最初のころのような無茶は減っている。

 

むやみに突っ込まない。

距離を見て撃つ。

味方の前へ出すぎない。

 

力任せに見えて、ちゃんと隊列の中で戦おうとしているのが分かった。

 

小野寺と櫛田と松下は、ハンドガンの軽さを武器にしていた。

 

両手でしっかり保持し、体幹ごと正面へ向ける。

ハンドガンは出力こそ低いが、そのぶん取り回しがいい。

狭い通路、急な振り向き、死角への対応。

その利点を、小野寺はすぐに身体へ落とし込んでいた。

 

櫛田も、最初は怯えが残っていた。

だが、彼女は周囲からどう見られるかに異様なほど敏感な人間だ。

だからこそ、ここで無様に取り乱す自分を許せないのかもしれない。

怖い。

それでも撃つ。

そして当てる。

 

松下は、そのどちらとも違っていた。

恐怖を押し殺すでもなく、勢いに任せるでもない。

ただ状況を観察し、最も合理的な動きを選択している。

弾数、距離、敵の進行速度、味方の位置関係――

すべてを瞬時に整理し、無駄のないタイミングで引き金を引く。

狙いは常に急所。撃つ回数は少ないが、その一発一発が確実に機能していた。

 

伊吹は二丁拳銃を、ほとんど運動能力だけで成立させていた。

左右で同時に撃つというより、左右の切り替えが異様に速い。

前へ踏み込み、体を捻り、片方で一体の頭を撃ち抜き、

その反動を利用して逆側へ移る。

武術と射撃のあいだにある何か、とでも言うべき戦い方だった。

 

石崎は粗い。

それでも雑ではない。

 

「オラッ!」

 

連射。

最初の数発は少し散る。

だが、そのあとでしっかり頭へ寄せてくるあたり、感覚は悪くない。

雑に見えても、ちゃんと相手を止めるべきところへ収束していく。

 

アルベルトは、圧倒的だった。

アサルトライフルの火力もさることながら、

彼の本当の恐ろしさは、その安定感にある。

どれだけ弾が飛び、ゾンビが迫り、仲間が騒ごうと、彼だけは静かだ。

 

静かに撃ち、静かに当てる。

そして、前線が崩れそうになった瞬間には、

身体へ巻いたグレネード弾を素早くランチャーへ装填する。

 

その動きもまた無駄がない。

 

発射。

鈍い破裂音。

爆発は廊下の奥で起こり、複数のゾンビをまとめて吹き飛ばす。

 

派手だ。

そして圧倒的に分かりやすい。

 

火力という意味では、このグループは間違いなく強かった。

だが、強いことと、まとまっていることは違う。

戦闘を終えるたび、彼らのあいだには微妙な軋みが残った。

 

「だから言っただろう、撃ち方が雑だとねぇ」

 

高円寺が言えば、

 

「テメェも好き勝手動いてんじゃねえか!」

 

須藤が噛みつく。

 

「君たちの粗さを私がカバーしているのだよ」

「言ってろ!」

 

石崎も不機嫌そうに舌打ちする。

 

一之瀬と平田が止める。

櫛田が雰囲気を和らげようとする。

アルベルトが無言で視線を向ける。

小野寺は肩をすくめる。

 

そうやって、どうにか破綻だけは防いでいる状態だった。

 

綾小路たちの隊が自然と噛み合っていったのに対し、

こちらはぶつかりながら前へ進んでいる。

その違いは、あとになって効いてくるのだろう。

 

やがて一行は、プールに近いエリアへ到達した。

 

体育館棟へ向かうには、ここを抜けるのが最短だった。

だが、その最短ルートはすでに道ではなくなっていた。

 

「……おい、なんだよこれ」

 

石崎が思わず声を漏らす。

 

その先の廊下――

本来なら一階へ下る階段と連絡通路があるはずの場所は、完全に水没していた。

 

プールが陥没したのだろう。

 

天井近くまで達するほどではない。

が、人が立って歩ける高さではない。

床から先はすべて濁った水で埋まり、先の見えない暗い水路に変わっている。

 

照明も落ちているせいで、水の表面は黒く沈んで見えた。

どこまで深いのか。

途中に何が沈んでいるのか。

向こう側までどれだけ距離があるのか。

一目では分からない。

 

「引き返すべきだろ……」

 

石崎が言う。

それは弱音というより、現実的な反応だった。

 

いまの彼らは銃器を持っている。

だが、それは水の中では意味を成さないかもしれない。

視界も悪い。

呼吸も制限される。

隊列も維持できない。

 

伊吹がすぐに反発する。

 

「いまさらそんなことできるわけないでしょ」

「じゃあどうすんだよ!」

 

須藤が高円寺を見る。

 

「おい。どうすんだよ、これ」

 

高円寺は、まるで最初から想定していたかのように平然としていた。

 

「このまま進む」

 

断言だった。

 

「はぁ!?」

 

櫛田が素で驚く。

 

「どうやって?」

 

松下のその問いに、高円寺は答えず、バッグからロープを取り出した。

 

すでに入手していたらしい。

いつの間に。

そう思った者もいたが、いまさら高円寺が

いつの間にか何かを確保していること自体は驚くほどでもなかった。

 

彼はロープの端を手に持ち、水面を見やる。

 

「待っていてくれたまえ」

 

それだけ言うと、躊躇なく水の中へ潜った。

 

水面が揺れ、波紋が広がる。

それが落ち着いてしまうと、途端に不安が増した。

 

戻ってくるのか。

向こう側まで本当に行けるのか。

途中で何かに引っかかったら。

呼吸は。

 

時間の感覚が、妙に長くなる。

 

「……大丈夫かな」

 

櫛田が小さく言う。

誰も答えない。

数分後。

水面が再び割れた。

高円寺が何事もなかったかのような顔で戻ってくる。

 

息も大きく乱れていない。

濡れていることを除けば、本当に少し泳いできただけのような表情だった。

 

「柱に固定した」

 

ロープを示す。

 

「これを伝っていけば、向こう側まで確実に辿り着けるよ」

 

平田がすぐに反応する。

 

「でも、息が……」

「せいぜい一分程度だ」

 

高円寺は言う。

 

「迷わず進めば問題ない」

 

それを聞いて、問題ないと思える者は多くない。

 

櫛田の顔は露骨に曇っていた。

石崎も嫌そうに舌打ちする。

一之瀬と松下ですら、さすがに不安そうな表情を隠せない。

 

そのとき、小野寺が前へ出た。

 

「私がサポートするよ」

 

声は落ち着いていた。

 

「水泳部だから。潜って進むこと自体は大丈夫」

 

それは、この場において非常に大きい一言だった。

 

誰か一人でも水の専門家がいるだけで、未知の恐怖は少しだけ輪郭を失う。

 

「困ったら引っ張る。ロープもあるし、順番と距離さえ守ればいける」

 

須藤がそれを聞き、少しだけ表情を変える。

小野寺の言葉には、不思議と信頼感があった。

 

「……それなら」

 

一之瀬が小さく頷く。

 

全員が覚悟を固めかけた、そのときだった。

後方から足音がした。

ぞろ、ぞろと。

 

振り返ると、さっき掃討したはずのエリアの奥から、

また別のゾンビ群が近づいてきていた。

数は多い。

しかも、この狭い通路では正面からの迎撃しかできない。

 

アルベルトがすぐに後方へ向く。

 

アサルトライフルを持ち上げる。

無言のまま発砲。

乾いた連射音。

先頭の数体が倒れる。

だが、それでも後ろから次が来る。

 

「悠長にしてる暇はないねぇ」

 

高円寺が言う。

その口調だけは、いつも通りに近かった。

 

「三回、大きく息を吸ってから入るんだ」

 

それが合図になった。

 

全員が、水面の手前で呼吸を整える。

 

一回。

二回。

三回。

 

肺へ空気を目一杯押し込む。

 

そして――潜る。

 

 

水の中は、予想以上に暗かった。

 

視界が濁る。

光が届かない。

上と下の感覚すら曖昧になる。

 

ロープだけが頼りだった。

 

手で掴む。

進む。

前の人間の足の動きを視界の端で追う。

 

水は冷たい。

だが、すぐにその冷たさを気にしている余裕はなくなる。

 

苦しい。

 

まだ数秒しか経っていないのに、肺がすでに「早く息をしろ」と訴え始める。

頭では一分程度だと分かっていても、身体は別の時間感覚で苦しさを刻んでくる。

 

それでも進むしかない。

 

高円寺が先導する。

その動きは、まるで水の抵抗を受けていないかのように滑らかだった。

小野寺もまた、迷いがない。

須藤も必死に足を動かす。

 

このまま行ける。

なんとか全員が向こうへ辿り着ける。

 

そう思った、そのときだった。

 

影が動いた。

水の奥。

 

暗い部分が、別の暗さを伴って近づいてくる。

 

最初は何か分からない。

だが次の瞬間には、その輪郭が異様なほど鮮明になる。

 

長い舌。

 

異様に発達した前肢。

 

水の中でなお、壁でも床でもないどこかを這うように進んでくる異形。

 

リッカー。

 

ゾンビとは違う。

もっと速く、もっと鋭く、もっと殺すために特化したクリーチャー。

しかもそれが、水中を泳いでいる。

 

高円寺の目が細まる。

 

襲いかかる。

速い。

 

だが高円寺は、その水中ですら異様な身体能力を見せた。

身体を捻り、最小限の動きで爪の軌道をかわす。

そのまま片手でマグナムを持ち上げ、至近距離から発砲。

 

水中での銃撃は、空気中とはまるで感覚が違う。

衝撃は鈍く、視界も泡で乱れる。

それでも、高円寺の一撃はリッカーの頭部を捉えた。

 

沈む。

 

だが、一体では終わらない。

 

別方向からまた影。

 

須藤がショットガンを構える。

水中での取り回しは悪い。

それでも、距離が近ければ関係ない。

 

発砲。

散弾が広がり、リッカーの上半身ごと弾き飛ばす。

 

石崎は苦戦していた。

視界が悪い。

呼吸も限界へ近づきつつある。

それでも、身体能力と勢いで銃口を押し込み、どうにか一体を撃ち落とす。

 

伊吹もまた、水の抵抗に苛立ちながらも、二丁拳銃を捌いていた。

動きの鋭さそのものは水中では削がれる。

だが、伊吹の敵へ身体を合わせる感覚は本物だった。

 

対して、一之瀬と櫛田、松下、平田は明らかに苦しんでいた。

 

視界が悪い。

ロープを握る手を離せば迷う。

酸素は減る。

そこへリッカーが来る。

 

ライフルのような長物は、この狭い水中では逆に扱いづらい。

一之瀬は狙いを定めきれず、わずかに遅れる。

櫛田も焦りで動きが乱れる。

松下は冷静だが、息を殺して泳ぐのに苦戦している。

平田は仲間を見ながら進んでいたぶん、自分の防御が遅れた。

 

その三人へ迫る影。

 

だが、その瞬間。

小野寺が割って入った。

 

速い。

 

高円寺以上、とすら見えた。

 

水の中での小野寺は、文字通り「水を得た魚」だった。

泳ぎそのものに無駄がない。

推進、方向転換、姿勢制御、その全部が他のメンバーとは次元が違う。

 

彼女は四人の前へ出ると、ハンドガンを両手で安定させ、

一体のリッカーの頭部へ撃ち込む。

 

止まらない。

すぐに次。

さらに次。

 

そのまま、櫛田、一之瀬、松下、平田へ「先へ行け」とでも言うように手を振る。

 

囮。

 

その役割を、彼女は一瞬で引き受けたのだ。

 

須藤が気づく。

目が見開く。

 

水の中で声は出せない。

だから、必死にジェスチャーで叫ぶ。

 

早く来い。

こっちだ。

来い。

 

小野寺は一瞬だけ須藤を見る。

その目に迷いはない。

 

だが、その次の瞬間。

 

別方向から回り込んできたリッカーの爪が、水を裂いて彼女の身体を掠めた。

 

いや、掠めたでは済まない。

重い衝撃。

小野寺の身体が揺れる。

 

須藤の中で、何かが切れた。

 

怒りだった。

 

ショットガンを構える。

近い。

水の抵抗も関係ない距離。

 

引き金。

一撃。

 

リッカーの頭部が完全に吹き飛ぶ。

 

小野寺の身体が沈みかける。

須藤は迷わずそれを抱えた。

 

重い。

呼吸は限界。

肺が焼ける。

 

それでも離せない。

 

前では自分が活路を開くとばかりに高円寺が先導し、ロープに沿って進んでいる。

アルベルトも、後方を警戒しながらその進路を守る。

 

全員で、向こう側へ。

 

必死に。

 

水面を破ったとき、最初に感じたのは痛みだった。

肺が空気を欲しがりすぎた反動で、呼吸そのものが苦しい。

喉が焼ける。

咳き込む者もいる。

少し水を飲んでしまった者もいた。

 

それでも、生きている。

 

向こう側まで、辿り着いた。

 

高円寺以外のほぼ全員が息を荒くしていた。

高円寺だけは、さすがに少しだけ呼吸が速くなっているものの、

他と比べればまだ信じられないほど余裕があった。

 

「全員……いるかな……?」

 

平田が息を整えながら確認する。

 

いる。

全員。

 

そう思いかけた、そのとき。

 

須藤が、小野寺を抱えたまま膝をついた。

 

小野寺の様子がおかしい。

 

もう説明はいらなかった。

ここまで一緒に来た者たちには、それだけで十分に分かる。

 

重傷だった。

 

水中で受けた一撃が深い。

しかも、この状況ではまともな応急処置もできない。

 

「おい……!」

 

須藤の声が震える。

 

「死ぬなよ……!」

 

その声には、さっきまでの荒々しさとは違うものがあった。

叫びではない。

懇願だ。

 

「しっかりしろって……小野寺!」

 

小野寺はゆっくり目を開けた。

意識はある。

だが、それが長く続かないことを、その場の誰もが感じていた。

 

須藤の頬を、涙が伝う。

彼自身、泣いていることに気づいていないのかもしれない。

 

小野寺は、そんな須藤の頬へ手を伸ばした。

震える手。

それでも、そっと触れる。

 

まるで、落ち着けとでも言うように。

 

「……必ず、生き残って」

 

短い言葉だった。

 

それだけで十分だった。

 

そのあと、小野寺の呼吸は静かに途切れた。

 

その場にいた全員が、言葉を失った。

 

悲しみ方は、それぞれだった。

 

一之瀬は唇を噛み、目を伏せる。

櫛田は何か言おうとして、言えずにいた。

平田は拳を握り締める。松下は目に涙を溜めている。

石崎は目を逸らし、伊吹は露骨に顔をしかめる。

アルベルトは沈黙したまま立っている。

 

須藤だけが、小野寺の亡骸を抱えたまま、動けなかった。

 

「……っ……」

 

声にならない。

 

泣くつもりなんてなかっただろう。

それでも涙は止まらない。

 

その空気の中で、高円寺が静かに立ち上がる。

 

いつもの軽薄な笑みはない。

表情は不思議なほど真面目だった。

 

「小野寺ガールは」

 

その呼び方だけはいつも通りだった。

だが、声は違う。

 

「とても勇敢な戦士だった」

 

誰も反論しない。

 

それは事実だったからだ。

 

そして高円寺は、短く続ける。

 

「進もう」

 

冷酷に聞こえる。

だが、間違ってはいない。

 

ここで止まっても、彼女は戻らない。

そして、立ち止まれば次に死ぬのは自分たちだ。

 

それでも、須藤にはすぐに割り切れなかった。

 

「……ふざけんなよ」

 

低く言う。

 

「そんな簡単に……」

 

怒りではない。

悲しみが、怒りの形を借りて出ているだけだった。

 

高円寺は、そんな須藤をまっすぐ見た。

そして、静かに彼の肩へ手を置く。

その仕草は、意外だった。

 

誰よりも自己中心的で、

自分以外の人間へそこまで真正面から触れようとしない男だと思っていた。

その高円寺が、いまは妙に真っ直ぐだった。

 

「無駄にするな」

 

短い言葉。

 

「小野寺ガールの貢献と意思を」

 

須藤が顔を上げる。

 

涙でぐしゃぐしゃになった顔。

それでも、高円寺の目は逸れない。

 

「君がここで止まれば、彼女が命を懸けて作った道も止まる」

 

その言葉には、いつもの芝居がかった調子がなかった。

素直ですらあった。

 

「それを、彼女は望まないだろう」

 

須藤はしばらく何も言わなかった。

 

呼吸を整えようとして、整わない。

喉が詰まる。

それでも最後に、手の甲で涙を乱暴に拭った。

 

「……わかった」

 

短く言う。

 

それは、完全に悲しみを飲み込んだ声ではない。

だが、前へ進むことを決めた声だった。

 

小野寺の亡骸を静かに横たえ、須藤は立ち上がる。

 

目指す先は、月城のもと。

 

この学校の真実。

この地獄の中心。

そして、おそらくは次の戦い。

 

高円寺グループにも、少しずつだがチームワークが芽生えつつあった。

 

それは綺麗なものではない。

喧嘩も反発も、まだ消えていない。

だが少なくとも、同じ方向へ進むために必要な理解が生まれ始めている。

 

小野寺の死は、その代償としてあまりにも重かった。

 

それでも、その死が無意味で終わらないためには、

生き残った者たちが前へ進むしかない。

 

高円寺は先頭へ戻る。

 

その背中は相変わらず堂々としていた。

だがさっきまでとは少しだけ違って見えた。

 

それを見ていた者たちの何人かは、口には出さずとも感じていたのかもしれない。

 

この男はただの変人ではない。

少なくともいまこの場では、自分たちを前へ運ぶための支柱になっているのだと。

 

そして、一行は再び歩き出す。

 

静かな水の匂いを背に。

小野寺の残した時間を背負うようにして。




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