社畜の俺。メンヘラな口裂け女をビンタしたら同棲が始まった。 作:ジュウヨン
疲れてたから、口裂け女にビンタした。
——『最近、口裂け女が出るらしい』
そんな噂をどこかで耳にした。
口裂け女とは、有名な都市伝説の妖怪だ。
名前の通り、口が裂けている女。
特徴は、長い黒髪に白いコート。
そして、大きなマスク。
どうやらそれが最近、街で出没しているらしく、
人に声をかけているんだという。
「私、綺麗?」と話しかけ、何をどう答えても、
結局はマスクを取って襲ってくるそうだ。
あまりに、理不尽だ。
「佐々木くんも気をつけなよ」と、
上司にも揶揄われた。
……ふざけているにも程がある。
こんな令和の時代に、妖怪が出るわけがない。
いや、そもそも、
どの時代にも妖怪なんていないのだろうけども。
令和に妖怪なんて、時代錯誤もいいとこだ。
その証拠に。
襲われて怪我をした、
なんていう具体的な話も聞かない。
全員殺されているんじゃないか、という話らしいが、
もう一度考えてほしい。
何度も言うように、
今の時代が、“令和”だということを。
防犯カメラとかに、絶対残るだろ。
SNSだってあるんだし。
……。
そんな噂、信じるわけがない。
◇
その日は、とにかく疲れていた。
残業、残業、また残業。
電車は遅延。コンビニの弁当は売り切れ。
挙句、1ヶ月ほど前に、
2年間も同棲していた彼女に振られたときている。
……世界はどうして、こんなにも俺に優しくないのか。
夜道をふらふらと歩く。
街灯はまばらで、妙に静かだった。
そのときだった。
道の先に、女が立っていた。
長い黒髪。
白いコート。
大きなマスク。
……うわ、出た。
嫌な予感しかしない。
女はゆっくりとこちらを向いた。
「……ねえ」
来た。
「私、綺麗?」
ああ、はいはい。
最近噂になってるやつね。
無視した。
俺は何も聞こえなかったことにした。
そのまま横を通り過ぎる。
足音がついてくる。
……うん、知ってた。
「ねえ」
まただ。
「私、綺麗?」
無視。
無視無視。
徹底無視。
疲れてんだよ、こっちは。
だが足音は止まらない。
「ねえ」
しつこい。
「ねえ」
うるさい。
「ねえってば」
頼むから帰ってくれ。
そしてついに——
「無視するなあああああああああああ!!!!!!」
マスクを外し、裂けた口を晒しながら。
口裂け女が襲いかかってきた。
ああ、もう。
プツン、と何かが切れた。
「うるせえええええええええええええ!!!!!!」
俺は全力で腕を振り抜いた。
バチィン!!!!!!
乾いた音が夜道に響いた。
思いっきりビンタ。
口裂け女が固まる。
俺も叫ぶ。
「疲れてんだよ!!!!!!!!」
静寂。
風が吹く。
口裂け女は、頬を押さえながら、
ぽかんとしていた。
「……え」
俺は肩で息をする。
「残業三日連続だぞ」
「……え」
「電車は遅延」
「……え」
「弁当も売り切れ」
「……?」
「あと、彼女にも振られるし……」
「……」
口裂け女はしばらく黙っていた。
やがて、おそるおそる口を開く。
「……その……」
「なんだ」
「大変ですね……」
「だろ」
沈黙。
数秒後。
口裂け女はマスクをそっとつけ直した。
「……あの、」
「なんだよ」
「……今日はもう帰ります」
「そうしてくれ」
ぺこりと頭を下げ、口裂け女は夜道の闇に消えていった。
俺はため息をつく。
「はあ……」
空を見上げる。
星が出ていた。
「……綺麗だな」
誰もいない夜道で、俺はそう呟いた。
——
次の日。
俺はまた同じ帰り道を歩いていた。
仕事は相変わらず地獄だった。
だが昨日の出来事のせいで、妙に精神が擦り切れている。
夜道。
街灯。
静かな住宅街。
そして——
いた。
昨日と同じ場所に。
長い黒髪。
白いコート。
大きなマスク。
また、口裂け女だ。
俺は何も言わず、そのまま歩く。
「……あの」
聞こえない。
「昨日はすみません」
聞こえない。
俺は歩く。
「謝ってるじゃないですか」
聞こえない。
俺は歩く。
「無視するんですか」
聞こえない。
「ちょっと……」
ここでようやく俺は立ち止まり、ウザそうな目を向けた。
「……なんだよ」
口裂け女はムッとした顔でこちらを見ている。
「聞こえてますよね?」
「まあな」
「あなたに殴られた頬が死ぬほど痛いんですよ、いまだに」
そう言ってマスクを外し、顔をぐいっと寄せてくる。
裂けた口。
そして頬が赤く腫れている。
俺はそれを見て言った。
「元から裂けてたじゃん」
一瞬の沈黙。
「そこじゃない!!!!」
口裂け女がキレた。
「ビンタされて腫れてるんです!!」
「知らん」
「知ってくださいよ!!」
「なんでだよ」
「被害者ですから!!」
夜道に響く怒号。
俺は心底だるそうに頭を掻いた。
「……ていうかお前さ」
「なんですか」
「昨日襲ってきたのそっちだろ」
「それは都市伝説としての仕事です!!」
「仕事だったのかよ」
「ノルマあるんですよ!!」
「……そんなのあるの?」
「最近、競争激しいんですから!!」
俺はため息をついた。
「知らんがな」
口裂け女は頬を押さえてぶつぶつと言う。
「……ほんとひどい……」
「……変な噂は流れるし……」
「……誰も驚いてくれないし……」
「……子供に石は投げられるし……」
そして、俺の方を睨みつけてくる。
「人の顔をいきなり叩くなんて……」
「うう……本当に酷いです……」
うっすらと涙を浮かべている。
だが知らん。
「襲ってきたからだろ」
「普通『私綺麗?』って聞いたら
驚いて逃げるじゃないですか!!」
「疲れてたんだよ」
「だからってビンタ!?」
「うるさかった」
「理不尽!!」
しばらく沈黙。
俺はまた歩き出す。
すると、
またついてくる足音。
「……なあ」
「なんですか」
「まだついてくるのか」
口裂け女は腕を組んで言った。
「当たり前です」
「なんで」
「治療費請求します」
「帰れ」
「医療費」
「帰れ」
「慰謝料」
「帰れ」
「……じゃあ、せめて湿布買ってくださいよ」
俺は振り向いた。
そして言った。
「……コンビニ寄るか」
口裂け女の目が少しだけ輝いた。
「湿布買ってくれるんですか!?」
「うるさいからな」
「やったーー!!」
「うるさい」
「あ、ごめんなさい!!」
「……」
こいつ、謝罪の声まで大きいのか。
すごく耳が痛い。
物理的に。
「……意外と、優しいですね」
「違う」
「じゃあ、なんですか?」
俺は歩きながら言った。
「今日は殴られたくないだろ」
口裂け女は一瞬固まった。
そして小さく呟いた。
「……怖いこの人……」
——
その次の日。
また同じ帰り道。
また同じ夜道。
そして——
やっぱりいた。
街灯の下。
白いコート。
長い黒髪。
大きなマスク。
口裂け女だ。
俺は何も言わず、その横を通り過ぎる。
「……こんばんは……」
小さな声で話しかけてきた。
「はい、こんばんは」
反射で返してしまった。
まさか、普通に挨拶されると思ってなかった。
すると——
口裂け女の目が、見るからにぱっと明るくなった。
さらに話しかけてくる。
「良い天気ですね……」
「まあ、うん」
俺は歩くのを止めない。
スタスタ進む。
「どっかで話しません?」
無視。
歩く。
「ちょっと……」
無視。
歩く。
「もおおおおおおおおおお!!!!!」
無視。
歩く。
「止まれよ!!!!」
「せめて!!!!」
俺は立ち止まった。
そして、うざそうな顔で口裂け女を見る。
「……疲れてるんだけど」
口裂け女は腕をぶんぶん振りながら叫ぶ。
「それしか言わないな!!」
夜の住宅街に声が響く。
俺はため息をついた。
空を見上げる。
月。
街灯。
静かな夜。
そしてうるさい妖怪。
数秒考える。
それから、うんざりした顔のまま指を差した。
「……あそこの公園で良い?」
口裂け女は一瞬固まった。
「……え」
「話すんだろ」
「……え?」
「立ち話だるい」
沈黙。
数秒後——
口裂け女の目が、またぱあっと輝いた。
「行きます!!!!」
「声でかい」
「すみません!!!!」
「声でかい」
公園のベンチに座る。
俺は背もたれに体を預けた。
口裂け女は隣にちょこんと座る。
妙に姿勢がいい。
沈黙。
風が吹く。
数秒。
数十秒。
やがて口裂け女がそっと言った。
「……あの」
「なんだ」
「昨日の湿布……」
「ああ」
「ありがとうございました」
「うん」
沈黙。
また風。
ブランコがきい、と揺れる。
口裂け女がそわそわしている。
そして意を決したように聞いた。
「……私、綺麗?」
俺は即答した。
「うん」
口裂け女が固まった。
「……え?」
「綺麗」
また沈黙。
口裂け女の顔がみるみる赤くなる。
「……」
「……」
「……そ、そういう答え方されると思ってなくて」
「聞いたのお前だろ」
「普通は『口裂けてても?』とか続くじゃないですか」
「うん」
「……驚いちゃって、言えなかったです」
「めんどくさい」
「次言ったら乗ってくださいよ?」
「疲れてる」
「またそれ!!」
夜の公園に声が響く。
俺は目を閉じる。
口裂け女は少し黙ったあと、小さく笑った。
少しだけ嬉しそうに言う。
「……今日は、ノルマ達成です」
「そういえば、ノルマあるんだっけ」
「そうです」
「妖怪も大変だな」
「……あなたには言われたくないです」
俺はベンチにもたれながら
ぼんやりと空を見る。
「……疲れた……」
口裂け女は少し笑った。
「それ、もう聞きました」
夜の公園に、静かな時間が流れていた。
……
「話を聞いてくれてありがとうございました……」
口裂け女は、ぺこりと丁寧にお辞儀をした。
「大して聞いてないだろ」
俺は無表情で答える。
「疲れてるから帰るわ……」
ゆっくり腰を上げる。
ベンチがきい、と鳴った。
「なんかいつも疲れてますね」
口裂け女が不思議そうな顔をする。
「まあ……大体みんな疲れてるんじゃない?」
「何にですか?」
俺は少し考える。
夜の公園。
ブランコが風で揺れている。
「……何に、なんだろうね」
ふっと笑う。
「仕事とか家事とかですか?」
「そう、よくわかってるじゃん」
俺が笑う。
「もう帰るよ……」
口裂け女は少し考えている様子で黙り込んだ。
俺は背を向ける。
そのまま帰路につこうとする。
歩き出す。
すると——
背後から声が聞こえた。
「私が……家事してあげますよ」
俺は無視して歩く。
足音。
また声。
「あなたの家で家事しますよ」
無視。
歩く。
「ちょっっっっっとおおおおおおお!!!!!!」
俺は振り向いた。
「いや、いらないよ」
「疲れてるって言うから!!!!!!」
口裂け女が腕をぶんぶん振る。
「助けようとしてるのに!!!!!!」
「じゃあほっといて」
俺が言う。
だが。
足音。
ついてくる。
「……まあ、とりあえずついて行きますね」
俺は露骨に嫌な顔をした。
「なんで」
「家事します」
「しなくていい」
「します」
「帰れ」
「帰りません」
「帰れ」
「ついていきます」
沈黙。
俺はため息をつく。
「……お前さ」
「はい」
「妖怪だよな?」
「そうですよ」
「人の家入ったらダメだろ」
「なんでですか」
「怖いだろ普通」
「怖くないじゃないですか」
「怖いよ」
「嘘です」
「嘘じゃない」
「昨日ビンタしてましたよね」
「……」
俺は目を逸らす。
口裂け女は腕を組んだ。
「怖い人の行動じゃないですよそれ」
「疲れてたんだよ」
「またそれ!!」
夜道に声が響く。
数秒の沈黙。
そして口裂け女が小さく言う。
「……私、ご飯作れますよ」
俺の足が止まった。
「……」
振り向く。
「まじで?」
口裂け女は少し得意そうに言う。
「味噌汁とか」
「……」
「卵焼きとか」
「……」
「肉じゃがとか」
沈黙。
俺は空を見る。
そして言う。
「……口裂け女って、肉じゃが作れるんだ」
「作れますよ」
「妖怪だろ」
「妖怪でも料理くらいできます」
「なんでだよ」
「なんでもです」
俺はしばらく考えた。
それから口裂け女を見る。
そして一言。
「……包丁持たないよな?」
「持ちますよ?」
「怖いから持つな」
「じゃあ、どうやって料理したらいいんですか!!」
夜道にまた声が響く。
本当に、うるさい。
無視して、
俺はまた歩き出す。
口裂け女は隣に並んできた。
「……ついてくるのか」
「行きます」
「……」
俺は、相当嫌な顔をした。
口裂け女は、
俺の顔を見て少し笑っていた。