社畜の俺。メンヘラな口裂け女をビンタしたら同棲が始まった。   作:ジュウヨン

18 / 20



今回から、雄一視点になります。





気付けば、璃子のことが好きになっていた。

 

 

 

次の日——

 

各々の生徒が、

教授に課題を提出していく。

 

俺も、その列に並び、

完成したレポートを教授へ手渡した。

 

「はい、ご苦労さま」

 

短い一言を聞いた瞬間、

張り詰めていた糸がふっと緩む。

 

「……はぁ」

 

思わず、大きく息を吐いた。

 

実は——

 

俺も、課題の完成は相当ギリギリだった。

 

途中までは順調に進めていた。

 

だが、璃子の課題を手伝っていた分、

自分の作業はどうしても後回しになってしまった。

 

もちろん、言い訳をするつもりはない。

 

結局、自分の課題を仕上げ終えたのは——ついさっき。

 

提出時間に間に合ったのが奇跡なくらいだった。

 

本当に……

 

ギリギリも、ギリギリだ。

 

璃子の前では余裕そうな顔をしていたけれど、

内心はずっと冷や汗ものだった。

 

「あぁ……」

 

終わった。

 

本当に、終わった。

 

安心した途端、徹夜の疲れと眠気が一気に押し寄せてくる。

 

俺はそのまま机に突っ伏した。

 

頬に触れる木の机は、

ほんのり冷たくて気持ちいい。

 

その冷たさに身を預けるように、ゆっくりと瞼が重くなっていく。

 

意識が、少しずつ沈んでいく——

 

その時だった。

 

「おはよう、ゆうくん」

 

耳元で、優しい声がした。

 

ここ数日ですっかり聞き慣れた声。

 

「……璃子か」

 

重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。

 

「……おはよう」

 

ぼやけた視界が少しずつ鮮明になっていく。

 

そこには、柔らかく微笑む璃子がいた。

 

俺の隣に腰を下ろし、心配そうに顔を覗き込んでいる。

 

「昨日は、よく寝れた?」

 

「……全然」

 

苦笑しながら答える。

 

「帰ってから少しだけ本を読もうと思ったんだけどさ……

 気付いたら朝方だった」

 

「へぇ……」

 

璃子が楽しそうに目を細める。

 

「ゆうくんって、本読む人なんだね」

 

「まぁ、たまにね」

 

「何読んでたの?」

 

俺のついた嘘に、興味津々といった様子で、

身を少し乗り出してくる。

 

……その顔を、ぼんやりと眺めた。

 

近くで見ると——

 

本当に、整った顔立ちをしている。

 

噂では聞いていた。

 

大学でも有名なくらいの美人だということも、

この数日で何度も実感していた。

 

だけど、こうして改めて見ると、

やっぱり綺麗だ。

 

新歓の日なんて、俺は酔い潰れていた。

 

そんなことを気にする余裕なんて、

当然なかった。

 

もし、あの日の俺がシラフだったなら。

 

「こんな美人に助けてもらったのか……」と、

 

きっと腰を抜かしていただろう。

 

優しくて。

 

気遣いができて。

 

その上、美人で——

 

……俺とは、全く釣り合わないな。

 

そんな考えが、自然と頭をよぎる。

 

……

 

…………

 

「おーい」

 

「ゆうくーーん」

 

肩を優しく揺すられ、意識が現実へと引き戻された。

 

「あっ……ごめん」

 

「なんか眠すぎて、意識飛んでた」

 

「ふふっ」

 

璃子が小さく笑う。

 

「たしかに……」

 

「よく見たら、すっごい隈だね」

 

そう言って、じっと俺の顔を覗き込む。

 

璃子の大きくて切れ長の瞳が、

真っ直ぐ俺を映していた。

 

……少し前の俺なら。

 

こんな距離で璃子と話すなんて、

想像すらできなかっただろう。

 

すると璃子が、急にもじもじと指先を動かし始めた。

 

どこか落ち着かない様子で視線を泳がせる。

 

「ゆ、ゆうくん……」

 

「眠いところ悪いんだけどさ……」

 

少しだけ間を空けて。

 

意を決したように顔を上げた。

 

「今日のお昼も、一緒に食べない……?」

 

言った直後、慌てたように両手をぶんぶん振る。

 

「あ、アレだよっ!?」

 

「課題手伝ってもらったし……

 しばらくは、お昼をご馳走しようかなぁって思ってさ」

 

笑っている。

 

だけど、その笑顔はどこかぎこちない。

 

まるで、

何かを隠しているみたいだった。

 

「ゆうくんが……」

 

「嫌なら……いいんだけど」

 

最後だけ、小さな声になる。

 

少しだけ寂しそうに。

 

そんな表情を見せられて、断れるわけがない。

 

「うん、いいよ」

 

璃子の顔がぱっと明るくなる。

 

「でも、ご馳走とかはいいかな」

 

「昨日も言ったけど……昔の借りを返しただけだからさ」

 

その言葉を聞いた途端、

璃子の頬がみるみる赤く染まっていく。

 

「……で、でも」

 

視線を落としたまま、小さく呟いた。

 

「私は——

 ゆうくんと、これからもお昼を食べたいのだけど……」

 

教室の喧騒が、不思議なくらい遠く感じた。

 

俺は、一瞬だけ言葉を失う。

 

……そういう、意味だったのか。

 

そのことを理解した途端、

眠気はすっかり吹き飛んでいた。

 

「……ゆ、ゆうくん?」

 

不安そうな声が聞こえる。

 

俺は慌てて笑った。

 

「もちろん」

 

「俺も、璃子と食べたいよ」

 

「一人よりその方が楽しいし」

 

その瞬間——

 

璃子の表情が、花が咲くようにぱっと明るくなった。

 

「……ほ、ほんと?」

 

「うん」

 

「じゃあ……約束だから、ね?」

 

嬉しそうに笑い、

小さく手を振りながら自分の席へ戻っていく。

 

(……約束、か)

 

たった、お昼を一緒に食べるだけ。

 

それだけの約束なのに。

 

その一言は、

不思議なくらい胸の奥に残った。

 

そして——

 

今まで何でもなかった昼休みが。

 

今日は、

少しだけ待ち遠しく感じられた。

 

……

 

…………

 

気付けば、

午前中の講義はあっという間に終わっていた。

 

教室のあちこちで椅子を引く音が響き、

学生たちが思い思いに立ち上がっていく。

 

俺は壁の時計へ目を向けた。

 

針は、十二時を少し回ったところだった。

 

(……約束、だったな)

 

何気なく教室の入口へ視線を向ける。

 

すると、璃子がこちらを見つけ、

小さく手を振っていた。

 

目が合うと、

ふわりと笑いかけてくる。

 

俺も自然と手を振り返した。

 

その瞬間——

 

教室中の視線が、一斉に俺へ突き刺さる。

 

「……え」

 

思わず固まる。

 

視線の大半は、男性陣からだった。

 

「なんであいつが稲葉さんと……」

「マジかよ……」

「くそが……」

 

そんな声が、

どことなく聞こえてくる。

 

……いや、怖い怖い。

 

俺、何か悪いことしたか?

 

周りの目を気にしながら、

気まずそうに準備をしていると。

 

入口で首を傾げる璃子。

 

俺は苦笑しながら璃子のもとへ向かった。

 

 

 

 

「ゆうくんは肉じゃがが好きなんだねぇ」

 

璃子がくすっと笑いながら、

フォークでパスタをくるくると巻く。

 

「なんだかんだ一番落ち着く味だからね」

 

「ふふっ、おじいちゃんみたい」

 

「ひどいな」

 

「だって、大学生で肉じゃが定食とパスタなら……

 普通パスタじゃない?」

 

「いや、肉じゃがでしょ」

 

「えぇ~?」

 

璃子が肩を揺らして笑う。

 

その笑い声につられて、俺まで笑ってしまう。

 

本当に、どうでもいい話だ。

 

好きな食べ物の話。

 

子どもの頃の話。

 

講義中に居眠りしそうだった話。

 

そんな他愛もない会話ばかりなのに——

不思議なくらい時間が心地良かった。

 

それは、俺だけじゃないらしい。

 

璃子も……

終始楽しそうに笑っていた。

 

「ほら——ゆうくん」

 

突然、璃子がフォークを俺の方へ差し出してくる。

 

フォークの先には、

綺麗に巻かれたパスタ。

 

「 “僕” のパスタも食べなよ」

 

……ん?

 

今——

 

「“僕”……?」

 

思わず、その一言だけが口から漏れた。

 

「あ——」

 

璃子がぴたりと固まる。

 

「いや……“私”ね、“私”!」

 

慌てて言い直す。

 

「あははは……!」

 

耳まで真っ赤にして、

両手をぶんぶん振っている。

 

……しまった。

 

悪いことをしちゃったかな。

 

「あ……ごめん」

 

俺が謝ると、少しだけ気まずい空気が流れた。

 

璃子は照れ臭そうに笑いながら、

小さく息を吐く。

 

「……いやぁ、」

 

「実は……さ……」

 

少しだけ、

間を置いてから話し始めた。

 

「私ね……気が抜けると、

 つい……自分のことを”僕”って言っちゃうんだ」

 

「小さい頃からの癖で……さ」

 

「高校くらいまでは、ずっと”僕”だったの」

 

「でも、大学に入る前に頑張って直したんだ」

 

そう言って苦笑する。

 

「だけど……安心すると、つい出ちゃうんだ」

 

恥ずかしそうに笑いながら、

璃子は視線をテーブルへ落とした。

 

指先でコップをなぞる仕草まで、

どこか照れ隠しみたいだった。

 

「安心すると、か……」

 

俺は小さく呟く。

 

正直、そこまで深く考えたことはなかった。

 

でも。

 

俺の前で——

そんな素を出してくれる。

 

そう考えると、

不思議と悪い気はしなかった。

 

「……そうなんだ」

 

少し照れ臭くなって、短く返事をする。

 

すると璃子が、おそるおそる顔を上げた。

 

「……やっぱり、さ」

 

「変……だよね?」

 

その表情は、

どこか不安そうだった。

 

……ああ。

 

変なふうに受け取ったと思われたのか。

 

「……いや、」

 

俺は首を横に振る。

 

「別に、変じゃないと思うよ」

 

「人それぞれそういう癖ってあるし」

 

「反応しといてなんだけど、俺は全然気にならない」

 

少しだけ笑って続ける。

 

「俺は——そのままの璃子でいいと思うよ」

 

その瞬間。

 

璃子は目を丸くした。

 

まるで、予想もしなかった言葉を聞いたみたいに。

 

そして——

 

ふっと、優しく笑う。

 

「……ふふ」

 

「そんなこと、初めて言われたよ」

 

照れ臭そうに笑う璃子は、

さっきより少しだけ嬉しそうだった。

 

「やっぱり、ゆうくんは優しいね」

 

そう言うと、またフォークを俺へ突き出してくる。

 

「ほら」

 

「食べてよ」

 

「……その代わり、」

 

少しだけ照れながら笑う。

 

「後で、ゆうくんの肉じゃがも」

 

「“僕”に……食べさせてね?」

 

悪戯っぽく笑う璃子を見て、

俺も思わず笑ってしまった。

 

そして、その笑顔を見つめながら——

 

俺は、

自分の気持ちに気付かざるを得なくなっていった。

 

 

 

 

 

それから——

 

気付けば……

璃子と一緒に過ごす時間が、当たり前になっていた。

 

璃子はバイトで忙しく、

大学が終わると急いで職場へ向かう毎日だった。

 

それでも——

講義の合間や昼休み、空いた時間があれば、

 

自然と、隣には璃子がいた。

 

昼ご飯を一緒に食べて。

 

講義が早く終わった日は、そのまま駅前まで歩いて。

 

休日が合えば、映画を観に行ったり、

ショッピングモールをぶらぶら歩いたり。

 

特に目的もなく、

公園のベンチで他愛もない話をして笑い合うこともあった。

 

好きな音楽。

 

将来のこと。

 

お互いの趣味や、

どうでもいいような話まで。

 

話せば話すほど、

知らなかった璃子を知っていく。

 

そして、そのたびに。

 

俺は——

もっと璃子のことを知りたいと思ってしまっていた。

 

璃子もまた、

俺のくだらない話を楽しそうに聞いてくれた。

 

目が合えば笑って。

 

冗談を言えば笑って。

 

その笑顔を見るだけで、

その日一日が少しだけ特別になる。

 

そんな日々が、少しずつ積み重なっていった。

 

だけど——

 

それ以上の関係になることは、なかった。

 

手を繋ぐこともない。

 

恋人みたいな言葉を交わすこともない。

 

どこからどう見ても仲の良い友達。

 

ただ、それだけ。

 

……俺はもう、自分の気持ちを理解していた。

 

璃子の笑顔を見るたびに嬉しくなって。

 

誰かと楽しそうに話しているだけで、

少し胸がざわつく。

 

きっと——

これは、恋なんだと思う。

 

璃子も、

もしかしたら……

 

そう思える瞬間は、何度もあった。

 

俺を見つけると嬉しそうに駆け寄ってきたり。

 

何かあるたびに真っ先に俺を頼ってくれたり。

 

二人きりでいる時間を、

誰よりも大切そうにしてくれたり。

 

期待してしまうには、十分すぎるくらいだった。

 

……それでも。

 

あと一歩だけが、

踏み出せなかった。

 

もし全部——

俺の勘違いだったら。

 

告白して、今の関係まで失ってしまったら。

 

そう考えるだけで、胸の奥が冷たくなる。

 

この距離なら、

まだ隣にいられる。

 

恋人になれなくても。

 

友達のままでも。

 

璃子が笑っていてくれるなら、

それでいい。

 

そんな言い訳を、

自分に何度も繰り返していた。

 

曖昧なままでも——

 

ただ俺は……

璃子と一緒にいられる時間を失いたくなかった。

 

 

 

 

 

いつものように、

二人で遊びに出掛けた帰り道。

 

夕焼けが街を橙色に染め始めていた。

 

他愛もない話をしながら並んで歩く、

この何気ない帰り道も、いつの間にか当たり前になっていた。

 

こんな日々が、ずっと続けば良いのに。

 

そんな中——

 

「ねえ……ゆうくん」

 

璃子が、不意に立ち止まる。

 

「……ん、どうしたの?」

 

振り返ると、璃子の様子がどこか違っていた。

 

いつもなら柔らかく笑っているはずの表情が、

今日はぎこちない。

 

何かを決意しているようで。

 

それでいて、怖がっているようでもあった。

 

「あのね……」

 

そう切り出したまま、璃子は口を閉じる。

 

視線が泳ぐ。

 

指先が落ち着きなくスカートの裾をいじっている。

 

「あの……さ……」

 

言葉が喉まで出かかっては、引っ込む。

 

何度も何度も。

 

そして——

 

「いや……」

 

「やっぱり、いいや」

 

困ったように笑って、小さく首を振った。

 

「え、気になるんだけど……」

 

「何かあったの?」

 

俺がそう尋ねると、璃子はしばらく黙っていた。

 

夕暮れの風だけが、二人の間を静かに通り抜けていく。

 

やがて璃子は、小さく息を吸って。

 

覚悟を決めたように、ゆっくり口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「僕——ゼミの×××君から、告白されたんだ」

 

 

 

 

 

……え。

 

 

 

その一言で。

 

時間が止まった。

 

耳に入るはずだった車の音も。

 

人の話し声も。

 

風の音さえも。

 

何も聞こえなくなった。

 

頭の中が真っ白になる。

 

理解が、

全く追いつかなかった。

 






ジュウヨンです。

元々は18話・19話を1話にまとめていましたが、
文字数が多くなったため、2話に分割しました。

混乱された方がいらっしゃいましたら、
申し訳ありません。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。