社畜の俺。メンヘラな口裂け女をビンタしたら同棲が始まった。   作:ジュウヨン

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※本話は、以下の回から続く重要なエピソードです。
未読の方は、先に読んでいただくことをおすすめします。

6話『誘われたから、水谷さんと飲みに行った。』

どうぞよろしくお願いいたします。




酔い潰れたから、口裂け女に告白してしまった。

 

 

 

ガチャ。

 

 

 玄関のドアを開ける。

 

 そこに立っていたのは、

 

 知らない女の人。

 

 ……そして、あの人。

 

 顔が真っ赤だ。

 

 酔い潰れたようで、

 彼女に肩を支えられている。

 

 この女の人と一緒にいたのか。

 

 ……綺麗な人。

 

 黒髪で、肩くらいまでのショートカット。

 白い肌。大きな目。整った顔立ち。

 

 夜の玄関の灯りに照らされて、

 その顔立ちははっきりと浮かび上がっている。

 

 思わず見惚れてしまうほど、

 綺麗な人だった。

 

 勿論。

 

 顔に傷なんてない。

 

 ——私とは真逆。

 

 ……何もかもが。

 

 私が固まっていると。

 

 女の人が口を開いた。

 

「夜遅くにすみません……」

 

「佐々木さんの……妹さんですか?」

 

 女の人が、遠慮がちに聞いてくる。

 

「いえ、違います……」

 

 そう答えた瞬間。

 

 女の人の顔が、少しこわばった。

 

 ごくり。

 

 息を呑む音が、

 やけにはっきりと聞こえる。

 

「じゃあ……彼女さん、ですか?」

 

 恐る恐る、そう聞かれる。

 

 ズキン。

 

 胸が痛い。

 

 そうだと言いたい。

 

 私が、この人の……。

 

 でも、言えない。

 

 私に、そんな“資格”はない。

 

「……違います」

 

「ただの……同居人です」

 

 私の言葉と同時に、

 彼女の表情がぱっと明るくなる。

 

 そして、ほっとしたように胸を撫で下ろした。

 

「そうだったんですね……」

 

 ……あ、そうなんだ。

 

 この女の人、この人のことが……。

 

 嫌だ。

 

 考えたくない。

 

 もう、立っていられない。

 

 脚が震える。

 

 自然と、壁に寄りかかってしまう。

 

「だ、大丈夫ですか!? 」

 

「……顔色、すごく悪いですけど」

 

 女の人が、私の顔を

 心配そうに覗き込んでくる。

 

「……大丈夫です」

 

 私は慌てて姿勢を立て直す。

 

 だが、脚の震えは治まらない。

 

「佐々木さん、

 見ての通り酔い潰れちゃってて……」

 

「……ですよね」

 

「すみませんが……佐々木さんを運ぶの、

 手伝っていただいても良いですか?」

 

「……はい」

 

「……無理しないでくださいね。

 あ、もしあれなら、私一人でもなんとか……

 いえ、やっぱり二人の方が安全ですよね。

 すみません、こんな時にお願いしちゃって……」

 

「気にしないでください……私なら大丈夫です」

 

 彼女が慌てて言う。

 

「あ、申し遅れました……。

 私、佐々木さんの会社の同僚で“水谷”と申します」

 

「……はい」

 

「それでは……お邪魔します。」

 

 そう言うと、

 女の人は、靴を脱いで玄関を上がった。

 

 私も手伝ったが、

 ほんの少し、支えただけ。

 

 彼女が主導となり、

 慎重にあの人を部屋のソファーに運んだ。

 

 ……きっと、優しい人なんだ。

 

 その所作の一つ一つから、

 あの人への思いやりが伝わってくる。

 

 しかも……私の体調のことまで気に掛けてくれた。

 

 ……勝負にならない。

 

 そこで。

 

 ふと、笑ってしまう。

 

 そもそも、私が土俵に上がれたことなんて、

 一度もないのに。

 

 頬の裂け目が、じんわりと熱を持つ。

 

 しばらく前。

 

 子供たちに石を投げられた夜の記憶が、

 ふいに蘇る。

 

『化け物』

『近づかないで』

 

 ——あの声が、今も耳の奥で響いている。

 

 ……そんな私が。

 

 ……烏滸がましい。

 

 でも。

 

 私だって。

 

 私だって……。

 

 ……

 

 ……

 

「じゃあ……私はこれで帰りますね」

 

 女の人が、靴を履きながら言う。

 

「運んでいただいて……ありがとうございました」

 

「いえ! 全然!」

 

 女の人は、にこりと笑って答えた。

 

 そして。

 

 一瞬だけ、彼女の視線が私の顔に止まる。

 

「佐々木さんにも……

 よろしく言っておいてください」

 

 女の人の顔が、少し赤くなる。

 

 多分、

 これはお酒の赤さじゃない。

 

「……わかりました。伝えておきます」

 

「では……お邪魔しました。」

 

 深く頭を下げてくる。

 

 そう言って、女の人は出て行った。

 

 私は、玄関で立ち尽くしていた。

 

 ソファーでは、

 あの人がいびきをかいて寝ている。

 

 普段、お酒を飲むなんて、

 聞いたことも、見たこともなかった。

 

 きっと、それで酔い潰れたんだ。

 

 ……。

 

 リビングに戻る。

 

 彼の寝顔を見つめる。

 

 ……幸せそうだ。

 

 私といる時より、

 楽しかったんだろうな。

 

 ……当たり前だ。

 

 あんな綺麗な人と一緒にいたんだ。

 

 私なんかより、

 そっちの方がいいに決まってる。

 

 私が選ばれる余地なんてない。

 

 

 

 

 私は、あの人にとって——邪魔だ。

 

 

 

 

 

 

 もう。

 

 ダメ。

 

 

 

 

 頭が。

 

 割れそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 これ以上は、耐えられない。

 

 

 

 

 

 

 

 机の上に、

 あの人に買ってもらったスマホを置く。

 

 音を立てないように、

 そっと。

 

 

 ——コトン。

 

 

 幸い、私の荷物はない。

 

 妖怪であることに助けられた。

 

 玄関の方へ向かう。

 

 部屋が暗いのと、

 目が霞んでいるのもあって、何も見えない。

 

 壁に手を沿わせて、

 慎重に進む。

 

 電気は点けない。

 

 あの人を起こしたくない。

 

 このまま、寝かせてあげたい。

 

 

……

 

 玄関の扉。

 

 ゆっくりと、靴を履く。

 

 本当は。

 

 あの人の顔を、最後にもう一度、

 目に焼き付けたかった。

 

 あの人の寝顔を見るのが、

 好きだったから。

 

 見ているだけで、

 私はここにいても良いのかも、と。

 

 そんな、淡い錯覚をしてしまう。

 愛おしい寝顔。

 

 ……。

 

 ……でも、ダメだ。

 

 それすらも、私には……。

 

 声が漏れる。

 

 涙が止まらない。

 

 ——嫌だ。

 

 本当は、もっと一緒にいたい。

 

 私の名前を、

 呼んでほしい。

 

 ……私は、自分の名前すらも知らないのに。

 

 悔しい。

 

 悲しい。

 

 苦しい。

 

 寂しい。

 

 

 ……。

 

 

 

 

 ドアに手を掛ける。

 

 

 

 

 ——その時。

 

 

 

 

「——み、水が飲みたい」

 

 後ろの方から声が聞こえた。

 

 ……あの人が起きたみたいだ。

 

 コートの袖で、涙を拭う。

 

 私は急いでリビングに戻り、

 コップに水を入れて、あの人の方へ向かう。

 

 流石に、放ってはおけない。

 

……

 

「はい。水ですよ」

 

「うう……助かる……」

 

 彼は、震える手で水を受け取り、

 少しずつ飲み始めた。

 

「ありがとう……」

 

「いえ……別に……」

 

 早く、寝てほしい。

 

 覚悟が鈍る。

 

 でも……どこか喜ぶ自分がいる。

 

「女の人が送ってくれたんですよ」

 

「え……あぁ、“水谷”さんか……」

 

 胸が締め付けられる。

 

 あの女の人は……

 名前を呼んでもらえるのか。

 

 ……嫉妬しちゃ、ダメだ。

 

 あの女の人は、何も悪くない。

 

 湧き上がる感情を抑えて、

 言葉を探す。

 

「……綺麗な女の人でしたね」

 

「……そう?」

 

 彼は、ぼんやりと天井を見つめている。

 

 私の言葉が、

 ちゃんと届いているのかも分からない。

 

 興味は、ないんだろうか。

 

 ……でも。

 

 きっと、私がいなければ、

 そのうち付き合ったりするんだろうな。

 

 ……私が邪魔なことに変わりはない。

 

 胸の奥が、じんわりと痛む。

 

 ここにいてはいけない。

 

「私……少し外に出ます」

 

「え……今から?」

 

「そうです。少し用事がありまして……」

 

 必死に笑顔を作る。

 

 嘘のつき方がわからない。

 

 でも、なんでもいい。

 

 もう、早く消え去りたい。

 

「……それじゃあ」

 

 そして。

 

 振り返って、

 玄関の方へ歩いていく。

 

 

 

 ……最後に、あの人を助けられた。

 

 

 

 私は、役割を持てた。

 

 でも、心が痛い。

 

 扉に手を掛ける。

 

 これで……最後だ。

 

 

 

 

 その時。

 

 

 

 

「——待ってよ。」

 

 

 

 

 突然。

 

 背後から、

 声が聞こえた。

 

 つい、足を止めてしまう。

 

 だが。

 

 振り返らない。

 

 もう、迷いたくない。

 

 扉にかけた手を、

 もう一度強く握る。

 

「待ってって、言ってるじゃん」

 

 急に、後ろから肩を掴まれる。

 

 思わず、驚いてしまう。

 

 あんな状態なのに、立ち上がったんだ……。

 

 彼が、続ける。

 

「ねえ、こっち向いてよ」

 

 私は、絶対に振り向かない。

 

 彼の手を振り解こうとする。

 

 だが、力に負けて

 無理やり振り向かされた。

 

 ……

 

「……なんで、そんな顔してんの」

 

 私は、必死に顔を隠そうとする。

 

 だけど、彼の手で制止される。

 

「——離してください」

 

「嫌だ」

 

「離して——」

 

「嫌だ」

 

「……離せ——」

 

「だから、嫌だって言ってるじゃん」

 

 何度も遮られ、

 精一杯、彼を睨みつける。

 

 ……。

 

 本当は、言いたくない。

 

 でも……今は言わなきゃ。

 

 

 

 

「……人間のくせに——」

 

 

 

 

「だから、なに?」

 

 

 

 

 その時、

 彼の目を見てしまった。

 

 真っ直ぐな目。

 

 ……私のことだけを見ている。

 

 思わず、目を逸らしてしまう。

 

「だから……私は妖怪で——」

 

「妖怪だから、何?」

 

「……」

 

 

 

 

 何も知らないくせに。

 

 

 

 

 勝手なことを言うな。

 

 

 

 

 手を振り解き、

 思わず、彼を突き飛ばしてしまう。

 

 彼がよろけ、床に倒れこんだ。

 

 それを見て、心が傷む。

 

 だけど。

 

 言わなきゃ。

 

「私のことなんて、何も知らないくせに……」

 

「……」

 

 彼は、ずっと私を見つめている。

 

 ……逃げられない。

 

 でも。

 

「だから、もう引き止めないで……」

 

 我慢できなかった。

 

 涙が滴る。

 

 声が漏れる。

 

 抑えられない。

 

 お願いだから。

 

 もう。

 

 やめて。

 

 ……。

 

「——知らないよ」

 

「お前のことなんて」

 

 彼が、ゆっくりと立ち上がる。

 

「名前だって知らないし」

 

 少しずつ、こちらに近づいてくる。

 

「何も、教えてくれないじゃん」

 

 距離が縮まる。

 

 やめて。

 

 こないで。

 

「でも」

 

「俺は、それでいい」

 

 ——そんなこと、言わないで。

 

「お前が、

 都市伝説だろうが、妖怪だろうが」

 

「なんでもいい」

 

 ——心が、溶けていく。

 

「ただ……お前がいい」

 

 私の瞳を、真っ直ぐに見つめる。

 

 逃げ場がなくなる。

 

 それでも。

 

 彼は、さらに近づいてくる。

 

「……こ、来ないでくださいっ……!」

 

 彼は、止まらない。

 

 逃げなきゃ。

 

 だけど。

 

 何故か、逃げられなかった。

 

「私だって……」

 

「私だって、本当は——」

 

 

 

 

 その時。

 

 

 

 

 彼が、

 私を抱き寄せた。

 

 

 

 

 とても、優しく。

 

 だが、強く。

 

 突然のことに、

 言葉を失う。

 

 

 

 

「……お前はいつも、うるさい」

 

「俺は、お前がいいんだよ」

 

「黙って、俺とずっと一緒にいてよ」

 

「俺は……お前じゃなきゃ嫌だ」

 

「……お前じゃないと、ダメなんだよ」

 

「だって——」

 

「俺は……お前のことが……」

 

 

 

 

 ゆっくり。

 

 彼が、

 私のマスクに手をかける。

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 彼が、

 露わになった私のすべてを見つめる。

 

 

 

「誰よりも……お前が一番綺麗だよ」

 

 瞳に吸い込まれる。

 

 心臓が、爆発しそう。

 

 そして。

 

 顔を近づけてくる。

 

 呼吸が、

 混ざり合う。

 

 私は、

 そっと目を瞑る——

 

 

 

 ……。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 ……?

 

 

 

 

 

 ……何も起きない。

 

 ゆっくりと、目を開ける。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 ……なんと。

 

 

 

 

 

 彼は私の胸に顔を埋めたまま。

 

 そのまま力尽きて、

 

 

 

 

 ——爆睡している。

 

 

 

 

 ……なんて、タイミングだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——ここ、玄関なのに。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

「……」

 

 

 

 

「…………っ!!!!」

 

 

 

 

 なんで!!

 

 起きて!!

 

 なんなの、この人!!

 

 声を押し殺しながら、

 バシバシと叩く。

 

 強く。

 

 何度も。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……ダメだ、全然起きない。

 

 もうイビキかいてるし……。

 

「……はぁ……」

 

 そっと、彼を床に寝かせる。

 

 寝室から布団を持ってきて、

 彼にそっとかける。

 

 私は、懐に潜り込んで横になり、

 身を寄せる。

 

 床は、

 とても硬くて、冷たかった。

 

 でも、嫌じゃなかった。

 

 ——落ち着く。

 

 ずっと——ここにいたい。

 

 静かな部屋。

 

 

 

 その時——

 

 

 

 

「——すきだ」

 

 

 

 

 突然、耳元で囁かれる。

 

 思わず、胸が高鳴る。

 

 チラリと彼の方を見た。

 

 ……寝てる。

 

 ……なんだ、寝言か。

 

 ……はぁ。

 

 なんだか……

 全部が馬鹿らしくなった。

 

 悩んでいるのが、馬鹿らしい。

 

 だけど。

 

 それでも。

 嬉しかった。

 

 胸の痛みが、消えた。

 

 酔っ払いの戯言で、

 喜んでしまった。

 

 我ながら。

 

 本当に、情けない。

 

 でも——

 

 でも。

 

 今だけは……。

 

 今だけは、いいよね。

 

「……わたしも、すきです。」

 

 彼の手を、そっと握る。

 

 ……温かい。

 

 すると。

 

 彼の手に、急に力が入る。

 

 慌てて、手を離そうとした。

 

 だが。

 

 掴んで、離してくれない。

 

 ……え、寝てるんだよね?

 

 ……。

 

 ……はぁ。

 

 本当に。

 

 自分勝手な人だ……。

 

 私の気持ちも知らないで……。

 

 じゃあ……。

 

 少しぐらい。

 

 少しぐらい、

 私も、わがまま言っても良いよね……?

 

 小さく、息を吸う。

 

 

 

「…………わたしも、ずっと一緒にいたいです。」

 

 

 

 静寂に、言葉をこぼす。

 

 目の前の彼の顔が、ぼやけている。

 

 よく見えないけど。

 

 ……なんだか、とても幸せそうだ。

 

 ……。

 

 ボンヤリとだけど、

 今、少しだけ彼の表情が動いた気がする……。

 

 気のせいか……。

 

 ……。

 

 私の意識は、

 そこで落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇

 

 酷い二日酔いで目覚める。

 

 ……最悪の寝覚めだ。

 

 頭が、割れるように痛い。

 

 隣を見る。

 

 ——口裂け女の姿がない。

 

 嫌な予感がした。

 

 息が乱れる。

 

 急いで起き上がる。

 

 ——何処に行ったんだ。

 

 俺と、

 ずっと一緒にいてくれるんじゃなかったのか。

 

 走って、玄関へ向かう。

 

 

 

 

 すると。

 

 通り過ぎ様に、目に入る。

 

 リビングで、

 口裂け女が鼻歌を歌いながら料理を作っていた。

 

 口裂け女が俺に気づき、

 手を止める。

 

「あ——起きたんですか?」

 

「昨日すごかったですよ!!」

 

「あの女の人が届けてくれなきゃ、

 どうなってたんですか!!」

 

「金輪際!お酒は飲んじゃダメです!」

 

 口裂け女が、

 指をビシッと立てて捲し立てる。

 

 ……。

 

 いた。

 

 よかった……。

 

「……へ?なんで、そんな顔真っ青なんですか?」

 

「……二日酔いかな」

 

「じゃあ、早く水飲んでください!!」

 

 そう言って。

 

 机の上に用意されていたコップを、

 俺に突き出してきた。

 

 ……

 

 ……

 

「昨日のこと、

 本当に、何も覚えてないんですか……?」

 

 口裂け女が少しだけ不満そうに言い、

 俺の口へ肉じゃがを運ぶ。

 

「うん……家帰ってからのこと

 全然何も覚えてないんだよね……」

 

 腕を組み、唸る。

 

 途中、肉じゃがを口へ無理やり入れられ、

 モゴモゴしてしまう。

 

「じゃあ、尚更お酒はダメです!!」

 

 口裂け女が、強く言う。

 

 俺は、肩を落としてしまう。

 

「とほほ……」

 

「もう……反省してくださいね?」

 

 口裂け女が、呆れたように笑う。

 

 

……

 

 口裂け女が、食器の片付けをしている。

 

 また、鼻歌を歌っている。

 

 別に、俺はお酒なんて好きじゃない。

 

 そもそも、ほとんど飲まないし。

 

 しかし……

 飲むなと言われたら飲みたくなってしまう。

 

 嫌な性分だ。

 

 ……まあいい。

 

 顔でも洗って、スッキリしよう。

 

 洗面台の方へ向かう。

 

 すると。

 

 口裂け女の、食器を洗う手が

 ほんの少しだけ止まる。

 

 小さな声で呟く。

 

「……せめて、

 私が一緒にいる間だけ、我慢してくださいね……」

 

 ポツリと呟く。

 

 聞こえていないと思っているのだろう。

 

 ……。

 

 負けてられるか。

 

「……じゃあ、ずっと飲めないのか……」

 

 口裂け女に、

 聞こえないように呟く。

 

 口裂け女は、変わらぬ様子のまま

 上機嫌で食器を洗っていた。

 

 

 

 ……口裂け女の、耳がピクリと動いていたのは、

 

 気のせいだろう。

 

 

……

 

 洗面台の前に立つ。

 

 ふと、昨日のことを思い出してしまう。

 

 ……。

 

 顔で感じた……

 アイツの——胸の柔らかい感触。

 

 ……いや、違う。

 そこじゃない。

 

 重要なのは、そこじゃない。

 

 好きだと——

 ずっと一緒にいたいと言ってくれた、あの言葉。

 

 心臓が、いまだにドキドキする。

 

 気を抜くと、

 つい顔が緩んでしまう。

 

 慌てて、

 誤魔化すように顔を洗う。

 

 ……。

 

 ……やはり、酒の力を借りた代償はでかい。

 

 だが——

 

 酔った勢いでキスなんて、

 ダサくてできるか。

 

 既に、計画はあるんだ。

 

 告白は……

 まあ、ちょっとしちゃったけど。

 

 まだ……

 

 まだ、取り返せるはずだ。

 

 そう思うことにしよう。

 

 ……。

 

 てか。

 

 それにしても、

 玄関で叩かれたところが、かなり痛い。

 

 手加減しろよ。

 

 危うく、声出そうになったぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⸻おまけ⸻

 

 

【水谷視点】

 

 

 帰りのタクシー内。

 

 佐々木さんを家まで送り届け、

 同居人の女の子と一緒に室内へ運んだ。

 

 道中で、佐々木さんが免許を落としてくれて助かった。

 

 そのおかげで、彼の住所がわかった。

 

 もし、住所がわからなければ。

 私と彼は、どうなっていたんだろう。

 

 少し、想像してしまう。

 

 ……。

 

 ——心臓が、ドキドキする。

 

 もう、

 とっくに酔いは覚めているはずなのに。

 

 そして。

 

 つい……。

 勢いとは言え、佐々木さんに告白してしまった。

 

 彼は、覚えているのだろうか。

 

 相当、酔っていた。

 

 でも。

 

 できれば……

 覚えていてほしい。

 

 例え、覚えていなかったとしても……

 

 ……。

 

 ……それにしても。

 一緒に住んでいた、あの女の子だ。

 

 私よりも、少し歳下ぐらいかな?

 

 大きなマスクをつけていた。

 

 綺麗な長い髪、大きな目、

 透き通るような肌。

 

 とても——

 可愛らしかった。

 

 私とは、違う。

 

 ……羨ましい。

 

 彼女じゃない、と言っていたけど、

 明らかに様子が変だった。

 

 そう答えた時の言葉が、 

 不自然に暗かった。

 

 きっと……

 何か事情があるんだ。

 

 そして——

 彼を運んだ時に確信した。

 

 彼女は、体調が悪そうだった。

 

 明らかに元気がなかった。

 

 それでも——

 一生懸命に手伝ってくれた。

 

 彼を支える手が、

 他人のそれじゃない。

 

 好きな人を思いやる、優しい手。

 

 私には——

 それが、すぐにわかった。

 

 ……。

 

 佐々木さんは、好きな“やつ”がいると言っていた。

 

 誰かなんて、

 もうわかっている。

 

 ……絶対に、あの子だ。

 

 帰り際の玄関で、改めてあの女の子の顔を見た。

 

 ……見えてしまった。

 

 マスクから少しはみ出た、痛々しい傷跡を。

 

 おそらく……

 それが関係ある。

 

 だけど、そんなことはどうでもいい。

 

 佐々木さんは、

 あの子が好きなんだ。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ——でも、諦めたくない。

 

 佐々木さんも女の子も、

 “付き合ってない”と言っていた。

 

 私にも、チャンスがあるはずだ。

 

 ……そう思いたい。

 

 だけど。

 

 一緒に住んでいる人に、

 どうやったら勝てるんだ。

 

 きっと、二人は両想いだ。

 

 ……そんな気がする。

 

 邪魔をするような真似は、

 絶対したくない。

 

 でも。

 

 それでも……。

 

 4年間も想い続けたんだ。

 

 諦めたくない。

 

 ……そんな、自分の矛盾に呆れてしまう。

 

 ——卑しい女だ。

 

 あまりの不甲斐なさに、涙が溢れた。

 

 ……入社間もない時に、助けてくれた佐々木さん。

 

 一緒になって、悩んでくれた。

 

 ……。

 

『これからも一緒に頑張ろうよ。』

 

 ……。

 

 あの時と、同じ言葉。

 

 辛い時。

 何度、その言葉を思い出して救われたか。

 

 同棲している彼女がいると聞いていて、

 ずっと諦めていた。

 

 だから、いつもこっそり見ていた。

 

 それだけだった。

 

 ……それだけで、良かった。

 

 でも、最近になって別れたという噂を聞いた。

 

 ——チャンスだと、思ってしまった。

 

 そして、

 また彼が私を助けてくれた。

 

 ……本当に、昔から変わらない。

 

 うちの会社の重労働のせいか、

 入社した頃よりも。

 

 少しずつ、笑わなくなっていった。

 

 それでも……

 あの時の優しいままだ。

 

 だから。

 

 彼のことを

 もっと、好きになってしまった。

 

 ダメだ。

 思考が止まらない。

 

 少し、目を瞑ろう。

 

 ……

 

 ……

 

「——お客さん、着きましたよ」

 

 タクシーの運転手の声で目が覚める。

 

 ……どうやら、寝てしまっていたようだ。

 

「あ、すみません……」

 

「いえ。こちら、お会計です。」

 

 パネルに金額が表示されていた。

 

 

 【 32,500円 】

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 き、きつい。

 

「か、カードで……」

 

 必死に笑顔を作る。

 

 でも、多分笑えていない。

 

 て、手が震えてる……。

 

 まだ、酔ってるのかな……。

 

 

……

 

 タクシーから降りて、家の玄関を開ける。

 

 誰もいない暗い部屋。

 

 電気を点けず、ベッドに倒れ込む。

 

 もし。

 

 私も。

 

 佐々木さんと、

 一緒にいられたら……。

 

 ……。

 

 ……負けない。

 

 負けたくない。

 

 私だって。

 

 私だって……。

 

 

——

 

 休み明け。

 

 朝。

 

 佐々木さんから、

 開口一番にあの日のことを必死に謝られた。

 

 そして、いらないと断ったのに、

 タクシー代を全額払ってくれた。

 

 彼が、申し訳なさそうにお金を手渡し、

 自分のデスクの方へ戻る。

 

 ……。

 

 優しいなぁ……。

 

 ……やっぱり、諦めたくない。

 

 意を決して、声を振り絞る。

 

「佐々木さん! また、ご飯行きましょうね!」

 

「え……あ、うん」

 

 彼がゆっくりと振り返った。

 

「もちろん、二人で!!」

 

 元気に言うと。

 

 佐々木さんは、笑顔で応えてくれた。

 やっぱり彼は優しい。

 

 ……やたらと、周囲を気にしていたけど。

 

 

……

 

 それから。

 

 何故かわからないけど、オフィスが静かになった。

 

 佐々木さんはその後、

 ずっとパソコンを覗き込んで必死に仕事をしていた。

 

 気のせいか、

 男性社員たちの視線が彼に集中していた。

 

 時々、舌打ちが響く。

 

 その度、佐々木さんは縮こまった。

 

 

 







ここまで読んでいただきありがとうございます。

ジュウヨンです。

今回は、口裂け女 vs 水谷さんの構図が、はっきりと現れた回でした。

ですが、
口裂け女は水谷さんと戦うつもりは一切ありません。

水谷さんが言えば、
すぐに身を引きます。

ですが、水谷さんがそんなことを言うことは
絶対にありません。

水谷さんも、相当良い子です。

彼女もまた、佐々木の幸せを願っています。

今回は、あまりにもタイミングが悪かったです。

佐々木が口裂け女と出会っていなければ、
今回の件で、おそらく付き合っていたかもしれません。

水谷さんは、今回佐々木に助けられなかったとしても、
いずれ食事に誘うつもりでした。

彼女と別れたという噂を、前から聞いていたので。

ですが、勇気が出ませんでした。

そんな時に助けてもらったのですから、
機を逃しませんでした。

水谷さんは、やる時はやる女です。

正直、初期の構想の時点では、無意識とはいえ
口裂け女を傷つけてしまう水谷さんが、少し苦手でした。

ですが、徐々に
水谷さんへの思いが自分の中で変わっていきました。

彼女は真っ直ぐです。

彼女なりに、
佐々木に真正面から向き合っていきます。

これからの彼女の戦いにも、
注目していただけると嬉しいです。

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よろしければお願いします。



前話に続き、余談ですが、
現在私は休職しておりまして、一日中執筆をしています。

楽しくて仕方がありません。

口裂け女の言動にドキドキしながら、
「続きはどうなるんだろう……」と思いつつ書いています。

以上、長々とすみませんでした。

今後ともよろしくお願いします。
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