社畜の俺。メンヘラな口裂け女をビンタしたら同棲が始まった。   作:ジュウヨン

9 / 16
二連休だから、口裂け女と買い物に出掛けた。

 

 

 

 

「やっぱりパンケーキは最高ですね〜」

 

 口裂け女が、

 口いっぱいにパンケーキを頬張りながら幸せそうに言う。

 

 テーブルの上には、ふわふわに焼かれたパンケーキ。

 甘いシロップの匂いが、ほんのりと店内に漂っている。

 

 口裂け女は、以前から食事の時は

 マスクを少し浮かせて食べている。

 

 頬張っているときは、

 大体頬の裂け目から何かしら漏れている。

 

 そのため、食事のたびにマスクが汚れてしまう。

 

 ……もっとも、今はそれすらも愛おしい。

 

「喜んでもらえてよかったよ」

 

 俺もそう言って、パンケーキを口に放り込む。

 

 ふわっとした生地に、甘いシロップ。

 口の中に、優しい甘さが広がる。

 

 実は、

 前までは甘い物はそこまで好きじゃなかった。

 

 だけど、こいつの幸せそうな顔を見ていると、

 こっちまで嬉しくなってしまう。

 

 目を細めてパンケーキを頬張る姿を見ていると、

 なんだかそれだけで満たされた気分になる。

 

 気がつけば、俺も甘い物が好きになってきていた。

 

(これからの休日は、

 もっと色々な物を食べに連れて行ってやろう)

 

「お買い物って、これからどこ行くんですか?」

 

 口裂け女が聞いてくる。

 

「駅からちょっと行ったところにあるデパートに行くつもり」

 

「へー、デパートに行くなんて珍しいですね〜」

 

 年に一、二回は行っていたが、

 大抵は元カノへのプレゼントを買いに行くときくらいだった。

 

 デパートで、自分の物は一切買ったことがない。

 

 あの頃は、店を見て回ることよりも、

 何を買えば喜ぶかばかり考えていた気がする。

 

「まあ……色々見れるからね」

 

「あなたが行ってるイメージが全然ないです……」

 

 少し疑ったような目で、

 彼女が俺を見つめる。

 

 これは……素直に言った方がいいかもしれない。

 

「実際、俺の用事では行ったことないね……」

 

 その言葉に、口裂け女が吹き出す。

 

「ふふ……なんとなくわかってましたよ」

 

 楽しそうに笑っていたが、

 直後、彼女の目が少しだけ寂しそうになる。

 

 ほんの一瞬。

 だけど、確かに影が差した気がした。

 

 何故か、いたたまれない気持ちになってしまう。

 

「気持ちは嬉しいですけど……無理しないでくださいね」

 

 言いづらそうに、少し間を空け。

 

「お金も掛かっちゃいそうですし……」

 

 口裂け女はそう言うと、またパンケーキを頬張る。

 

 ……また、気を遣わせてしまった。

 

 こいつに、喜んでほしいだけなのに。

 

 ……

 

 パンケーキ屋を出て、

 駅へ向かう。

 

「ごちそうさまでした〜もうお腹いっぱいです〜」

 

 口裂け女が満足そうにお腹をさすりながら言う。

 

「また来ようね」

 

「絶対行きたいです!!」

 

 口裂け女の息が荒くなる。

 

「ここから駅まで遠いから、いい運動になるね」

 

「電車に乗るなんて、人間だった時以来です……」

 

「……それは覚えてるんだね」

 

「ほんと、なんとなーくですけどね」

 

 口裂け女が、ふふッと笑う。

 

 それ以上は、何も言わなかった。

 

 俺も、何も聞かなかった。

 

 イマイチ、どこまで踏み込んでいいのかがわからない。

 

 ……。

 

……

 

 改札を抜け、

 駅のホームで電車が来るのを待つ。

 

 休日の駅は思っていたより人が多かった。

 スーツ姿の会社員や、買い物帰りらしい家族連れ。

 

 いろんな人が、

 それぞれの目的地へ向かう電車を待っている。

 

 すると。

 

 口裂け女が、突然無言になる。

 

「……どうしたの?」

 

「なんか……すごい懐かしくて」

 

 ホームの端をぼんやり眺めながら、

 口裂け女がぽつりと呟く。

 

「……」

 

 この前の映画の時もそうだ。

 こいつは、急に物思いにふける時がある。

 

 その横顔は、さっきまでパンケーキを食べて

 はしゃいでいた時とはまるで別人みたいだった。

 

 ……そう言えば、

 次の電車はいつ来るのだろうか。

 

 時刻表を見ると、あと少しで来るようだった。

 

 口裂け女が切符を素手で持っていたので、

 預かってあげることにする。

 

「切符、無くさないように俺が持っとくよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 口裂け女が切符を手渡そうとする。

 

 だが、その時。

 

 風に煽られ、切符が手から滑り落ちた。

 

 ふわりと地面に落ちる。

 

「あっ……」

 

 口裂け女が拾おうとするが、

 俺の方が先に動き出していた。

 

「えへへ、すみません……」

 

 口裂け女が照れ臭そうに笑う。

 

「いや、俺もごめんね」

 

 しゃがみ込んで切符を拾い、

 口裂け女の方を見上げる。

 

 

 

 

 ——その時だった。

 

 

 

 

 突然、記憶がフラッシュバックする。

 

 ……あれ、なんだこれ。

 

 俺は、

 この景色を見たことがある気がする。

 

 口裂け女の申し訳なさそうな顔。

 

 下から見上げる、この景色。

 

 確実に、

 こいつと一緒に暮らしてからじゃない。

 

 なのに。

 

 胸の奥が、妙にざわつく。

 

 懐かしいような、怖いような。

 

 そんな感覚が、

 ゆっくりと心の奥に広がっていく。

 

 思い出せそうなのに、

 あと一歩のところで霧がかかったみたいに掴めない。

 

 だが——思い出せない。

 

 ……いつだろう。

 

 ダメだ。

 

 全然、わからない。

 

 ……。

 

 その時。

 

 ホームに、駅のアナウンスが響いた。

 

 ぼんやりしていた意識が、

 そこでようやく現実に引き戻される。

 

 どうやら、もう電車が来るようだ。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 心配そうに、口裂け女が声を掛けてくる。

 

「うん……大丈夫」

 

 そう言って、すぐに立ち上がる。

 

 ——もしかしたら。

 

 俺は、前にも口裂け女に会ったことがあるのだろうか。

 

 ……今は、考えるのをよそう。

 

 そのうち、思い出すかもしれない。

 

 

 

 デパートの中は、煌びやかな光に包まれていた。

 天井から吊るされた照明が床を照らし、

 ショーケースのガラスがきらきらと反射している。

 

 どこを見ても、

 いかにも高そうな商品ばかりが並んでいた。

 

「わー……凄いです……」

 

 口裂け女が、目をキラキラさせる。

 

「全部、高級そう……」

 

 口裂け女が、

 ショーケースの中に入っているバッグへふと視線を落とす。

 

「見てください! すっごいお洒落なバッグですね〜」

 

 楽しそうに喋る。

 

 そして。

 

 表示されている金額に、チラリと視線を落とす。

 

「たっっっっっっっっか!!!!!!」

 

 突然、感嘆の声を大きくあげる。

 

「ちょ、やめて……」

 

 慌てて制止するが、

 周囲の好奇の視線が彼女に集中する。

 

「あ、つい……ごめんなさい」

 

 口裂け女が恥ずかしそうに頭を掻く。

 

 そして、心配そうに言う。

 

「……今日、本当にここで買い物するんですか?」

 

「まあ一応、そのつもりだけど……」

 

「……ほんと、無理しないでくださいね」

 

 彼女が、心配そうに俺を見つめる。

 

 ……どうやら、

 口裂け女は何もわかっていないようだ。

 

「お前は社畜を舐めているようだな……」

 

「へ?」

 

 口裂け女がキョトンとする。

 

「こんなバッグ、余裕で二個は買ってやれる……!」

 

 俺はわざと胸を張って、自信満々に答えた。

 

 実際のところ、

 余裕では決してない。

 

 むしろ財布の中身を思い浮かべると、

 ちょっと冷や汗が出そうになるくらいだ。

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「おう、休みなく働いてきた社畜を舐めるなよ」

 

 口裂け女の目が一気にキラキラと輝く。

 

 まるで子供みたいな反応だ。

 

「ふん」

 

「大船に乗ったつもりでついて来いよ……」

 

 さらに調子に乗って胸を張る。

 

 すると。

 

 「じゃあ……」と、口裂け女が先ほどのバッグを指差す。

 

「これ、二個お願いします!!」

 

 店内に元気な声が響く。

 

「さすがにもうちょっと色々選ばない?」

 

 即答する。

 

 口裂け女が、ぷっと吹き出した。

 

 

……

 

 その後、服屋を見て回ることにした。

 

 俺も口裂け女も、

 あまりよくわかっていないので、

 

 とりあえず一緒にボーッと店内をウロウロしている。

 

(なんか、こういうの懐かしいな……)

 

 こんなことをするのは、

 大学生以来だった。

 

 女の子と服屋を見て回るなんて……。

 

 まあ、今回の場合。

 女の子は女の子でも、妖怪だけども。

 

 ……。

 

 だが。

 

 実のところ、

 俺はもう口裂け女を妖怪として見れていなかった。

 

 名前は無いし、口は裂けている。

 手はやたらと冷たい。

 

 普通に考えれば、

 どう考えても人間じゃない。

 

 けれど。

 

 それだけだ。

 

 ……こいつは、

 人以上に人のことを思いやる気持ちを持っている。

 

 今まで出会ってきた、誰よりも優しい。

 

 あと。

 

 それに……顔も俺の好みど真ん中だ。

 

 よく考えてみれば、

 妖怪っぽいとこ以外は普通の女の子と変わらない。

 

 正直、人間と同じだ。

 

 ある程度、

 自分の中で気持ちは固まってきていた。

 

 もう、妖怪とかどうでもいいや。

 

 

 ……

 

  そんなことを考えながら歩いていると、

 口裂け女の足が突然止まる。

 

 何かが気になったようだ。

 

 視線の先を追う。

 

 ……ワンピースか。

 

 まだ少し、着る季節には早いかもしれないが、

 真っ白でフリルのついた可愛いデザインだった。

 

 ガラス越しに見つめるその横顔が、

 少しだけ真剣になる。

 

 こいつに、よく似合いそうだ。

 

 よし……。

 

「これが良いの?」

 

 口裂け女の体が、ビクンとはねる。

 

「あ……その……」

 

 まるで見ていたのがバレた子供みたいに、

 慌てて視線を逸らす。

 

 少し間を空ける。

 

「ちょっと、可愛いな……と思いまして」

 

 控えめな様子で答える。

 

 遠慮しているのが丸わかりだ。

 

 俺は思わず少し吹き出してしまう。

 

「じゃあ、これ買おうよ」

 

 自分でも驚くくらい、

 あっさりと言葉が出た。

 

「へ?」

 

 口裂け女が目を丸くする。

 

「そもそも、買うつもりで来てるし」

 

「……でも」

 

 口裂け女は、まだ迷っているようだった。

 

 値札の方をちらりと見て、

 またワンピースに視線を戻す。

 

 遠慮がちだが、

 欲しいのは明らかだ。

 

 俺は軽く背中を押す。

 

「とりあえず、試着してみようよ」

 

 そう提案するが、

 口裂け女はモジモジしている。

 

 あと一歩、

 踏み出せないようだった。

 

 そんな様子を見かねたのか、

 店員が俺たちに声を掛けてくる。

 

「それ新作なので、良かったら着てみてください!」

 

 元気な声だった。

 

 普段なら鬱陶しいと思うが、

 今日だけはありがたい。

 

「……らしいし、着てみてよ。

 俺もお前が着てるとこ見たいしさ」

 

 その言葉に、とうとう口裂け女も観念する。

 

「……じゃあ、着てみるだけですよ?」

 

 彼女はしおらしくなっていたが、

 どこか嬉しそうだった。

 

「では、こちらへどうぞ!」

 

 店員が元気よく案内する。

 

 俺と口裂け女は、

 その後を追って歩き出した。

 

 

 ……

 

「お客様、どうですかー?」

 

 店員が試着室の中の彼女に声を掛ける。

 

「も、もうちょっとです……」

 

 口裂け女の声が、試着室の中から響く。

 

 俺は、試着室の前で座って待っていた。

 

 冷静を装ってはいたが、

 内心では楽しみで仕方がなかった。

 

 貧乏ゆすりが止まらない。

 

 ……。

 

「ふぅ、やっと着れました……」

 

 口裂け女はそう言って、

 ゆっくりとカーテンを開ける。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 

 ……め、めちゃくちゃ可愛い……。

 

 一瞬、言葉が出なかった。

 

 似合うとは思っていた。

 けれど、実際に目の前に立たれると——

 

 想像していたより、ずっと破壊力がある。

 

 真っ白なワンピースが、

 彼女の細い体にふわりと広がっている。

 

 妖怪だとか、口が裂けているだとか、

 そんなことは一瞬でどうでもよくなるくらい。

 

 ただ単純に、

 女の子として可愛かった。

 

 思わず、見惚れてしまう。

 

「ど……どうですか……?」

 

 俺が口を開けたまま驚いていると、

 口裂け女がモジモジと照れ臭そうに聞いてきた。

 

「うん……正直、めちゃくちゃ似合ってる……」

 

 感情を悟られないように、

 思わず目を逸らしてしまう。

 

「良かったです……」

 

 口裂け女が、安心したように

 ホッと胸を撫で下ろす。

 

 俺は、彼女をまともに

 見ることができなかった。

 

 そんなドギマギした様子に、

 店員が間に入ってくる。

 

「本当に、すっごくお似合いですよ!!」

 

「そ……そうですか?」

 

 口裂け女が照れ臭そうに鏡の方を向き、

 顔を赤くする。

 

「よかったら、そのワンピースに合う小物があるんですけど、

 持ってきても良いですか?!」

 

 さすが、プロだ。

 

 店員のあまりの勢いに、口裂け女がたじろぐ。

 

「いや……その……」

 

「どうせなら持ってきてもらおうよ」

 

 普段ならあり得ないが、

 俺はその店員の提案を受け入れることにした。

 

 彼女がもっと可愛くなるなら、

 望むところだ。

 

 店員の表情が、一気に明るくなる。

 

「ありがとうございます!

 では、少々お待ちください!」

 

 そう元気に言って、走って去っていった。

 

 「……」

 

 「……」

 

 お互いに黙ってしまい、

 試着室の前が少し気まずい空気に包まれる。

 

 だが。

 

 やっぱり、もっと褒めずにはいられなかった。

 

「……本当に似合ってるよ」

 

「……なんか、私が私じゃないみたいです」

 

 口裂け女がくるりと回る。

 そして、鏡を見てうっとりしている。

 

 ……やっぱり、女の子なんだな。

 

 これが見られるなら、

 こんなの、これからいくらでも買ってやる。

 

「……でもこれ、結構高いですよ」

 

 口裂け女が値札に目を向ける。

 

 確か、入り口の方で見た時は

 三万円ぐらいだった気がする。

 

 確かに、安くはないが。

 

「いいよ。むしろ買わせてほしい」

 

「……本当に、いいんですか?」

 

 口裂け女が恐る恐る聞いてくる。

 

「これから暖かくもなるしさ、

 それ着てどこかデートしに行こうよ」

 

 自然と、口から言葉が出た。

 

 何の気もなく言ったつもりだったが、

 口裂け女の顔が真っ赤になっていた。

 

「あ……ごめん。変なこと言った?」

 

 慌てて謝るが、

 口裂け女が力強く首を横に振る。

 

「違います……」

 

 声を震わせながら、続ける。

 

「とっても……嬉しいです」

 

 よく見ると、口裂け女の目が潤んでいる。

 

 ……本当に、こいつはよく泣くやつだ。

 

 しかし、拭いてやれるハンカチがない。

 

 ……そうだ。

 

 後で、ハンカチも買おう。

 

 お揃いのハンカチなんか、いいかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、

 店員が戻ってきた。

 

 手には、靴やら帽子やらバッグやらを

 たくさん抱えている。

 

「似合いそうな物を持ってきたので!

 どんどん試してください!」

 

 口裂け女が圧倒され、狼狽えている。

 

「え……こんなに……」

 

 俺は、そんな様子に

 思わず笑いをこぼしてしまう。

 

「せっかく持ってきてもらったし、

 色々試してみれば?」

 

「彼氏さんの言う通りですよ!

 彼女さん可愛いですから、全部似合います!」

 

 彼氏彼女という言葉に「違います」とは、

 二人とも言えなかった。

 

 ……しかし、押しの強い店員だ。

 

 俺たちの顔が真っ赤になり、

 その様子を見て店員が少しニヤける。

 

 どうやら、何かを察したらしい。

 

 いつもならこんな押しの強い店員は好きじゃないが、

 今日のところは許してやってもいい。

 

 ……。

 

 ……。

 

「ありがとうございました!!」

 

 店員が深々と頭を下げる。

 

 俺は、大きな紙袋を二つ抱えていた。

 

 あれよあれよと勧められ、

 気がつけば合計で八万円くらい買い物をしていた。

 

 内容は、ワンピースに靴、帽子、バッグ。

 全身一式分が揃っていた。

 

「本当にすみません……色々買ってもらっちゃって……」

 

 口裂け女が、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「いや……頭下げないでよ」

 

「素直に喜んでもらえる方が、一番嬉しいしさ」

 

 しかし、彼女の顔は晴れない。

 

「でも……」

 

 口裂け女は、それでもなお姿勢を崩さない。

 

「本当に似合ってたよ」

 

「お前じゃなかったら……こんなに買ってないよ」

 

 素直な気持ちだった。

 

 口裂け女の顔を見て言えなかった。

 

 照れ臭くて、心臓の鼓動がうるさい。

 体温が上がっていくのがわかる。

 

 だけど。

 

 ちゃんと、目を見て言わなきゃ。

 

「また……デートする時に着てね」

 

「これから……お前のこと、周りに自慢したいし」

 

 我ながら、恥ずかしい台詞だ。

 

 さすがに、

 言い切った後は彼女の目を見ることができなかった。

 

 だが。

 

 よくここまで頑張れたと、

 自分を褒めてあげたい気持ちになる。

 

「……私、そんなこと言ってもらえたの初めてです」

 

「多分……

 人間だった頃も無かったような気がします」

 

 口裂け女の声が震えている。

 

 顔は見ていないが、

 おそらく泣いているのだろう。

 

「他にも買いたいものあるから、それ見て帰ろうよ」

 

「え……まだあるんですか?」

 

 口裂け女がキョトンとする。

 

 その時、

 彼女の顔にチラリと目を向ける。

 

 案の定、少し目の周りが腫れていた。

 

「お揃いのハンカチを買おうかなって……」

 

「ハンカチ……ですか?」

 

 いまいち、ピンときていないようだった。

 

 俺が丁寧に補足する。

 

「ほら、お前よく泣くし……

 食事中にも口の周り汚しまくるじゃん」

 

 その瞬間。

 

 口裂け女の表情が打って変わって、

 キッと俺を睨みつける。

 

「泣いてないし、汚してもいないわ!!」

 

「失礼な!!!!」

 

 口裂け女がポカポカと俺の身体を叩いてくる。

 

「ちょ、いたい、やめて……」

 

「もう許しませんよ!!」

 

 彼女の猛攻は止まらない。

 

 ふと、顔を見ると、

 とても楽しそうに笑っていた。

 

 今日は……来てよかった。

 

 本当にそう思えた。

 

 だが。

 

 本当にわりと痛かったのも事実だった。

 

 どんだけ力の加減が下手なんだ、こいつ。

 

 

 ……

 

 ハンカチ売り場には、

 当たり前だが、たくさんの種類のハンカチが並んでいた。

 

 可愛らしいデザインの物から、高級そうなものまで。

 

 普段滅多に来ないので、いまいち見慣れない。

 

 口裂け女は小物自体が好きなようで、

 目を輝かせながら見ている。

 

「うわぁ〜色々なのがありますね〜」

 

 そんな姿に、思わず笑いがこぼれてしまう。

 

「せっかくだし、お前が選んでよ」

 

「え!! 私が選んで良いんですか!?」

 

 嬉しそうに顔を上げる。

 

「うん。俺もお前が選んでくれたの持ちたいしね」

 

 言っていて恥ずかしくなるが、

 少し慣れてきている自分がいた。

 

 口裂け女も同じようだった。

 

「ふふ……あなたも可愛いとこあるじゃないですか」

 

 顔は少し赤かったが、

 ふざけた様子で返してくる。

 

 俺たちは、

 自然と距離も近くなっていた。

 

 時々肩が触れ、

 手と手が当たり前のように触れ合う距離。

 

 お互い、それに違和感を持つことはなかった。

 

 ……。

 

 しばらく一緒にハンカチを見ていると、

 口裂け女の目線が、あるハンカチで止まる。

 

「あ、これ昨日見た映画のキャラじゃないですか?」

 

 そう言ってハンカチを手に取り、こちらに見せてくる。

 

 ——その瞬間。

 

 胸の奥で、

 また何かが引っかかった。

 

 朝、駅のホームで感じた違和感と同じだ。

 

 どこかで見た。

 

 そんな感覚が、はっきりと蘇る。

 

 ……これだ。

 

 俺は、このハンカチを見たことがある。

 

 だが。

 

 いつ、どこで見たのかが思い出せない。

 

 頭の奥で、何かが引っかかっている。

 

 霧の向こうに景色があるのに、

 そこまで手が届かないような感覚だった。

 

 けれど——

 

 昨日からずっと感じていた

 小さな違和感の正体だけは、はっきりした。

 

 (……これだ)

 

 なぜか口裂け女も、少し気になった様子で

 そのハンカチをじっと見つめている。

 

 その視線はどこか懐かしそうで、

 それでいて、思い出せない何かを探しているようだった。

 

「……」

 

「……」

 

 二人の間に、短い沈黙が落ちる。

 

 だが——

 

「じゃあ——それにする?」

 

 俺がそう言うと。

 

「……すごく良いと思います!!」

 

 口裂け女の表情が、ぱっと明るくなる。

 

 さっきまでの不思議な空気は、

 まるで最初から無かったかのように消えていた。

 

「じゃあ、決まりだね」

 

 俺は同じハンカチを二枚手に取り、

 レジへ向かう。

 

 ——その時だった。

 

 ふと、背中に誰かの視線を感じた気がした。

 

 気のせいだろうか。

 

 何気なく振り返るが、

 そこにはただ買い物客が行き交っているだけだった。

 

 ……まあ、気にするほどのことでもないか。

 

 ……。

 

「これ、ください」

 

「あら……彼女さんとお揃いですか?」

 

 店員がクスクスと笑う。

 

 口裂け女が、また顔を真っ赤にして俯いた。

 

 よし……。

 

「……はい。そうです」

 

 その瞬間。

 

 口裂け女の視線が、一気にこちらを向いた。

 

 直接は見ていない。

 

 けれど、横目でわかった。

 

 ……そんな目で見ないでほしい。

 

 今は、ただの嘘かもしれないけど。

 

 いずれは……。

 

「これ、お願いします」

 

 そう強く言うと、

 店員の顔がさらにニヤける。

 

 初々しい。

 

 きっと、そう思われている。

 

 目のニヤけ方でわかる。

 

「じゃあ……そんなカップルさんに

 こんなのもあるんですけど、どうですか?」

 

 差し出されたのは、ペアグラスだった。

 

 対になるデザインで、

 可愛い動物の絵が描かれている。

 

「わぁ……可愛いですねぇ……」

 

 口裂け女の目が、うっとりと輝く。

 

 ……決まった。

 

「じゃあ、それもお願いします」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

 店員が楽しそうに梱包を始める。

 

 間違いなく、

 ちょろい客だと思われた。

 

 ……まあいい。

 

 それなりに値段のするグラスだったが、

 不思議と財布を開く手は軽かった。

 

 店員の営業が上手かった。

 

 ——そういうことにしておこう。

 

 にしても、デパートって全部高い。

 

 これからも……頑張って働こう。

 

 こいつを

 また、連れて来れるように。

 

 

 ……

 

 デパートの出口へ向かう途中。

 

「いっぱい買っちゃいましたね〜」

 

 口裂け女が、ハンカチとグラスの入った袋を

 胸の前で抱えるように持ちながら言う。

 

 紙袋が歩くたびにカサカサと小さな音を立てていた。

 

「うん、いっぱい買ったね」

 

「まあ、これからもっと増やしていこうよ」

 

 俺はできるだけ明るい声でそう言った。

 

 だが。

 

 その瞬間、口裂け女の表情がわずかに曇る。

 

 ほんの一瞬だ。

 

 さっきまでの笑顔が、

 少しだけ遠くへ引っ込んだような気がした。

 

「……そうですね」

 

 小さく返ってきた言葉は、

 どこか元気がなかった。

 

 ……やっぱりだ。

 

 こいつは、未来の話になると

 決まってこういう顔をする。

 

 理由は、まだ聞いていない。

 

 けれど。

 

 楽しそうな時間の途中で

 急に影が差すようなその表情が、

 

 どうしても気になってしまう。

 

 ……どうせなら、もう聞いてしまおう。

 

「あのさ——」

 

「すみません。私お手洗いに行ってきますね」

 

 言葉が途中で遮られた。

 

 口裂け女が少し慌てたように言い、

 くるりと背を向ける。

 

 そして、逃げるように小走りで

 トイレの方へ向かっていった。

 

「……」

 

 あっという間に、人混みの中に消えていく。

 

 ……行ってしまった。

 

 まあ、いいか。

 

 また、別のタイミングで聞けばいい。

 

 そう思いながら、

 俺はぼんやりとデパートの天井を見上げた。

 

 高い吹き抜けの天井。

 

 ガラス張りの窓から午後の光が差し込み、

 フロア全体が柔らかく明るく照らされている。

 

 休日のデパートは賑やかだった。

 

 子供の笑い声。

 エスカレーターの機械音。

 遠くで流れている軽快なBGM。

 

 いろんな音が混ざり合っている。

 

 けれど——

 

 自分だけ、

 少しその輪から外れているような気がした。

 

 ……まさか、こんなことになるとはな。

 

 最初は、ただの厄介事だった。

 

 あいつに絡まれて、

 思い切りビンタして。

 

 それだけのはずだった。

 

 なのに。

 

 気がつけば一緒に暮らして、

 こうしてデートまでしている。

 

 人生って、わからないもんだ。

 

 こんなに楽しいと思える時間が

 また来るなんて思っていなかった。

 

 ……いつぶりだろうか。

 

 いや。

 

 もしかすると——

 

 こんな気持ちになったのは、

 初めてかもしれない。

 

 

 

 

 ——その時だった。

 

 

 

 

「え……ゆうくん?」

 

 

 

 背中から、声が落ちてきた。

 

 聞き間違えるはずのない声だった。

 

 懐かしい声だ。

 

 前によく聞いていた声。

 

 何度も、

 何度も呼ばれていた名前。

 

 俺の体がわずかに固まる。

 

 胸の奥が、

 きゅっと嫌な感覚で締め付けられた。

 

 その声の方へ、ゆっくりと目を向ける。

 

 けれど。

 

 顔を見る前から、

 それが誰なのかはわかっていた。

 

 心臓が、少し強く跳ねる。

 

 そして——

 

 

 

 

「……りこ?」

 

 

 

 

 俺が、以前。

 

 同棲していた彼女。

 

 璃子だった。

 

 その瞬間。

 

 さっきまで耳に入っていたデパートの音が、

 急に遠くへ離れていく。

 

 人の話し声も、

 音楽も。

 

 全部がぼやけたように感じた。

 

 時間だけが、

 ゆっくりと動いている。

 

 あの日から止まっていた時間が、

 また静かに動き出す。

 

 俺の頭の中は——

 

 真っ白になっていた。

 

 

 







ここまで読んでいただきありがとうございます。
ジュウヨンです。

今回は、幸せ回で締めるかと思いきや
元カノの璃子の登場となりました。

世の中、なかなかそう上手くはいきません。

今後の物語で明かしていきますが、
佐々木は今回登場した璃子のことが本当に大好きでした。

彼女のために社畜のように働き、
別れた後もしばらくは引きずっていたほどです。

ですが、口裂け女の登場によって
ようやく意識しなくなった——

そんなタイミングでの再会となります。

これから、口裂け女と佐々木はどうなっていくのでしょうか。

一気に進んだ二人の関係ですが、
この先には様々な試練も待っています。

佐々木は、一体どんな選択をするのか。

是非、今後の展開をお楽しみください。


もしよろしければ、感想や評価、
お気に入り登録をいただけると大変励みになります。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。