毒薬令嬢じゃありませんから〜婚約破棄された私を薬師として見出したのは、瘴気喰らいの辺境伯でした〜   作:鈍色シロップ

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それから二日間、私はほとんど作業部屋に籠もりきりだった。

 

机の上に広げたのは、この北境でロイベルに試してもらってきた薬の記録だ。

どの配合がどれくらい効き、どんな反応が出たのかを見比べながら、「瘴気の影響を強く抑えられる配合」の当たりをつけていく。

 

副作用を度外視すれば、いままででいちばん強く効きそうな薬は、すぐに形になった。

けれど、ほんの少し舌に乗せた瞬間――効き目を感じるより先に、びりっと凄まじい痺れが全身を貫く。

 

(予想はしていたけれど、やっぱり……こんなもの、ロイベル様に飲ませるわけにはいかない)

 

そこからは、その薬を基準に、薬草の組み合わせや分量を少しずつ変えながら、どこまで負担を減らせるかを試していった。

 

「これならまだ飲ませられる」と判断できたものは、その都度ロイベルのもとへ持っていき、実際に試してもらった。

けれど、副作用をかなり抑えたものは、これまでの薬より少し強い程度にしかならない。

一方で、効き目を優先したものは、ロイベルも「この程度なら問題ない」と言いながら、さすがに渋い顔をした。

 

(ある程度の負担は、どうしても必要になる。それでも……せめて、最低限耐えられる程度に抑えたい)

 

ロイベルは時折、「無理だけはするな」と声をかけてくれた。

そのたび、素直に頷きはしたものの――

 

(……ごめんなさい、ロイベル様。もう夜更かしはしないって決めてたけど……今回ばかりは、また無茶をします)

 

そう心のなかでだけ謝りながら、その二日とも夜遅くまで手を止めなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

三日目の明け方。

うとうとしていたところを、廊下の向こうから響く慌ただしい足音に起こされた。

砦のなかが、妙に騒がしい。

 

なんだか嫌な予感がして、寝間着の上から外套を引っかけ、すぐに部屋を出た。

兵たちが、いつになく険しい顔で走っていた。

 

「見張り台から急報だ! 森の上の黒いもやが、昨日までとは比べ物にならないほど濃く広がっていると……!」

 

廊下の向こうで交わされた声に、全身が強張る。

 

(森の瘴気が、もうそこまでひどくなってるの……? 砦の人たちは……ロイベル様は大丈夫なの……!?)

 

どこへ向かうべきか一瞬迷ったものの、私は真っ先に診療部屋へ向かった。

 

診療部屋は、すでに騒然としていた。

朝の交代に出ようとしていた兵や、見回りから戻った兵たちが、次々に息苦しさを訴えている。

 

(瘴気の症状だ……)

 

昨日までなら、こんなに一度に人が押し寄せることはなかった。

軍医も、いつもの落ち着きを失っていた。

 

「あの……手伝います!」

 

私はすぐに、診療台の脇に並べられていた薄めた薬の小瓶を手に取った。

軽い症状の兵たちに順に飲ませていくけれど、苦しそうな呼吸はなかなか落ち着かない。

 

(おかしい……いままでとは違う)

 

やがて、飲ませたそばからさらに症状が重くなる兵まで出てきた。

まるで、この砦に来たころのように……顔からみるみる生気が失われていく。

 

(どうしよう……どうしたらいいの……!?)

 

そう思った、ちょうどその時――

 

「軍医、状況はどうなっている」

 

診療部屋の入り口から響いた低い声に、思わず顔を上げた。

振り向くと、ロイベルが兵長と一緒に入ってくるところだった。

軍医から手短に報告を受け終えると、ロイベルはそのまま私のほうへ歩み寄る。

 

「ソフィアーナ嬢……ここにいるということは、見張り台からの報告を聞いたのか?」

 

「いえ……砦のなかが妙に慌ただしくて、部屋の外に出たんです。そうしたら、森の上の黒いもやが濃く広がったって声が聞こえてきて……」

 

「そうか……本当は、君には少しでも休んでいてほしかったんだがな」

 

そう言いながら、ロイベルは私の目元をじっと見た。

 

(しまった……また目の下にクマができてるのかも)

 

なんだか居た堪れない気持ちになる。

私の夜更かしがどこまでバレているのかわからないまま、ロイベルはふいに視線を外した。

 

「事態は思った以上に深刻だ。このままでは、砦で使っている薬もすぐに底をつく。――ソフィアーナ嬢。いま作ってもらっている薬だが、副作用の調整はひとまず置く。この二日で、どのくらい作れた?」

 

「えっ……どのくらい、ですか? 作れるぶんだけは作りましたが――」

 

そこまで言って、はっと息を呑む。

副作用の調整はひとまず置く――その言葉の意味に、ようやく気づいた。

 

「……まさか」

 

私の呟きに、ロイベルは短く頷く。

 

「すぐ持ち出せるよう準備してくれ。……俺はいまから、森へ向かう」

 

「そんな……無茶です! このままでは、瘴気に耐えきれないか、薬の負担で先に身体がもたなくなります! お願いです、あともう少しだけ……調整の時間をください!」

 

けれどロイベルは、ゆっくりと首を横に振った。

以前にも一度見たことがある――申し訳なさを含んだ目が、まっすぐ私に向けられた。

 

「本当は、薬の調整は最後まで君に任せておきたかった。だが……森から噴き出る瘴気は、想像よりも早く濃くなっている。このままでは、瘴気の大元に辿り着くどころか――森に踏み込むことすらできなくなるかもしれん」

 

なにも返せず、ぐっと息が詰まる。

正しいとわかっているからこそ、余計に受け入れたくなかった。

それでも、彼を引き止める理由はどうしても見つからなくて。

 

「……わかり、ました。すぐに持ってきます……」

 

そう口にするしかできなかった。

 

診療部屋のことを軍医や兵長に任せ、足早に作業部屋へ戻る。

部屋に入るとすぐ、この二日で作った薬をすべて布に包んだ。

――あの、いちばん強く効く薬も含めて。

 

(本当は、渡したくない。でも、これが役に立つ可能性だって……あるかもしれない)

 

せめて、もう少しだけなんとかできれば……と、そんな余裕はないのについ考えてしまう。

その時、ふと――机の上の調合道具が目に留まった。

 

(……これをいくつか持ち出せば、少しはその場でなにかできるんじゃ?)

 

もちろん、火を起こして煎じたりといった本格的な作業はできない。

それでも、いまある薬に手を加えるくらいならできるかもしれない。

 

なにより、森のなかの瘴気がどれくらい濃いか、誰も正確にはわかっていない。

ロイベルにとっていちばんいいバランスを目指すのなら――むしろ、その場で見たほうがいいのでは。

 

(……よしっ)

 

私は急いで、持ち出せそうな調合道具を布に包んだ。

それから手早く服を着替え、改めて外套を羽織り直す。

きっと絶対止められるだろうけど……あとのことなんて、もう考えられなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「いま……なんと言った?」

 

砦の外れ、森へ通じる門の前。

出発の支度をすでに終え、兵長たちと一緒にいたロイベルは、私の一言に珍しく目を瞬かせた。

……私が薬以外の布包みまで抱えていた時点で、すでに怪訝そうにはしていたけれど。

 

「ですから……私も行きます! その場で、薬を調整します!」

 

ロイベルの表情が、わずかに強張る。

 

「……本気で言っているのか?」

 

「本気です」

 

抱えていた布包みを、胸の前で握りしめる。

 

「まだ調整しきれていない薬を、ただ持たせるだけよりも……私も一緒に行って、その場で調整したほうが――辺境伯様が少しでも瘴気に耐えられる可能性が高くなると、そう判断しました」

 

声が震えないように気をつけながら、じっとロイベルの目を見据える。

彼はすぐには答えず、険しい顔のまま私を見た。

 

「だからといって……君を連れて行けると思うのか」

 

「それは……思っていません。ですが、少しでも可能性を上げられる方法があるのに……このまま見送ることもできません」

 

ロイベルは視線を落とし、短く息をついた。

その顔にあったのは、苛立ちよりもためらいだった。

 

「……すまない、ソフィアーナ嬢。時間がないんだ。なにより、君を森の瘴気に晒すわけにはいかない。俺ですら、君の薬がなければ森の奥に辿り着けるかどうか……」

 

そこで一度、言葉を切る。

 

「本当なら、君の言うとおり……その場で調整できるのがいちばんいい。だが、もし君になにかあれば――」

 

そこまで聞いて、頭が真っ白になった。

 

(……そんなの、私だって)

 

もし、ロイベルになにかあったら。

つい想像してしまって――うまく言葉にもできないまま、ただ……だめだと思った。

 

気づけば、足もとに布包みを置き、そのなかから小瓶を一本取り出していた。

 

「……耐えます!」

 

そのまま栓を開けて、ひと息に飲み干す。

森へ持っていくつもりだった薬のうち――いちばん強めに寄せた一本を。

 

「ソフィアーナ嬢!?」

 

北境に来てから初めて、ロイベルの取り乱した声を聞いた。

すぐに、舌と手足に強い痺れが走る。

けれど、倒れるほどじゃない。

 

「ぅ……だっ、大丈夫です……ちゃんと、確かめてますから……」

 

ふらついた身体を、ロイベルがとっさに支えた。

その腕に、思ったより強い力がこもる。

 

「大丈夫な顔には見えん」

 

その言葉のあと、まわりが息を呑んだような気がした。

ロイベルの腕を掴んだまま、なんとか足に力を入れる。

 

「……ほら、立ててます」

 

自分でも、無茶を言っているなと思いながら、無理やり微笑んで見せる。

ロイベルはしばらく黙ったまま私を見下ろしていたが、やがて観念したように息を吐いた。

 

「……そういえば君は、放っておくと無茶をする薬師だったな」

 

「すみません……でも、辺境伯様が私たちを案じてくださるのと同じなんです。私も、北境の人たちも……辺境伯様に無事でいてほしいんです。だから――」

 

「いい、わかった」

 

低い声が、私の言葉を遮る。

 

「……そこまでされては、もう止められん。一緒に来てくれ、ソフィアーナ嬢」

 

それだけ言うと、ロイベルはすぐに兵長へ向き直った。

 

「兵長、同行する護衛を数人選んでくれ。森の入り口に着いたら、そこで待機だ。その先は俺とソフィアーナ嬢が行く。俺たちが戻り次第、すぐ砦へ引き返せるよう備えていろ」

 

「はっ!」

 

兵長はまず副官に「砦を任せる」と短く告げ、それから数人を呼び寄せると、護衛の指示を飛ばした。

私は薬と調合道具の包みを抱え直し、ロイベルとともに門へ向かう。

重たい門を抜けた瞬間――もう後戻りはできないのだと、静かに覚悟を決めた。

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