心臓を拾いました   作:ディエ

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第1章

その日、私は家のドアの前で心臓を拾った。

 

白っぽい心外膜に包まれたままの、握り拳大の心臓。

まだしっかりと動いているけど、このまま放っておけば多分、半日も持たないだろう。

今はまだ鮮やかな赤い色をしているけど、それがどんどん黒ずみ、小さくしぼんで、動きを止めることだろう。その前にカラスか何かに見つかって、食べられてしまうかもしれない。

普段の私だったら、そのままちらりと目を遣るだけで、通り過ぎただろう。

かわいそうだとは思うけど、自分が何かしてあげようとは思わない。

そういうのは本来の持ち主が最後まで責任を持つべきものであって、第三者の善意に付け込んで丸投げしようなどというのは、全く間違っていると思う。

間違っているとは思うけど、それを口にしたりはしない。前に一度、クラスでそんな話をしてしまい、『冷たい』と評されてしまったからだ。

口にこそしないけど、私の考えは全く変わっていない。

だからその心臓を拾い上げた時には、自分の行動ながら、驚いてしまった。

まだ温かい心臓が、自分の手の中でしっかりと拍動している。

身を守るものを何一つ持たない、無垢な心臓。

どんなに賢い人でも、どんなに体を鍛えた人でも、どんなに立派な人でも、これが止まれば一様に死んでしまう。

そんな、誰のものともつかない心臓が、自分の手の中にある。

私はまじまじと、その赤く、規則的に拍動するものを見下ろした。

 

そしてふと、このままでは乾いてしまうのではと思い当たる。

車のエンジンだって、エンジンオイルがあるから、摩耗を防ぎ、スムースに動いていられる。

四六時中動いている心臓ならば、潤滑剤の存在はさらに重要なのではないだろうか。

私はコンビニに行くのを取りやめ、拾った心臓を手にしたまま、家の中に引き返した。

シンクの下からステンレス製のボウルを取り出し、計量カップで水道水を計り入れ、電子秤で食塩を計って、0.9%生理食塩液を作る。

そしてそれに心臓を浸してやろうとしたところで、ハッと気付く。

そうだ、水道水にはカルキが入っているから、毒になるかもしれない。

メダカの水替えだってカルキ抜きをするんだ。心臓だってそのくらいは手間をかけたほうがいいのかもしれない。心臓がどの程度繊細なのかは分からないけど。

でも家にはカルキ抜きの薬品などない。生き物を飼っているわけではないので、当たり前だ。

湯冷ましでもいいのかなと思ったけど、結局、面倒なので、母親の買っている水を使うことにした。

よく分からないけど、わざわざ買っているということは、水道水よりいい水なのだろう。

改めてその水を計量カップで計り、食塩を入れて0.9%生理食塩液にする。

試しになめてみるけど、ただの薄い塩水で、おいしいものではなかった。

その中に心臓をゆっくりと、滑らせるように入れる。

心臓はピクリと震えたような気がしたけど、その後は何事もなかったかのように拍動を続けていた。

とりあえずこれで、干からびる心配はなくなったわけだ。

私は手に付いた、固まりかけでドロドロになってきた血を洗い流して、ボウルの中の心臓を見詰める。

誰のだろう。

当然の疑問だった。

うちはマンションの最上階の角部屋。用事もないのに誰かがやって来るような場所ではない。

母親とは顔も合わせていないけど、ドアの開閉音からいつもの時間に出勤したのは分かるし、その時には何も言わなかった。

その後、ここに来たのは朋子だけだった。居留守を使ってやったけど。

朋子が郵便受けに学校の封筒を差し込んでから、私がコンビニに行こうとドアを開けるまで、十分くらいしか経っていない。

考えられるのは、住人の誰かがこっそりとうちの前に心臓を置いて行ったというものだ。

うちは高級マンションらしいけど、そこの住人も高級とは限らない。

むしろ、真逆の利己的で低級な人間だからこそ、こんなところに住むことができて、不都合なことは平気で他人に押し付けてくる。そんなことも考えられた。

私の母親のように。

そんなことを考え始めると腹が立ってくるので、心臓の出どころを考えるのは止めにする。

今はこれをどうするかを考えなければならない。

 

こんな時に使えるのは、やはり朋子だ。

『心臓って生理食塩液に浸けておけばいいの?』

そうラインを送ると、一分も経たないうちに返信が来る。

『一時的にはそれでいいけど、ずっとだったら重炭酸バッファーリンゲル液の方がいいよ』

さすが朋子は何にでも詳しい。

『それってどこに売ってる?』

『ドラッグストアにあると思う。近くのマッキが品揃えも良くてお勧めだよ』

朋子はイタリア資本のドラッグストアを挙げる。

確かにマンションの近くにもマッキがあるけど、私はそっちの方には行かない。

私がドラッグストアに用があるのは、避妊ピルか避妊具を買いに行くときだけなので、わざわざ顔見知りのいない、遠いほうのマッキに行くようにしていたからだ。

近いほうのマッキに行ったのは、開店セールの時くらいだ。

そう言えば、と思い、念のためもう一つ聞いてみる。

『さっき朋子が来た時、玄関の前に何か落ちてなかった?』

少しの間をおいて返信が来る。

『何もなかったよ。何か落したの?』

予想通りの答え。

さすがにドアの前に心臓が落ちていれば、朋子も何か言うはずだ。あるいは何も言わずに、自分で拾って帰るかだ。

あのお人よしの朋子がそのまま放置など考えられない。

とりあえず私はコンビニに行くつもりだったのを、マッキまで足を延ばすことにする。

コンビニよりは遠いけど、それでも歩いて十分程の距離だ。

無駄に背の高い店舗に、無駄に広い駐車場。

開店時は大賑わいだったが、目新しさがなくなれば、ただのドラッグストアだ。

近くに同じようなドラッグストアが二軒あるし、大手のスーパーもある。

客はいい具合に分散し、不快な人混みは回避されている。

いつものマッキならば衛生コーナーに直行するところだけど、ここの店舗の商品配置は分からない。それにリンゲル液など意識したこともない。

私は商品を並べている店員を見つけ、声を掛ける。

「あの、重炭酸バッファーリンゲル液ってありますか?」

「はい、ございますよ。生物種は何でしょうか」

「多分、人間だと思うんですが・・・」

「はい。こちらへどうぞ」

店員はすたすたと私を先導して歩く。

辿り着いた一角には、様々な色と形のボトルが並んでいた。

パッケージのイラストはヒトの他にも、イヌ、ネコ、小鳥、カエル、トカゲ、ヘビなどが並び、ペットショップのようだった。

「年齢の方は何歳でしょうか」

店員がそう尋ねてくるけど、心臓を見ただけで年齢など分かるはずがない。

「さぁ・・・ 大きさはこのくらいなんですが・・・」

私は代わりに自分の握り拳を見せる。

「それでしたら大人サイズですね。この辺りが適用のものになります」

店員は棚の一部を指すけど、それでもかなりの種類だ。

「それぞれの違いって何なんですか?」

私は自分で選ぶのを諦め、店員に尋ねた。

「そうですね。こちらは虚血性心疾患の軽度から中度、こちらは重度対応となっています。こちらは糖尿病対応、こちらは動脈硬化の軽度から中度対応、こちらは不整脈対応、こちらは心肥大対応となっております。弁膜症対応のものや中隔欠損対応のものもお取り寄せできますよ」

店員は慣れた様子で、ぺらぺらと説明する。

もちろん、初見の心臓にどんな履歴があるかなどは分からない。見た感じ、心肥大はなさそうだけど。

だんだん面倒になってくる。

「あの、普通のっていうと?」

「疾患対応でないものというと、こちらの方ですね。当店ではこちらが売れ筋となっております」

「そうですか。ありがとうございます」

「また何でもお尋ねください」

そう言ってようやく店員は去っていく。

示されたのは黄色いラベルと青いラベルの二種類。

説明書きを読んでもよく分からないので、私はとりあえず、高いほうの青いラベルのものを手に取った。

そしてふと見ると、リンゲル液の隣には小さい水槽が並んでいた。

こういうところは本当に商売が上手だな・・・

でもステンレスのボウルより、おしゃれでかわいい水槽の方がいいに決まっている。

私はカートを持って来て、一番小さな五リットルの円筒水槽と青いラベルのリンゲル液を三本入れる。

店を出る時にはズシリと重いマイバッグを肩からぶら下げ、両手で水槽を抱えるという不格好な姿になってしまう。

こんなことなら『一緒に選んで』と言って朋子を呼べばよかった。朋子だったら喜んで駆け付けてくるだろう。

そんなことを考えながら家に辿り着くと、さっそく水槽にリンゲル液を入れて、キッチンに置いていたボウルの中から心臓をすくい上げ、水槽に移す。

心臓はびっくりしたように拍動が早くなるけど、少し見ていると落ち着いたようで、ゆっくりとした拍動に戻る。

その上から、残りのリンゲル液も入れてやる。

余った分を少し飲んでみるけど、少し苦みがあっておいしくない。

とりあえず、その水槽は自分の部屋に運び、サイドチェストの上に配置する。

ピンク色の縁取りの円筒水槽の中で、赤い心臓が規則的に拍動している。

まぁ、インテリアとしては悪くないかな。

 

翌朝、私は最初に水槽を確認する。

心臓は昨日と全く変わらない様子で動いている。

なんだかあっけない。こんなに簡単なものなのだろうか。

じっと見ていると、円筒水槽に反射した顔が、同じように自分を見詰めてくる。

私は思わず目を逸らした。

私は自分の顔が嫌いだ。

つり上がった眉に鋭い目尻、細く高い鼻にやけに整った薄い唇。

美人だけど冷たそう。

誰でもそう思うだろう。

何より母親そっくりというのが気に入らない。顔だけでなく、声も仕草も好みまで、何から何まで母親そっくり。

髪型なんかはショートにもできるけど、私はロングが好きだ。母親とかぶってしまうけど、どうして私の方が譲らなきゃならないんだと、ずっとロングで通している。だからますます母親に似てしまう。

私は溜息をついて部屋を出た。

いつも通り一人で朝食を食べ、鏡を見ないように身支度をして、玄関を出る。

マンションの敷地を出ると、そこにはいつも通り、朋子が自転車を支えながら立っていた。

別に何の約束もない。朋子が勝手に待っているだけだ。

少し早く家を出た時にも朋子が立っていたけど、いつから待っているのかは知らない。私が学校をさぼった時はどうしているのかも知らない。

全部朋子が勝手にやっていることだ。

「おはよう、みどり」

「うん」

朋子は明るい声で、私の横に並ぶ。

そのにこにこした顔を見るたびに、私もこれくらいでよかったのにな、と思ってしまう。

朋子はオブラートで包んでいえば、愛嬌のある優しげな顔立ちだ。少なくとも『冷たそう』などと言われたことは絶対にないだろう。

そんな朋子は私にべったりだ。勉強にも雑用にも使えるから、別にいいんだけど。

「みどり、心臓拾ったの?」

昨日のやり取りを思えば、自然、そういう結論になるだろう。

「まぁね」

朋子の問いかけに短く答える。

朋子はそれ以上踏み込んでくることはない。いつものことだ。

「朋子は心臓拾ったことある?」

「私はないなぁ。話には聞くけどね」

「ふ~ん・・・」

つまり朋子は、自分で拾ったこともないくせに、心臓の管理方法を知っていたということか。本当に何でも知っている。どういう頭をしているんだろう。

とりあえず、心臓の話はそれで終わり。

別に話したい内容でもないし、気まぐれで拾った心臓だ。いつ気まぐれで放り出すかも分からない。

その後は特に会話もなく学校まで歩く。

私は別に気にしないけど、朋子はどういう気持ちで私の横にいるんだろうか。

私だったら、絶対にこんな人間のそばにいたくない。いったいどういう頭をしているんだろう。

そして学校に着いて、真面目に授業を受けて、放課後。

午後の授業はサボることも多いけど、今日は必須授業なのでそういうわけにもいかない。

ただし、授業が終わればすぐに教室を出る。面倒な委員会や部活はやっていない。

朋子もやっていないはずだけど、すぐに教室から出てこないということは、また何か用事を押し付けられたのだろう。鈍くさいあの子は何でも頼まれごとを引き受けてしまう。

私は朋子がやって来る前に学校を出た。

今日は一日中、あの心臓のことを考えていた。

元気でいればそれに越したことはないけど、気がかりだったのは、死んでいないかということだけだった。

死んでも全く悲しいとは思わないけど、私の部屋で死なれるのは後味が悪い。それにその後片付けを私がしなければならないというのも嫌だ。死んだ心臓なんかに触りたくない。

カギを開け、無言のまま家に入ると、自分の部屋に直行する。

そこにはピンク色の円筒水槽の中で、ゆっくりと拍動する、鮮やかな心臓があった。

よかった、生きてる。

初日で死んでないのなら、多分もう大丈夫だろう。

私は着替えてベッドに寝そべると、サイドチェストの上の心臓に目をやる。

この心臓もどうせならもっと優しい人に拾われればよかったのにね。

そんなことを考えてしまう。

私にはこの心臓をずっと管理し続ける自信はない。自分の飽きっぽさは自覚している。

そうして心臓を眺めていると、ふと閃いたことがあった。

そうだ、この心臓の持ち主は・・・

 

その時、リビングでインターホンが鳴った。

また母親の宅配便か何かだろうか。自分で受け取れないんだったら、買わなければいいのに。

私は少し不機嫌になりながらも、リビングのモニターを確認する。

そこに映っていたのは、宅配業者ではなく、朋子だった。

今日はきちんと放課後までいたんだから、学校の届け物などではない。

一体何の用なんだ。

 

 

ここで選択です。

折角の閃きを中断させてまで、朋子の応対に出る、という場合は『第2章』へ

自分の閃きが優先。朋子を無視して、居留守を使う、という場合は『第3章』へ

 

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