心臓を拾いました   作:ディエ

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第3章

私が黙ってモニターを見ていると、玄関の前に立った朋子はもう一度インターホンを鳴らした。

でも私の頭の中は、それどころじゃない。

昨日、私は学校をさぼって早めに帰宅した。その時には玄関前には何もなかった。

その次に玄関を通ったのは母親だ。でも母親も何も言っていなかった。まぁ、あの母親だったら、心臓が落ちていても無視するかもしれないけど。

次に来たのが朋子。でも、朋子も何も言わなかった。ここで母親の心臓であるという可能性は否定される。いい子ちゃんの朋子が心臓を放置するはずがないからだ。

そして私が、心臓が落ちているのを発見する。

つまり論理的に考えれば、この心臓は朋子の落とし物だ。

自分で落としていったのならば、何も言わないのも当たり前だ。自分で自分の落とし物に気付く人間などいないんだから。

そう結論付けた時、朋子はもう玄関先からいなくなっていた。

なんだ、もう少し待っていれば、この心臓を『落とし物よ』と突き付けてやったのに・・・

まぁ、いいや。水槽まで買ったのにすぐに返してしまうというのも、もったいない。

他人の心臓を手元に置いて観察できるなんて、そうそうある機会じゃないだろうし。

 

それから私は興味本位で『心臓 拾った』と検索してみる。

すると、かなりの数のサイトや動画がヒットする。

『こんなにそこら中に落ちてるものなの?』と驚くけど、よく見てみれば実際に心臓を拾ったわけではなく、『緊張から心臓が飛び出そう』というニュアンスで使われているのがほとんどだった。

それでもずっとスクロールしていくと、確かに心臓を拾って管理しているという動画もちらほらと現れる。

薄汚れた心臓がきれいに洗浄され、おしゃれな水槽の中で元気に拍動している。

配信者たちはこの子がどんなに綺麗な心臓で、そのためにどんなに環境を整えてあげたかを、競っているかのようだった。

実際に本人たちがどんな気持ちでその心臓を扱っているのかは知らないけど、とにかく立派なことをしているとアピールしたいんだろう。

どうせ配信に飽きたらすぐに処分するくせに。

私はそう決めつけながらも、心臓を管理する動画をだらだらと見続けてしまう。

そして私はそのまま寝落ちしてしまったようだ。

 

いつものアラームで目を覚ますと、私はベッドの布団の上でうつ伏せに寝転がっていた。

不自然な姿勢で寝ていたせいか体の節々が痛いし、ずっと耳が休まる暇がなかったせいか頭も重い。

スマホでは、軽薄そうな人間がぺらぺらと心臓の解説をエンドレスでしていた。

こいつのせいで、と溜め息をつきながらサイトを落とし、心臓に目をやる。

「あれ・・・」

私はその心臓の拍動に違和感を覚えた。

昨日まではもっとしっかり、ぎゅっと収縮していたような・・・

しばらく観察してみるけど、やっぱり心臓の拍動は、浅くて速い。力強く収縮できないから、血流量を拍動数で稼いでいるような動きだ。

見た感じ、まだ心臓に不具合は出ていないようだけど、このまま疲れ果ててしまう、なんてことにはならないだろうか。

仕方ない。朋子にでも聞いてみるか。自分の心臓がなくなっていることにも気付かないおっちょこちょいだけど、その知識は確かなものだ。

 

私が寝不足で気分が悪い中、マンションを出ると、そこにはさらに具合の悪そうな朋子が立っていた。

「おはよう、みどり」

具合の悪さを感じさせないような、いつも通りの明るい挨拶。でも無理をしていることはバレバレだ。

「うん」

私もいつも通りに返すけど、朋子の様子にはピンとくるものがあった。

あの心臓と朋子の体調が連動してるんだ。

やっぱりあれは朋子の心臓だったんだと、そう納得できた。

朋子は確かに具合が悪そうだけど、倒れるほどでもないし、作り笑いもできる程度だ。まだ急ぐ必要はないだろう。

「おととい拾った心臓なんだけどさ」

「え?」

私がそう切り出すと、朋子は少し驚いたようにした。

「なに?」

「あ、ううん。何でも・・・」

私が聞き返すと、朋子は首を振る。何なんだ・・・

「心臓がどうかしたの?」

「あぁ、何となく拍動が速くなってる気がするんだよね」

「頻脈かぁ・・・」

朋子は軽く首をかしげる。いつもの考え込むポーズだ。

「まだ水温が上がるような時季じゃないし、イオンバランスのせいかな? 低カリウムとか高カルシウムとか・・・ pHって測れる?」

「ううん」

こっちは生き物なんて飼ったことないんだぞ。どうしてそんなものがあると思うんだ。

「そっか・・・ あ、一回の拍動はどうなってる?」

「弱くなってるかな」

「じゃあ、栄養とか酸素とかが不足してるのかも」

「リンゲル液はおととい、新しいの入れたんだよ? そんなにすぐに替えなきゃダメなの?」

「普通はもう少し持つはずなんだけど、不安とか緊張とかのストレスで、代謝は亢進するでしょ? そのせいで栄養不足になったのかも」

朋子は一般論として挙げたつもりなんだろうけど、あんたの心臓の話だからね。

「とりあえず、水替えしてみるのが手っ取り早いと思うよ」

朋子はそう結論付けた。

「そうなんだ」

意外とめんどくさいんだな、心臓って。

「じゃあ放課後、新しいリンゲル液、買いに行くから朋子も見てくれない?」

「うん、いいよ」

私が言うと、朋子は即答する。

不安や緊張で代謝が亢進、って言ったけど、朋子にそんな繊細な部分、あるのかな。

心臓を落としたことにも気付かないような人間だし、今だって、ただの荷物持ちで呼ばれたことにも気付いていなさそうだし。

むしろストレスって言うんだったら、あんな母親と一緒にいる私の方がよっぽどひどいと思うけど。

そんな風に思っていたけど、心臓の不調の原因は三限の二クラス合同体育の時に明らかになった。

朋子が体操服に着替えて、体育館の隅で見学していたからだ。

なるほど。朝から具合が悪そうだったのは、あの日の貧血のせいというわけか。確かに貧血であれば、心臓の方にもすぐに影響が出るだろう。

あるいは、心臓の不調のせいでうまく血が回らずに、貧血になったのか。

まぁ、こっちでうまく管理してやれば、朋子の方もすぐに良くなるだろう。

朋子はコートから出たバレーボールをわざわざ拾いに行って、コートの中に投げ返していた。

 

そして放課後。

朋子はチャイムが鳴ると、すぐに教室から出てきた。

後ろから男子が一人、朋子を追うように出てきたけど、私のことを見つけて、教室に戻って行った。朋子が気にしていないようなので、私も気にしないけど。

「おまたせ、みどり」

「うん」

朋子の中ではたった5秒でも待たせたことになるらしい。

そうして私は朋子を引き連れて、近くのマッキに寄った。

朋子はすかさずカートを押してくる。本当に朋子はこういうことにはよく気が利く。

「リンゲル液はどれにしたの?」

朋子はそう尋ねてくるけど、私にはこの大量の種類の中から選べるような知識はない。

「店員さんのおすすめをそのまま買ったよ」

そう言いながら、前回と同じ青いラベルのボトルをカートに入れる。

「それ高いほうのだよ。すごいね」

朋子は値札を見ることなく言う。ここら辺の商品の値段、全部把握しているんだろうか。だとすれば、そっちの方がすごいと思うけど。

それにいくら高額だと言っても、私が自分で稼いだお金ではない。ただ渡されているだけで、全然すごくはない。

あるいは、これだけのお金を娘にポンと渡せる母親のことを『すごい』と言っているのだろうか。もしそうなら、朋子とは絶交だ。

その後、今の時季はヒーターもあった方がいいと言うので、前回買った円筒水槽にセットできるタイプの、台座型ヒーターも入れる。ついでにデジタル水温計も入れた。

カートの中は結構な荷物だ。

朋子はそのカートを押しながら、レジではなく、猫餌のコーナーに向かう。

「ごめんね。私も猫餌、買うつもりにしてて。一緒に入れさせてね」

そう言いながら、朋子は『スズメ味』と書かれた大袋の猫餌をカートに入れる。

「あれ、綱吉君、『クマネズミ味』しか食べないとか言ってなかった?」

何かの話の流れで朋子がそんなことを言っていたはずだ。『猫も贅沢になったものだ』と呆れたのを覚えている。

「今日はこっちの方が安いから。綱吉にもいろんな餌、慣れてもらわないと」

朋子は困ったように言うけど、『いや、贅沢に躾けたのあんただろ』と内心突っ込んでしまう。

そうして別々に会計を済ませると、朋子は私が言う前に全部の荷物を持った。

「そう言えば昨日、うちに来た?」

マンションまでの道中、そう尋ねてみる。

「え、気付いてたの?」

「何となくね。何の用だったの?」

そう言うと朋子はあからさまに目を逸らした。

「あ~、うん。ちょっと相談しようと思ったんだけど、またにするね。私の勘違いかもしれないし。ごめんね」

「ふ~ん・・・」

まぁ、別に朋子の相談なんて、さして興味があるわけでもない。自己解決できるんだったら、それが一番簡単でいいし、それが朋子らしい。

朋子に会ったのは高校に入ってからだけど、最初からそうだった。

体育での持久走の最中に、私が具合が悪くなってしゃがみ込んでしまったことがあった。

その時に近くを走っていた朋子が私を支えてくれて、保健室まで運ぶことになってしまったのだった。

でもそれは私にとって、いい迷惑だった。

『これだけ汗をかいている状態で密着されたくない』とはっきり言うと、朋子は少し考える素振りをした後で自己解決したようで、『じゃあ、保健室に連れて行きましたってだけ言っておくね』と言って、戻って行った。

私の体調不良は、スポーツドリンクを飲んで涼しい所で休めばすぐに良くなった。

それ以来、気付けば朋子は私のそばにいた。

いつもそばに控えていて、私が質問すれば何でも答えてくれる。手伝ってほしいことは何でもしてくれる。

言ってしまえば、使い勝手のいい人間であり、私を困らせたことは一度もない。まるで人形のように。

そんな朋子の心臓を、私がこまごまと管理してやってるんだと思うと、変な感じもする。

やがて私は家の前に到着し、朋子からずしりとした荷物を受け取る。

「じゃあ、また明日ね」

「うん」

そうして朋子が帰ると、私は早速、心臓の水替えに取り掛かる。

まずは観察。心拍の様子や表面の色艶は、朝と変わっていないように見える。水の濁りなどもない。

サイフォンホースでリンゲル液を多めに半分ほど、バケツに空けて、ゆっくりと新しいリンゲル液を水槽のふちに沿って注いでいく。心臓がその水流にあおられて、ゆらりと揺れる。

そしてサイドチェストにヒーターをセットして、円筒水槽を乗せる。

水替えのホースとバケツはシンクの下に入れておく。母親はキッチンに立つことなどないので、ここならば気付かないはずだ。

とりあえずこれで回復してくれればいいけど。

その日は私も睡眠不足だったので、早くベッドに入った。

 

翌朝は十分な睡眠によって、すっきりと目覚められた。

円筒水槽を確認すると、心臓はゆっくりと力強く拍動していた。昨日までの浅い鼓動とは全く違う。

温度も設定通りになっているし、一安心だ。あとは二日おきに三分の一くらいずつ水替えをしていけばいいらしい。

そうしてマンションを出ると、すっかり元気になった朋子が立っている。

「おはよう、みどり」

そこには自分の体調を隠しているような不自然さはなく、いつも通りの能天気な朋子がいた。

「うん」

私は立ち止まることもなく歩き続け、朋子はすっと私の横に並んでくる。

いつもだったらそのまま学校まで静かな時間が続くんだけど、今日は違った。

「あのさ、みどり。昨日、言いかけたことなんだけど・・・」

珍しく朋子が話しかけてくる。

勘違い、とか言って自己解決したものだと思っていたけど。

「なに?」

「うちのクラスの林君って、知ってる?」

「・・・知らない」

私はなかなか人の名前を覚えられない。苦手、というより単に他人に興味がないだけなのだろうけど。むしろ、どうして他人にそこまで興味が持てるのかと、疑問に思うくらいだ。

同じクラスの女子でも覚えているのは半分くらい。隣のクラスの男子となれば、合同授業があると言っても、顔すらも覚える気はない。

でもそんなことは朋子も知っているんだろう。特に説明するでもなく、話を続ける。

「その林君がね、今日のお昼休みに部室棟に来て欲しいんだって」

「ふ~ん」

うちの学校で唯一改築されていない部室棟は、昼休みにまで行きたいような場所ではない。何かこっそりするにはうってつけの場所だろう。

いじめとか、恐喝とか、告白とか。

朋子のような愛嬌のある顔が好きという男子も、それはいるだろう。

つまり、どうやって断るかという相談だったわけだ。

まぁ、何かにつけて優柔不断な朋子には難しい問題かもね。そんなの無視してればいいのに。

「私、行ってもいいかな」

ん? 何て?

朋子、そんなところに行くつもりなの? 一人で? 相手、男でしょ? 告白されちゃうよ? いいの?

そんな、何とも言えない思いが瞬時に頭の中を駆け巡る。

でも口をついて出てきたのは、全然違う言葉だった。

「好きにしたら?」

でも、その他に言うべきことは何もなかった。

別に私は朋子の保護者でも恋人でもないし、友人かどうかですら怪しいものだ。

そんな私に、なぜ朋子がこんなことを言ってくるのか、全くの意味不明だった。

「うん」

私に言われ、朋子は小さく頷いた。

いや、『うん』じゃないが。

行きたくないから私に話を振ったんじゃないのか? 何を一人合点して行く気になってるんだ。

私は『行ってくれば』と言ったんじゃないんだぞ。

でも結局、朋子はその話をそこで切り上げてしまう。

朋子が口にしないのだから、私の方から突っ込むこともできない。

まぁいい。

本当に好きにしたらいいよ。

 

 

ここで選択です。

別に朋子が何をしようと関係ない。行ってくればいい、という場合は『第6章』へ

やっぱり気になる。せめて見守ってやらないと、という場合は『第7章』へ

 

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