心臓を拾いました   作:ディエ

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第5章

私は机の上のスマホをのろのろと手に取る。

そしてお父さんのラインのアカウントを出す。

明日は折角の面会日だ。こんなことで貴重な一日を無駄にしたくはない。でも、もやもやした気持ちのまま、無理して笑顔で過ごすなんてのは、もっと嫌だった。

それは時間と労力をかけて来てくれるお父さんにも、悪いだろう。

『用事ができたから、明日の面会はキャンセルで。ごめんね』

私は諦めの気持ちで、そんな文面を送る。

しばらくして、お父さんから返信が届く。

『了解。代わりの面会日はいつがいい? 無理しなくていいからね』

私はその文面を繰り返し読み返す。

お父さんはいつも私を尊重してくれる。いつも私に選択肢をくれる。

でも母親は違う。いつも身勝手で、全て決定事項。私に選択肢はない。

母親がお父さんのように、私に聞いてくれたら・・・

そこまで考えて、私はハッとする。

聞いてくれたら何だというのか。

私は何か答えたのだろうか。

私は自分のこれまで、両親が離婚してからの『悲劇的な』自分の生活を思い起こす。

母親が『何もしてこなかった』と言うのなら、私だって『何もしてこなかった』はずだ。

最初から諦めて、何も提供しない代わりに何も要求しない。

ただ母親から渡されるお金を黙って受け取って来た。

それは母親の行動を肯定していることではなかったのか・・・

『無理しなくていいからね』

私はこれまで無理をしていたのだろうか。

母親の赤い顔が思い浮かぶ。

あれは本当に楽しかったのだろうか。

無理をしていたのは私だけだったのだろうか。

ふと見れば、円筒水槽の中の心臓は不規則に拍動していた。

ある時は強く。ある時は弱く。それは母親の気の迷いを示しているのだろうけど、私自身の混乱をも示しているように見えた。

あぁ、もうめんどくさい。

私はベッドから跳ね起きると、自室を出て、リビングのドアを勢いよく開けた。

母親は何事かとこちらを見るけど、私はその視線に負けないように、仁王立ちになった。

「お母さん、もう夜の仕事辞めて昼の仕事にして!」

私がそう言うと、母親はぽかんとしてこちらを見上げた。

私から話すことなんて、いつぶりだろう。しかも内容は母親の生活に関することだ。

「でも・・・」

母親がそう言いかけるのを、私は遮った。もう勢いだ。全部言ってやる。

「お小遣いはいらないから! お酒もやめて! 引っ越しも嫌!」

母親は黙ったまま、私を見詰める。私も黙って母親を見詰め返す。

母親はこんな娘のことをどう思っているのだろうか。

やっと口を利いたと思ったら、わがまま放題。これまでの恩も何もない、どうしようもない子だと思われただろうか。

しばらく睨み合うけど、母親からの言葉がないので、私は来た時と同じようにドアを乱暴に閉めて、自室に戻った。

今更ながら胸がどきどきしてくる。

円筒水槽の中の心臓は、なぜか力強く拍動していた。

それから私は部屋に引きこもっていたけど、母親が出勤する音は聞こえなかった。

私に何か言われたくらいで気にするような母親ではない。

多分、元から休みだったのだろう。

私は夕食時にリビングに行ったけど、母親は自室から出て来ていないようだった。

まぁ、いつものすれ違い生活だ。

私は何も考えずに、いつも通り一人で夕食を食べ、お風呂に入って、SNSを眺めて、ベッドにもぐり込む。

 

翌朝、私はやけに焦げ臭い、甘ったるい匂いで目を覚ました。

もしかして火事か、と慌ててリビングに出てみると、キッチンには母親が立っていた。そんなところに立っているのを見るのは初めてだった。

「何やってるの!?」

思わず尋ねるけど、母親は煙を上げる魚焼きグリルの前でただ立ち上る煙を見ているだけだった。

「焼き目玉。朝には食べるんでしょ?」

私はその『何か違う?』と言いたげな返事に呆れながら、急いでグリルの火を落とす。

本当に何を考えているんだろう。よくそんなんでこれまで生活してこれたな。

あぁ、お父さんが全部やっていたのか・・・

「普通でいいんだよ、普通で」

私はシンクの下から出したガラス製フライパンを火にかけて油を引くと、生卵を割り落とした。

「これが焼き目玉の正体だったのね・・・」

母親はそう呟きながら、私の手付きを興味深そうに見ている。

これはしばらく調理実習が必要だな・・・

そうして私の作った焼き目玉を渡すと、母親は皿の四隅に醤油、ソース、ケチャップ、塩を少しずつ添えるという、贅沢なんだかどうだか、よく分からない食べ方をした。

離婚前はそうやって食べていたんだろう。

折角だし、ついでに私も朝食をとることにする。

向かい合って食べることになり、母親はどこか気まずそうだったけど、それは私も同じことだ。

母親はお金を渡すことで衝突を避けていたのかもしれない。私は沈黙を通すことで楽をしていたのかもしれない。

そのうち、これが自然な日常になる日が来るのだろうか。

そして当然、母親は洗い物の仕方も知らなかった。

 

私は一通りキッチンを片付けて自室に戻った。

そこには空の円筒水槽。

いつの間にか心臓はいなくなっていた。

そう言えば朝は慌てていたから心臓の様子は見ていなかった。

でもそこには喪失感も不安感もない。

心臓はあるべき場所へ戻ったのだろう。

私は自分の胸に手を当てる。

今までのねじくれた心と体じゃ、居心地は悪かったよね。

この子は私の体から抜け出たはいいけど、やっぱり私に見付けてほしくて隠れていたのかもしれない。

そう考えれば、なお一層愛着も湧いてくる。

これからはちゃんと現実に向き合うようにするから。家出なんてしなくて済むようにするから。

お母さんと正面から向き合うから。

 

それに応えるように、私の心臓は強く拍動した。

 

 

―― 和解エンド

 

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