ガールズ&パンツァー Interview Log ~戦車道少女たちの記録~ 作:Colonel.大佐
プラウダ高校 ノンナ
〔あの全国大会において有力候補であったプラウダ高校。高度な戦術と戦略、そしてソ連製戦車を中心とする大規模な戦力は黒森峰にも劣らないと言われているが、全国大会では大洗女子学園に敗北した。あの記録的な敗北に関して、内外問わず様々な議論がなされている。当時のプラウダ高校で副隊長を務めていたノンナ選手はあの敗北を体験した人物の1人だ。その非凡な狙撃能力と揺るぎない冷静さから、一時は日本代表選手に選抜されると言われていた彼女であるが、自らその申し出を辞退し、現在はプラウダ高校で非常勤の戦車道教官を同僚と共に続けている。仕事の合間を縫い彼女は取材に応じてくれた。雪が降る中、演習場を見渡す監視塔に佇みながら、彼女は昔の事を、そして当時の隊長に纏わる話を振り返った。〕
カチューシャ(※1)とは同郷出身でしたが、戦車道を選択したのは高校に入ってからです。当時のプラウダ高校では戦車道の受講生徒は「小柄な体格の者でなければならない」という暗黙の了解(※2)がありました。特に長身の私は入るに相応しくないのでは?と思い、高校に入ってから別の科目を選択しようと考えていました。ですがカチューシャから強く説得されて戦車道を受講する事に決めました。
カチューシャと一緒に操縦士、装填手、車長と多くのポジションを試してきましたが、私にとって一番合っていたのは砲手でした。砲撃の成績を当時の隊長から褒められた私は一軍に異動しました、後から聞いた話ですが、あの一軍への異動はカチューシャが隊長へ直訴した事が決定打になったそうです。曰く、才能を埋もれさせるには勿体ないと。
異例の待遇を受ける事になったと同時に、上級生から冷たくあしらわれる事もありました。でも、カチューシャから「頑張ってやっていこう、いつか皆を見返してやろう」と言われて二人で頑張って行きました。そて二年目の全国大会で、私達の運命を変える出来事がありました。
――プラウダ高校の優勝ですか?
はい。
あの決勝戦で、私達は隊長からの指示で待ち伏せ攻撃を仕掛ける事にしました。幸いにも地の利はこちらにあり、待ち伏せに適した場所を見つける事が出来ました。片側が崖、もう片側は川という一本道、先頭車両が攻撃を受ければ前進は不可能、相手を後退させ、こちらの時間を稼ぐというのが私達の目的でした。本隊を照準に捉えた際、私は戦闘車両の撃破しようとトリガーに指をかけました。
当時乗車していたのはT-34/85。攻撃力は申し分なく、先頭を走る三号戦車を撃破するのは簡単でした。
しかし、カチューシャは私に砲撃を中止するよう言うと、後続……三号の後ろを走るフラッグ車を撃破するよう指示を飛ばしました。射線に三号がいるので、それをどうにかしなければ撃てないと進言すると、カチューシャは三号をどかしなさいと私に指示を出しました。
私はそれに従い。出来る限り温厚に……履帯を破壊して足を止めさせたり、砲撃で三号の進路を変更させてフラッグ車を狙えるようにしました。でも、当時の私は技術がまだ足りず、狙って発射した砲弾は三号の手前、地面に命中し、車体が揺れた三号は片側の傾斜へと滑り、川へと落ちていきました。
その瞬間、剥き出しになったフラッグ車を前に無線から歓声が上がったのはよく覚えています。意図せずに生まれたチャンスに、他の待ち伏せ中だった車両はこぞって攻撃のために待ち伏せ場所から飛び出していきました。落ちていく三号を見ながら固まった私は、砲弾が装填される音とカチューシャの大声でようやく気を取り直しました。
フラッグ車の車長……黒森峰の副隊長がフラッグ車から飛び出して、沈んでいく戦車にかけよる光景を照準器ごしに眺めながら、私はトリガーを引き、すべてに決着をつけました。
――優勝時はどんな様子でしたか?
それはもう、歓声の嵐でした。
今まで連敗し、準優勝止まりが関の山だった我々プラウダ高校が勝ち取った優勝の二文字。それを手にしたという喜びで、全員の胸は一杯でした。でも、私は最後の一撃を決める前、自分が原因であの戦車の乗員を危険に晒してしまったのでは?と気にかけていました。それこそ、運が悪ければ怪我人や死傷者すら出ていたかもしれない事態で、私は優勝どころではありませんでした。それに乗員を助ける為にフラッグ車から飛び出した、そのがら空きのフラッグ車を撃破するのは気が引ける行為でした。
カチューシャは私に、気にする事はないと強く念を押した上で、私の砲撃の良さを褒め、それから優勝した事を喜ぼうと言いました。その後、隊長から呼び出された私達は、直々に、来年度からの隊長と副隊長にすると言われ、その上に激励までされて……
目まぐるしい立場の変化、良心への叱責……とてもじゃないですが、優勝後はしばらく不安になりました。助けに向かった事で副隊長は敗北の責任と自責から転校を余儀なくされ、私が撃った戦車の乗員は殆どが戦車道を辞め、さらに転校したという話が、風の便りで私の所まで届いてきました。
そんな中で、カチューシャは私を励まし副隊長としてしっかりしろと日夜私の背中を押してくれました。同郷出身で、昔から変わることのない関係でしたが、あの時だけは立場も変わっていたと思います。
その日から私達は二度目の栄光を手にするために練習に励みました。私は砲撃の訓練に励み、KV-2、T-34、IS-2まで、様々な戦車の砲手として常に完璧な精度で撃破するために訓練を続けました。二度と前年のような事はしないと。
――では63回大会についてお聞かせ下さい。大洗女子学園との試合前はどんな感じでしたか?
そうですね……やはり全員が熱に浮かれていた、そんな気がします。
大洗女子学園がアンツィオ高校を撃破した時点で、私は対戦相手のデータ集めを開始しました。試合の映像、出場名簿、相手校の公式サイト、SNSの情報、噂話……手元でかき集める事が出来る全ての情報を調べた結果、結論として私達は「取るに足らない相手」と評価しました。寄せ集めの戦車と選手など、こちらの戦力と比較すれば脅威にもならないだろう、と。
唯一の懸念したのは相手の隊長が、去年の黒森峰の副隊長だった事です、最強と謳われた高校にいた戦車道名家の娘、西住みほ選手。しかし、カチューシャにとっては、プラウダ高校を優勝に導いた女神にして失態を犯した指揮官というのが彼女に対する評価でした。それにこの戦力差を覆す事は出来ないだろうという結論で、私達は楽観しながら試合を迎えようとしていました。
今思えば、あの慢心が敗北の切欠だったのかもしれません。
あの日も、今日と同じ様に雪が降っていました。あの時、連盟の指定した試合場所は雪が降るような遠い僻地、東北の学園艦である私達から見れば、地の利と経験が物を言うフィールドです。相手は6両、四号戦車、三号突撃砲、M3リー、八九式、38(t)、ルノーB1bis……普通に考えれば、慢心が生まれるのは当然という戦車たちです。サンダースや黒森峰と言ったかつての宿敵に比べれば、戦車の数はあまりにも少なく、心もとない中戦車に旧式戦車、私がもし指揮官なら、このような戦力で全国大会優勝を戦い抜けといわれたら真っ先に辞退します。
カチューシャは試合前に彼女たちを見て笑いました、私も心のどこかでは「彼女達の快進撃もここで終わるだろう」と考えていました。
――大洗女子学園が学園艦存続を掛けた試合に臨んでいるという話は、当時聞いていましたか?
いえ。そのような話は一度も。
ただ、カチューシャの出した降伏を拒否した所で、彼女たちが断固として戦う道を選んだという決意は感じました。普通の学校であれば、あれだけの状況なら降伏の要求を呑むでしょう、実際にカチューシャは同じ様な戦い方で他校に勝利した事もありました。逆に降伏を拒否した場合は、徹底的に叩き潰す、それがプラウダのやり方です。
完全に包囲し、罠へ誘い込み、号令一つで撃破できる状況にありましたがカチューシャの指示で一時休戦になりました。雪が激しさを増し、試合会場が吹雪に見舞われたので運営側からも試合続行に関する協議が行われました。しかし雪の降るこのフィールドこそがプラウダの独壇場、試合場所を変えられる事無く、我々にとって有利なこの場所で倒すことが最優先の目標でした。
ただ……あの休戦は完全に私達にとって不利に働いた。今ではそう思っています。
――不利というと?
勢いを削がれたという点です。試合前には楽観がありましたが、全員が全員、油断をせずに相手に勝つ事を考えていました。士気は旺盛でしたが休戦という間を挟んだ瞬間、私達の士気は一気に低くなりました。こちらが不利だから、という理由ではありません。これでもう勝っただろうという慢心です、あの休戦は私達にとっては不必要なまでに長すぎました。逆に大洗女子学園は態勢を立てなおし、一時休戦を利用した偵察でこちらの状況を逐一掴んでいました。
油断があったとは言え我々の監視を欺き、更には変装で極限までこちら側に近付いて偵察を果たした彼女たちは大胆不敵としか言いようがありませんでした。後にみほさん……大洗女子学園の隊長から聞いた話では、偵察に出したたった4人でこちらの戦車の位置を詳細に割り出したばかりか、包囲網を突破するための穴……カチューシャが用意した罠を発見して掻い潜ったそうです。見事としか言えません。
でもその時の私はカチューシャの傍につき、そんな事態に気が付かないままひたすら静観していました。
本隊が抜け出した瞬間、明らかに休戦前と動きが違う事に気が付いたのはまさにその時でした。包囲網を突破するために6両はまるで意思を持った生き物のように、乱れる事無く固まって包囲網の一番厚い部分……つまり本隊の真正面を突破しました。すれ違い様に1両を撃破して突破された瞬間、私は楽に勝てる試合ではないと瞬時に悟りました。
――戦車の数、質において優勢だった筈ですが。
確かに数では優勢でした。それに質も。
しかし戦車道では、それ以上に乗員の腕前や指揮・連携が重視されます。あの時の大洗女子学園は間違いなく、我々よりも高い士気であったと思います。全員が取る行動に迷いが無い……そうとしか思えない程の行動でした。
逃げ回る大洗女子学園の本隊を追跡する中で一番驚いた事は、38(t)の存在です。かき集めた情報ではあの車両はそれまで特に敵を撃破した事の無い最弱戦力でした。砲撃あたらず、ただ走り、盾となるだけの存在。そんな軽戦車が単騎で追撃部隊に立ちはだかりました。私は離れた場所でその光景を眺めながら、これで一両を撃破しただろうと確信しました。
でも実際は、恐ろしい機動力と正確無比の砲撃が叩き込まれ、二両が撃破され行動不能車両が築きあげられていました。信じられない光景を目の当たりにしながらも、私は遠距離からの砲撃で何とか38(t)を仕留めました。もしあそこでとどめをささなければ、試合も違う結果に終わっていたかもしれません。
その後本隊と合流した私は、38(t)の攻撃から復帰したIS-2に乗車しました。
破壊力があり、絶大な装甲を有する我が校の重要戦力。私が搭乗すると同時に、慌しくなっていた周囲は試合前のような楽観のムードになりました。後輩からは「副隊長が使えば100人力です」と言われ、カチューシャからは「これで息の根を止めてやりなさい」と言われました。しかし……いつになくプレッシャーが私を襲いました。
いつの間にか四号と三突は消え、目の前にはたった3両……フラッグ車の八九式と、M3リー、ルノーB1bisがいるだけでした。
私は仕事を全うしようとトリガーを引きました。シルエットの大きいM3リー、ルノーはすぐに撃破できました。でも、八九式だけは違いました。
雪上の八九式はとてもよく動きました。スペック上で我々が簡単に追いつけるほどの速度が出ない車両でしたが、どれだけ全速力で追い掛け回しても、有効な射程圏内を出る事すらありました。後に聞かされた話では、エンジンを改修していたお陰であれだけの速度を実現していたそうです。
ですが、その装甲は極端に薄く、こちらの主砲なら一撃で撃破できるほどでした。しかし八九式は、その速度と回避運動で私達をあざ笑い続けました。T-34はともかく、私の乗っていたIS-2は搭載の砲弾がかなり少なく、それこそ極端な連射をすれば弾切れになってしまいます。慎重に狙いを定める必要がありました。
〔ため息を僅かに吐く〕
今思えばT-34に乗ったままの方がよかったのかもしれません。砲弾を気にする必要があったあの状況では、IS-2よりもT-34のほうがはるかに早く撃破できたかもしれません。
追い撃ちをかけるように今度は村に秘匿したフラッグ車の位置が露見し、離脱した四号と三突がフラッグ車の攻撃に回りました。フラッグ車はT-34/76、装甲も火力を考えれば太刀打ちするのは極めて不利、更に護衛のKV-2は何ら活躍する事なくすぐに撃破されました。
ここにきて、チームの全員が敗北という恐怖に怯え始めていました。罵声を飛ばしながら主砲を一心不乱に乱射する者、敗北を悲観し半狂乱になりながら撃ち続ける者、何も喋らずただ沈黙し無言で撃ち続ける者……カチューシャの檄が飛び、無線からはフラッグ車のチームの怯えた声が聞こえてきました。
私は雑念を追い払うように、集中して照準器を覗き込みました。至近弾での撃破を狙い、榴弾の装填を指示してから、ここで決めろと自分に言い聞かせながら、照準器を覗きました。
そして、私はトリガーを引きました。
――ですが、間に合わなかった。
はい。確かに八九式にダメージは与えました。しかし至近弾と言っても撃破に至るほど近くではなく、それでもかろうじて自走できる状態にありました。
破片を雪上へ撒き散らし、よろめくようにガタガタと走り続ける八九式を照準器に捕えながら、私は次弾の装填を命じました。しかし、車長からは重苦しい返事が返って来ました……「その必要がなくなりました」とだけ。
紙一重の差で、大洗女子学園はフラッグ車を撃破しました。
敗北の責任は誰にあったのか、すべてが終わった今となってはどうでもいい事です。最後の一発を外した私でも、フラッグ車を護衛できなかった彼女たちでも、全てを統率する指揮官のカチューシャにも、すべてに責任があり、私たちの慢心と彼女たちの奇跡的な幸運が生んだ名試合で、私達は負けて彼女たちは勝った、それでいいんです。
準決勝まで勝ち進み、前年で優勝の文字を手にした、それだけで私は三年間の戦車道に満足しています。カチューシャも同じ事を言うでしょう。
ただ……出来る事ならば、もう一度彼女たちと戦ってみたかったと思っています。それはもう叶わない夢になってしまいましたが。
――日本代表選抜の噂もありましたが、実際はどうですか?
日本代表選手としての誘いですか……参加するつもりは無い、と言ったら嘘になりますが、今の私にはやらなければいけない事があります。
こうして後輩達を指導するという仕事もありますし、カチューシャの補佐をする事も私の仕事です。でも、カチューシャも最近は世界大会に対して乗り気のようです。もちろんカチューシャがその道を選ぶのであれば……私も一緒にその道を行くつもりです。
(※1……当時のプラウダ高校隊長)
(※2……ソ連・ロシア軍における戦車兵の採用基準を真似たという諸説あり