ガールズ&パンツァー Interview Log ~戦車道少女たちの記録~ 作:Colonel.大佐
アンツィオ高校 アンチョビ
〔かつて「ノリと勢いだけが武器の学校」として槍玉にあげられる事の多かったアンツィオ高校だが、近年ではP40を筆頭とする新規戦車の度重なる調達と、類稀な戦術から新たなる強豪高校として注目を浴びつつある。そうしたアンツィオにおける戦車道の改革に乗り出したのが当時アンチョビの名で知られていた隊長の安斎千代美選手である。アンツィオ高校の戦車道不遇の時代を乗り越えてきた陰の立役者であった彼女は、今でもその功績からアンツィオ高校では名の知れた人物となっている。今でも戦車道の客員講師として時折活躍する彼女であるが、普段は母校アンツィオ学園艦の名物レストランの料理長としても活躍している。〕
切欠は中学三年生の冬。進学先に困っていてた矢先に戦車道の推薦入学を申し出てきた学校があった。それはもう破格の待遇で、戦車道チームでそれなりに良いポストを用意するだけじゃなく学費優遇という至れり尽くせりな内容に思わず私は目を輝かせて推薦入学を引き受けた。今になって思えばあれはかなり早とちりな行動だったと思う。だって、私の身の回りはみんな進学先が決まってたり或いは進学する必要がなかったりで、進路が決まってないのはごく僅かで焦っていた、しかも当時は深く考えずに渡された資料をサッと目に通しただけで終わっていたから、進学先がどんな学校かなんて深く調べもしなかった。
アンツィオ高校はイタリア風の学校でロマンチック、入学したらローマやベネツィアのような優雅な場所で暮らしながら学校生活を送れて、素敵な恋もして……なんて夢見てたけれど、今思えば栃木の学園艦という事や偏差値がそれなりに低い事や戦車道の過去データからどんな学校かはちゃんと調べればよく分かったはず。なのに何でかな、私はそんな事も露知らずにアンツィオ高校へ入学したんだ。一年生の時は入ってすぐに転校まで考えたほどだった。
――想像と違う学校だったと?
その通りかな。
確かに町並みは豪華でいかにもイタリアという感じだったけれどそんな希望は最初のうちで、肝心の市街地や歓楽街はただ単にイタリア風に揃えてるだけで由緒正しい歴史も無ければ特に観光して面白いと思えるようなパッとした特長もない、チネチッタ(※1)の中に学校があるような感じ。学校も同じで校舎の見てくれはイタリア風でも中身はもろに普通の学校……いや、もしかしたら中学校の時と比べれば幾分かランクが下がったのでは?ってくらいお金の無さそうな感じだった。あとは生徒の質。上の学級では明らかに喧嘩っ早かったり、何と言うかヤンキーみたいな人もいて怖かったし、誰も彼もが深く考えない、享楽的な学校生活をエンジョイしていてみんな欲望に忠実。
ホントに、最初はとにかく面を食らって理想が音を立てて崩壊している気がしたなぁ……
――さぞ辛かったでしょう
んー、でもどうだろう。アンツィオ高校はよく「どんな生徒でも入学して暫くすればアンツィオ色に染まる」なんて言われていたぐらいで、暫く過ごしたらそれはそれで慣れちゃって、半年もしないうちにこの校風こそが最高!って思えるようになったんだ。予算獲得の為とは言え毎日出店が並んでいて常にお祭り騒ぎ、みんなノリも良くて明るく陽気、まあいい加減な感じのノリもあるからそこは問題と言えば問題だったけど、逆にそれが良い方向に働いてるのかな?って気はした。
――当時の戦車道はどのような感じでしたか?
それはもう、焼け野原と言った方がいいくらい酷い惨状だったかな。まず戦車の質が圧倒的に悪い。軽戦車のカルロ・ヴェローチェ(※2)が一番数が多くて、しかも主力武装が機銃だから敵の撃破は夢のまた夢。打撃力のあるセモベンテ(※3)はあっても数は少なくて、後は予備戦力としてカルロ・アルマート(※4)が少しある程度。つまり戦車の質で言えばどこの誰よりも弱い、P40(※5)に至っては当時1両も持っていなくて、他校を相手に正面切って戦うのはまず不可能な戦力だ。
次いで一番の敵は予算不足。アンツィオ高校は貧乏高で、学園艦の運用で精一杯、だからこそ訓練や試合に使える燃料と弾薬、戦車の予備パーツや消耗品もろもろに使える費用が圧倒的に少なかった。こればっかりはどうしようもなくて、出店や節約して浮かせたお金で何とかやり繰りするしか方法は無かった。もっとも予算と情熱をご飯に注いでいるアンツィオでは仕方ない事だったけど。
最後の敵は……人の不足だった。
――受講生が少なかったのですか?
まさにその通り。まず私が入ったときは二年生と三年生が合わせて数人という非常に小さな所帯だった!だって、数人じゃせいぜい2両かそこそこの数しか戦車を動かせないから、試合で全戦力を使うというのはまず無理だ。おまけに私以外の一年生はいなくて、アンツィオ高校始まって以来の戦車道冬の時代だった。
その上級生もいい加減で、日によっては練習したりしなかったりでまちまち、更に戦車道の授業中だと言うのにサボって町に繰り出してナンパを始めたり、勝手に出店を始めてみたりと自由気ままに動いていて、崩壊寸前の状態だった。何とかサボりだけは減らすように努力して、先輩方を説得してせめて戦車道の時間ぐらいは戦車に乗るという、戦車道の“せ”の字の部分から教えなきゃいけなかったとは……
最初の一年はそういった惨状を見て、まず方針として「学校内における戦車道ポジションの確立」から始める事にした。戦車道はいいぞ、とアピールする事で受講者を増やそうと言う目論見で、とにかく戦車を街中で乗り回す事で存在感をアピールして受講者を増やす事に決めた。結局、人は集まらなかったけど学園艦広報とも連携してアンツィオ高校はちゃんと戦車道はしている、というアピールは出来た。それに全国大会だって出たんだ!結果は1回戦敗退だったけれど……
次にやったのは存在感を出す事。先輩方は当時ほとんどやる気がなく、ただ戦車に乗りたいとか戦車が好きという理由だけで集まった人ばかりだった。いや、でも悪い人じゃなくてみんな世話焼きでいい人だったけど……とにかく皆を引っ張って統制できるカリスマ性のあるリーダーの存在が欠けていた。
そうこうしているうちに最初の一年が終わって、三年生が卒業した。この時になると私はもうやる気満々で、アンツィオの戦車道を何としてでも立て直そうと思っていた。そもそも私が呼ばれたのはその理由もあるし、ここまで気に入った学園艦なら、私も何とかして報いなければって感じだった。
そして二年目……今度こそ戦車道の復権を目指していた私の前に飛び込んできたのは受講者たった2名という恐ろしい現実だった。アンツィオの戦車道の歴史がぱったりと途絶えるのは時間の問題かと私は覚悟したんだ。
――どうやってその状況を切り抜けたんですか?
話すと長くなるけれど、まず初めての後輩が出来た時点で、その年は後輩の育成を中心にする事にした。もし私が卒業しても2人……いや、たった1人でもいいから、アンツィオ高校の戦車道復権という私の意志を継げる人を残したかったというのもある。三年生が卒業したら、後は私と後輩2人だけという状況はどうしても避けたかったし。で、当時の新入生2人が私最後の年に副隊長になったペパロニとカルパッチョだった。
カルパッチョはアンツィオの生徒にしては珍しく、おっとりとしていて冷静さを保てる優秀な副官だった。ノリと勢いに任せがちなアンツィオにおいてはカルパッチョは本当に助かった。私1人であの後に来た大量の新入生を纏め上げるのは無理だったかもしれない。聞く所によると、本当は大洗女子学園への進学も考えていたが、戦車道があると聴いてアンツィオへと来たらしくて、その点では前年のアピール作戦は効を奏したとも言えた。
で、ペパロニだが……あの子は本当にアンツィオを体言するような猪突猛進の子だった。作戦を忘れる、ここ一番の時にとんでもない事をしちゃったりする事もあったけれど、戦車を動かす事に関してはとにかく天才的な才能があったし、後輩を纏め上げるには丁度いい世話の良さもあった。
で、まずはこの2人と戦車道をとにかく研究する事にした。来る日も来る日も特訓をして、戦車を乗り回して腕を磨いた。そして燃料と弾薬が足りなくなったら皆で出店をして何とか資金を稼いだ。それから、基本戦術を見直してアンツィオの戦車でどう強豪と戦うか、その戦術や戦略について日夜調べ上げるという方向で一年を過ごした。でも一番の問題である人手不足についてはどうしようもなかったし、私もこの頃には諦めを感じていて、ちゃんと皆を引っ張っていけるか不安になる事もあった。
そんな時に助け舟を出してくれたのは先輩だった。去年から私を見守っていた先輩は、私の駄目な所をちゃんと見ていた。
まず先輩は私の気弱な部分がいけないと言った、そこで、私にキャラを作れと命じた。先輩は「安斎は容姿がいいからまずそれを生かして目立って後輩の心を掴ませろ」と言って、髪形をツインテールにして、眼鏡も止めてコンタクトにしろと言って来て、普通の制服に学校指定のマントも付けてムチも持ってリーダーっぽくしようとも言った。最初は抵抗感があったけれど、いざ言う通りの格好をすると自信も何となく沸いて来た。
それから、戦車道の制服も変えた方がいいと提案された。先輩はどこからか資料を集めると、わざわざ学園艦内の仕立て屋に頼んで、リーダーに相応しいような格好として軍隊の制服らしい、かっこいい制服を仕立ててくれた。これがとても良くて、この格好と制服にした途端に、私は別人になったような感じがした。先輩は私を文字通り戦車道の“ドゥーチェ(総督)”へと仕立て上げてから、満足げに卒業していった。
私が三年生になってから、正念場が来た。私は新入生を相手に戦車道受講のプレゼンを行うことになった。緊張でどうにかなりそうだったけれど、先輩が教えてくれた事、そしてペパロニとカルパッチョの後押しを受けて、私はあの制服と共に壇上に上がり、演説を打った。噛んだり台詞を忘れたりしないか心配だったけど、私はリーダーとして、ドゥーチェとして一世一代の演説をやり遂げた。
その翌日、今年度初となる戦車道の授業で、受講生がゼロという最悪の結末を想像しながら、私は戦車道の教室へと向かったんだけど、結果は……
――大成功だった。
〔彼女は満面の笑みを浮かべると大きく頷いた〕
もう最高の気分だった。アンツィオ高校の戦車道復権の第一歩を、私は何とか踏み出せた。
戦車をフルで運用できるだけの人員を揃えた後は、とにかく去年に培ったノウハウを後輩へ叩き込む事が第一歩になった。みんないい子で、私の言う事には素直に従ってくれたし、私の期待に応えれる働きも十分にした。私とカルパッチョが作戦を立てる、そしてペパロニが後輩たちを纏め上げて実技を叩き込む。私の思い描いたプランが現実になったんだ。
そればかりじゃない、人数が増えた事で出店も増やせるようになった。これで戦車道の予算を獲得し、念願の重戦車P40の採用に踏み切る事が出来た!これはアンツィオの戦車道における革新的な事だった。まあ、性能は他の強豪に1歩だけ近づけたレベルだったけれど……
そして、待ちに待った全国大会出場で、私はマジノを相手に勝利するという、万年1回戦敗退というアンツィオ高校戦車道の歴史にピリオドを打った。アンツィオが弱いなんて言わせない!!そんな心で、戦車道のチームは一体になった。まあ、その後は2回戦で敗退しちゃったけれど、あの勝利には大きな意味があった。
でも私はもう三年生で、これ以上チームの成長を傍で見守る事は出来なくなった。名残惜しくもアンツィオを卒業した後、本土の大学を卒業した私に後輩や学園艦が声をかけてくれた。「ドゥーチェ、よければまたこっちに来ませんか?」って。戦車道は私を変えた、素敵な出会いも喜びも楽しい事も一杯あった、だからこそ私は迷う事なくここにいる事を選んだんだ。
(※1……ムッソリーニ政権時に作られたイタリアの映画都市。いわば映画撮影所)
(※2……L3、又はCV33軽戦車。イタリア軍の採用していた戦車で、2人乗りで機銃が主武装の車両)
(※3……セモベンテM41自走砲。イタリア軍の採用していた自走砲で、当時アンツィオ高校の重要戦力のひとつだった)
(※4……M13/40中戦車。イタリア軍採用の戦車で、アンツィオ高校で予備戦力として使用されていた)
(※5……P40重戦車。イタリア軍採用の重戦車で、当時のイタリア軍としては破格の性能を持つ戦車だった)
アンチョビがどうやってアンツィオを立て直したのだろうか、という妄想でした。コミカライズ版の設定にもちょっと言及しています。