ガールズ&パンツァー Interview Log ~戦車道少女たちの記録~   作:Colonel.大佐

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File03 大洗女子学園 エルヴィン

大洗女子学園 エルヴィン

 

〔攻撃力不足の車両が目立った大洗女子学園最初期の戦車道において、三号突撃砲F型は主力戦力として活躍し、対プラウダ高校戦ではフラッグ車の撃破という大任を担った武勲ある車両である。三突の車長を勤めていた松本里子選手は昔から第二次世界大戦、それもドイツ軍を中心とする戦史に没頭していた。彼女は自らを“エルヴィン”と名乗り、当時の選手名簿にもその通り名で登録されている。現在は戦車道を離れたものの、軍事雑誌のライター・戦史研究家・戦車道解説者としての道を歩み、第63、64回全国大会での数奇なる戦いを題材にした彼女のノンフィクション「大洗戦車道 三号突撃砲奮闘記」が出版され話題になった事は記憶に新しい。彼女は今現在、本業の傍ら次回作を書き進めている〕

 

 

 あの頃、私達は影で「歴女チーム」と呼ばれていた。無理も無い話だと思う、私は憧れから色々な軍装……それも第二次世界大戦時のドイツ軍ものを中心に集めていて、かの名将ロンメル将軍を真似て軍服を制服の上に着ていて軍帽も被っていたし、私達の親友3人も自分の好きな時代の好きな偉人を模した格好をしていた。ところで……親友の名前を出すにはどうすればいいか?本名か、それとも当時の通名か……

 

 ――お好きなようにどうぞ。こちらから補足を入れます。

 

 では、お言葉に甘えて当時の呼び名で。チームの実質的なリーダーだったカエサル(※1)は古代ローマ史好きで、赤いマフラーをいつもなびかせていた。おりょう(※2)は幕末史が大のお気に入りで、尊敬する坂本龍馬にあやかって紋服をいつも制服の上に羽織っていた。左衛門佐(※3)は戦国時代好きで、六文銭模様付きの赤い鉢巻を身に着けていて、いつも左目を瞑るのが癖だった。

 三人とは中学校の頃、学園艦の図書室で知り合った。互いに自分の趣味……歴史に関する事で語り合える友人もいなくて、いつも図書室で休み時間を潰していた身にとって、歴史を愛するという共通項を持つ友人が出来た事はとても嬉しかった。最初は自分の守備範囲の違いから、しばしば論争に発展する事もあったけれども、いつの間にか相手の事を尊重して語り合うという“礼儀”を身に付けていった事は確かだった。孤独に苛まれる事は無くなったが、今度は風紀委員が私達の格好に文句を付けるようになって…(笑)

 それから時間は流れて高校2年生の春、生徒会の戦車道に関するプレゼンが行われた時は「ついに私の望んだ時代がやって来た」という気がした。今まで記録映像や映画でしかお目にかかれなかった戦車を、自らの手で動かすというチャンスが目の前にやって来たのだから、私はすぐさま選択科目の戦車道という欄にチェックを入れた。嬉しい得点も入って一石二鳥だったし、他の皆も私が普段会話に登場させている戦車の本物を見れて乗れると聞いてすぐに了承の返事をした。カエサルも戦車と聞いてテンションを上げていたが、本人はどうも馬の方の“戦車”をイメージしていたようで……流石にチャリオットは無いだろうと。

 生徒会の流したPV通りに三号戦車に乗るという事も夢見ていたが、私が一番乗りたかったのはヤークトパンターだ。私が第二次世界大戦、それもヨーロッパ・東部戦線に興味を持つきっかけとなったのが模型屋で見かけた古いプラモデルだったからだ。ロンメル戦車などと今思えば随分とおかしなネーミングだが、あのヤークトパンターの勇姿から入った身としては、思い入れの深い戦車に乗れたら僥倖だろうと思っていたが……結局今でも乗れずじまい、私達の戦車道での相棒は三突だけだった。

 

 ――大洗には他の車両もあったようですが、何故三突を選んだのですか?

 

 いや……それには深い理由がある。

 私が著作でも述べた通り、私達の戦車道の第一歩はまず戦車を探し出すというものだった。そこで私達はあの広い学園艦の中で戦車を見つけるという途方も無い作業を行う事になった。私達は校舎裏の山に向かう事にしたが、収穫は殆ど無かった。そして戦車に纏わる談義をしている中で左衛門佐が昔見たとんでもない戦国SF映画で、戦車を池だったか川だったかに沈めるというシーンがあったと言い出した。確かに戦車を沼地や池などに投棄処分すると言った前例は過去にあるし、実際そういった経緯で引き上げられた戦車は多数存在する。私達はダメ元で裏山の池へ向かう事にした。

 池と言っても学園艦、元を辿れば人口の池なのだが当然ながら水は淀み、お世辞にも綺麗とはいえなかった、しかし提案者の左衛門佐は制服のまま池に飛び込んで底を確かめる事にした。結果は大当たりだった。私達が発見したのは三突だった。

 結果を報告し、自動車部の引き上げが行われ、各方面から見つかった戦車が集められたがドイツ戦車は四号と三突のみだった、広義に言えば38tもドイツ戦車だがあれはチェコスロヴァキア製だ。誰がどの戦車に乗るか、それが最大の課題だった。私としてはM3リーには絶対乗りたくないというのが本音だった。いや、確かにM3リーは強くないが良い戦車であるし、愛称の元になったロバート・E・リー将軍も名将だ、だが私の信奉するドイツ戦車に乗れず「6人兄弟の棺おけ」に乗る上に、知らない誰かといきなり組まされるのは避けたかった。当時は「戦車道も学校生活もこの4人で過ごしたい」という、どうも内向的な考えもあったのだが……

 だが、生徒会長の提案で「戦車は見つけたチームで乗ればいい」という事が決まり、私は三突に乗った。

 私はつい有頂天になってしまって「三突は冬戦争を支えた優秀な戦車だ」などと皆の前で堂々と言い放ったが……あの間違いは今でも恥ずかしいな。本当は継続戦争で活躍した戦車だ。まぁ、あの頃は色んな事に夢中で当時の私の知識ではフィランドの戦史はそれほど詳しく無かったが。

 それから、模擬試合をやる事になった。

 

 ――模擬試合の内容について詳しく聞かせて下さい。

 

 あまり長く語れる話ではないが……模擬試合は自車両以外は全て敵というルールだった、Free for All、バトルロイヤル形式の殲滅戦。

 だが私は事前に八九式を動かす事になったバレー部のチームに取引を持ちかけ、初手で隊長車……いや、まだこの頃は隊長ではなかったか。とにかく隊長車を潰してしまおうと持ちかけた。自衛隊から派遣された教官曰く、四号のリーダーは戦車道の名家の娘、つまりベテラン中のベテラン、戦車道のプロだった。そんな相手に蹂躙されるのはご免だ、ならば先手に出てこちらから潰してしまおう、私達には「西住流を倒した」という箔が付く。

 

 〔彼女は浅いため息を吐く〕

 

 今思えば幼稚で向こう見ずな考えだ。冷静に考えて欲しい、隊長はあの黒森峰を撃破した戦術家であると同時に、最高の指揮官だった。乗っていたのは今の戦車道日本代表メンバー、当時は素人の集まりだったとは言え天才的な素質を持ち合わせた最高のクルーが揃っていた。それに攻撃力と機動力というバランスの取れた四号戦車。素人の私達が浅知恵を働いた所で勝てる筈がない相手だった。

 それでも最初は動きがぎこちなかったし、勝機はあった。私は吊橋へ追い詰めて砲撃した。初めての砲撃に私の心は昂ぶった。勝てる、これなら勝てる!と。

 実際に左衛門佐は四号戦車に当てた。確かに砲弾は車体の後部に当たった。

 だが運よく……運悪くか、その砲弾はさしてダメージが入らない場所に命中し撃破判定は惜しくも上がらなかった。次の砲弾を叩き込もうと思ったが、カエサルはあまりに重たい砲弾に苦戦を強いられていた。あの甲冑好きで長剣の重たいレプリカを振り回せる、私達の中で人一倍体力はあるであろうカエサルが……

 結局私は撃破された。だがあの試合で唯一、隊長車に砲弾を叩き込んだのは私たちだった。希望が持てて来た。

 まぁ、そんな小さな希望もあの屈辱的な試合で完璧に打ち砕かれたが。

 

 ――ご自身で書かれた本でも語っていましたね、聖グロリアーナとの練習試合ですか?

 

 その通り。

 それから1週間もしない内に、聖グロリアーナ女学院と練習試合をするという情報が入ってきた。

 聖グロリアーナ女学院の主力がイギリス戦車と聞いて私は胸の高鳴りを押さえきれなくなった。三突の初陣にはちょうどいい相手に思えたし、何よりもヴィレル・ボカージュの戦い(※4)のように試合展開が進むだろうと考えていた。あの時は模擬試合であんこうチームの四号戦車――西住流である隊長に一撃を喰らわせた――という経験から相手はたいした事でもないだろうと思っていたし、自分がヴィットマン(※5)級の戦いを出来るかもしれないという浅はかな妄想まで膨らませていた。生徒会広報の立案した待ち伏せ作戦も完全に機能するだろうと考えていた。今思えば滑稽だ。

 私達にとっての大きな誤算は、これはヒストリカルイベントやリエナクトメントではなく本気の試合だと思わなかった事だ。自分達の好きな塗装を施そうと言い合った結果、三突は奇想天外な色になり、幟まで付けてしまって……今思えば待ち伏せを台無しにするくらい目立つ仕様にしてしまった。

 試合が始まると、三突は私達の希望に通りに動いてくれた。突撃砲ゆえの信地旋回頼みの照準という制約はあったが、攻撃力と射程に関しては初期の戦車では群を抜いて高かった。問題はこちらの練度不足で砲撃は全く当たらなかった事だけ。私は観測手を兼ねている、左衛門佐との連携不足、そして私と左衛門佐の腕からは遠距離の目標に当てる事は難しかった。生徒会が建てた待ち伏せ作戦は、私達……あんこうチームを除く全ての戦車の奇抜すぎる塗装、穴だらけの射撃精度、経験の浅さから容易く崩壊した。

 それから大洗の市街地へ逃げ込むという作戦……隊長曰く「もっとこそこそ作戦」を開始するに至った。

 各自に待ち伏せ攻撃の方法を一任され、私が出した提案は「待ち伏せをしよう」という物だった。ちょうど通りかかった薬局の隣に三突がちょうどすっぽり入る路地がある、そこへ入り込んで接近する敵を脇から叩こう、と。

 突撃砲が真価を発揮するのは待ち伏せにある、継続戦争、独ソ戦、西部戦線……突撃砲はまさに移動する大砲として使用される事が多かった。私の提案に皆が乗っかった、ちょうど幟があり、薬局には宣伝用の幟がある、それに隠れてしまえばどうって事は無いだろう、そう判断した。

 この判断はすぐさま役に立った。待ち伏せを始めて暫くしないうちに、マチルダがやってきた。距離にして数メートルも離れていない。左衛門佐は即座にマチルダ2に命中させた。

 あの時の歓喜といったらそれはもう凄かった、始めての勝ち星に私達は車内で歓喜の声を上げた。黒煙を上げるイギリス戦車、そして砲口から白煙をくゆらす三突。私は自分が西部戦線のど真ん中に立っているような気分を覚えて恍惚とした。夢にまで見た景色……私達は意気揚々と幟を回収し、次なる待ち伏せ場所へ向かった。

 腕を組みながらカエサルと並んで高笑いをして、これならやれる、絶対に勝てると自信を取り戻していた。車高の低さなら生垣やブロック塀が隠してくれるだろう、同じ様な待ち伏せ攻撃を行って撃破していけばいいし、実際、その戦法ならこちらにも勝算はあっただろう……あのバカみたいに目立つ幟さえ付けていなければな!

 頭かくして尻隠さず、まさにその通りの敗因で私達の三突はマチルダから逃げる際に砲撃で沈黙した。撃破判定装置が白旗を上げ、隊長へ報告を入れると同時に、車内は一斉に論議の嵐になった。「幟なんか付けたからこうなった」「カッコいいからぜよ」「さっきの待ち伏せには役立った」「でも、やられてしまったではないか」「一体どこの誰がこんな事をした」「鏡を見て言え」などと。後にも先にも戦車道の試合で友情にヒビが入りかけたのはあれが一度きりだった。結局試合は僅差まで詰めたがあんこうチームの行動不能により聖グロリアーナ女学院が勝利した。私も本では「敗北した」ぐらいしか書いていなかったが、正直な話、この試合の詳細は恥だと思って封印するべきだと思った。機会を逃したら今ここで言ってしまうが……

 結局練習試合に負け、その日の翌日には反省会となった。隊長を中心にして進められた反省会だが、全員揃って頭を抱えたのは言うまでもなかったろうな。私たちのチームは撃破という戦績を残せたからよかったが、M3リーは試合をする事なく乗員が試合を放棄して逃亡、八九式は至近距離からの不意打ちに失敗し脱出するという後先を考えない場所に突っ込んで撃破され、生徒会の38tは至近距離で隊長車への砲撃を外し、密集している他の敵車両すら外して撃破されるという情けない結果に終わった。カエサルは反省会の内容を引っさげて私達の前に帰ってきた。

 

 ――やはり失敗の責任は大きかったですか?

 

 いや。カエサル曰く「隊長は殆ど怒っていなかった」との事だったが、あの3両撃破という格の違う戦果を見せられた上で、冷静な指摘をされると、ただただ私達の力量不足が不甲斐なく思えてきて……初陣が散々な結果に終わった事から全員揃って派手な塗装は全て取りやめて、元の色へ戻そうと言う結果になった。三突を修理する前に、私達は自らの戒めを込めて撃破された三突を写真に撮る事にした。

 

 〔彼女は机の上に置かれたアルバムをめくり、一枚の写真を私に見せる。赤色、黄色と派手な塗装が施され壊れた幟が立てられたままの三突が映っていた〕

 

 こんな派手な塗装、過去に戦車道で何個が前例があるしタンケッテレースでは当たり前だが、高校生の戦車道でこんな事をしているのは私達ぐらいだった。それから元のジャーマングレーの塗装に戻され、改めて三突の練習を行った。徹底的かつ綿密に。

 生徒会長からこの学校を戦車道全国大会へ出場させると聞かされたからには本気でやるしかなかった。生憎、第63回大会では決勝戦でマウスを前に敗れてしまったが……それでも私達が大洗戦車道の「矛」として戦い続け、その役目を全うしたのは誇るべき事だったし、歴史が好きである事以外、何の取り得も無かった私達が果たした唯一の成果だったのは事実だった。それに、殻にこもって自分達だけの空間を作っていた私にとって、新しい友人も出来た。それが私達が胸を張って誇れる結果だった。

 

 

(※1……鈴木貴子選手のチーム内での通り名)

(※2……野上武子選手のチーム内での 通り名)

(※3……杉山清美選手のチーム内での通り名)

(※4……第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦時に発生した英軍と独軍の機甲師団が衝突した戦い。独軍側の損害11両に対し英軍は30両以上の戦車に損害を出した)

(※5……ミハエル・ヴィットマン(1914-1944) 第二次大戦中に活躍した独軍のタンクエース、138両もの戦車を撃破した)

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