黒い光が、頂点に達した。
フィニスの全身から溢れ出す圧力が、テルミナの荒野を揺らす。石が砕け、砂が舞い、四人の足元がぐらつく。
「くっ……!」
「これが最終形態、か……!」
これまでとは次元が違う。速さが、重さが、密度が、すべて別物になっていた。
「流し……切れない……っ!」
拳を受け流すアイリスの剣が弾かれる。
「おいおい、頭部なら攻撃が通るって話じゃなかったか……!?」
ソフィアの魔法が装甲に阻まれる。
「なんて威力……!」
クロエの盾が砕かれ、支援が間に合わない。
こちらの攻撃はまるで有効にならない。にも関わらず今のフィニスの攻撃は受け流す事も一苦労になるほど高威力だ。なんとか躱し、狙いを分散させる事で一秒後の生存を勝ち取る。
四人が、じりじりと押し込まれていく。
「……ルクスの話では頭を狙うしかないが……この形態になってからは一度も体勢を崩せていない。私の魔法じゃ脆い頭すら抜けていない。やはり決定打は聖剣か……?」
ソフィアが歯噛みしながら言う。
「もう一回地面を揺らすのは?」
「あれは下準備しておくのが前提。魔力もほぼ底をついている。あれほどの規模はもう無理だ」
地盤を緩くした上での地震の行使。既に大量の魔物と戦闘したソフィアに、それだけの魔法を使う余裕はない。
「なら――っ!」
迫る巨大な拳。魔王に、勇者の思考を待つ義理など存在しない。慌てて散開するルクスとソフィア。
ルクスは考えながら回避を続ける。フィニスの拳が地面を砕き、粉塵が視界を遮る。
(考えろ。人型の物が体勢を崩す状況は……)
回避の隙を狙うフィニス。その拳に光の盾が立ち塞がり、砕かれる。威力が削がれた拳をアイリスがなんとか受け流す。
そうして、ルクスの頭に一つの絵が浮かぶ。
(体勢を崩す。そのために必要なのは衝撃だ。威力は要らない。適切なタイミングで適切な方向に押せば人はあっさり転ぶ。これだけ人手があるなら可能なはず!)
幾度となくアイリスに転がされてきた記憶が蘇る。少女はいとも簡単に自分を崩し、剣を突きつけてきた。
指針は立った。後はこれを仲間に共有し実行に移すだけ……
(いや待て、三人に共有!?この回避で精一杯の攻撃の中でか!?)
「どうする!?このままじゃジリ貧よ!」
(……やるしかないか!)
「みんな、聞いてくれ!手短に話す!」
攻撃をかいくぐりながらも、三人の視線が自身に向いたのを感じる。
「ソフィア、残りの魔力でフィニスの体勢を崩すために『押す』ような魔法は出せるか!?」
「……できる。ただし、相当接近した状態で使う必要がある上、一発勝負になるぞ!それに、ある程度崩した上でないと耐えられる!」
「それはこっちで何とかする!タイミングを合わせて、頼む!」
「承った!」
「アイリス、タイミングを合わせてほしい。ソフィアの魔法でフィニスが体勢を崩した瞬間、支えようとする腕を横から弾く。できるか?」
「任せなさい!」
「クロエ、俺に全力の支援を頼む。適宜回復も、だ」
「……わかりました。必ず、守ります」
四人の目が合う。言葉は短い。しかし確かに繋がっている。
「行くぞ!最後の勝負だ!」
翡翠色の光が、ルクスを包んだ。
全力のクロエの支援魔法。これまでとは比べ物にならない密度の力が全身に満ちる。アペリトールが輝きを増し、力を汲み出していく。
(これで、行く。勝つ……!)
ルクスはフィニスへと真正面から踏み込んだ。
「最優先撃破対象接近。迎撃を行う」
フィニスの巨腕が迎撃に来る。
躱さずに、受け止める。
完全には受け切れない。衝撃が腕に走る。しかし弾き飛ばされない。全力の身体強化が、その体を地面に繋ぎ止めている。
もう一撃。まだ受ける。
「ルクスさん!」
痺れる腕に、背後のクロエから治療が施される。
フィニスの攻撃がルクスに集中する。その巨体の背後、ソフィアが静かに回り込んでいく。
(もう少し……!もう少しだけ、引きつける……!)
「敵機の行動パターンに変化。高威力の攻撃を実行」
(……来たっ!)
ルクスが躱さずに受ける構えを固めたことを察知。固めたガードを叩き潰そうとその巨体の体重をかけた拳が向けられる。
受ける構えを見せ――斜め後方に受け流す。
自重を流されたフィニスの体勢が前のめりになる。
「今だ、ソフィア!」
「これで打ち止めだ――ウィンドボム!!」
衝撃が、フィニスの背中を直撃した。
炎ではない。衝撃だけを圧縮した、風の爆弾。それがフィニスの巨体を背後から押し込む。
前方への力と後方からの衝撃。フィニスの体が、傾いた。
「転倒を予期。緊急姿勢制御――」
殴りかかるのと逆の腕が地面へと伸びる。体を支えようとする機械的な動作。
しかしその腕に、赤い閃光が迫る。
「させないっ!」
アイリスの剣が、支えようとしたフィニスの腕を真横から弾き飛ばす。
支えを失った巨体が、崩れる。
倒れ込んでいく。
その正面に、ルクスがいた。
アペリトールに、残るすべての魔力を叩き込む。真紅の輝きが、これまでで最も強く燃え上がる。
(ここで、終わらせる!)
一閃。
フィニスの頭部に、聖剣が深々と突き立てられた。
一瞬の静寂。
「……機体への致命的損傷を確認。機能停、止――」
フィニスの声が、途切れた。
巨体が、轟音を立てて地面に沈む。
間もなく、霧のように消えていく。
同時に、テルミナの荒野に蠢いていた魔物たちが、一体また一体と霧散していく。魔王という核を失い、存在を保てなくなったように。
静寂が、世界の果てを満たした。
動くものは何もない。勝利した人類でさえも。
それから、ルクスがゆっくりと息を吐いた。
「……終わった」
誰も、すぐには答えなかった。
ただ、四人分の荒い息が、静寂の中に重なっていた。
「……終わったわね」
「……終わった、な」
「……終わり、ましたね」
噛み締めるように、遅れた答えが返ってくる。
「……終わったぁぁぁ!!」
それが、勇者が魔王に打ち勝った証明。勝鬨の咆哮だった。
荒野に、四人が座り込んでいた。
灰色の空が、どこまでも広がっている。草も木もない。風だけが、音もなく吹き抜けていく。
それでも今は、この虚無の地が少しだけ違って見えた。
「……世界を、救ったんだな、俺たちは」
ルクスが呟く。
「救ったというより、役割を果たした、というべきかもしれないけれどね」
ソフィアが膝を抱えながら言う。しかしその口元には、珍しく穏やかな笑みが浮かんでいた。
「でも……やっぱり、ここまで来てよかったと思う。フィニスを見て、確信したことがある」
「なんだ?」
「この世界には、私が知らない『文脈』がある。役割、魔物、魔王、そして……その剣」
ソフィアの視線がアペリトールへと向く。
「すべてが繋がっている気がする。その答えは、まだ見つかっていない。でも、確実に近づいている」
賢者の目が、遠くを見つめる。その目には既に、世界を救った達成感ではなく、静かな探究心が宿っていた。
「私はこれからも探し続けるよ。この世界の真理を。答えが出るまで、ずっと」
世界を救った賢者は、それでも世界の真理を追い求める。
クロエが、ゆっくりと口を開いた。
「私は……」
少し考えてから、続ける。
「世界を救うことが役割だと思っていました。人を救い、世界を救う。それ以外なんて、必要ないって。でも今は、少し違う気がしています」
「どう違うんだ?」
「役割として救うのではなく……困っている人がいたら、助けたい。それだけで、いいんだと思って」
クロエは自分の手を見つめた。翡翠色の光が宿るその手を。
「役割だから癒すのではなく、目の前の人が辛そうだから癒したい。……それが、今の私のしたいこと、かもしれません」
まだあやふやですけど、と締めるクロエ。
世界を救った聖女は、その心に従い、更なる救済を求める。
「アイリスは?」
水を向けると、騎士の少女は少し意外そうな顔をした。
「……あたし?」
「君は今まで、騎士として戦うことが役割だって言ってた。これからはどうする?」
アイリスは荒野の空を見上げた。灰色の空。何もない空。
「……わからないわ」
それは、アイリスらしからぬはっきりとしない答え。しかし、彼女の顔は穏やかだった。
「今まで、騎士として戦うことだけを考えてきた。それが誇りだったし、それ以外を考えたことがなかった。でも……」
ルクスを横目で見る。
「戦う以外のことも、してみたいな、って。食べたいものとか、行きたい場所とか、見たい景色とか。……そういう、普通の女の子みたいなこと、もっと考えてもいいのかなって、最近思うの」
「もちろんだろう」
「……そうよね」
アイリスは小さく笑った。それは、騎士の顔ではなく、一人の少女の顔だった。
「あたし自身のやりたいこと、まずはそれを探してみることにする」
世界を救った騎士は、自分自身の願いを追求する。
「ルクスは?」
今度はアイリスが問い返す。
「あんたこそ、これからどうするの?勇者として魔王を倒した。次は何?」
ルクスは少し考えた。少女達には、役割を果たした後の『自分』が見えている。しかし、自分は……
「俺は……まだ、自分が何者かわかっていない」
「……まだ、記憶が戻らないの?」
「戻らない。でも今は、それでもいいかと思ってる」
荒野の向こうを見つめる。
「記憶がなくても、今の俺には確かに得たものがある。君たちのことを知っている。君たちと戦ったことを覚えている。この胸に、生きるという意思がある。それが、今の俺の全部だ」
アペリトールに触れる。真紅の輝きが、静かに応える。
「だから、自分探しでもしてみるよ。でも急がなくていい。これから先、時間はたくさんあるんだから」
四人の間に、静かな時間が流れた。
テルミナ――虚無の地。世界の果て。
しかしその沈黙は、重くなかった。
やがてアイリスが立ち上がり、ルクスに手を差し伸べた。
「帰りましょう」
ルクスはその手を取った。
「ああ」
ソフィアとクロエも立ち上がる。
四人は、ポータルへと歩き始めた。
世界の果てから、世界へ。
役割の物語から、自分たちの物語へ。
テルミナより帰還し、マリアへの報告を済ませ、泥のように眠った翌日。
オルトゥスの街は、朝の光の中にあった。
スタンピードの傷跡は、まだあちこちに残っている。崩れた石壁、補修中の建物。しかしそこには確かに、人々の営みが戻っていた。
市場に並ぶ果物の赤。石畳の灰色。空の青。
鮮やかな色彩が踊る。
ルクスはそれを見渡しながら、胸の奥に温かいものを感じた。
(これを守れた)
隣に、アイリスがいた。
彼女もまた、街を見渡していた。その横顔は、穏やかだった。
「……綺麗ね」
「ああ」
「こんな風に思ったのは、初めてかもしれない。守るべき世界としてじゃなく、ただ……綺麗だと思って見たのは」
アイリスが、ルクスの方を向いた。
「あんたのおかげかもしれないわね」
「俺の?」
「あんたがいなかったら、あたしはずっと騎士として戦い続けて、こんな風に街を見ることもなかったと思う」
少し恥ずかしそうに、しかしはっきりと言う。
「……ありがとう、ルクス」
ルクスは少しの間、その言葉を受け止めた。
「俺こそ、ありがとう」
「何が?」
「君がいなかったら、俺は何者にもなれなかった。この胸にある勇気も、情熱も、願いも。俺の最初の色は、君から始まった。何もなかった俺を、今の俺にしてくれたんだ」
アイリスの頬が赤くなる。
「……そういうこと、急に言わないでくれる?」
「本当のことだから」
「だとしても……っ」
アイリスは口元を押さえ、顔を背けた。その耳まで赤く染まっている。
「まだ俺の未来がどうなってるかはわからないけど……君と一緒に歩いていけたらなんだってできる。そんな気がしてるんだ」
「わ、わかったから!もういいからっ!」
もはや首まで赤くなっていくアイリス。その瞳は潤み、しかし決意と共に口を開く。
「あたしも……あたしも、あんたと一緒に生きていきたい。騎士としてじゃない。役割のためでもない。あたし自身がそう思ってる」
「あぁ。俺も、そうだ。君と、みんなと、どこまでも一緒に生きたい」
「…………みんな?」
赤面から一転、ぽかん、とした表情。
街を眺めるルクスは、その変化を見逃している。
「あぁ、俺と、アイリスと、ソフィアと、クロエ。世界を救うって役割は終わったし、それぞれの目的は違うかもしれないけど、ずっとみんなでいられたらなぁ、って――痛っ!?」
――スパーンッ!!
突然、後頭部に衝撃。
周囲を見回す。朝の街並み、なぜか頬に赤みが差しているアイリス。足元には先程の衝撃の正体――ソフィアの手帳。そして、物陰から慌ただしい気配。
「なんでこんなものがここに……?」
「……ルクス、ちょっと待ってなさい」
(ちょ、クロエ!?何してるんだい!?ここは見守るって言ったのはキミだっただろう!?)
(す、すいません!でも、いくら何でも今のはないでしょう!?アイリスさん、あんなに頑張ってるのに!)
ルクスとアイリス。この二人の間にあるすれ違いを把握していたソフィアとクロエは少し離れた場所からそのやり取りを見守っていた。しかし、ルクスのあまりにも無体な反応に思わずクロエの手が出てしまったようだ。
(いや、今のはないけども!正直私もちょっと手が出そうだったけども!流石にこんなことしたら気付かれるどころの話じゃあないぞ!?)
(とにかく、急いでここを離れ――)
一時、覗き見を切り上げ、距離を取ろうとするソフィアとクロエ。しかしその背後に――赤い影。
「――ねぇ?」
「「ヒィッ!?」」
肩を跳ね上げる二人。振りかえると、そこには先程の赤面が嘘のように冷たい目をしたアイリスの姿が。
「あんたたち、ずっと見てたわけ?」
「いや、まぁ、そう、なる……かな?」
「あたしが顔真っ赤にして狼狽えてるところを観察して笑ってたんだ」
「ち、違いますよっ!私たちはアイリスさんが心配で……!」
アイリスの声はどこまでも平坦で、感情が読み取れない。しかし、その平坦さが爆発の前兆に感じられる。
「心配……ねぇ?つまり、心配しなきゃいけないくらい、あたしがあいつの言動に動揺するって知ってたわけだ。……あいつの真意をあたしが勘違いしていることまで含めて」
「……あー。まぁ、知っていたと言えば知っていた、ね……」
「お伝えしようとは思っていたんですけど、中々機会が無くて……」
熱を失っていくアイリスの視線。それに比例して肩身の狭くなるソフィアとクロエ。
「とりあえず、あんたたちが知っていることを洗いざらい吐きなさい?その後、どうするか決めることにするわ」
「……一旦、作戦タイム、いいかい?」
「いいわよ?ただし、手短にね。――そう、気は長くないわよ」
アイリスの冷え切った目から顔を背け、小声で相談を始める二人。
(おいおいどうする!?とんでもなく怖い顔なんだが!?)
(そりゃそうでしょう!アイリスさんからしたら私達、完全に出歯亀ですもん!ここは、正直に全部話すしか……!)
(くそぅ、そもそもルクスがあんな紛らわしいことを言わなければ……?おい、その元凶は今何してるんだ?)
(確かに、ルクスさんになんとかとりなしてもらって……あっ!呑気にソフィアさんの手帳眺めてますよ!こっちの気も知らないで!)
一瞬の間、そして――
「はぁぁぁぁぁぁ!?それは私の大切な研究成果だぞ!?何を暇つぶしみたいに見ているんだ!?」
立ち上がり叫ぶソフィア。突然の大声にルクスも思わずそちらに目をやり、近づいてくる。
「あ、ソフィア、これ君のだろう?なんかよくわからないけどとりあえず返しておくよ」
「どうもご丁寧に!全く、元はと言えばキミが……!」
「……?俺がどうかしたのか?」
「気にしなくていいわ。あたしはまだこの二人に用があるから、あんたは先に学園に帰ってなさい。いいわね?」
「あ、あぁ。了解、それじゃぁ……」
首をかしげながら去っていくルクス。その背中を恨めしげに見つめるソフィアとクロエ。これにて逃げ場は完全に消失した。
「さて、相談は終わったのかしら?そろそろ教えてくれると助かるんだけど」
(くっ、仕方ないか。ここは包み隠さず伝えて、誠意を見せるしかないようだね)
(そうですね。覚悟を、決めましょう……!)
意を決してアイリスと向き合う二人。その表情は決意に満ちていて――
「聞かせてもらいましょうか?あんたたちが何を知り、どう行動してきたのか」
問いかけに対する二人の初声は――
「「……すいませんでしたぁぁっ!」」
全力の謝罪であった。
「なるほど……スタンピードの後から、ねぇ……?確かにあたしも意識が変わったのはそのくらいからだった気がするし、嘘はないようだけど……」
こうなった経緯を全て話したソフィアとクロエ。ルクスからの相談、そこからの推察、その後の観察。そして先程の暴挙。全てを吐き出し、後は当人の沙汰を待つだけとなった。
「ど、どうだい……?言えることは全部言ったと思うんだが」
「……そうね」
長い沈黙。痛いほどの静寂が街の喧騒から切り離されているかのように満ちる。
「……いいでしょう。今回は見逃してあげるわ」
「っ!いいんですか!?」
「えぇ、元はと言えば、勘違いさせるようなことを言ったあいつと、まんまと勘違いしたあたしに原因があるのは事実だし……。悪意を持って黙ってたってわけでもないでしょう?」
アイリスの問いに必死に頷く二人。
「だから、今回は見逃してあげる」
許された。その安堵に胸を撫で下ろし――
「ふぅ。良かった。これで……「――ただし」……えっ?」
その意識の隙間に声が入り込む。
「ここまで知っているからにはただで帰すって訳にもいかないわよね?」
平坦だった声に熱がこもり始める。
「アイリスさん、いったい何を……」
「何ってこともないわ」
二人の困惑を切り捨て、宣言する。
「始まりは勘違いからだったとしても、あたしの胸にあるこの思いはもう本物よ」
頬は上気し、声が上ずる。そしてその表情は――
「この『勘違い』はもう止まらないわ。あんたたちにも協力してもらうわよ」
思わず見とれてしまうほど、美しい少女の顔であった。
「あたしはルクスと生きる。あいつの横は誰にも渡さないし、一刻も早くあたしのものにするわ」
「……あぁ、任せたまえ。一切の惜しみなく手を貸そうじゃないか」
「はいっ!必ずあの人にアイリスさんの思いをわからせましょう!」
世界を救った少女たちは再び、一つの目的の元、意思を一つにするのであった。
――少し先の未来。
早朝のオルトゥスの街に二つの影があった。
「いよいよ出発だな」
「えぇ、いろいろな世界を見て回りましょう。――あたしたちが救った世界を」
少年と少女が、外へと踏み出そうとしていた。
「君が自分のやりたいことを見つけるために」
「あんたが自分のことを見つけるために」
目的は違う。しかし道は一つであった。
「君と一緒ならなんだってできる」
「あんたとならいつだって楽しい旅になるわ」
二つの影は一つにつながり、世界へ踏み出す。
その出立を祝福するように世界は白い光に満たされて――
光の中で、世界の輪郭が溶けていく。
それは終わりではなく、始まりの光だった。
次の物語へと続く、白紙の扉。
少年は、光の中で少女の手を握る。
握り返す温もりが、確かにあった。
光が、満ちていく。
――そうして、物語は完結するのだった。
――◇――
――天座の書架。
女神ミュトスは、手元の栞を見つめていた。
真紅。
深く、鮮やかな、美しい真紅。これまで見てきた幾千もの物語の中で、これほど鮮やかに染まった栞を、彼女は記憶していなかった。
「……素晴らしかったわ」
本心から、そう思った。
「記憶を持たない少年が、役割も知らないまま始まって、自分の色を手に入れるまでの物語。最後まで、予想を裏切り、期待を裏切らなかった」
女神は立ち上がり、書架の奥へと歩いていく。
無数の本が並ぶ棚。その中の一角、特別に丁寧に作られた区画。そこには、一際鮮やかな本が収められている。
栞を手に取り、力を籠める。
真紅の光が、抽出されていく。やがてそれは一つにまとまり、一冊の本になった。
その表紙に、タイトルが浮かび上がる。
『リベラ・オルビス~赤の物語~』
女神はそれを、書架の特等席に、丁寧に収めた。
並んだ鮮やかな本たちの中で、その背表紙は負けず、静かに輝いている。
「また会えるといいわね、ルクス君」
書架を見渡す。無数の本。無数の物語。
そうして女神は、テーブルへと戻った。
手の中には、一枚の栞。
先程まで真紅だったそれが、ゆっくりと白へと戻っていく。
騎士の少女が抱いた恋心も、少女が初めて流した涙も、少年の胸に宿った情熱も、少年が手に入れた色も。すべてが、漂白されていく。
白紙に戻った栞が、女神の手の中で揺れる。
そして、手元の本に、指がかかる。
「さあ」
女神は微笑んだ。
それは、期待に満ちた笑みだった。
「次の物語を、始めましょうか」
彼女が最初の一頁を、優雅に、そして残酷に捲る。
書架に、新たな「文字」が躍り始める。
――頁が捲られる。
第一章『赤の物語』完結です。明日、断章を投稿し、その後第二章の執筆期間としてインターバルをいただきます。もしよろしければお気に入り登録をしてお待ちいただければ幸いです。