天座の書架と白紙の勇者   作:maki@

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二章の投稿を開始します。今回も執筆は完了しているので毎日投稿予定です。よろしければお気に入り登録をしてお待ち下さい。では、どうぞ。


青の物語
白の目覚め/色彩の戦い


 

 静寂に満ちていた。

 

 広場のような、あるいは通りのような場所。石畳が続いていて、人がいた。大勢の人がいた。肩が触れ合うほど近くに、笑い声が聞こえるほど近くに。

 

 なのに、顔が、なかった。

 誰一人として、顔がない。輪郭だけが人の形をしていて、その内側は滑らかに白く、空虚だった。目もなく、鼻もなく、口もない。なのに笑い声がして、言葉が聞こえるような気がした。――実際には、何も聞こえない。

 

 不思議と怖くはなかった。ただ、おかしい、と思った。

 

 やがて端の方から、人影が薄れ始めた。溶けるように。頁から文字が剥がれるように。輪郭がほどけて、何もなかったかのように消えていく。残った影たちは気づかない。消えた者がいたことを、誰も知らないようだった。

 

 入れ替わるように、新しい人影が現れる。頁に文字が浮き出るように。初めからそこにいたかのように振る舞う。やはり、顔は見えない。

 

 視界が動く。隣には驚愕の表情を浮かべる少女。眼前に広がる景色の中で唯一、こちらと目が合う。

 

 その目は、暗い深海のような絶望を孕んでいる。

 

 その絶望を拭いたい、そう思った。

 

――◇――

 

 「……?」

 

 少年は目を開いた。

 

 柔らかな朝の日差し。

 

 若草の匂い。

 

 人のざわめき。

 

 腰には一振りの剣。

 

 目の前には巨大な門。

 

(……ここは?)

 

 頭の中を探る。

 

 だが――何もない。

 

 記憶が、ない。

 

(俺は……誰だ?)

 

 少し考えて、ようやく一つだけ答えが浮かんだ。

 

 ひとつだけ、名前が浮かんだ。ルクス、と。

 

 それ以外は、「白紙」だった。

 

 なぜここにいるのか。

 どこから来たのか。

 何をしていたのか。

 

 何も思い出せない。

 

(この剣は……?)

 

 腰の剣に触れる。

 

(これは……何か、大切なものだったような……。それに、白い……?)

 

 まだ何色にも染まっていない純白の剣。微かに違和感。何もないはずの記憶が囁くような。そう、これはもっと別の色で――

 

 その時だった。

 

「――見つけましたよ、ルクス君」

 

 穏やかな声。

 

 金の髪を靡かせ、シスター服の女性が近寄ってくる。

 

「あなたは……?いや、それより俺のことを知っている……?」

 

「えぇ、私はあなたのことを知っています。と言っても女神様から伺っただけですが……ひとまず、こちらへどうぞ」

 

 自分ですら知らないルクスのことを、知っているような素振り。困惑はあるが、他に判断材料はない。

 

 底知れぬ笑みを浮かべる女性が手招く。『シアトルム騎士魔導学園』、そう記された門を潜るのだった。

 

 

 

 マリアに連れられ、辿り着いたのは教室。やけに小さい。覗き込むと、中にはすでに三人の少女がいた。鮮やかな赤い髪、鋭い視線の少女。青い髪、理知的な雰囲気の少女。翡翠の髪と翡翠の目をした、どこか神秘的な少女。

 

 ルクスを合わせて四人。それがこのクラスの全員らしかった。

 

「ルクスさんはそちらの席に。これで、揃いましたね」

 

 マリアが教壇に立つ。

 

「皆さん初めまして。私はマリア。女神様に仕えるシスターであり、この特待クラス『プロタゴニスト』の担任です」

 

 穏やかな声だった。笑顔の奥に、どこか底が見えない気配がある。

 

「まずはそれぞれ自己紹介をお願いしますね」

 

 赤髪の少女が立った。

 

「アイリス。役割は騎士」

 

 迷いのない声。

 

「世界を守るために戦う」

 

 次に青色の少女。

 

「ソフィア。役割は賢者」

 

 淡々とした口調。

 

「世界の真理を探究する」

 

 そして翡翠の少女。

 

「クロエです。役割は聖女」

 

 少し緊張している。

 

「平和な世界を作るために頑張ります」

 

 そしてルクスの番になった。立ち上がって、考えた。語れることが何もない。

 

「……ルクス」

 

 それだけしか出てこなかった。

 

 三組の視線が刺さる。マリアが静かに補足した。

 

「ルクス君は記憶喪失なんです。ですが役割は決まっています。ルクス君の役割は——勇者です」

 

 一瞬の沈黙。

 

 ガタン。アイリスが立ち上がった。教室が騒がしくなる。

 

 何事か叫ぶアイリス。穏やかに答えるマリア。しどろもどろのクロエ。

 

 そのざわめきの中で、ルクスはちらとソフィアを見た。

 

 彼女だけが騒いでいなかった。眼鏡の奥の瞳が、こちらを静かに観ていた。思考しているような、計算しているような目。

 

――視界が、揺れる。

 

 

 

 石畳の街。

 

 顔のない人々。

 

 視界の端で人影が解け、新たな人影が浮かび上がる。

 

 隣の少女は驚愕の表情を浮かべていて――

 

 

 

「――っ!?」

 

 垣間見た光景は消え、驚愕ではなく不信感を滲ませる少女。ソフィアはこちらから目を離すと手帳に何かを書き記す。

 

(今のは一体……?この子――ソフィアが見えたような……)

 

「――とにかく!」

 

 先程よりも鋭い声。

 

「この四人が、『プロタゴニスト』――魔王を討伐するパーティーです。これから、頑張っていきましょうね?」

 

 そう言ってまとめるマリア。不満気なアイリス、素っ気ないソフィア、疲れた表情のクロエ、右も左もわからないルクス。四者四様の少年少女の間には、不穏な気配が漂っていた。

 

 

 

――カタリ。

 

 誰にも気づかれないほど小さな音。

 

 腰の剣が、わずかに震えた。

 

 

 

 少しの座学を終え、実戦訓練として『修練の森』へ向かうことになった四人。

 

(勇者、魔王、魔物……人それぞれに決められた役割、騎士に賢者に聖女、か)

 

 移動中、頭の中で先程の授業内容を反芻していく。他の三人にとっては常識だったようだが、ルクスにとっては全てが初耳の内容。とにかく頭に詰め込んでいく。

 

(魔王を倒す。世界を救う。それが俺の――勇者の役割、ね……)

 

 今一つしっくりとこない。世界に決められた役割、それを全うすることが当然とされる人生。なにかがおかしい……気がする。しかし、その違和感を言葉にできるほど、記憶喪失の少年には「自分」が無かった。

 

 言いようのない不快感。それを抱えたまま、ルクスは『修練の森』へと踏み込むのであった。

 

 

 

 鬱蒼と茂る木々。日の光を遮る厚い葉。鼻を突く獣臭。修練の森の第一印象は「薄気味悪い」の一言だった。

 

「戦闘方針を確認するわよ」

 

 アイリスの声が響いた。

 

「あたしが前衛。ソフィアは中衛から援護。クロエは後衛で支援と回復。撤退の判断もクロエに任せるわ」

 

 妥当な布陣だ、とソフィアが肯定し、クロエも頷く。

 

「ルクスは……」

 

 アイリスの視線がルクスを測る。

 

「今日のところは後ろで見てて。剣の振り方もわからないんでしょう。戦い方の一つも思い出したら言いなさい」

 

「……ああ、わかった」

 

 素直に答えると、アイリスが一瞬だけ拍子抜けした顔をした。ルクス自身、今の自分に何かができるとは思えない。無理に出張って足を引っ張るのも本意ではないのだ。

 

「…………」

 

 戦う力を持たない勇者を、賢者の視線が冷たく射抜いていた。

 

 

 

 四人で森へ踏み込む。しばらく歩くと、茂みが揺れた。

 

「……来たわね」

 

 緑色の皮膚、鋭い牙。ゴブリンが四体、姿を現した。

 

「打合せ通りに、いくわよっ!」

 

 アイリスの剣が閃く。クロエ、ソフィアが杖を構えた。

 

 その瞬間、空気が変わった。

 

「小手調べだ。ウィンドバレット」

 

 ソフィアの手によって風が舞う。ただの風ではない。渦を巻き、鋭く、指向性を持った風が木立の間を貫いた。枝が大きく撓み、落ち葉が螺旋を描いて舞い上がる。標的にしていたゴブリンが吹き飛び、霧散した。

 

「やるわね、あたしもっ!」

 

 接敵するアイリス。次の瞬間にはゴブリンの胴と頭が泣き別れになり、消えていく。

 

「ギギィ!」

 

「通しません!プロテクション!」

 

「いいね。ストーンバレット」

 

 こちらに迫っていた残り二体のゴブリンをクロエの光の盾が弾き返す。晒された隙をソフィアの魔法が狙う。周囲の礫を弾丸のように打ち出す。正確に頭部を撃ち抜かれたゴブリンは声もなく絶命した。

 

 残り一体。背後からアイリスの剣が切り裂く。それで、戦闘は終了した。

 

(……すごいな)

 

 ルクスは素直にそう思った。三人の連携は澱みなく、素人目にも危なげない立ち回りに見えた。

 

「うん、いい感じね。この調子でいきましょう」

 

 満足げに頷くアイリス。そのまま森の奥へと歩を進めるのであった。

 

 

 

「はぁっ!ソフィア、一掃して!」

 

「少し多いか。フレアストーム!」

 

「ルクスさん、私の後ろに!」

 

 散発的な魔物をいくつか蹴散らしながら、森の深部へ。

 

 魔物の数が多少多くとも、アイリスが引き付け、ソフィアが広範囲の炎で焼き払い、クロエが守る。この形を確立してからは非常にスムーズに進行した。

 

「消火するよ。スプラッシュボム」

 

 焼いた範囲と同じだけ、水をぶちまけるソフィア。

 

(風、地、火、水。技術的なことはわからないけど、ソフィアは四種類の魔法を使い分けてる。その場の状況に合わせて最適な魔法を選んでるのか……?)

 

 一息つき、こちらに振り返るアイリス。

 

「どう?ルクス。そろそろ何か思い出したかしら?」

 

「……いや、全然だ。でも後ろから見ていてもソフィアの魔法はすごく効率的だな、と感じた。俺も、魔法が使えたらあんな風に戦えるのか?」

 

 ルクスの問いかけに、ソフィアが顔を向ける。

 

「可能か不可能か、なら可能ではある。もちろん、それ相応の努力は必要だけどね」

 

「そうか!なら頑張ってみる価値はあるってことだな!いつか、君みたいに綺麗な魔法が使えるようになりたいんだ!」

 

 溌溂としたルクスの言葉に顔の向きを戻して返答するソフィア。その表情は窺えない。

 

「……まぁ、頑張りたまえ。多少なら、協力してあげても――」

 

 

 

 その時だった。

 周囲の茂みすべてが一斉にざわめいた。

 

「ギャッ」「ギャギャッ!」「ギギィィッ!」

 

「……これは」

 

 ソフィアの声が低くなった。視界の端から端まで、影が埋め尽くしていく。優に二十を超えるゴブリンの群れだった。それも、まだ茂みの奥から増え続けている。

 

「方針は同じ! 背後からの奇襲を警戒して——!」

 

 アイリスの指示が飛ぶ。三人が動く。

 

 ルクスも剣を抜いたが、体はまるで動かせない。群れの数は多く、三人の消耗は見る間に増していく。アイリスの肩に切り傷が増え、ソフィアが矢継ぎ早に魔法を放ちながらも顔に疲労が滲んだ。クロエも、防御に回復と手が休まらない。初めての窮地、初めての、本当の『戦闘』。

 

「ルクス、下がってて……ッ!ゴブリンども、こっちを狙いなさい!」

 

 アイリスが叫ぶ。その声に応えたいのに、体が動かない。

 

「ウィンドストーム!――これは少し、まずいか……!処理が、追い付かない……!」

 

 ソフィアが呟いた。冷静な分析だった。感情ではなく、純粋な現状評価として。その声が、ルクスの胸に刺さった。

 

「アイリスさん!一度回復を!――っ、プロテクション!」

 

 クロエが走る。懸命に仲間を助けるその姿はルクスの手を強く握らせる。

 

 アイリスが前でゴブリンを抑え込む。ソフィアの魔法がそれから漏れたゴブリンを撃ち抜き、時たま群れの中央にも打ち込まれている。クロエはアイリスに回復の魔法を飛ばし、すぐに戻って自身とルクスを諸共に守る。しかし、三人が殲滅する速度よりも、視界にゴブリンが増えていく速度の方が速い。決壊は、時間の問題だった。

 

――視界が、揺れる。

 

 

 

 ゴブリンの群れ。

 全身に傷を負い、泥にまみれて倒れる騎士。

 

 ゴブリンの群れ。

 泣きじゃくりながら、虚しく回復魔法を放ち続ける聖女。

 

 ゴブリンの群れ。

 杖を折られ、絶望に瞳を濁らせた賢者。

 

 

 

「――っ!?」

 

 垣間見た光景。それは今ではない、しかし遠くない未来に訪れるであろうものだった。

 

(ダメだ。このままじゃ、三人ともやられてしまう。それは……ダメだ!)

 

 根拠のない確信がある。この先に何があるか知らない。だが今ここで三人が倒れることだけは、あってはならない。そんな衝動が湧き上がる。

 

 しかし、ルクスには力がない。知恵もない。自分を貫く意思すらもまだ薄弱だ。

 

(今の俺じゃ何もできない。どうすればいいかわからない。どうしたいかも定かじゃない……でも!)

 

 手の中の剣が熱を持つ。思い起こすのは色とりどりの魔法を操る賢者の姿。

 

(力が欲しい!世界を救うためじゃない、今、この瞬間!みんなを守れる力が!)

 

 その思いが胸を満たした瞬間。

 

 視界から色が消えた。

 

 同時に、情報が流れ込んできた。

 

 

 ——ソフィアの死角、右後方。二体が回り込もうとしている。

 ——この角度で刃を振れば、二体を同時に仕留められる。

 

 知らないはずの解が、脳内に書き込まれていく。

 

 ルクスの体は考えるより先に動いていた。頭は剣の振り方を知らない。それでもどうすれば結末が変わるか、その身体が――本能が正確に理解していた。

 

「――ぁぁぁぁあああ!!」

 

 剣が振るわれる。空を切る。――その先にいた、二体のゴブリンが切断され、消えた。

 

「——ッ!?」

 

 ソフィアが振り返る。背後に迫っていた気配が、気づけば消えていた。そこにいたのは、剣を振り下ろした姿勢のルクス。

 

 目が合った。

 

「孤立したやつは俺が相手する。君は集団を頼む」

 

「……わかった」

 

 ソフィアの返答は一秒もかからなかった。疑問を後回しに。状況を瞬時に計算し、即座に動く。

 

 剣を振るう。今度は刃の軌道上に魔物の体。瞬間的に刃が炎を纏う。高熱の剣は容易くその首を切り裂いた。

 

 剣を振るう。遠方の個体に向けて突き込む。到底届く距離ではない――が、剣先から鋭く水流。正確に胴の中心に風穴を開ける。

 

 剣を振るう。地鳴りと共に地が割け、衝撃がゴブリンを襲う。全身を粉砕され、消えていく。

 

 一撃一殺。間合いや状況を基に、剣が放つ魔法も変わる。

 

(さっきまでの何もできなかった彼はどこに消えた……?手足のように魔法を使いこなす、熟練の魔法使いのようじゃないか)

 

 魔力を溜め、広範囲の魔法で一掃する準備をしながらソフィアはそれを観察していた。

 

(属性魔法を習得した?いや、そんなことが一瞬でできるはずがない。それに――魔法は全て、あの剣を起点に発動している。あれが鍵か)

 

 思考が回る。しかし体は染みついた動きをなぞり、魔法を完成させる。

 

「アイリス、下がれ!クロエは前面に大きく盾を!」

 

「っ、ソフィア!というかルクス!?あんたいつの間に……!」

 

「は、はい!プロテクション――!」

 

 ソフィアからの指示に迅速に反応する二人。前方に残された集団との間に光の壁が立つ。

 

「薙ぎ払うよ。ランドストーム!」

 

 群れの足元が隆起し、炸裂する。巻き上がった土砂は弾丸となって周囲に降り注ぐ。文字通り地面をひっくり返すような、大規模な魔法。もはや、残党は僅かな数で右往左往するのみ。決着は、間もなくだった。

 

 

 

 静寂が戻る。四人が同時に息を吐いた。

 

「なんとか、なったわね……というかルクス!あんたいきなりどうしたのよ」

 

「いつの間にか、後ろで魔法使ってましたよね……」

 

「いや、俺にもよく……」

 

 アイリスとクロエの追及するような目。その圧力に思わず目をそらした先。ソフィアもルクスを見ていた。先ほどまでとは違う目だった。観察ではなく、何かを発見した時の目。

 

「……さっきの動き、どうやったんだい?」

 

「……本当にわからない。体が勝手に動いたんだ」

 

「体が勝手に?」

 

「ああ。一瞬、見え方が変わった。その後は気づいたら動いてた。魔法も……なぜか使えた」

 

 ソフィアはしばらく黙っていた。手帳を開いて、書き込む。今度は素早く、勢い込んで。

 

「……その剣」

 

 視線がルクスの腰の『それ』に向く。目覚めたときにはもう傍にあった剣。銘も知らない、謎の剣。

 

「調べさせてもらえるかい」

 

 声に、さっきとは違う色が混じっていた。冷静の奥に、確かに何かが灯っている。

 

「ああ、構わない」

 

「明日。時間をくれ」

 

 約束の言葉ではなく、宣言に近かった。

 夕暮れの光が差し込む森の中で、ソフィアの目が青く揺れていた。

 

 

 

 

 その後、帰還後の教室。

 

「お疲れ様でした。初実戦としては、素晴らしい成果ですね」

 

 マリアは変わらない微笑みで言った。

 

「ルクス君。何か、思い出せましたか?」

 

「……いいえ。ただ、体が勝手に動いたような感覚だけ」

 

「それはそれは。素質がある、ということでしょう。これからの成長が、本当に楽しみです」

 

 マリアの笑顔は崩れなかった。

 

 あの後、学園までの道中ではまるで体が動かなかった。あの時の動きが嘘のように硬直する身体。振れども突けども魔法は出ず。結局は三人に守ってもらう形での帰路だった。

 

「——ええ、本当に。楽しみです……」

 

 

 

 解散して廊下に出ると、ソフィアがルクスの隣に並んだ。

 

「明日の朝、図書室に来てくれ。こちらも準備をしておく」

 

「わかった」

 

「……一つだけ、聞かせてくれ」

 

 ソフィアが足を止めた。眼鏡の奥の瞳が、まっすぐにルクスを向いた。

 

「あの動き。怖くなかったのか。自分でも理由のわからない力が出て」

 

 ルクスは少し考えた。確かにあの力の正体はわからない。ただ――

 

「そういうのを考える前に、体が動いてた。ただ、守らなきゃ、って」

 

「……そうか」

 

 ソフィアはまた歩き出した。

 

「正直な答えだ」

 

 それだけ言って、廊下の向こうへ消えた。

 

 一人残されたルクスは、腰の剣に手を添えた。

 

(あれは何だったんだ。俺は何を忘れている。……この剣は、何なんだ?)

 

 見上げれば、窓の外に夜空が広がり始めていた。

 

――◇――

 

 少年が見上げる空、その向こうから、女神が静かに頁を捲る。

 

『……へぇ?』

 

 それは未知の展開への興味。

 

『今度はこんな色……面白くなりそうじゃない』

 

――頁が捲られる。

 

 微笑みを浮かべる女神の視線の先で、白かった栞が淡い青に染め始められていくのだった。

 

 

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