天座の書架と白紙の勇者   作:maki@

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白の魔法/青の叡智

 早朝の図書室。

 

 約束通りの時間に扉を開けると、ソフィアはすでにそこにいた。窓際のテーブルに陣取り、何冊かの本を広げて、手帳に何かを書き込んでいる。ルクスの入室を認めると、向かいの席に着席を促す。

 

「来たか」

 

「約束したからな。それに、俺自身、『これ』が何なのか知っておきたい」

 

 腰に提げた剣。記憶のないルクスにとって、不思議な力を発揮した愛剣であり、自分自身につながる手がかりでもあった。

 

 向かいの椅子を引いて座る。テーブルの上には魔法に関する書物が並んでいた。文字にまみれた理論書らしいものから、術式の図解が描かれた薄い冊子まで。

 

「まず、確認したいことがある」

 

 ソフィアが目線を上げ、正面からルクスを見る。

 

「昨日、キミは突然四種の属性魔法を使った。地、水、火、風。それぞれ別々に、しかも状況に応じて選んで。これは通常あり得ないことだ」

 

「そうなのか」

 

「普通、属性魔法の習得には適性と反復が必要だ。一種を扱えるようになるだけでも相応の時間がかかる。それを、記憶もないキミが四種同時に――しかも、今は使えない、ときた」

 

 昨日、異常な力と練度で魔法を行使したルクスの姿は記憶に新しい。――その後、全て幻だったように無力に戻ったルクスの姿も。

 

「突然魔法が使えるようになり、自在に操った。なのに今は使えないどころか魔法の知識すらないと来た。不可思議極まりないね」

 

「実際、あの時のことはよく覚えてないからな……無我夢中だったんだ」

 

「あの時、キミが行使した魔法は四種類。風の斬撃、火の高熱、水の刺突に、地の衝撃。やっていることは属性ごとにバラバラだったが、共通点が一つ」

 

 指を立てるソフィア。

 

「全部が、この剣を起点に発動していたってことか?」

 

「その通り。詳しく見てもいいかい?」

 

「あぁ、頼む」

 

 二人の視線が剣に集まる。

 

 ルクスは鞘ごと外して、テーブルの上に置いた。ソフィアが手を伸ばし、柄に触れようとして——止まった。

 

「これが……触れていいか」

 

「あぁ」

 

 慎重に、両手で持ち上げる。しばらく無言で観察していた。鞘を外して刃を見る。窓の朝光を受けて、白い刃が鈍く輝いた。

 

「――銘がないのか?」

 

「そうだな、俺も知らない。もしかしたらあるのかもしれないけど……生憎、覚えていない」

 

「銘のない剣……『無銘の剣』とでもしておくか」

 

 『無銘の剣』。どこかしっくりとくる響き。

 

「勇者が持つだけあって、刃の質は高い。だが魔力の反応が……おかしい」

 

 眉が微かに寄った。

 

「おかしいってのは?」

 

「通常の魔法具――私の杖のように魔法を扱うための道具だね。それは術者の魔力を受けて反応する。誰が使おうと、だ。だがこれは、私の魔力には反応しない。それでいて、魔力を内包している。まるで……」

 

 言葉を探すように間があった。剣をルクスに返しながら、

 

「まるで、既に主が決まっているような――あるいはこの剣自体に意思があるような――そんな反応だ」

 

 ルクスは剣を受け取り、言った。

 

「昨日、魔法が出た時、剣が熱くなった気がした。体が勝手に動いたというか、動かされたみたいな感覚も」

 

「それだよ」

 

 ソフィアが手帳を開き、書き始める。

 

「この剣が属性魔法の起点になっている。剣が魔法を引き出し、キミの体を通して使った。ここまではおおよそ間違ってはいないだろう。……問題は、なぜそんなことが可能なのか、だが――」

 

 眉が下がる。不満げな表情。

 

「わからないのか」

 

「残念ながら、ね。賢者としては不本意極まりないことだが、今のところは不明、と結論付けておくしかないみたいだ」

 

「今のところ、ってことはまだ可能性はあるのか?」

 

 手帳への書き込みが止まり、以前の頁を捲り始める。

 

「そう。現在私が研究している、解析魔法が完成すれば、ね」

 

 その目には知性の光とともに、隠しきれない好奇心が滲んでいた。

 

「まぁ、気長に待っていたまえ。さて、未知の題材を見せてもらった礼だ。折角だからキミには属性魔法の講義でもしてあげようか。あるいは、あっさりと扱えるようになるのかもしれないしね」

 

「――いいのか!?」

 

 『無銘の剣』の力による物ではなく、ルクス自身の力による魔法。その言葉にはあまりある魅力があった。

 

 

 

 所変わって、校内の訓練所。奥には練習用の的が並べられている。

 

「まず、属性魔法の基本を理解してもらう必要がある。君はその剣を通じて使ったようだが、原理がわかっていなければ応用はできない」

 

 短杖の先端が光る。掌の上に小さな水の球が浮いた。

 

「属性魔法は存在しないものを生み出さない。その場にある元素を引き出し、顕現させる。これも、虚空から出てきたのではなく、空気中の水分を集めたものだ」

 

「つまり、何もないところでは使えない」

 

「正確だ。砂漠で水を出そうとすれば微量しか引き出せない。極寒の凍土では火は起こせない。森の中では風も土も豊富にある。水分だって含まれているしね。火だけは少し難しいが……まぁ問題ない水準だった。昨日の戦闘で四種が使えたのはそういうことだ」

 

 水の球が霧散した。今度は短杖が地面を指す。その一部がごく小さく隆起した。

 

「そもそも、魔法というものは例外なく世界の記述に干渉する技術だ。この世界に存在するルールのようなもの。それに対して自前のインク――魔力を用いて装飾するものだと考えていい」

 

 地面が平坦に戻り、掌から今度は小さな炎が生まれる。

 

「無属性魔法、属性魔法、神聖魔法。大別して三種類の魔法があり、それぞれが異なる視点で世界の記述に干渉している。属性魔法は世界の記述から特定の元素を抜き出し、強調――ハイライトする。だからこそ、その場にないものは生み出せないわけだ」

 

 どこかから風が吹き、炎が揺らめいて消える。

 

「四大元素はそれぞれ異なる性質を持つ。風は速さと貫通。水は柔軟性と衝撃吸収。火は威力と範囲。土は重さと持続。扱い方によってはいろいろとできるが……これらを状況に応じて選ぶのが属性魔法の基本だ」

 

「昨日のソフィアはそれを瞬時にやっていた」

 

「ただの習慣だよ」

 

 素っ気なく返す。

 

「予め型を作っておく。それだけで魔法の選択と起動は段違いに速くなる。私は各属性ごとにシンプルなバレット型、広範囲のストーム型、炸裂させるボム型、などを基本的に使用しているね。後は、細かく即興で魔法の内容を一部変えることもある。必ずしもこれを踏襲しろとは言わないが……今日のところはこちらに合わせてもらう」

 

「了解した。よろしく頼む」

 

「まずは、バレット系列から覚えてもらおうか。最も基礎的な属性魔法の形だ」

 

 こうして、実践を交えたルクスの学習が始まった。

 

 

 

 それからしばらく、バレット系列の原理を叩き込まれた。

 

 ウィンドバレット、ストーンバレット、アクアバレット、フレアバレット。四属性それぞれを弾丸の形に凝縮して射出する術式。単純がゆえに応用が広く、ソフィア曰く「これを速く正確に出せれば、戦闘の七割は対応できる」とのことだった。

 

 ルクスは剣に手を添えながら、昨日のことを思い出す。あの時は考えていなかった。剣が熱くなり、体が勝手に動いた。今回は自発的に魔法を放つ。

 

「試してみたまえ」

 

 ソフィアが目の前の的の横に立つ。

 ルクスは剣先をそこへ向け、教わった術式に従い魔力を流し込む――!

 

「アクアバレット!」

 

 ――何も起きなかった。

 

「……出ない」

 

「――当然だ。そう簡単にできるものではないよ」

 

 そう言いながらソフィアは手帳に何かを書き込む。

 

「昨日は剣が引き出した、だろう?今日は君が引き出す必要がある。世界の記述を意識してみるんだ」

 

「そう言われてもな……」

 

「概念的な話ではある。使いたい属性を強く意識するんだ。それ以外の要素を頭から排除するぐらいの気持ちで」

 

(水……水か……)

 

 脳裏に水のイメージを形作る。流れる。冷たい。形がない。

 

「後は……色の意識をしてみるといい。それぞれの属性に色を付けるんだ。水なら、まぁ青だね」

 

「……ッ」

 

 青。その言葉を聞いたとき『何か』が変わった。

 

 頭に浮かぶのは目の前の少女が操る水の魔法。そのイメージが形を結び――

 

 

――かたり。

 

 『無銘の剣』がかすかに震える。ルクスの雰囲気が変わる。

 

「……なにか、掴んだね」

 

「わからない、けど……いける気がする」

 

 ソフィアが書くペンを止めた。

 

「もう一度。その感覚を保ったまま、水を意識しろ」

 

 ルクスは目を閉じた。手の中で剣が熱を持つ。昨日ほどではない、しかし確かな温もり。頭に浮かぶ水の――『青』のイメージをそれに重ねる。

 

 ――パシャリ、と小さな音がした。

 

「――っ!」

 

 声にならない悲鳴。

 

 目を開けると、無傷の的。その隣に――頭から水をかぶったようなソフィア。

 

「……ごめん」

 

「はぁ……」

 

 ため息が一つ。

 

「精度と威力はまだ話にならないが」

 

 ソフィアが小さく口の端を上げた。それが笑みだと気づくのに、一拍かかった。

 

「ひとまずはおめでとう、と言っておこう。まさか本当に一日でここまで来るとは」

 

「……ありがとう?」

 

「それはそれとして、よくもやってくれたね。すっかり水浸しじゃないか」

 

「それに関しては本当に申し訳ない……」

 

 平身低頭、謝罪の意を示すしかない。

 

「まぁ、時間もちょうどいいか。流石に着替えたいし、ここまでにしておこう」

 

 太陽が真上に差し掛かる頃、恐縮する少年とどこか満足気な少女が訓練所を去っていくのだった。

 

 

 

「あら?ルクスとソフィア、二人一緒なのね」

 

 昼になって、二人は食堂へ向かったところ、既に席に座っていたアイリスから声をかけられる。対面にはクロエもいた。

 

「お二人で何かされていたんですか?」

 

「あぁ、ちょっとした調査と講義をね」

 

「調査?」

 

「昨日のルクスの動きは不可解だったろう?その原因を調べていた」

 

 アイリスが眉をひそめた。

 

「……まあ、それは確かに気になるわね。身のこなしも様になっていたし……」

 

「私も気になっていました。あの魔法、どこから出てきたんでしょう」

 

「詳しいことは、まだわかっていない」

 

 ソフィアは答えて、スープをすくった。

 

「ただ、あれが――『無銘の剣』が関与していることは確かだ」

 

「あの剣、変わってるわよね」

 

 アイリスがルクスの腰元を見た。

 

「普通の剣じゃないのは間違いない。でも……なんか、白くない? 鞘の外からでも何となく白く見える気がするんだけど」

 

「俺も詳しくはわからない。でも、確かに普通じゃない、とは感じるよ」

 

「だから、調べているんだ。未知のものを解き明かすのも賢者の役割だからね」

 

 ソフィアが会話を締めた。それ以上のことは言わなかった。

 

 

 

 ルクスに訓練の反復を命じ、ソフィアが図書室に戻ると、机の上に見慣れない本がいくつか置かれていた。

 

 朝に並べていた書物とは明らかに違う、見覚えのない本。

 

(これはなんだ……?私以外にここを利用する者などほとんどいないと思っていたが……)

 

 ルクスは何気なく来ていたが、ソフィアが根城とした一室は難解な書物や貴重な本なども保管されている、それなりに敷居の高い空間だ。

 

(とりあえず確認してみるか)

 

 並べられた本。それらに手をかけようとして――

 

 その時、扉が開いた。

 

「あら、もう見つけてしまいましたか」

 

 マリアだった。穏やかな笑顔で入ってくる。何かを確認しに来たような、何気ない様子だった。

「マリア女史、これは」

 

「少し古い書物です。資料になるかと思って、持ってきました。お役に立てれば」

 

「……こんなもの、どこから持ってきたんですか?この部屋にあるような本は一通り確認したつもりだったのですが」

 

 ソフィアの問いは単刀直入だった。マリアは少し考える素振りを見せて、微笑んだ。

 

「学園の書庫です。閲覧に制限のある棚にあったものですが……ソフィアさんなら、大丈夫でしょう」

 

 息を吞む。

 

「禁書、ということですか」

 

「物騒な言い方ですね?特に害があるものではありません……考え方の裾野を広げてくれるかもしれませんよ?」

 

 笑顔は崩れなかった。

 

「では、邪魔をしましたね。また後で」

 

 それだけ言って、出ていった。

 ソフィアはその扉をしばらく見て――本に視線を戻す。

 

(まぁ、読んでいいというなら読ませてもらおう。なにか、研究のヒントになるものでもあればいいが……)

 

 表紙を並べてみる。

 

(『世界の記述とその文脈』『神聖魔法の深度について』『世界五分前説』『知情意のバランス』……)

 

 ジャンルはバラバラのようだが、どれも読んだ覚えのないものばかり。

 

「ふむ、――これにしてみるか」

 

 そうして手に取ったのは――

 

 

 

「ふぅ、こんなもんか」

 

 訓練場にてルクスが額の汗を拭う。周囲の的は濡れ、焦げ、裂け、砕けていた。

 

(四属性のバレット、なんとか形になってきたな――とりあえず、誤射することはなさそうだ)

 

 的の残骸を片付け、訓練場を後にする。

 

(とりあえず、ソフィアに報告しておくか。次に何をすればいいかも聞いておきたいし)

 

「お疲れ様です。精が出ますね」

 

「っと!マリア先生。見てたんですか?」

 

「ええ。といっても最後の方だけですけど」

 

 入り口にはマリアが立っていた。いつも通りの穏やかな笑み。

 

「一日でずいぶん上達しましたね。これも、勇者の資質なのでしょうか?」

 

「わからないですけど――早く強くなれるなら理由はなんだっていいんです」

 

「なるほど。これからも頑張ってくださいね?ただし、無理はなさらないように」

 

「はい!じゃあ、俺はこれで」

 

 すれ違い、校舎に向かうルクス。マリアは勇者の背中を見つめる。その笑みは変わらず穏やかで、その目には底知れない感情が渦巻いていた。

 

「本当に、凄まじい成長速度……予想以上ですね。今回はどんな色を見せてくれるのか――楽しみにしていますよ」

 

 

 

 そうして舞い戻った図書室。扉を開けると真剣な表情で何かの本を読み進めているソフィア。

 

「……ソフィア?」

 

「――っ!あぁ、ルクスか……もう訓練は終わったのかい?」

 

 声をかけると弾かれたように顔を上げる。その顔色は少し悪い。

 

「とりあえずバレットは安定して打てるようになった。もう誤射することもない……と思う」

 

「何よりだね。また濡れ鼠にされたら堪らない」

 

「ソフィアは何を読んでたんだ?顔色も悪いみたいだけど……」

 

 少し言い淀むソフィア。

 

「まぁ、ちょっとね……面白いことが書いてあったんだ」

 

「その顔は面白いって感じじゃないが……どんな内容だったんだ?」

 

「世界五分前説――この世界は、五分前に始まったかもしれない、という説だ」

 

「……?」

 

 ルクスの思考が止まる。

 

「どういう意味だ」

 

「そのままの意味さ。この世界に存在するあらゆるもの——記憶も、歴史も、物語も——全て、五分前に作られたのかもしれない。そういうことだ」

 

 ソフィアは本を閉じなかった。指で頁を押さえたまま、窓の外を見た。

 

「もちろん、こんなもの証明も反証もできない。この世界が今、始まったとしても、これまでの記憶がそこにあれば誰も気づかない。……どう思う」

 

「どう、と言われても」

 

「感想でいい」

 

「……そうだな――」

 

 ルクスはしばし考える。

 

「俺には記憶がない。だから余計に、そんな気がしないでもない。昨日突然始まった世界に、突然放り込まれたような――そんな感じがする」

 

 ルクスにとっては見聞きするものすべてが初めてのことばかり。たとえ世界が昨日、街で目覚めた瞬間に始まったとしても、それに気づく術などないのだ。

 

「……そうか。確かに、そうだな……」

 

 ソフィアは本に目を戻した。何か考えている顔だったが、それが何かまではわからない。

 

 図書室に、静かな夕の光が差し込んでいた。

 

 

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