「「…………」」
静寂。
木剣を構え、向き合う少年と少女の間には静かな緊張感が漂っていた。
どこかぎこちない、しかしその目は真剣な光を放っている少年。
自然体の、しかし堂に入った構えの少女。
「――行くぞっ!」
「来なさい」
未熟な勇者と騎士、二人の訓練が行われることとなった理由は、昨日に遡る……
鬱蒼とした木々と魔物の気配。『修練の森』での実戦訓練。普段通り、四人で魔物との戦闘経験を積んでいた時のこと。
「ストーンバレット!」
ようやく実用に耐えうる精度と威力になった魔法で魔物を撃つルクス。前方ではアイリスが敵を引き付け、少し離れた位置のソフィアは自分の数倍のペースで魔法を展開している。背後ではクロエが光の壁による援護を行ってくれていた。ここ最近の戦闘において確立してきた連携の形。ルクス自身、戦闘に貢献できるようになったことに小さな自信を持ち始めていた。
「……多少は見られるようになってきたね」
「師匠がいいもんで、なっ!」
次々と標的を撃ちぬいていくルクス。しかし――
「ギャァァッ!」
「すみません!一匹、そちらに漏れます!」
アイリスの剣とクロエの光壁の隙間。わずかな綻びを抜けたゴブリンが一匹、ルクスに迫る。
(――距離が近い!今から魔法を撃っても間に合わないか……!)
専ら魔法の補助具として扱っていた『無銘の剣』が閃く。剣としての本来の役割を果たそうと振るわれたそれは――
「ギィッ!」
「んなっ!?」
あっさりと躱され、懐へと入られる。なんとか剣を引き戻し、ゴブリンと自身の間に滑り込ませる。
(どうする!?無理やり弾き飛ばしてもさっきの二の舞になりかねない!とはいえこの距離じゃ魔法も……!)
「……何やってるのよ」
呆れたような声。同時に、剣にかかっていた圧力が消える。
霧散していくゴブリンの先に、剣を振りぬいた体勢のアイリスがいた。
どうやら今の一体で最後だったようで、剣を収めて一息つく。
「助かった。まさか躱されるとは……」
「最後の最後で後ろに逃がしちゃったあたしも悪いけど……あんた、剣の使い方がなってないわよ」
責めるというよりは、たしなめるような声。
「返す言葉もない。実際、魔法の訓練ばかりでそっちは碌にやってこなかったしな」
「属性魔法は便利だし、威力もあるけど……近距離まで詰められたら終わりよ。最低限、ゴブリンぐらいは斬れるようにしておかないと」
実際、アイリスの助けがなければ危なかった場面。これまでは魔法の訓練を中心にしていたが剣の方も時間をかけるべきだろう。しかし――
「――やり方がわからない」
未だになんの記憶も戻らないルクス。当然剣の振り方などわからない。
少しの間があった。ため息が一つ。
「明日の朝、訓練場に来なさい。最低限は叩き込んであげるわ」
「いいのか?」
「あの程度であんたに倒れられちゃ困るのよ。あたしは騎士として、あんたも他の二人も守るけど、それは自衛が必要ないってわけじゃないんだから」
淡々と語るその顔は、呆れと心配の両方を浮かべていたのだった。
「あ、でも明日の朝はソフィアと魔法の訓練を――」
「いや、構わないよ。存分に鍛えてもらうといい」
明日の予定を思い出したルクスだったが、その相手――ソフィアが近寄り、それを許容した。
「いいの?別にあたしはいつでも構わないんだけど」
「あぁ、少しくらいは剣も触れるようになってもらった方が良いと思うしね」
「そう。じゃあ、そういうことで。明日の朝、待ってるわね」
あっさりと予定がすげ替わり、アイリスとの訓練が決定したのであった。
そして、翌朝。
「それじゃ、まずは構えてみなさい。あんたが思うやり方でいいわ」
アイリスの第一声がそれだった。ルクスは言われた通り剣を構える。普段の戦闘でも用いている構え。足を開いて剣先を前方に向け、左手を刀身に沿える。
アイリスが一周して観察した。
「……全部直すわよ」
「……そんなにひどいか?」
「剣を使うなら、だけどね。その構えが魔法を使うときに丁度いいなら、大きくは変えないようにしてあげる」
そう言うと、細かく構えを修正し始めるアイリス。
「柄の握り方から間違ってる。そんな握り方で振ったら斬れる物も斬れないわよ」
「足はもう少し閉じなさい。咄嗟の移動ができなくなるから」
指摘は具体的だった。柄の握り、肘の角度、足の幅、重心の位置。ひとつひとつを直させ、また見て、また直す。構えを修正した後は剣の振り方に移った。
「斬ろうとするな。刃を置く感覚で振りなさい」
「刃を置く」
「速さは後でいい。まず正確に軌道を作るの。正しく刃を立てれば、大抵のものは斬れるんだから」
言われた通りに振ってみる。ヒュンッ、と風を切る。これまでとは明らかに感触が違う。新鮮な、しかしどことなく体に馴染む動作。アイリスがわずかに目を細めた。
「……飲み込みは悪くないわね」
「君の教え方が上手いんだ」
「……そ。じゃあ教えたとおりに素振りしてみなさい。意識しなくてもその軌道で振れるようになるまで、よ」
照れるようにそっぽを向く。しかし視線はルクスから離れない。少女としての照れと騎士としての教導の義務が入り混じった所作。それを横目に、ルクスは素振りを開始するのであった。
構えが少しずつ体に馴染んできた頃、何処かへ消えていたアイリスが戻ってきた――木剣を二本、携えて。
「素振りはもういいわ。次は実際に敵に向けて剣を振る練習よ」
一本を放って寄越す。
「っと。もう実践か?」
「もう素振りが必要ないってわけじゃないわよ。でもそればかりで変な癖がついても困るもの。動く相手に当てる練習もしないとね」
そうして向かい合う二人。一瞬の静寂。
「――行くぞっ!」
「来なさい」
今できる最速の踏み込み。先ほどまで繰り返した通りに剣を振り下ろし――ひらりと躱される。
「うん、形はいいわ。それを極力崩さずにあたしに当ててみなさい」
「簡単に言ってくれる……!」
追いすがるルクス。躱すアイリス。届きそうで届かない、絶妙な距離感は砂漠の逃げ水のよう。
「動きと動きの繋ぎを意識しなさい!短く、滑らかに斬撃を繋ぐの!」
「くっ!?」
斬り下ろし、斬り払い、突き、斬り上げ。幾度となく斬りつけ、同じ回数、空を斬る。そうして少しずつ体勢が崩れていき――
「形が崩れてきたわね。……一旦、ここまでか」
振り下ろした木剣がアイリスの木剣に弾き飛ばされる。次の瞬間には首筋に突き付けられる木剣。カラン、と乾いた音を立てて、離れた地面に落ちるルクスの木剣。
「……参った。こんなに当たらないものなのか」
「今回は極端に回避に寄せたけど、ね。魔物相手ならここまで躱されることはないわ」
アイリスが一歩下がった。
「踏み込みの速さは悪くなかった。ただ、その後の処理が甘い。踏み込んだ勢いをどこへ逃がすか、そこから次の動作にどうつなげるか、もう少し考えなさい。実戦での隙は、死につながるわよ」
ルクスは息を整えながら頷いた。完敗だった。
「この分じゃ、当分勝てないな」
木剣を拾い上げながらルクスが言った。落ち込んでいるというより、現状を整理している口調だった。
「当たり前よ。あたしは騎士として力を付けてるの。いくらあんたの飲み込みが速いとしても、一朝一夕で追いつけるわけないでしょ」
「まぁ、そうだな……」
「ただ」
アイリスが腕を組んだ。
「あんたには魔法がある。剣だけで戦う必要はないでしょう」
「組み合わせるか」
「そう。魔法で間合いを作って、剣で仕留める。あるいは剣で崩して、魔法で追撃する。どちらの順番もあり得る。それにあんた、身体強化使ってなかったでしょ」
「身体強化?」
聞き覚えのない単語。聞き返すとアイリスは絶句した。
「……ソフィアから何も聞いてないの?魔法の練習はしてるのに?」
「聞いた覚えはない……と思う」
頭を抱えるアイリス。
「属性魔法が使えてるんだから当然使えるものだと……!これじゃあたしだけズルしたみたいじゃないの……!」
「その言い方だとアイリスはさっきそれを使ってたってことか?」
「そうよ。でないとあんたの剣を受けられるかわからなかったしね」
でもまさか使えないなんて……と呆れたようにルクスを見る。
ソフィアとルクスの交流において、多くを占めるのは属性魔法の訓練、次いで『無銘の剣』の調査。その他での会話は多くない。ソフィアはその内アイリスが教えるだろうと放置し、ルクスはソフィアを疑うことなく属性魔法の習得に全力だった。
「ここであたしが教えることまで想定済みな気がするわね……癪だけど、必要なことだし、仕方ない、か」
実際、ソフィアは自分でなくても教えられると判断し、丸投げするとともに自身の研究に時間を注いでいるのだが、ここで教えない、という選択肢はアイリスの中にはなかった。
アイリスから身体強化の基礎を教わる。
(魔力を体に通す。自分の体を強くするように、世界の記述に干渉する……)
「あんたは既に属性魔法が使える。身体強化――無属性の魔法はそれに比べたら簡単なはずよ。さっさと覚えなさい」
「あぁ……こう、か?」
魔力を操作し、自分自身の体に流し込んでいく。じんわりと温かい感覚が広がった。
「試しに軽く体を動かしてみなさい」
「よし、やってみ――」
軽く、地を蹴る。次の瞬間には大きく視界が動いていた。振り返れば、少し離れたところで驚いているアイリスが見える。もう一度、今度はさらに注意して踏み込んでみる。さっきの立ち位置まで戻ってきた。
「――驚いたわね。かなり強化の幅が大きい。剣を教えてる時も思ったけど、それ以上に飲み込みが速いわ」
「これ、確かに身体能力は上がってるけどコントロールが難しいな……もう少し練習が必要かもしれない」
「そうね。追々、練習していきましょう。今は、改めて戦術の話よ」
「魔法と剣を組み合わせる、か。難しいな……」
二人で顔を突き合わせて考える。ルクスの今の練度、得意な距離感、魔法の発動速度。アイリスが自分の動きを踏まえて言葉を足していく。
「魔法で先に動きを止めるなら、小さくて速い魔法が向いてる。風ね。大きいのを溜める時間はないから」
「接近してから出すなら?」
「火。相手が近ければ細かい制御はいらない。威力重視でぶちまけなさい……自爆には気を付けるのよ?」
話しながら、輪郭が見えてきた。まだ荒削りだったが、自分の戦い方の形として想像できるものが。魔法と剣。それぞれの利点と欠点をかみ合わせていく。
「……やってみる価値はありそうだ」
「あるわよ。少なくとも、剣だけで戦い続けるよりずっとね。使えるものは使わないと」
アイリスが立ち上がった。
「また付き合うわ。一人じゃ試せないでしょうから」
「……ありがとう」
「騎士として当然のことよ」
短く言って、剣を拾い上げた。
「アイリスは、騎士であることに拘ってるのか?」
ルクスが聞いた。特に深い意図があったわけではない。これまでも、騎士として、という言葉が何度も出てきていたのをふと思い出し、自然に口をついた。
アイリスは少し間を置いた。
「えぇ、騎士として勇敢に戦い、仲間を守り、世界を救う。それが、あたしの全部」
曇りのない目。心底からそうであると確信していると傍目にもわかる。
「少なくとも今は、それで十分よ。強くなることが、私の仕事だから」
(俺も、勇者として彼女に負けないくらい強くならないといけないか)
小さな決意。胸中で固めたそれを、改めて宣言する。
「俺も、もっと強くなる。いつか、君を守ることだってできるくらいに」
少し驚いた表情。しかしすぐに微笑みに変わる。
「えぇ、なりなさい。期待して待っててあげる」
それだけ言って、アイリスは訓練場を出ていった。
夕陽の光が、ルクスの足元まで伸びていた。