ルクスが目覚めてから数日、マリアから指令が下された。
「『修練の森』深部の調査。これを皆さんにお願いしたいのです」
いつも通りの微笑み。いつも通りの口調。
「みなさんの対処のおかげでスタンピードにはならずに済みましたが、再度同じことが起こらないとは限りません。魔物の大量発生、その原因を確かめてきてください」
(――これは、どう見るべきか……)
『前』のソフィアの記録では森の深部には魔物を強化していた宝玉と、テルミナ――魔王の座す最果てへのポータルが隠されていた。果たして、マリアはそれを知っているのか、否か――その表情からは読み取れない。
(なんにせよ、これを断るのは明らかに不自然だ。私達がこの世界の背景に勘付いていると悟られるきっかけにもなるだろう。まぁこっちは手遅れかもしれないが……)
顔を見合わせる四人。
「わかりました。手がかりをつかんできます」
「ええ、よろしく頼みましたよ」
代表してルクスが答える。振り返り、歩き出す。視界の端に映るマリアの顔は変わらず微笑みを浮かべていた。
『修練の森』の空気は、変わらず淀んでいた。魔物の気配こそ多くはないものの重苦しい雰囲気が漂っている。散発的に現れる魔物を討伐しながら歩を進めていく。
「調査って言ってもどこで何を探せばいいのかしら?魔物が発生する原因がどこかにある……?」
「一応、当てはある。『前』と変わりないなら――この辺りだ」
ソフィアが立ち止まった。周囲を見回して、ある一点で止まる。
「――あった。これだな」
そこにあったのは妖しい輝きを放つ宝玉。
「これは?」
「詳しいことは分からないが、魔物の発生を促進、もしくは魔物の強化をもたらすものだ。前回の戦いではまだ効果を発揮していなかったようだが……残しておく意味もない、破壊しておこう。アイリス、頼む」
「了解。普通に斬っていいのね?」
「あぁ、少し待て……いいぞ」
そう言って剣を構えるアイリス。ソフィアは短杖を構えて解析魔法を走らせる。
「――ふっ!」
かしゃん、と音を立てて宝玉が砕ける。その破片は光の粒子となって虚空へと消えていった。
「――よし、次だ」
手早く何事かを手帳に書き込み、迷いなく歩き出す。
「ちょっ、待て!どこに行く気だ?」
「言ったろ、次だ――魔王に辿り着くための道があるはずだ」
振り返らず進んでいくソフィアを慌てて追いかける三人。しばらく進んだ後、見えてきたのは宙に浮かぶ『歪み』のようなもの。
「あれがポータルだね。テルミナとここを繋ぐ空間の歪み――あれを通ればすぐにでも魔王との決戦に挑める」
「あれが……ついに、魔王との戦いですか」
「とはいえ、話した通り、ただ魔王を倒しても意味がない。もう少し時間をくれ」
「――そうね。ただ……」
素早く剣を構えるアイリス。前方のポータルが大きく歪み、魔物があふれ出してきた。
「向こうは待ってくれないみたいよっ!」
「ギャッ!?」
先頭のゴブリンを素早く切り伏せ、前に出る。
「――こうやって魔物を送り込んでいたのか。興味深い……」
「言ってる場合か!クロエ、支援頼むぞ!」
「は、はいっ!」
ルクスも剣を抜き、飛び出していく。手には翡翠の聖剣――サルヴァトル。
「ルクス、無理するんじゃないわよ!また倒れても知らないから!」
「わかってる!このくらいなら!」
聖剣が煌めく。世界の理を塗り替える、異分子の力。
「この斬撃は命中する」
標的は僅かに間合いの外。しかし、聖剣を振りぬけば、前方にいたコボルトが両断されていた。
(――あまり負担がない?)
消耗したような感覚が薄い。その違和感を突き止める前に新手が迫る。
「グオォォォッ!」
「オークか!はっ!」
直線的な拳による攻撃。容易く躱してすれ違いざまに一太刀。背後から再度迫る気配。
「やっぱこのサイズは一撃じゃ無理か、なら!」
再び翡翠の輝きが増す。
「これで倒れろ!」
斬撃が命中すると同時、オークの体が霧散していく。間を置かず、軽い脱力感。
(これは疲れるのか。なにか違いがあるのか……?)
「ルクスさん!」
「――っ!」
思考を巡らせるルクス。それは戦闘において明確な隙だった。遠方から飛来する矢を眼前に展開された光の盾が弾く。
「大丈夫ですか!?」
「クロエ!助かった!」
間一髪。返す刀で矢を放った下手人をその場から斬り捨てる。
(――ぐっ!?さっきは軽かったのに今度は急に重い……!)
「ルクス、動きが鈍くなっている。あまりそれを多用するべきじゃない」
「あぁ、ここからは自力でやる」
体が重い。ソフィアからも忠告を受ける。今日のところは純粋な剣技で戦うほかないようだ。
「ポータルからの魔物の流入が途絶えました!今いる分で最後です!」
後方で全体を俯瞰していたクロエからの報告。
「もうひと踏ん張りだ!行くぞ!」
間もなく、魔物達の討伐が完了するのだった。
「ひとまず片付いた、か」
息を整えながら剣を収めるアイリス。
「……ふむ、やはりテルミナにつながるポータルで間違いないね。これで調査完了だ」
「……あんた、手ぇ抜いてた?随分余裕そうだけど」
「心外だね。きっちり援護はしただろう?少しばかり別の事にリソースを振っていただけだよ」
「別の事、ですか?」
「あぁ、ルクスの観察をね」
三人の視線が集まった先、荒い息を吐きながら座り込んでいるルクスの姿があった。
「――大丈夫ですか?どこか痛むところは……」
「いや……傷はない。ただ、かなり、疲れた……」
「前よりひどくなってるわね。あのくらいなら普通に対処できたでしょ」
「事象の書き換えを行うたびに大小はあれど動きが鈍っていた。やはり相応に負荷がありそうだね」
サルヴァトルによる世界の書き換え。それによる消耗が重くのしかかっていた。
(書き換えの内容が同じでも負担が違った……どういう基準なんだ?)
「もう少し検証が必要だね。とりあえず今日のところは帰還しようか」
「そうね。クロエ、ルクスに肩貸してやってくれる?帰り道はあたしとソフィアで片付けるから」
「はい、ルクスさん、こちらに……」
「――悪い。頼む……」
クロエの力を借りてなんとか立ち上がる。足元はややおぼつかないが辛うじて移動はできそうだった。
(――情けない。新しい力を手に入れて、何でもできると思っていた。その結果がこれ……もっと頑張らないと)
改めて決意するルクス。どうやって聖剣の力を使いこなすか、思考の海に沈んでいた――隣のクロエの表情が目に入らないほどに。
(うぅ、顔が近い……この胸の鼓動、届いてないですよね……!?)
その顔は一目でわかるほどに赤い。前を歩く二人は時折振り返っては、にやにやと笑みを浮かべている。
(どうするか考える、とは言いましたけど……このままじゃ暴発しちゃいそうです!)
悶々としたまま森の出口へと歩みを進める。結局魔物とも遭遇せず、高鳴る鼓動だけがクロエの脳内を支配していた。
無事に帰還し、学園の教室にて。
「森の奥に、ポータルを確認しました。おそらくは、テルミナに繋がっているかと」
「ふむ、そうでしたか……」
ソフィアによるマリアへの報告は短かった。
「ご苦労様でした。後はこちらで調べます。皆さんはしばらく待機していてください――あぁ、クロエさんだけ、残っていただけますか?」
「私、ですか?」
「えぇ、少しお話が。他の皆さんは解散してくれて構いませんので」
「――わかりました」
頷くクロエ。三人は背を向けて歩き出し――
(随分と淡白な反応――やはりポータルの存在は把握していたのか?)
(クロエだけ残すってのも気になるが……仕方ないか)
(とりあえず出てきたところを捕まえましょうか)
小声で意思を確認、マリアへの警戒を強める。背中越しに見たマリアは相変わらず真意の読めない微笑みを浮かべていた……
背後で扉の閉まる音。教室に二人残されたクロエとマリアが向かい合っていた。
「それで、なんのご用件でしょう?シスターマリア」
「そう大したことではありません。肩の力を抜いてください」
微笑みかけるマリアだったが対するクロエの表情は硬い。『マリアを警戒する』、仲間たちの中で決まった方針。その危険性を最も実感しているのがクロエだった。自身を犠牲にした至高の救済。それを伝えたマリアは、クロエにとって尊敬する聖職者の先輩ではなくなっていた。
「……随分と警戒されているようですね?なにか心境の変化でもあったのでしょうか?」
「――はい、それはもう。私は、私を含めた世界全てを救うために尽くします。私自身を擲つようなことは、もうしません」
「――それで、世界が救われなくなるとしても、ですか?」
「私一人では救えないとしても、ルクスさんと。皆さんと、力を合わせればそこに女神様の加護が宿ると、今はそう信じています」
「なるほど……」
はっきりと自分の意思を述べるクロエ。そこには以前のような空虚さは無く、明確な『自分』を持っているように感じられた。
(本当に変わりましたね……やはりこれ以上の干渉は難しいようです)
それはある意味では『諦め』であり、『期待』だった。物語の観測者として、一切の干渉を行わずにその行く末を見守る、あるべき姿への回帰。自身の手を入れずに、女神の心を震わせる感動が生み出されることを願い、マリアは身を引いた。
「……わかりました。あなたの決意、その先を見届けましょう。願わくば、よき結末が待つことを――」
「必ず、世界を救います。誰一人欠けることなく、全員で。それが、私達の使命ですから」
「――っ、出てきた!」
「きゃっ!み、皆さん。どうして……」
マリアとの問答を終え、退室したクロエを待っていたのは先に退室したはずの三人だった。
「君が心配で、だ――何もなかったか?」
「はい、なにも。少しお話しただけでした」
「なら、いいんだが……」
クロエの顔を覗き込む。変わった様子は見られない――
(――ん?)
クロエの頬に赤みが差していく。
「……顔が赤いぞ?やっぱりなにか――」
「い、いえ!大丈夫、大丈夫ですから!」
「本当か?ますます赤くなってるけど」
「大丈夫と言っています!!」
ルクスが首を傾けた。心配そうな顔のまま、一歩近づいた。
「熱でもあるんじゃないか。少し――」
「近い近い近いです!!」
クロエが後退した。しかし、その背後には壁。これ以上は下がれない。
ルクスが手を伸ばす。クロエの顔の真横に手がつかれる。
また目が合った。先程よりも至近距離で。
(あうぅ、本当に近い……このままじゃ――)
「大丈夫、ですからぁ!もう、これ以上は……」
さらに接近するルクス。もはやこれまで、とクロエは瞳を閉じる。
「――そうか。なら、いい」
暗闇の中、気配が離れていった。
「――へっ?」
目を開けばそこには頷くルクス、そしてその後方で呆れた表情を浮かべているアイリスとソフィアの姿があった。
「万が一、ということもある。今日のところはしっかり休んでおいた方が良い」
「え?あ、はい……」
じゃあ、とそのまま立ち去っていくルクス。残されたのはまだ顔が赤いままのクロエとため息をつく二人の少女。
「――冗談でしょう?あれ、本当に何もわかってないじゃない……大丈夫?クロエ」
「あまり、大丈夫ではないです……」
へたり込み、胸を押さえる少女。その奥にある心臓は早鐘を打っている。
「大概だとは思っていたがまさかあれほどとは……凄まじい鈍さだったな」
「あいつ、そもそも男女の情緒とか存在しないんじゃないの……?」
顔を見合わせ、ため息が二つ。クロエの恋路はまだまだ長くなりそうだった。
(とはいえ、妙ね……?唐変木なのはまだしも、普段のあいつならもう少しクロエを気遣ってたと思うんだけど……)
「こんなの、どうしたらいいんですかぁっ……!?」
思案するアイリスをよそに、恋する少女の叫びが虚しく青空に吸い込まれていった。