天座の書架と白紙の勇者   作:maki@

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翡翠の願い/黒の解放

「お疲れ様でした。皆さんのおかげでこの世界に平和が訪れました」

 

 テルミナから帰還した四人を迎えたのはそんなマリアの言葉だった。『修練の森』の奥、ポータルの傍に、出発時と変わらない姿。

 

「ささやかですが学園で祝勝会でも開きましょう。ご用意しておきます」

 

 無機質にすら思える平坦な声。ぬくもりを感じない微笑み。どれをとってもこれまで見ていたマリアの姿とは結び付かない。

 

(――これが、マリア先生……?)

 

「……よし、帰りましょうか!」

 

「――私はいい。まだやることがある」

 

「ソフィアさん?」

 

 流れた微妙な空気を断ち切るように声を上げたアイリス。しかし、ソフィアは冷たく不参加を告げた。

 

「今は少しでも解析を進めたい。色々と新しい情報も増えたしね」

 

「――わかった。無理だけはするなよ」

 

「キミが言うかい?未だに膝が笑っているようだが?」

 

 苦笑するソフィアに返す言葉もないルクス。しかしソフィアの目はまるで笑ってはいなかった。

 

「話はまとまりましたか?ひとまず、学園に戻りましょう」

 

 マリアの先導で森を抜ける。その間、会話はなかった。世界を救ったとは思えない、重苦しい空気が、周囲を支配していた。

 

 

 

「――終わったわね」

 

 アイリスが言った。目の前には普段より豪勢な料理の数々。成し遂げた、という感覚が追い付いてきた。

 

「ひとまず、だけどな。まだソフィアが戦ってる」

 

「ソフィアさん……抱え込んでしまってますよね……」

 

 この場にいない少女のことを思う。学園に帰還するなり、ソフィアは宣言通り図書室にこもってしまった。魔王から読み取った記述の解析に取り組んでいる。

 

「協力できないのはもどかしいけど……できることもないしね。あたし達はいざって時のためにしっかり英気を養っておきましょう」

 

「仕方ない、か。後で様子だけ見にいこう」

 

 気を取り直して食事を進める。三人の胃がある程度満たされた頃だった。

 

「――そういえば」

 

 唐突にルクスが声を上げる。何かを思い出したような声。視線を向けた先にはクロエがいた。

 

「どうしました?」

 

「前に、聞いてほしいことがある、って言ってなかったろ。あれってどうなったんだ?」

 

 クロエが、ぴくりと肩を動かした。

 

「へぇ、そんなこと約束してたの?」

 

「あぁ、ちょっと前にな。戦いが終わったら伝える、って」

 

「えぇっと、それは、ですね……」

 

 口ごもるクロエにアイリスがにやにやとからかうような笑みを向けた。

 

「あたし、お邪魔かしら?席を外しましょうか?」

 

「――?アイリスがいると、まずいのか?」

 

 首をかしげるルクスだったが、クロエの顔はどんどんと赤くなっていく。

 

「いえ、その、問題がある、というほどでもないんですけど……あうぅ」

 

 しばらく悶えた後、意を決したように顔を上げる。

 

「――明日!明日お伝えします!必ず明日伝えますから!」

 

「お、おう。そうか。明日だな」

 

(日和ったわね……)

 

 そうして絞り出した答えは問題の先送りだった。魔王との戦い、勝利。そしてこの世界の『先』――羞恥心ももちろんあったが、クロエ自身、自分の感情の整理が終わっていなかった。

 

「もう少しだけ整理する時間が欲しいんです。私が、迷いなく自信をもって伝えられるように。なので、明日。伝えさせてください」

 

 そう言ってほほ笑むクロエは、まだ頬に赤みを残していたものの、年頃の少女らしい笑顔を浮かべていた。聖女として世界の救済のために生きるのではない。自分を大切にし、他人を想い、そして恋をする、一人の少女としての人生。それを歩み始めた証だった。

 

 

 

(さて、どうなったか……)

 

 夜が深まる。祝勝会を終え、解散した後のこと。ルクスは一人図書室へと向かっていた。結局、ソフィアは三人に合流することなく、図書室にこもりっぱなしだった。

 

「ソフィア、いるか?」

 

「――ルクスか。ちょうどいいタイミングだ」

 

 中に入ると、周囲に大量の記述を書き連ねたソフィアがいた。その顔には色濃く疲労が滲んでいたが、目だけはギラギラと輝いている。

 

「剣を貸してもらえるかい?確認したいこと、検証したいことが山積みなんだ」

 

「別に構わないが……体は大丈夫なのか?」

 

「大丈夫ではないが――時間がない。いつ世界が漂白されるかわからないからね。数日後かもしれないし、今この瞬間かもしれない。答えは神のみぞ知る、ってやつだ」

 

 どこか皮肉めいた言い方。何事も解析してきたソフィアらしからぬ言い回しであった。違和感を覚えながらも、聖剣を渡す。

 

「ありがとう。すぐに済むから適当にかけていてくれ」

 

 受け取るなり解析魔法を通し始める。その手つきは淀みなく、速やかに目的を果たしていく。

 

「やはり……なら、これは……なるほど、こっちはこうなるか」

 

 一つ一つ確認し、時折手帳に何事か書き込んでいく。それが何度か繰り返され、最後に解析魔法の光が消えた。

 

「……うん。これで確定だ。ルクス、良い知らせと悪い知らせ、どちらから聞きたい?」

 

「なら、良い知らせから、頼む」

 

「漂白に対抗する手段の目途がついた。術式の構築さえ終わればいつでも使える」

 

「っ!そうか!」

 

 それは間違いなく朗報だった。

 

「後でキミの剣に手を加えさせてもらう。その時に詳しい説明をしよう――それで、悪い知らせの方だが……」

 

 そこで言い淀むソフィア。どこかばつの悪そうな表情。

 

「さっき漂白に対抗できる、と言ったが――それは『次』の話なんだ」

 

「――どういう意味だ?」

 

「そもそも漂白を覆すためには世界一つ分にも等しいエネルギーが必要だ。世界を丸ごと書き換える様なものだからね。そして、そんなものが都合よくあるわけがない」

 

 それはソフィアが辿り着いた矛盾。世界を救うためにはそれだけの巨大な力が必要だった。

 

「なら、どうやって対抗するんだ」

 

「私達にはできない。だが、『次』がどうなるかはわからない。だからそこに繋ぐための方法を考えたんだ」

 

「それがさっきの術式、ってことか」

 

「そう。これが上手くいけば、『次』の私達に希望を託せる。逆に言えば『今』の私達は、ここまでだ」

 

「そう、か……」

 

 沈黙が落ちる。ソフィアは悲痛な表情を浮かべていた。

 

「――すまない。結局、この世界は守れなかった……」

 

「君の落ち度じゃない。いつか世界が救われるかもしれない、それで十分じゃないか」

 

「いつかの『私』にできることなら私にだってできるはずなんだ。なのに、できなかった……」

 

「でも、君の行動がなければその『いつか』すら無かった。ただ世界の終わりと漂白を繰り返すだけだった。そうだろう?」

 

 もはや言葉もなかった。ただ、肩を震わせ俯く少女を少年が優しく抱きしめていた――

 

 

 

 それから少しして。

 

「……クロエに悪いことをしたな」

 

「うん?なにがだ?」

 

「――キミにはわからない話さ。さて……」

 

 落ち着きを取り戻したソフィアが改めて手帳を開いた。

 

「だいぶ話がそれたが、これから使用する術式の話をしようか」

 

「あぁ、頼む」

 

 ソフィアが翡翠の聖剣に触れる。

 

「まず、前提として話すんだが……この剣には、これまで繰り返してきた世界の痕跡が残っている。それも十や二十じゃ足りないほどの数がね」

 

「そんなに、か」

 

「あぁ、そしてそのすべてにおいて『ルクス』がこの剣を握っている。隣には騎士と賢者と聖女がいて、魔王との戦いに身を投じた」

 

 明かされるのはこの世界――リベラ・オルビスの『過去』。

 

「それって今の俺達と――」

 

「そう、同じだ。それも完全に、ね。細かい部分については残されていなかったが――大筋は変わらないらしい。だからこそ、だ」

 

 そこで言葉を切り、もう一度剣に触れる。その奥にある記述に触れた。根底にある部分に術式が書き込まれていく。

 

「この剣に術式を仕込む。これまで繰り返してきた記憶を、『次』の私達に転写する」

 

「そんなことができるのか?」

 

「できるから言っている。基本的には『前の私』が私にしたことと変わらない。違うのはその対象の数と――引き継ぐ情報の多さだけだ」

 

「それをしたら、どうなるんだ?」

 

 その問いに目を伏せるソフィア。視線を上げないままに続けた。

 

「……術式の対象は私達四人だ。それぞれに情報を転写するが――おそらく、記憶の引継ぎ自体は大丈夫だろう。問題は人格面だ。一人分の記憶ならそこまで影響はなかったが……数が数だ。どうなるかわからない」

 

「違う世界とはいえ、同じ人間の記憶なんだろ?そんなに難しいことなのか?」

 

「同じ人間だからこそ、だよ。大量の記憶が混ざった時にどれが自分のものでどれが別の自分のものかわからなくなる可能性がある。その果てにあるのは自己の崩壊だ。よほど強い人格や記憶があれば、それに統合される可能性もなくはないが、保証はできない」

 

「そう、か」

 

 ソフィアが聖剣を差し出す。作業は終わったらしい。

 

「もし、心残りがあるなら早めに解消しておくことをおすすめするよ。二人にも伝えておく。私は最後まで道を探すが――あまり期待はしないでくれ」

 

「――わかった。ありがとう、ソフィア。一人で頑張ってくれて」

 

「やめてくれ。私自身のためでもある。どうしても感謝したいというなら、本当に全部が終わった時に頼むよ」

 

 そう言って周囲の紙に何かを書き始める。話は終わりのようだ。聖剣を腰に収め、図書室を後にする。ほんの少し、剣の重みが増した気がした。

 

 

 

 翌朝。

 

 目を覚ましたとき、違和感があった。

 

 ルクスが窓を開けると、その正体に気が付く。

 

(空が、狭い?)

 

 空の様子がおかしい。いつもの青空のはずなのに、その果てが白かった。雲のようにも見えない。ただ、白い空。

 

(――来たか。これが、世界の漂白)

 

 走った。学園の中庭には既に他の三人が集まっていた。

 

 アイリスが走り寄るルクスを見つけた。ソフィアが手帳を胸に抱えていた。クロエが空を見ていた。

 

「ルクス……」

 

 アイリスが言った。静かな声だった。

 

「――ああ」

 

「予想より早かったわね」

 

「そうだな」

 

「これで終わり、か。あっけないもんだわ」

 

 空の端から、白が侵食してきていた。音が消え、色が薄れていく。学園の壁の向こうが、白く霞んでいた。

 

「ルクス」

 

「わかっている。すぐに始めよう」

 

 ソフィアが頷いた。

 

「――術式を起動する。三人はそのまま、そこにいてくれ」

 

 ルクスは剣を抜いた。翡翠の輝きが、白に侵食される空の中で、鮮烈に光った。

 

「――待ってください」

 

 クロエが一歩、前へ出た。

 

「ルクスさん」

 

「――クロエ」

 

「聞いてもらえますか。今、ここで」

 

 それは約束だった。伝えたいことがある、という。白が迫っている。時間がない。しかしクロエの目は、まっすぐにルクスを射抜いていた。

 

「――わかった。聞くよ」

 

「私は――」

 

 一度だけ視線を下げ、もう一度、真っ直ぐにルクスを見た。

 

「ルクスさんのことが、好きです」

 

 白が侵食する世界の中で、翡翠の目が輝いていた。

 

「最初はわかりませんでした。聖女として勇者を支え、世界を救うことこそが役割だと思っていました。そのためならすべてを捧げるべきだ、と。でも、あなたは私に言ってくれました。私自身を、大切にしていいと。消えることを恐れていいと。未来を願っていいと――私を救う、と」

 

「――クロエ」

 

「あなたが私を救ってくれたんです」

 

 世界の終わりには似つかわしくない、朗らかな声。

 

「消えることが怖くなりました。未来を願ってしまったから。幸せな未来を想像してしまったから。私は聖女ではなく、ただのクロエになってしまいました」

 

 空が消えた。学園も、間もなくすべてが白に消えようとしている。

 

「ソフィアさんによれば、強い記憶や感情があれば、その人格が『次』の私に宿るかもしれないそうですね?だから、ここで宣言しておきます」

 

 クロエが微笑んだ。それは「救済の装置」でもなく、「完成された聖女」でもなく――一人の少女の、世界に対する宣戦布告だった。

 

「好きです、ルクスさん。あなたと出会えて、よかった。そして、もう一度巡り合いましょう。必ず、迎えに行きます」

 

「――俺も」

 

 言いかけた。

 

 しかし次の瞬間、白が一気に押し寄せた。四人の立つ地面以外の全てが呑み込まれる。

 

「――ルクス、限界だ!術式を起動する!」

 

「――くっ!」

 

 聖剣を地面に突き立てる。翡翠の輝きがあふれ出した。

 

 三人が光に包まれるのが見えた。

 

 アイリスが何かを言いかけた気がした。ソフィアが手帳を胸に抱え直した気がした。クロエがもう一度、こちらを見た気がした。

 

 「――俺も!俺も、好きだ!みんなが大好きだ!必ずまた会おう!『次』も、必ず!」

 

 その叫びが届いたのか、届いていないのか。

 

 確認する間もなく、三人は光の中に消えた。

 

 そして、ルクス自身も――

 

 そう思った時だった。

 

 世界が、変わった。

 

 

 

(なんだ!?何が起きた!?)

 

 上もなく、下もない。果てもない、純白の世界。

 

 手の中には愛剣の感触。しかし、視線をやればその刀身は翡翠から白に塗り替わっていく最中だった。

 

「――あぁ、ようやくだ。ようやくチャンスが回ってきた」

 

「――誰だ!?」

 

 突然聞こえた声に反応すれば、そこには黒い影。背格好は自身と変わらない、ただ、影としか言いようのない異形だった。片手には漆黒の剣。反対の手には鮮やかな背表紙に彩られた二冊の――真紅の本と蒼穹の本。不思議と視線が引き寄せられる。

 

「初めまして、か。まぁすぐにこの『回』は終わりだ。『次』に合うときが本番だな」

 

「何を、言ってる?その剣は、その本はなんだ!」

 

 問い詰めるも、影は飄々とした様子で話をつづけた。

 

「すぐにわかるさ。まぁ、その時は『お前』じゃないかもしれないけどな?」

 

「意味の分からないことを――!」

 

 近づこうとした体から急激に力が抜けていく。先程も感じた、世界と共に漂白される感覚。

 

 白くなっていく視界の中で、影の手に新たな本が現れた。美しい翡翠の本。

 

「これで三冊、か。今度こそ、これで終わりだな」

 

 叫ぼうとして、声が出ないことに気づく。もはや、体そのものが消え始めていた。視覚が消え、触覚が消えた。最後に残った聴覚に、影の言葉が届いた。

 

 

 

「『次』の物語で会おう。そこがお前の――俺の物語の完結編だ」

 

 

 

 その言葉の意味を理解する前に、ルクスの意識は完全に途絶えた。

 

 

――◇――

 天座の書架は、静寂に包まれていた。

 

 しかしそれは、いつもの厳かなものとは違う。嵐が去った後の静けさだった。

 

『――あら』

 

 ミュトスが、立ち上がった。

 

 書架の一角が、空になっていた。二冊の本があった場所。特等席に丁寧に収めていた、真紅の本と蒼穹の本。それが――消えていた。

『――あら、あら』

 

 声が、珍しく揺れた。

 

 書架の異物だった空間――磔にされた男と、無数の剣の山も消えていた。残っているのは引きちぎられた形跡のある鎖だけ。

 

『――これは』

 

 ミュトスが、少しの間、その空白を見ていた。

 

 いつも通り、鮮やかに輝く物語を収めようとした。その瞬間、強烈な引力が発生し、二冊の本や剣、男までもが読んでいた本――『リベラ・オルビス』へと吸い込まれていった。翡翠に染まっていた栞に目をやれば、こちらも純白に戻っている。どうやら翠の物語も『製本』する前に吸い込まれたらしい。

 

『そう、あのときの術式――』

 

 起きた事象の全てを理解し――微笑んだ。

 

 いつもの微笑みだった。しかし、その奥に、これまでとは違う色があった。

 

『――想定外ね』

 

 独り言だった。

 

『本当に、想定外。世界を書き換える、過ぎた力だとは思っていたけど――ここまでとはね』

 

 視線を、空になった書架から、白く染まった世界へ向けた。

 

『――面白いじゃない』

 

 その声には、純粋な驚きがあった。計算ではなく、本当の意味での驚き――女神が、何よりも求めていたもの。

 

『次の物語は、どんな色になるのかしら』

 

 栞を手に取った。これまでと同じ、物語の始まりを告げる白紙の栞。

 

 ミュトスはしばらく、その栞を見ていた。

 

 白紙の栞が、静かに光を反射していた。

 

『さぁ、見せてもらおうかしら。始まりの勇者、その輝きを』

 

 賽は投げられた。女神すら知らない、新たな物語の幕が開く。

 

――頁が捲られる。

 

 

 

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