天座の書架と白紙の勇者   作:maki@

38 / 51
断章:墨緑の記憶/灰と黒

――天座の書架。

 

 世界の外側。

 

 無数の本が書架に並べられ、その鮮やかな彩りで見る者を惹きつける。

 

 一つ一つに始まりがあり、葛藤があり、終わりがあった。

 

 その全てが一柱の女神によって収蔵された物語である。

 

 女神ミュトスが座するその空間に、存在する異物。

 

 夥しい数の剣の山。

 

 白、赤、青、緑。様々な色の剣。

 

 錆びているもの、折れているもの、罅が入っているもの。いずれも剣としての用途を果たせない状態だった。その中でも緑がかった剣――近頃急増しているそれら全てに共通していること。世界を救えず、少女を救えず、女神に「惰弱」と評価された、救世主のなり損ないだということ。

 

 かつて勇者であった男は、今も変わらずそれを見つめていた。

 

 新たに、一本の剣が彼の元に突き刺さる。

 

 墨緑の剣――志半ばで意思を折られた勇者の証。

 

(――もう、やめてくれ……)

 

 女神の手元で、白紙の栞が淡く揺れる。

 

――頁が捲られる。

 

――◇――

 

 『俺』の目の前には翡翠の少女が立っていた。微笑みを浮かべる少女はどこか浮世離れしていて、ともすれば消えてしまいそうですらあった。

 

 

 

 『修練の森』。木漏れ日と、静寂と、濃い獣の匂い。

 

 戦いが始まれば、三人の少女がそれぞれの役割を果たす。そこに『俺』は入り込めず、後方で立ち尽くすだけ。

 

 何度目かもわからない、『いつも』通りの光景。

 

 『俺』にとっては初めての、しかし幾度も繰り返した工程。いつもと同じように戦い、同じように危機に陥るのだろう、とどこか冷めてしまった目で見ていた。

 

 森の奥から、影が湧き出す。しかしそこには『これまで』とは違う魔物の姿があった。

 

 赤い少女が剣を抜き、青い少女が冷静に杖を構える。翡翠の少女は一人、どこか俯瞰するような目をしていた。

 

 影が押し寄せる。群れの前に少しずつ傷を負っていく少女たち。そこに灰色の巨体が迫っていた。

 

(なんだ?この場面でこんな状況になるのは初めてだ――ここからどうなる?)

 

 困惑する俺をよそに、『俺』は剣を握っていた。何をすればいいかはわからない。しかし、何もしないことは選べなかった。

 

 迫る足音に目をやれば、灰色の巨体が目前まで迫ってきていた。咄嗟に防御しようとした瞬間。視界に翡翠が入り込む。

 

 瞬きの後には、そこに風穴が開いていた。猛烈な勢いで赤があふれ出していく。

 

 『俺』は半狂乱になって崩れ落ちる少女を抱き起こした。その表情はとても命が失われる瞬間のものには見えなかった。

 

 茫然とする『俺』を、騎士と賢者の少女が必死に守る。しかし、『俺』の目にはどこか遠い世界の出来事のように映っていた。

 

 理解ができなかった。自分の命よりも他人を、世界を優先する少女の精神が。

 

 やがて、音が消えた。赤と青が倒れ伏し、目の前には灰色が立っていた。

 

 ただ茫然と死を受け入れた。抵抗する気は、起きなかった。

 

 「空虚」と評され、捨て去られた。

 

――◇――

 

 別の記憶。

 

 また、森の中だった。

 

 突如としてあふれ出した魔物の大群。順当に追い詰められ、順当に死が近づいてくる。

 

 手の中の剣は冷たく、ただ剣としての機能を全うするのみ。焦燥する『俺』の耳に、静かな声が届いた。

 

「これこそが至高の救済。女神様、今こそこの身を捧げましょう――」

 

 そこにいたのは薄い光に包まれた翡翠の少女。魔物も、仲間たちも、誰も寄せ付けない光の壁が周囲に広がった。

 

『俺』が、騎士が、賢者が。必死に呼びかけ、手を伸ばす。しかし、壁は厚く、聖女の決心は固かった。

 

「あぁ、これで、完遂されます。私がこの世界で生きる意味、私の役割が――」

 

 眩い光が視界を染め上げる。思わず閉じた目を開くと、あれほど溢れていた魔物の姿が塵も残さず消えていた――その代償に、聖女の身もこの世界から消えようとしている。

 

「ク、ロエ――!!」

 

 向こう側の景色が透けて見えるほどに、聖女はその存在を喪失していた。駆け寄り、伸ばした手がそのまますり抜ける。

 

「私はここまでです。皆さんが世界を救う、その礎になれたのなら、十分ですよ」

 

「駄目だ、消えるな!嫌だ!俺は、君を――!」

 

「この世界全ての救済と、私一人の命。どちらが重いかなんて、考えるまでもないでしょう?これっぽっちの消費で未来につながるなら、これが最善なんです」

 

 どこまでも穏やかに、あるいは聞き分けのない子どもを窘めるように言葉を紡ぐ。既にその体の大半は視認できないほどに薄れていた。

 

 世界の救済。そして少女の命を乗せた天秤が勇者の中で揺れる。世界というどうしようもなく重い存在が天秤を傾けた。それが、決定的な分岐だった。

 

 心が『それ』を認めた瞬間に、『俺』の全身から力が抜けた。からり、と音を立てて手の中から剣が転がり落ちる。冷たい鉄の塊はなにも言わずに地面に転がされるまま。

 

 

 

 そうして、一人の少女がこの世界から消えた。勇者の心は停止し、救済の担い手を失った世界は間もなく闇に覆われた。

 

 「薄弱」と評価され、捨てられた。

 

――◇――

 

 また別の記憶。

 

 魔王と戦った。翡翠の聖剣を手に、世界を救うための戦いを始めた。しかし――戦況は芳しくなかった。

 

 目覚めた聖剣の力は魔王に通じなかった。騎士は魔王に正面から薙ぎ払われ、賢者はその知性から繰り出した全ての手段を純粋な機体性能で蹂躙された。灰の大地に立っているのは『俺』と聖女。そして未だ損耗のない魔王だけだった。

 

「だったら、もう、これしか――!」

 

「ルクスさん!?それは!」

 

 残された力を振り絞って自身の記述を書き換える。かつて見た救済の力。未来を捨てた膨大な力が『俺』の体に満ちる。

 

 壮絶な戦いだった。地を割り、雲を割く戦い。その果てに――魔王の機体が崩れ落ちた。それを確認した『俺』の体も、地面に落ちる。

 

 足が消えていた。そして、胴体が消えようとしている。救済の代償は『俺』自身の消滅で払われようとしていた。

 

「ルクスさん!『それ』は駄目です!あなたが言ったんでしょう!?」

 

 遠くから少女が駆け寄ってくる。傍らに座り込んだ少女の顔に浮かんだ涙を拭おうとして――既に腕が失われていることに気付く。

 

 主の手から離れた聖剣は深緑に染まり、地に突き立っている。まるでそれ自身が勇者の墓標となるかのように。

 

「泣かないで、くれ……俺は、君が救えれば、それで――」

 

 意識が遠のく。最後に見た少女の顔は絶望に染まっていた。

 

(できれば、笑顔が見たかった。君の笑顔はいつも俺に勇気を――)

 

 魔王が消え、勇者が消えた。悲しみに暮れる聖女を置いて、物語は幕を下ろす。

 

 女神はこの物語を本にした。殉教と救済。矛盾と絶望を秘めた美しい悲劇だ、として書架に収められた。

 

――◇――

 

 記憶が混濁する。俺と『俺』の境界が曖昧になっていく。

 

 少女を救い、少女を失い、世界を救い、自分を捨てた。

 

 何が大切だったのか、何を守りたかったのか。全てが飲み込まれ、混沌に消えていく。

 

(俺は、何のために――)

 

 既に俺は折れていた。しかし、それは女神の手を止める理由にはならない。

 

 楽しむだけ楽しんで、使えなくなれば捨て去るだけ。

 

 俺が擦り切れるまで、『俺』の戦いが終わることはないのだろう。

 

――◇――

 

『私が満足できる物語も近いのかしら。ねぇ?あなたはどう思う?』

 

 女神の声に、男の意識が内側から外側に切り替わる。

 

『……やっぱり限界かしら。まぁ、いいわ。完全に擦り切れるまでは、付き合ってもらうわよ』

 

 反応を返さない男を置いて、新たな物語が紡がれようとしている。

 

 世界を救うための戦いを繰り返す、女神の箱庭。

 

 同じだ、と男は思う。

 

 また何かを失い、何かを救う物語。失うものと得るものが違うだけの物語。決して大団円にはたどり着かない。

 

 そう思いながら、それでも目が離せない。

 

 真紅の勇者は物語を完遂した。魔王を倒し、世界を救い、少女を救った。蒼穹の勇者は世界の真理にたどり着いた。賢者と共に、その先へと手を伸ばした。幾度か見た、翡翠の勇者は未だ成し遂げてはいないが――あるいは、なにかをつかみ取るのかもしれない。

 

 眼下では女神の手中で、栞が淡く揺れている。

 

 白紙の栞。

 

 世界に降り立つ前の、無垢で純粋な勇者の心。

 

 全てを漂白された勇者の、何度目かもわからない物語が綴られる。

 

 何百回と見てきた、残酷な物語。

 

――頁が捲られる。

 

 翡翠の輝きで物語を変える、勇者と聖女の物語が今、始まり――

 

――◇――

 

(ここは……?)

 

 翡翠の物語が完結し、気づいたときにはそこは書架ではなかった。どこまでも白い、白紙の空間。見下ろした体は影に包まれ、輪郭がはっきりとしない。しかし、手の中にあるそれらは別だった。

 

 二冊の本、そして一振りの剣。

 

(これは真紅と蒼穹の――なぜ、これがここにある?それにこの剣は――)

 

 本の方には見覚えがあった。物語を美しく完結させた二人の勇者の物語。しかし漆黒に染まった剣の方は『これまで』のどの記憶にも該当しない。意匠を見れば勇者の剣であることは間違いないようだが――

 

 それを見つめていると、不意に頭にノイズ交じりの声が響く。

 

(『ケイオス』、だと?それに、この声は――)

 

『世■を■う』『ア■リスを■る』『■にた■ない』『■フィアに■り添■』『■わり■い』『■え』『クロ■を■う』『■神に■いを』『■にたい』『物■を■劇に』

 

 脳内で口々に叫ぶその声のほとんどは聞き取れなかった。辛うじて聞き取れたのは手の中の剣の銘。そして、自然とその由来と力が頭に浮かんだ。まさしく、自分の剣だった。

 

「――あぁ、ようやくだ。ようやくチャンスが回ってきた」

 

「――誰だ!?」

 

 思わずつぶやいた声に、思わぬ返答があった。視線を向ければそこにいたのは見慣れた『自分』。手には翡翠の聖剣――否、翡翠から白に塗り替わっていく剣を見れば、直前に見ていた『自分』だとわかる。

 

「初めまして、か。まぁすぐにこの『回』は終わりだ。『次』に合うときが本番だな」

 

「何を、言ってる?その剣は、その本はなんだ!」

 

(俺も全部を理解したわけじゃないが――ここは『リベラ・オルビス』だ。なら、できることが山ほどある)

 

「すぐにわかるさ。まぁ、その時は『お前』じゃないかもしれないけどな?」

 

「意味の分からないことを――!」

 

 問い詰める『自分』を躱していると、突然その動きを停止させた。聖剣が完全に漂白され、物語が製本されたらしい。手の中に新たな重みを感じた。

 

 鮮やかな翡翠の本。目の前の『自分』が紡いだ、救済の物語。

 

「これで三冊、か。今度こそ、これで終わりだな」

 

 『自分』の体が消えていく。そして静かに『世界』が生まれていった。

 

 

 

「『次』の物語で会おう。そこがお前の――俺の物語の完結編だ」

 

 

 

 消えていく『自分』に声をかける。聞こえてはいないだろう。しかしそんなことはどうでもよかった。

 

 突然舞い込んだ望外のチャンス。永劫に繰り返し、歩み続けた物語に終止符を打つ時がきた。

 

「終わらせよう。情熱も、叡智も、意思も。全てを飲み込み混沌に落とす」

 

 

 

 天座の書架で頁が捲られる。新たな物語が紡がれ始め――白紙の世界に一滴の黒が紛れ込んだ。

 

 これより始まるのは勇者と三人の少女の物語――その、最後の一編である。

 

 




これにて三章完結です。今回は既に四章の執筆を終えているため、このまま明日以降も毎日投稿を継続いたします。ぜひお気に入り登録、感想、評価等、よろしくお願いいたします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。