天座の書架と白紙の勇者   作:maki@

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これより四章開始です。ぜひ最後までお付き合いください。


白黒の章
白の目覚め/色彩の記憶


 男は目を開いた。

 

(ここは……『修練の森』か。こうして自分の目で見るのはいつ以来だろうな)

 

 魔物の気配渦巻く森の奥。黒い影が動き出した。腰には漆黒の剣。記憶を探れば、過不足なく自身の情報が頭に入っていた。

 

「さて、なにから始めるか――ん?」

 

 そこで気づく。直前に手に持っていたはずの三冊の本、それが見当たらない。

 

(まぁ、いい。あれは少し――眩し過ぎる)

 

「――まずは掃除から始めるか」

 

 そう呟くと、腰の剣を握りながら一歩を踏み出した。

 

 

 

 それは物語に生まれた染み。白紙の世界に落ちた一滴のインク。

 

 

 

「――そう、そういうことなのね」

 

 少女は真紅の本を手に呟いた。

 

 それは赤の物語。勇者が情熱を覚えた物語。

 

 

 

「なるほど、これは興味深いな」

 

 少女は蒼穹の本をまじまじと眺めた。

 

 それは青の物語。勇者が知恵を得た物語。

 

 

 

「今度こそ、全てを――」

 

 少女は翡翠の本を胸に抱いた。

 

 それは翠の物語。勇者が意思を見せた物語。

 

 

 

 それぞれの思いを胸に、少女たちはそれぞれの一歩を踏み出した。

 

 

 

 それは『過去』からの贈り物。白紙の勇者を彩る三つの色彩。

 

 

 

 『リベラ・オルビス』の本に設えられた見返し――初頁よりも前、何も書かれていないはずの頁に刻まれた記憶が、物語の前提を書き換えていった。

 

 

 

 少年の目が開かれた。

 

 柔らかな朝の日差し。

 

 若草の匂い。

 

 人のざわめき。

 

 腰には一振りの剣。

 

 目の前には巨大な門。

 

(……ここは?)

 

 頭の中を探る。だが――何もない。記憶が、ない。

 

(俺は……誰だ?)

 

 少し考えて、ようやく一つだけ答えが浮かんだ。

 

 名前が、浮かんだ。ルクス、と。

 

 それ以外は、「白紙」だった。

 

(この剣は……)

 

 腰の剣に触れる。

 

 白い刀身。まだ何色にも染まっていない。

 

 しかし何もなかったはずの記憶が、かすかに囁く――これは大切なものだ。それだけは、なぜか確信できた。

 

 と、その時だった。

 

「ルクスさん!」

 

 聞き覚えのない声。

 

 振り向くと、息を切らした少女が駆けてくるところだった。翡翠の髪。翡翠の目。長杖を携えて、まっすぐにこちらへと向かってくる。

 

「よかった……!やっぱりここにいらっしゃったんですね」

 

 胸に手を当て、ほっと息をつく少女。その顔には安堵と、それからもう一つ、何か別の感情が滲んでいた。

 

「君は……?」

 

 その一言に、クロエの動きが止まった。

 

「――クロエです。聖女の役割をいただいています」

 

 そう言いながら、クロエはルクスの前へ歩み寄った。

 

「少し、失礼しますね」

 

 返事を待たずに、細い手が伸びる。ルクスの外套の襟を、静かに整え始めた。

 

 迷いのない、手慣れた動作。まるで何度も繰り返したような、そんな動きだった。

 

「――え」

 

「少し曲がっていましたから」

 

 それだけ言って一歩引き、頭のてっぺんから足元まで眺め、小さく頷く。その目が、一瞬だけ揺れた。

 

「……初めまして、だよな?俺のことを知っているのか……?」

 

 記憶のないルクスからすれば、初対面の相手。しかし、少女からは息を呑む気配。

 

「……そう、ですね」

 

 微笑みは崩れない。ただ、声がわずかに細くなった気がした。

 

「はい。『初めまして』、ルクスさん。私は『あなた』を知っていますが、あなたにとっては初めての出会い、そうなります」

 

 それ以上は何も言わず、踵を返して歩き始める。

 

「では、参りましょうか。私たちの学び舎――『シアトルム騎士魔導学園』へ」

 

「あ、あぁ」

 

 その背中を追いながら、ルクスは思う。

 

(……なんで、泣きそうな顔をしていたんだろう)

 

 どこか胸が痛む。その感情の正体を探っていると――

 

「――見つけた!」

 

 門をくぐる寸前、背後から声が飛んできた。

 

 勢いよく駆けてくる赤い影。燃えるような赤い髪を風になびかせ、しかし息も切らさずにこちらへと向かってくる。

 

「やっぱりここにいた!探したんだから!……って」

 

 少女の足が止まった。

 

 赤い目が、ルクスを見た。それから、クロエを見た。それからもう一度、ルクスを見た。

 

「……ルクス、よね?」

 

「そうだが……君は?」

 

「――アイリス。騎士よ」

 

 それだけ言って、アイリスはまじまじとルクスを見つめた。何かを確かめるように。何かを測るように。

 

「……あんた、覚えてないの?あたしのこと」

 

「……悪いが。記憶が、ない」

 

 短い沈黙。どうやらこの少女もルクスのことを知っているらしい。

 

「そう」

 

 アイリスは小さく呟いた。その表情は読めない。しかしすぐに、彼女は視線をクロエへと向けた。

 

「クロエ。あんた、知ってたの?」

 

「……いえ、私もさっき知りました。その様子だと、アイリスさんは『前』のことを?」

 

「覚えてるわよ。どうしてルクスだけ……」

 

 二人の間に流れる空気が、微妙に複雑だった。ルクスには何が何やらわからない。

 

「とにかく」

 

 アイリスがルクスを向く。

 

「記憶がないなら、色々と教えることもある。学園に行きながら話しましょ。さ、行くわよ」

 

 ルクスの手をつかみ門をくぐろうとして――腕を引っ張られ停止する。

 

「――アイリスさん。案内は私がします。『前』も、そうでしたから」

 

 反対の手をクロエがつかんでいた。ルクスを間に挟んだ二人から剣呑な空気が流れ始める。

 

「あたしもするってだけよ。二人でやればいいじゃない」

 

「そうですが……ルクスさんに最初に声をかけたのは私です」

 

「あたしだって探してたんだから同じでしょ。たまたまそっちの方が早かっただけじゃない」

 

「ええ、だから順番という話をしています」

 

「細かいことを気にしすぎよ」

 

「細かくありません」

 

(……俺は一体、どういう立場なんだろう)

 

 まるでルクスを取り合うかのように舌戦を交えながら歩き出す二人。両手を引かれ、ルクスはその後についていった。口を挟む隙は、見つからなかった。

 

 

 

 学園に入り、どこかへ向かう道すがら、会話は続いていた。

 

「なぁ、結局、俺は君たちと会ったことがあるのか?」

 

 二人して振り返る。一度視線を交わし、アイリスが応えた。

 

「……そうね。あたし達は『前』にも会ったことがある。それは事実よ」

 

「そう、か。でも俺には記憶が――」

 

「わかってる。別に構わないわよ。また、一から教えてあげるから」

 

 アイリスは腕を組み、ルクスを横目で見ながら歩く。

 

「あたしがあんたに剣を教えた、ってのは信じられる?」

 

 まっすぐな、しかしどこか震えるような声。かたり、と腰の剣が揺れた気がした。

 

「……君が言うなら、そうなんだろうと思う」

 

「一緒に戦ったことも?」

 

「それも」

 

「肩を並べて、魔王まで倒したのよ?」

 

「魔王、というのが何かはわからないけど……それも、信じる」

 

 アイリスは少し黙った。

 

「……随分と素直ね」

 

「なぜかはわからない。でも、君のことは信じられる。そう思ったんだ」

 

「――そう」

 

 短く言って顔を背けるアイリス。それを不審に思ってのぞき込もうとするルクスの逆の腕が引かれた。

 

「私も」

 

 反対側から、クロエが口を開いた。いつの間にかこちらも腕を絡めてきていた。

 

「私もルクスさんと、一緒に戦いました。色々と、ありました」

 

「色々、か」

 

「はい。色々と」

 

 クロエは前を向いたまま言った。その「色々」の中身については、それ以上語らない。

 

「思い出したいな。なにか大切な記憶だった気がするんだ。俺にとっても――きっと、君たちにとっても」

 

「無理に思い出さなくてもいいんです。思い出は、もう一度作ればいいんですから」

 

「クロエ……」

 

「ルクスさん……」

 

 距離が縮んでいく。もうすぐ完全に体が密着する――寸前で離される。

 

「……あたしがいること忘れてない?」

 

 アイリスが再びルクスの腕を抱え込む。同時に、二人の少女の間で火花が散った。

 

「忘れるわけないじゃないですか?というかさっきからアイリスさん近いんですよ!もっと離れてください!」

 

「それはこっちの台詞よ。あんた、まさか裏切る気?」

 

「どういう意味ですか?裏切っているのはそちらでしょう?」

 

「何よ!」

 

「何ですか!」

 

(また始まった……本当に、記憶をなくす前の俺は一体何をやったんだ?)

 

 姦しい空気に呑まれながら、ルクスはまた黙ってついていくことにした。

 

 

 

「大体あたしが最初にルクスを――っと。着いたわね」

 

「ここが?」

 

 校舎に入り、二人が立ち止まったのは小さな一室の前。

 

「はい、ここが私たち――『プロタゴニスト』のための教室になります」

 

 扉を開け、教室に入った瞬間、ルクスは足を止めた。

 

 窓際の席に、すでに誰かが座っていた。青い髪。端整な顔。手帳から視線を上げ、三人を順番に見る。

 

「……来たか」

 

「ソフィア。先に入ってたのね?」

 

「キミたちを待っていた。色々と整理もしておきたかったしね」

 

 ソフィアは立ち上がり、ルクスの前に歩み寄った。真っ直ぐな目が、こちらを観察している。

 

「君が、ルクスか」

 

「そうだが……君は?」

 

「――ソフィア。賢者だ」

 

 一拍置いて、

 

「その様子だと――覚えていないか」

 

「……あぁ、自分の名前くらいしか知らない。君も……この二人のことも」

 

「そうか」

 

 ソフィアはルクスをじっと見た。それから、ふっと息をついた。

 

「まぁ、想定はしていた。改めてよろしく、ルクス。初めまして、ということになるね」

 

「あ、あぁ。よろしく」

 

 さらりと差し出された手を握る。冷たく、しなやかな手。頭の片隅が疼いた。

 

「ちょっとソフィア、あたしたちのことは無視かしら?」

 

「まずはルクスの状態を確認しておきたくてね。挨拶の順番に決まりでもあるのかい、アイリス」

 

「ないけど!」

 

「ならいいだろう。それより――」

 

 ソフィアはアイリスを一瞥し、それからクロエを見た。

 

「二人は、どこまで話した?」

 

「道中で少しだけ。お互い会ったことがあるとか、一緒に戦ったとか」

 

「なるほど。ルクス、一つ聞いていいかい?」

 

 真剣な表情で問いかけるソフィア。

 

「――なんだ?」

 

「今、何か思い出したいとか、知りたいとか、そういう気持ちはあるか?」

 

 唐突な質問だった。しかし真剣な目だった。

 

「……ある。思い出したいことばかりだ」

 

「なら聞こう。何が一番気になる?」

 

 ルクスは少し考えた。この教室に至るまでの短い時間で自分が特に知りたいと思ったことは――

 

「俺が、君たちとどう関わり、何をしたのか。それが一番知りたい」

 

 その答えに、三人は黙った。

 

 アイリスが視線を逸らした。クロエが微笑む。ソフィアはルクスを見続けていた。

 

「……そうか。頭に入れておこう」

 

 ソフィアが眼鏡を押し上げる。

 

「キミが思い出せるかはわからないが――たくさん話をしよう。キミが覚えていなくても私たちの――私の中にはキミとの思い出が確かに輝いているからね」

 

「――ソフィアさん。今、言い直す必要なかったですよね?」

 

「深い意味はないさ。ただ、私が一番多くの思い出を抱えているだろうからね」

 

「そんなことない――」

 

 今度は三人による争いが始まろうとした。その時。

 

「皆さん、お揃いのようですね」

 

 教室の扉が開いた。

 

 穏やかな声。柔らかな微笑み。シスターの衣をまとった女性が、室内を確認する。

 

 優しげな雰囲気の女性に、なぜか強張った表情を浮かべる少女達。各々着席していく。

 

(――なんだ?そんなに警戒するべき出来事だったか?)

 

 ルクスもそれに倣い、唯一空いている席へと腰を下ろした。

 

「初めまして。私はマリア。女神様に仕えるシスターであり、皆さんの担任でもあります」

 

 教壇に立ったマリアが四人を見回しながら言う。柔和な雰囲気。しかしどこか底が知れない印象を受けた。

 

「皆さんの自己紹介は――不要のようですね。では、早速ですが授業を始めていきま――」

 

 不自然に言葉が途切れた。どこか遠くを見ているような、心ここにあらず、といった表情。

 

「――予定を変更します。アイリスさん、ソフィアさん、クロエさん。ルクスさんにこの世界のことについて教えてあげてください。それを終えたら各自自由に訓練に励むように」

 

「――はい?」

 

 突然話を切り上げ、教室を出ていこうとするマリア。扉に手をかけ、振り返る。

 

「それと、学園の裏にある森――『修練の森』には立ち入らないように。では」

 

 それだけ言って、マリアは静かに扉を閉めた。

 

 教室に、沈黙が流れた。

 

「これは、初めてのパターンだが……覚えはあるかい?」

 

「ないわ。……相変わらず、何も教えてくれないのね」

 

 アイリスが低く呟く。

 

「私も知りませんね……何があったんでしょうか」

 

「――なぁ、なんで三人ともあんなに先生のことを警戒してたんだ?あの人も俺の事を知ってるみたいだったけど……」

 

「ふむ、そうだな……ルクス、マリア女史のことは覚えて――ないか」

 

「あぁ、さっぱりだ。一体何なんだ?」

 

 ルクスの問いにソフィアは肩をすくめる。

 

「まぁ、おいおい話そう。それよりも、今は――」

 

「誰からルクスさんと話をするか、ですね」

 

「え?あたしでしょ?」

 

 三人がぴたりと口を閉じた。それから、ゆっくりと顔を見合わせた。

 

「――少しばかり傲慢じゃないかい?なぜ私を差し置いてキミからなんだ」

 

「そうですよ!私だって最初がいいです!」

 

「え?いや、全員で話せばよくないか?色々教えてほしいんだが」

 

 ルクスがそう言った瞬間、三人の視線が一斉に向けられた。それは呆れと懐かしさを同時ににじませた妙な感触の視線だった。ため息が三つ、同時に吐き出された。

 

「……やっぱり、変わってないわね」

 

「全くだ。あの時の答えを聞くのはまだまだ先になりそうだな」

 

「――待ってください、さっきからなにかおかしいです。ちょっと認識を確認しませんか?」

 

「あぁ、どうも噛み合わない。おそらく、だが。私たちが覚えている『前』はそれぞれ別物なんだろう」

 

「いいわ、さっさと済ませちゃいましょう」

 

 そういうと膝を寄せ合い話し合いを始めてしまう。

 

「え?俺は?どうしたらいいんだ?」

 

 そんなルクスの声を聞き届ける者は、そこには存在しなかった。

 

 

 

 「これは――」

 

 『修練の森』の奥。マリアは平時とは様子が異なる森に言葉を失っていた。

 

 森の一部が何かで塗りつぶされたかのように消え去っている。木々も、地面も――当然、魔物も。

 

 教室で感じ取った違和感の正体は掴めず、ただ、これまでと違う物語が紡がれていく予感がした。

 

 

 

「ま、試運転はこんなもんか」

 

 漆黒の剣を翻し、黒い影が『修練の森』の奥へと向かう。

 

 その足取りに迷いはない。何度も通いなれた場所だとでもいうようにまっすぐに進む。

 

「ギャギャ――」

 

 前方から魔物が現れる。即座に黒が殺到した。それに触れた魔物は即座に霧散し、その周囲は削り取られたかのようにえぐれている。

 

(これが、この剣の――ケイオスの力か)

 

 影は止まらない。物語は歪み、軌道から逸れ始めていた。

 

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