天座の書架と白紙の勇者   作:maki@

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翡翠の覚醒/翠の再会

 翌朝。

 

 ルクスは教室の扉の前で、完全に立ちすくんでいた。

 

 彼の頭には今、二つの鮮烈な記憶がある。騎士と肩を並べて戦った真紅の記憶、そして賢者と世界の真理を探求した蒼穹の記憶。その両方が、ルクスの脳内で最大級の警鐘を鳴らしていた――この扉の中は、間違いなく地獄だぞ、と。

 

 とはいえ、入らないわけにもいかない。意を決して入室したルクスが目の当たりにしたのは――

 

「まぁ、当然の結果だな。これで研究がより捗るというものだ」

 

「うぐぐ……! 必要なことなのは、分かってるけどぉ……!」

 

 まさに、想定通りの光景だった。昨日のお返しとばかりに勝ち誇り、アイリスを涼しい顔で煽るソフィア。理性と本能のせめぎ合いで今にも爆発しそうなアイリス。そして。

 

「――絶対に、私も思い出してもらいます……あ、ルクスさん!」

 

 入ってきたルクスを見つけた瞬間、クロエが弾かれたように駆け寄ってきた。

 

「おはようございます! さぁ行きましょう、すぐ行きましょう!」

 

「え? うおっ!?」

 

 教室に入り切るよりも早く、ルクスは再び外の廊下へと押し出されていく。

 

「あ、ルクス! 後であたしと訓練するわよ! そう簡単に私の色を塗りつぶされてたまるもんですか!」

 

「何を言っている。ルクスには私との研究に専念してもらわないとね。それが最優先事項だと、その脳細胞に記憶しておきたまえ」

 

「お二人とも! 今日は私の番ですから! 朝から夜まで、全部私の時間ですからね!」

 

 クロエはそう叫んで、ぴしゃりと教室の扉を閉めた。中から何事か激しく口論している声が漏れてくるが、内容までは聞き取れなかった。

 

「さぁ、行きますよ! たくさんお話したいことがあるんです!」

 

「――あぁ、聞かせてくれ。俺も、それを望んでる」

 

(やっぱり、クロエも……なら、今度は俺がちゃんと向き合わないと)

 

 少しだけ足早に歩くクロエ。その小さな背中を見失わないよう、ルクスも足に力を込めて彼女の後に続いた。

 

 朝の礼拝堂は、しんと静まり返った厳かな空気に満たされていた。

 

「ここか……」

 

「はい。ちょっと悩んだんですけど、やっぱりここだな、と思いました」

 

 促されるままに、二人は長椅子に並んで腰を下ろした。中央の女神像が静かに見守る、礼拝堂の最前列。高窓から差し込む眩しい朝の光が、クロエの綺麗な翡翠の髪を、時折金色に優しく染め上げる。

 

しばらく、心地よい静寂が流れた。クロエが言葉を探し、ルクスがそれを静かに待つ。そんな時間だった。

 

「ルクスさん」

 

 しばらくして、クロエがぽつりと口を開いた。

 

「なんだ?」

 

「一つ、聞いてもいいですか」

 

「あぁ」

 

「あなたが知る『私』は、どんな人間でしたか?」

 

「――どういう意味だ?」

 

 問われたのは、クロエ自身の事だった。その真意が読めず、ルクスは思わず聞き返してしまった。

 

「深い意味はありません。ただ、ここにいる私が知らない『私』を、ルクスさんはご存知でしょう? その違いを知りたいと思ったんです」

 

「違い、ね……俺が知っている君は――そうだな、世界を救う、ってことに誰よりもまっすぐだった」

 

 頭の中の記憶を順番に探っていく。頭の中にある「二回」分では、深くまで関わったことはなかった。しかし、大切な仲間として、それなりに交流してきた記憶だった。

 

「傷ついた人をいつでも癒していた。誰かを守ることに必死だった。紛れもなく完璧な『聖女』だったよ――少し、怖いくらいに」

 

「怖い、ですか?」

 

「あぁ。どこか、自分のことを蔑ろにしているような。もし自分の命を捧げることで世界が救われるなら、迷わずそうするような……そんな危うい雰囲気があったんだ。こんなところか?」

 

 記憶の中で、クロエはいつも彼女自身を二の次にしていた。相対的に、自分の命を低い位置に置いていた。

 

「――えぇ、はい。ありがとうございます。この私と、根本の部分は何も変わらないんですね」

 

「参考になったか?」

 

「はい、それはもう」

 

(……なんだ? 一体何が聞きたかったんだろう)

 

 満足げに頷くクロエだったが、やはりその意図が見えない。しかし、それについて深く考える時間はなかった。クロエが再び、ルクスを真っ直ぐに見つめて口を開く。

 

「ルクスさん――救済、とは何だと思いますか?」

 

 唐突な、哲学的な問いだった。しかしクロエの目は、どこまでも真剣だった。

 

「救済、か……」

 

 ルクスは少し考えた。救済。目の前の少女が、かつてもよく口にしていた言葉。

 

「――苦しんでいる誰かに、そっと手を差し伸べること、かな」

 

「では、その人がそれを望んでいないとしたら?」

 

「……そうだな、それは少し、違うのかもしれない」

 

「そうですね」

 

 クロエは静かに頷いた。

 

「私もずっと、救済とは与えるものだと思っていました。聖女として、女神様の御心を世界に届ける。それが私の役割で、私の世界の全てだと――だから、私自身に救済など不要だ、とそう信じ込んでいたんです」

 

「今は、違うのか?」

 

「今は……違います」

 

 クロエが手を膝の上で、きゅっと重ね合わせた。

 

「救済とは、一方的に与えるものではなく、共にあるものだと思っています。苦しむ人の一番傍に立って、一緒に歩むこと。そして、お互いを支え合うこと。それこそが、本当の救済なのかもしれない、と」

 

「それは、いつから……?」

 

 その問いに、クロエは少しだけ間を置いた。

 

「ルクスさんに、救われてからです」

 

「俺に?」

 

「はい」

 

 クロエが、ルクスを真っ直ぐに見つめた。

 

「少し、聞いてもらえますか。『私』のことを」

 

「あぁ、聞かせてくれ」

 

 クロエは静かに語り始めた。それは、現在のルクスの中にはまだ無い、翡翠の記憶だった。

 

 聖女として生まれ、ただ役割のために生き、自分という個を持たなかった少女の話。勇者との語らいにその心を揺さぶられ、しかし最後に「至高の救済」を成そうとした。自らをただのシステムとして扱い、使いつぶすことを全く厭わなかった、一人の聖女の話。

 

「その時の私には、消えることへの恐怖がありませんでした。いえ、あったとしても感じていなかったんです。聖女として世界のために命を捧げることが、最も正しい結末だと、望ましい結末だとすら思っていたので……きっと、ルクスさんの記憶の中にいる『私』も、同じように考えていたんだと思います」

 

「……そうか」

 

「でも、ルクスさんが止めてくれました。自分を大切にしろ、と。私は私自身の幸せのために生きていいんだ、と」

 

 クロエの声が、わずかに、しかし確実に揺れ始めた。

 

「――その言葉が、本当に怖かったんです」

 

「怖かった?」

 

「はい。消えることを恐れていいと言われたら、明日という未来を願っていいと言われたら――私はもう、聖女でいられなくなる気がして。……結局、私は自分を捨てました。聖女としての役割を選び、命を捧げたんです」

 

「でも、君は今ここにいる」

 

「はい」

 

 クロエが、愛おしそうに微笑んだ。

 

「ルクスさんが、私を引き戻してくれたんです。消えかけた私を、世界そのものの記述を書き換えてまで。だから私は今、ここに生きています」

 

 ルクスは黙って聞いていた。まだ覚えていない、かつての自分が成した奇跡。しかし、クロエの紡ぐ言葉の一つ一つが、魂の奥底に激しく響いていた。

 

「それから、私は変わりました。消えることが、ひどく怖くなりました。未来を願うようになりました。誰かのためではなく、自分のために生きたいと思うようになりました――だからこそ、この世界を救うために戦うんだと、心から決意できたんです」

 

 短い沈黙。礼拝堂に、朝の光がますます満ちていく。語り終えたクロエの瞳が、切なげに揺れていた。

 

「ルクスさん」

 

「なんだ?」

 

「私のことを……覚えていますか」

 

 静かな問いだった。責める色など微塵もない。ただ、そこには隠しきれない寂しさが滲んでいた。

 

 ルクスは、静かに首を振った。

 

「……覚えていない。俺が今覚えている『クロエ』は、きっと、今目の前にいる君じゃないんだ」

 

「そう、ですか」

 

 クロエが視線を落とした。その横顔が、影に隠れて少しだけ曇る。

 

「私だけが、あの記憶を覚えているんですね」

 

「……あぁ」

 

「不思議な感じがします。私の中には、ルクスさんとの大切な、命に代えても守りたい記憶がたくさんあるのに。今のルクスさんにとって、私はただの、普通の仲間でしかなくて」

 

 声は驚くほど穏やかだった。しかし、その奥にある途方もない孤独が、ルクスには痛いほど伝わってきた。

 

 一人だけ覚えている。一人だけ、その世界の重さを抱えている。

 

「――クロエ」

 

「はい?」

 

「寂しいか」

 

 クロエの身体が、ぴたりと止まった。

 

「……はい」

 

 蚊の鳴くような、小さな声だった。

 

「寂しかったです……っ。アイリスさんもソフィアさんも、ルクスさんに記憶を取り戻してもらえて……私だけがまだで。ルクスさんの中にいる『私』は、私の愛したルクスさんの隣にいなくて……」

 

 震えた声だった。その体も、震えだしていた。

 

「頭では分かってるんです!順番だって、仕方ないんだって……っ!きっとルクスさんは、すぐに私のことも思い出してくれるって分かってるのに……でも、寂しいと思う気持ちだけは、どうしても消えてくれなくて……!」

 

 もう、泣き出しそうな声だった。

 

「待つしかないんだって、そう思っても、ずっと胸が苦しいままで――!」

 

「――君は何も悪くない」

 

 その痛々しい独白を、ルクスが強い声で断ち切った。

 

「え……?」

 

「俺が、覚えていないのが悪いんだ。君がそんな風に一人で抱えていたものを、俺は何も知らなかった。今日と言わず、昨日でも、一昨日でも、俺からもっと早く話すべきだったんだ」

 

 クロエが顔を上げ、ルクスを見た。その美しい翡翠の目から、雫が一つ、零れ落ちた。

 

「……思い出したい。君のことを、今すぐに」

 

 その言葉は、何一つ偽りのない本心として、自然と口をついて出た。

 

 記憶がないから、ではない。ただ世界の前提を揃えるためでもない。ましてや、聖剣の力を目覚めさせるためなどでもない。

 

 ただ、目の前で今にも壊れそうなほど震える少女を、救いたいと思った。隣に立って支え合う、彼女が本当に望んだ『救済』を、今ここで成したかった。

 

(……頼む、思い出させてくれ! 世界を救うためじゃない! 今、この子を心から笑顔にするために! それが、他でもない『俺』の、一番の望みのはずだ!)

 

 腰の鞘の中でがたがたと激しく鳴り響く剣の柄を、ルクスは壊れんばかりに強く握りしめた。

 

 目の前で涙を流す少女の顔に、別の光景が重なり合う。

 

 体を震わせながら、それでも世界のために微笑み、光となって消えていこうとした少女の顔が。

 

 彼女の幸せを願う、胸が張り裂けんばかりの強い思いが、ルクスの内側から一気にあふれ出した。

 

「――っ!」

 

――視界が、大きく揺れた。

 

(この、感覚は――!)

 

 脳内に、凄まじい濁流となって色彩が溢れてくる。鮮やかな、どこまでも透き通るような翡翠。それは強固な決意の色で、大いなる慈愛の色で――何があっても、世界を書き換えてでも絶対に救うと決めた、目の前の少女の色だった。

 

『世界がなんだ!魔王がなんだ!勇者がなんだ!そんなもの、どうだっていい!』

 

 自分の声が、脳裏に木霊した。決意の言葉。世界を塗りつぶすほどの、強固な意志。

 

『俺は、今!君を救いたいんだ』

 

 知らないはずの言葉。しかし確かに、自分の魂が叫んだ言葉だった。

 

『君が大切だからだ。世界なんてあやふやな物よりも、俺にとっては今目の前にいる君が大切なんだ』

 

(これが――クロエとの記憶……!)

 

 クロエの顔が見えた。他人を慈しみ、自らを犠牲にして世界を癒そうとするクロエの気高い目が。世界を救うと、共に歩むと決意した時の強い目が。そして――消えゆく世界の中で、必死に思いを叫んでいた、愛おしい少女の目が。

 

「――っ!」

 

(これだ……でも、まだ足りない! もっと、もっと寄こせ!)

 

 手の中で暴れ狂う剣を、さらに強く握りこむ。

 

(俺は、今! この子を救いたいんだ!)

 

 奇しくもそれは、かつて勇者が世界を書き換え、翡翠に染まった時と全く同じ、魂の叫びだった。

 

 その瞬間だった。

 

 激しく震えていた剣がピタリと止まり、圧倒的な熱と光を放ち始めた。

 

 真紅でも、蒼穹でもない。深く、澄み渡った翡翠の色。鮮やかな若草のような生命の輝きが、刀身の根元からじわりと広がり、染め上げていく。

 

「その、輝きは……。その、剣は――!」

 

 クロエが涙を忘れて息を呑んだ。かつて世界そのものを書き換えた、あの奇跡の輝きが、確かにそこにあった。

 

「――『サルヴァトル』」

 

 自然と、その銘がルクスの口から滑り出た。

 

 聖剣から、翡翠の記憶のすべてがなだれ込んでくる。次々と、自らその光に飲み込まれるように。熱が、言葉が、思いが――やがて、ひとつの形を結ぶ。

 

 救済を求め、彼女と絆を育み、世界すら書き換えた、翡翠の物語のすべてを。

 

 ルクスは静かに目を閉じ、その熱い記憶と重みを、すべて魂の奥底へと受け止めた。

 

「……ルクス、さん?」

 

 再び目を開けると、クロエが潤んだ瞳でこちらを見つめていた。固唾を飲んで。祈るように、息を止めて。

 

 ルクスは優しく微笑み、彼女を見つめ返した。

 

「全部、思い出したよ。クロエ」

 

 クロエの大きな目が、激しく揺れた。

 

「……本当に? 本当に……私の大好きな、『ルクスさん』なんですか?」

 

「あぁ。俺たちの願いも、あの約束も。君が最後の瞬間に、俺に伝えてくれた大切な思いも……全部、全部ここにある」

 

「……っ!」

 

 クロエは、溢れ出る涙を抑えるように両手で顔を覆った。その震える小さな肩を、ルクスは愛おしそうに強く抱きしめた。

 

 しばらくの間、礼拝堂には心地よい静寂だけが満ちていた。

 

 翡翠の光が、ゆっくりと刀身へと収まっていく。

 

 やがて、クロエがゆっくりと顔を上げた。その目元は真っ赤に腫れていたが、そこには美しい微笑みがあった。

 

「……迎えに行く、とあの時言いましたよね、私」

 

「あぁ、言っていた。はっきりと覚えている」

 

「なのに、先に来てくれたんですね。ルクスさんの方から、私を見つけてくれた」

 

「そう、なるのか。俺としては、待たせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいなんだが」

 

「……本当に悪いと思っているなら、私のお願い、一つだけ聞いてくれますか?」

 

「もちろん、何でも言ってくれ」

 

 クロエは、泣き腫らした瞳に負けないくらい顔を真っ赤に染めながら、小さく呟いた。

 

「――もっと強く、抱きしめてください。これが夢じゃなくて、現実なんだって、私にちゃんとわかるように」

 

「わかった」

 

 ルクスは望み通り、さらに腕に力を込めて彼女を強く抱きしめた。すっぽりと自分の腕の中に収まった小さな体は、嬉しそうに、安心したように今もまだ細かく震えていた。

 

「んぅ……もっと、もっとです」

 

「……痛かったらすぐに言ってくれよ」

 

「痛いくらいがいいんです。ルクスさんがここにいるって、ちゃんと伝わるから」

 

 さらに腕を引き寄せる。そのまま壊れてしまわないか不安になるほどに、その体は華奢で、そして温かかった。

 

「あぁ……本当に、私のルクスさんなんですね」

 

 クロエがひときわ大きく笑った。涙を流しながら、しかし、これ以上ないほどはっきりと。

 

「会えて、本当によかった。また会えて、本当によかった……!」

 

「約束したからな。最後の最後、漂白が始まる直前だったから、俺の声がちゃんと聞こえていたかは分からなかったけど」

 

「なら、もう一度ここで聞かせてください。あなたの、本当の言葉を」

 

 少し気恥ずかしかったが、ルクスは先ほど取り戻した記憶の最深部を探り、彼女の耳元で囁いた。

 

「『俺も好きだ。必ずまた会おう。次の世界でも、必ず――』……こんな感じだったかな」

 

「うふふ……実際に目の前で聞くと、少し、いえ、ものすごく照れちゃいますね」

 

「俺もだよ」

 

 光に満ちた礼拝堂に、穏やかな時間が流れる。少しして、クロエが顔を上げた。

 

「ルクスさん」

 

「なんだ?」

 

「新しく、約束をしてくれますか」

 

「あぁ、もちろん」

 

「また、一緒に戦ってください。今度こそ、私たちの幸せな未来に辿り着くために」

 

「――あぁ。今度こそ、俺たちの手で叶えよう」

 

 クロエが微笑んだ。それは世界を救う『聖女』の義務的な微笑みではなく、一人の少女としての、どこまでも真っ直ぐで愛おしい笑顔だった。

 

 二人の間に、祝福のような朝の光が満ちていく。

 

 翡翠の聖剣は、静かに、しかし力強くその輝きを宿していた。

 

 真紅、蒼穹、そして翡翠。

 

 三つの色彩とすべての記憶が今、白紙の勇者の手の中に、美しく揃い踏んだ。

 

 

 

「さて、流石にそろそろ見つかってもいい頃だと思うんだが――」

 

 その頃、『修練の森』では剣を携えた黒い影が彷徨っていた。

 

 この物語が幕を開けてから、一時も止まることなく探索を続けていたが、未だに目的のものが見つからない。

 

(いくらなんでも不自然だな。一通り全体を回ったはずだ。それに――)

 

 背後を見れば魔物と諸共に破壊された森の風景が目に入る。ここに至るまで、襲い掛かる魔物を残らず殲滅しているにも関わらず、直前に戦闘した場所以外では何事もなかったかのように木々や地面が元に戻っていた。

 

「……なにか、細工でもしているのか?なぁ――マリア先生?」

 

 そう呼びかければ被害を免れた木々の裏から一人のシスターが姿を現す。

 

「……その呼び方。あなたは、一体……?」

 

「さぁ、何だと思う?」

 

(まともに受け答えをするつもりはない、ですかね。この異分子は一体どこから、何の目的で……?)

 

「なぁ、先生。テルミナにつながるポータルはどこだ?森中探しても見つからないんだが」

 

「……何のことでしょう?ここは学園の敷地ですよ?そんな危険なものがあるはずが――」

 

「あぁ、あぁ。いいよ、そういうのは。あんたがシスターじゃなくて観測者――女神の『指先』なのは分かってるからさ」

 

「――っ!?」

 

 マリアは即座に影に対する警戒の段階を最上位まで引き上げる。常の微笑みは隠れ、冷酷な視線を影に向けた。

 

「あなたの目的はなんですか?なんのためにポータルを探しているんです?」

 

「そりゃあもちろん、魔王を倒すためだ」

 

「魔王に対抗できるのは勇者とその仲間だけ。それがこの世界のルールです」

 

 それは物語によって定められた筋書き。しかし、この影はそのルールの外側の存在だった。

 

「いいから。どこにあるんだ?毎度ご丁寧に森の中にあったのに今回だけ無い、ってのはおかしいだろ?」

 

(『今回』、ですか?この存在はどこまで知っている……?)

 

「……早く答えてくれよ。じゃないと――この森根こそぎ消し飛ばすぞ」

 

「なっ!?」

 

 宣言と同時、影から凄まじい圧が放たれる。森を消す、そんな非現実的なことすら可能だと思わせるほどの気配。

 

「一向に勇者とその仲間が森に来ないのもあんたの差し金だろ?おかげでなにも憂うことなくぶっ飛ばせる」

 

 するり、抜き放たれたのは漆黒の剣。思わず視線が吸い込まれてしまうほどの深い黒だった。

 

(流石にこれ以上のイレギュラーは……ただでさえミュトス様との交信が不安定だというのに……!)

 

 逡巡は一瞬。物語の観測者は決断を下した――この異分子を受け入れる、という方向性で。

 

「いいでしょう。こちらへどうぞ」

 

「ふむ?急に随分と素直だな。逆に怪しいが……」

 

「ついてこないならご自由に。そのまま森を彷徨っていればいいです」

 

「いや、行こう。どうせ当てはないんだ。罠だろうが何だろうが、全部踏みつぶす」

 

 そうして、影は灰の大地へと誘われる。物語の針路が、明確に歪んだ。

 

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