天座の書架と白紙の勇者   作:maki@

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白の勇者/色彩の混光

 漆黒の剣が振るわれるたびに、周囲の白がどす黒い絶望で塗り潰されていく。三人の少女はそれぞれの得物を構え、鋭く散開した。

 

「ソフィア! 左!」

 

「わかってる!」

 

 アイリスが正面から果敢に切り込み、ソフィアが左翼から強烈な属性魔法を放ち、クロエが後方から絶え間なく神聖な支援の光を送る。

 

 しかし――アッシュは揺るがない。

 

 アイリスの鋭い剣撃を片手であっさりと受け流し、ソフィアの追撃の魔法は最小限の一歩を踏み込んで躱し、クロエの支援が届くよりも早くその場を音もなく離れる。すべての動きが、最初から完全に見切られているようだった。

 

「速い……! これまでのどんな魔物とも、比べ物にならない……っ!」

 

「当然だ」

 

 アッシュが静かに言った。その声には、果てしない重みがあった。

 

「何度、この地獄の物語を繰り返したと思っている……。お前たちの動きは、その呼吸の一つに至るまで、俺は全部見たことがあるんだよ」

 

「なるほど。誇張じゃなさそうだね。ルクスの数十倍の経験は伊達じゃないな」

 

「だったら、動きを読んだところで追いつかない速度で、一気に畳みかけるまでよ!」

 

「支援します! アイリスさん!」

 

 クロエの神聖魔法を受け、アイリスの踏み込みの速度がさらに倍増する。一時的に得た、能力以上の神速がアッシュへと肉薄した。両者の刃が激しくぶつかり合う。

 

「それで、この絶望を越えられると本気で思うのか?――塗りつぶせ、『ケイオス』」

 

「――っ! 何!?」

 

 アッシュの持つ漆黒の剣から、どす黒い闇が蛇のように這い出てくる。それは刃を伝ってアイリスの剣へ、そして彼女の体に接触し――

 

「嘘っ!?」

 

「ふんっ!」

 

 アイリスの身体にかけられていた魔法の効力が、すべて一瞬で霧散した。クロエによる支援はもちろん、アイリス自身が練り上げていた身体強化まで。突如としてすべての力を剥ぎ取られ、バランスを崩した身体を、アッシュの冷徹な一撃が容赦なく弾き飛ばす。

 

 その一連の不可解な動きを、賢者の青い瞳が正確に捉えていた。

 

「――記述が、強制的に消去された……?」

 

「流石は賢者、理解が早いな。そうだ。この黒の剣――ケイオスは世界の記述そのものを上から塗りつぶす。あらゆる魔法による干渉を無効化するんだよ」

 

「……ふざけてるな。そんな出鱈目な芸当、一体どれだけの出力差があれば可能だと思っているんだい」

 

「さてな? 詳しい計算は俺にはできないが……この剣には、これまでの『全部』が込められている。存在の『重み』が違うんだろ」

 

 漆黒の剣が不気味に胎動する。混沌とした怨嗟の気配が、その内部で激しく渦巻いていた。

 

「興味深いね。ちょっとその剣、拝見するよ――っ!?」

 

「ソフィアさん!」

 

 短杖を向け、ケイオスの解析を試みようとしたソフィアが、直後に悲鳴を上げてその場に激しく崩れ落ちた。

 

(冗談じゃない……! 脳が焼き切れる……っ! これは、ルクスの剣とすら比較にならない、途方もない量の記述――!)

 

「あぁ。『見た』のか」

 

アッシュは自嘲気味に呟いた。

 

「まさか……過去の勇者の剣が全て、その中に収納されている――!?」

 

「惜しいな。収納なんて生易しいものじゃない。融合だ。お前たちの知らない、134人の勇者たちの生きた記憶、壮絶な絶望、そして最期の力。そのすべてが混ざり合い、色彩を失った。その結果が、この黒の剣だ」

 

 くすみ、不鮮明であったとしても、確かに色彩を放っていたはずの勇者達。しかし、それらは混ざり合い、融け合うことで、固有の美しい色を完全に失くしていき――最後には、光を一切反射しない漆黒へと染まりきった。

 

「無駄な抵抗はこれで終わりか? なら、おとなしくそこを退いて引っ込んでいろ」

 

「――誰が退くもんですかっ!」

 

 強制解除された身体強化をかけ直し、アイリスが再び前へと飛び出す。

 

「何度来ても無駄だ。お前達がどれほど鮮やかに色彩を放とうと、その全てを黒が塗りつぶす」

 

「くっ……!」

 

 纏った強化を強制的に剥がされ、容赦なく吹き飛ばされる。先程の焼き増しのような光景。

 

「ウィンドバレット!」

 

「無駄だと言っているだろ」

 

 ソフィアによる牽制の魔法も、その圧倒的な黒の前に、触れることすらできずにかき消される。

 

「アイリスさん! すぐに治療を……え?」

 

(傷が、ない……? 地面を激しく転がったときのかすり傷以外に、骨折も、目立った致命傷もどこにもない。あれだけの圧倒的な力があるのに……どうして?)

 

 駆け寄って治療を試みようとしたクロエが、その異変にいち早く気付いた。不自然なほどに、アイリスの体は決定的なダメージを免れている。

 

(もしかして……さっきあの人が言っていたことって……)

 

 確証はまだない。しかし、聖女としての彼女の直感は、そうとしか考えられなかった。

 

「アイリスさん。もう一度だけ、あの人に向けて真っ直ぐ攻撃を仕掛けられますか?」

 

「――何か、思いついたの?」

 

「はい。おそらく、ですけど……確かめてみたいんです」

 

「いいわ。 すぐいくわよ!」

 

 今一度、アッシュへと果敢に駆けだす騎士の少女。クロエがそのすぐ背中をぴったりと追う。

 

「はぁぁっ!」

 

「いい加減にしろ。何度言えば無駄だとわかる」

 

黒い侵食が牙を剥く。再びアイリスの身体が容赦なく吹き飛ばされる、その寸前。

 

「……」

 

「――っ!?」

 

 二人の間にクロエが割り込む。武器も構えず、全くの無防備に。ただ両手を大きく広げて、アッシュの刃の前に身を晒す。

 

 直後――翡翠を切り裂く寸前で、漆黒の剣がピタリと止められた。誰かの干渉によりものではない。明確に、剣を振るっているアッシュ自身の意志によるものだった。

 

「やっぱり、そうでしたか」

 

「クロエ、君は……!」

 

「アッシュさん……とお呼びすればいいでしょうか。あなた、私たちに致命的な攻撃が当たらないように、手加減していますよね?」

 

「ちっ……!」

 

 アッシュは忌々しげに舌打ちをし、素早く後方へと距離をとった。その混濁した色彩の目は、明らかに激しく動揺していた。

 

「確かに……。これだけの圧倒的な力の差があるなら、あたし達を殺すなんて簡単にできたはず。でも、あいつはさっきから受けて、弾き返すばかりで、一度も刃をこっちに向けてない……」

 

「……傷つけたくない、と最初にキミはそう言っていたか。その後の傲慢な口ぶりからてっきり撤回したのかと思っていたが――そうでもなかったか」

 

「どうしてですか? あなたにとって、私たちは目的である世界の終焉を邪魔する、ただの敵のはずでしょう?」

 

 まっすぐな瞳でクロエが問う。思わず、アッシュは目をそらした。

 

「――できるわけ、ないだろ……!」

 

 アッシュの口から、絞り出すような、ひどく掠れた声が零れ落ちた。

 

「何度、君たちを苦しめたと思ってる。何度、死なせたと思ってる! 俺が……俺が!君たちを傷つけられるわけ、ないだろ!!」

 

「その優しい気持ちがまだあるなら! お願いですからお話をさせてください! きっと、なにか他に、全員で助かる道が……!」

 

「駄目なんだよ! 何をしたところであの女神の手の上からは、絶対に逃れられない! 俺がここにいて、すべてが漂白される前の今が、唯一のチャンスなんだ!」

 

「女、神……?」

 

「君も聖女なら知っているだろ! 女神ミュトス――この世界を見守っているとされる存在! それが、この終わらない地獄の『繰り返し』の元凶なんだよ!」

 

 それは、これまで聖女としての役割を全うし、神に多くの祈りをささげてきたクロエにとっては、世界のすべてが反転するほどの衝撃的な発言だった。

 

「あいつは何度も、この世界で自分好みの勇者の物語を愉しむために再演を強要する! 自分が楽しみたいから、感動したいからなんていう、ただそれだけの身勝手な理由でな! その度に世界は都合よく漂白され、君たちは残酷な苦境に立たされる! ――俺はもう、そんなもの見たくないんだよ!」

 

「そんな、ことが……私たちの命が、ただの娯楽だなんて……っ」

 

「クロエ!」

 

 先程までの気丈な勢いを完全に失くし、あまりの理不尽さに力なく崩れ落ちるクロエ。アイリスとソフィアもまた、突然明かされた世界の真実に、動揺を隠しきれずにいた。

 

「――あぁ、そういうことか。マリア女史の『観測者』という役割。そして女神ミュトスに仕えるシスターという立ち位置。ようやくすべてが繋がったよ」

 

「そうだ。あの人はずっと勇者の物語を間近で観測し、裏で都合よく修正を加えていたんだ。少しでも女神を楽しませるために、お前たちに理不尽な危険をこれでもかと押し付けてきた!」

 

「なら、あんたは……」

 

「だから、必ずここで物語を終わらせる。『次』の頁に行けば、あの女神が、シスターが、今度は何をするか分かったもんじゃないからな」

 

 そう言うと、漆黒の剣をゆっくりと掲げた。

 

「これが最後だ。そこを退いてくれ。もう、時間がないんだ。……これ以上は、俺も手加減できなくなるぞ」

 

「退くわけ、ないでしょうが! あたしはまだ、あいつから聞かなきゃいけない言葉があるんだから!」

 

「そうだね。私もまだ、ルクスに投げかけけた我が人生最大の問いに対する、明確な解を聞いていない。クロエ、キミもだろう?」

 

 その二人の力強い言葉に呼応するように、よろよろと、しかし決意を秘めてクロエが再び立ち上がった。

 

「……そう、ですね。俄かには信じがたいお話でしたけど――聖女としての私はともかく、ルクスさんに恋をした一人のクロエとしては、ここで都合よく世界を終わらされるのはお断りです!」

 

 その声はまだ微かに震えていたが、少女の翡翠の瞳には確かな意志が宿っていた。

 

「……そうか。なら話は終わりだ。これまで何度も、君たちを傷つけてきた。……そして最後に、もう一つだけ罪を背負おう。痛みはない。恐怖もない。ただ、その存在をこの黒で綺麗に塗りつぶすだけだ」

 

 アッシュの身体から、底知れない漆黒の闇が一気に溢れ出す。正真正銘、本気の一撃が、今まさに解き放たれようとしていた。

 

「……流石に、これはちょっとまずいかしらね」

 

「あれを防ぐには――魔法を使わずに対抗するか、同程度の出力で押し返すか。まぁ、不可能だね」

 

「それでも、最後の瞬間まで。全力で抗いましょう」

 

 クロエの放つ翡翠の光が、何重もの強固な壁を形作っていく。自身の消耗を完全に度外視した、聖女の全力を懸けた防壁。

 

「これで、全部終わりだ! 苦しみも! 痛みも! 全部飲み込め――『ケイオス』!!」

 

 解き放たれた圧倒的な黒の濁流が、翡翠の壁と激しく衝突する。ほんの一瞬だけ拮抗した後に、光の壁が次々と紙切れのように貫かれていく。

 

「まだ、です……! 私は……私は! ルクスさんに! まだ好きって! 私のことをちゃんと好きだって、言ってもらってないんですから――!」

 

 貫かれていく壁のわずかな隙間に、新たな防壁が生まれる。虚空から生み出された、強固な土の壁。

 

「そうだ! 私はまだ、ルクスという男の真理を掴んでいない! 彼の心を手に入れるまで、そう簡単に諦めると思うな!」

 

 すべてを無に帰す圧倒的な黒が、すぐ目の前まで迫る。その正面で、剣を構える少女。

 

「だから、とっとと起きなさい! そしてあたしに! ちゃんと好きって、言え――!!」

 

 そして、漆黒の闇が、赤も青も翠も飲み込もうとし――

 

 

 

(声が、聞こえる――)

 

深い闇の底から、意識が浮上する。最初に、聴覚がその機能を再開させた。

 

「これで、全部終わりだ! 苦しみも! 痛みも! 全部飲み込め――『ケイオス』!!」

 

 どこか苦し気な、無理をしているような声。

 

「まだ、です……! 私は……私は! ルクスさんに! まだ好きって! 私のことをちゃんと好きだって、言ってもらってないんですから――!」

 

 気高い翡翠の意思を感じさせる、愛おしい少女の声。身体に、熱い力が戻っていく。

 

「そうだ! 私はまだ、ルクスという男の真理を掴んでいない! 彼の心を手に入れるまで、そう簡単に諦めると思うな!」

 

 澄み渡る蒼穹の叡智を秘めた、愛おしい少女の声。地面を蹴って立ち上がり、目を見開いた。

 

「だから、とっとと起きなさい! そしてあたしに! ちゃんと好きって、言え――!!」

 

 燃えるような真紅の情熱を発する、愛おしい少女の声。手の中にの剣の柄を、これ以上ないほど強く握り直した。

 

 ガチリ、と少年の中で、バラバラだった想いと力が、一つの形となって完璧に噛み合う。その正体が言葉になるよりも早く、前へと全力で走り出していた――

 

 

 

「俺は! 俺の、気持ちは――!」

 

 圧倒的な闇が少女たちを飲み込む、まさにその寸前。少年の掲げた一振りの剣が、その黒の濁流を真っ正面から阻み、激しい火花を散らせた。

 

 白の剣。少年が、この世界でまっさらな白紙から始まったという確かな証。

 

「ルクス!」

「ルクス……っ!?」

「ルクスさん!」

 

 背後から、三人の少女が自分の名前を驚愕と共に呼ぶ声が響く。振り返る余裕なんて、一瞬すらない。それでもルクスは、魂の底から声を張り上げた。

 

「アイリス! 君に、胸を焦がすような情熱を教わった! 自分の中に、こんなにも誰かを守りたいという強い思いがあるんだって、気づかせてくれた!」

 

 少年の持つ剣の刀身が、白から一気に燃えるような真紅へと染まる。情熱の輝きが、黒の濁流に真っ向から抗うようにして激しい輝きを放つ。

 

「ソフィア! 君から、世界と戦うための叡智を授かった! この歪んだ世界を正しく知るために必要なすべての知識を、俺に与えてくれた!」

 

 真紅から、澄み渡る蒼穹へ。叡智の輝きが、黒を押しのけていく。

 

「クロエ! 君と、未来を生きる固い意思を確かめ合った! 世界を、君という大切な存在を、すべてを救うと、固く誓った!」

 

 蒼穹から、透き通る翡翠へ。意思の輝きが、明確に漆黒の波動を押し返し始めた。

 

「なんだ、これは……!?」

 

アッシュが、困惑の声を漏らした。彼が経験してきたこれまでのどの記憶にも、こんな輝きは存在しなかった。

 

「好きなんだ! 俺に大切なものをくれた、かけがえのない、みんなのことが大好きなんだ! でも、みんなが俺に向けてくれたあの特別な思いを、俺は全然わかってなかった……!」

 

 聖剣の刀身が、翡翠から、再び元の白へ。しかし、先ほどとは比べ物にならない輝きがそこにあった。

 

「俺にはまだ、わからない! でも、今この胸にある思いが、俺の答えだ! 俺は――」

 

 真紅、蒼穹、翡翠、そして白。それぞれの聖剣の光が、少年の手の中で猛烈に明滅する。その明滅の間隔が、一瞬ごとに狭まっていく。

 

「やっぱり俺は、みんなが大好きだ! 誰か一人だけなんて、絶対に選べない! 俺はみんなと一緒に、最高の未来を生きる!!」

 

「「「――はぁっ!?」」」

 

 背後で、三人の少女の驚愕の声が響いた。それをよそに、少年は己の聖剣を一際強く天へと掲げた。その眩い純白の閃光は、アッシュの放つ絶対的な闇を跡形もなく払い、彼の混濁した両眸を激しく焼いた。

 

「なんなんだ、この、光は――!」

 

 

 

 少年の手の中で、三つの光が完璧な調和を保って穏やかに重なり合う。白の剣の上で重なった光は、それぞれの思いを重ね、新たな輝きを放った。

 

 白かった刀身が純白の光を放つ。白紙の剣ならぬ、白光の聖剣。

 

「目覚めろ――『コスモス』!!」

 

 その聖剣の銘は『コスモス』。

 

 三つの色彩、三つの光が重なり、完璧に調和した、希望の剣。過去のどの物語にも存在しない、新たなる聖剣。

 

 白紙だった少年がつかみ取った、少年自身の輝き。その圧倒的な白の光が、死にゆく漂白の世界を、新しく鮮やかに染め上げていった。

 

 

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