アッシュは、眩しそうに目を細めながらルクスを睨み据えた。視線の先では、少女に囲まれ笑い合う勇者の姿。
「ルクスさん!」
「心配かけた。ここからは、任せてくれ」
「……信じて、いいのね?」
「あぁ、あいつとは俺が決着をつける」
「ならば、必ず勝て」
「もちろん」
やり取りを終え、ルクスが前に出た。
「……待ってくれるんだな」
「お前が前に出てくるなら拒否する理由がない。余計な痛みを彼女たちに与えなくて済む」
「そう思えるのに、なんでこんなことをする?俺も、みんなも、未来をつかみたいだけなのに!」
希望を語るルクスに対して、瞳を濁らせ絶望に浸るアッシュ。
「……お前が何を叫ぼうと、関係ない。今度こそ、お前を倒してすべてを終わりにする」
「いいや、終わらせない」
ルクスが、力強く一歩を踏み出した。
「俺たちは未来に進む。そのために、お前という『過去』を、乗り越えてみせる!」
アッシュが、ケイオスを鋭く構え直した。過去のすべてが混ざり合った、混沌の闇。絶対的な絶望の黒。
「それは、ただの綺麗事だと言ったはずだ」
「そうかもしれない。でも――」
ルクスは、コスモスの柄を強く握り直した。未来への思いを重ねた、調和の光。絶対的な希望の白。
「お前が抱えてきたものを、俺は受け止めたい。134回の失敗も、134回の喪失も、全部。それを知った上で、先に進みたい」
「……できるわけがない」
「やってみなければわからない」
対照的な二振りの剣、対照的な二人の言葉。どこまでも、二人の平行線の対話は続く。
「お前は何もわかっていない! 幸せな記憶しか持たないお前に、この地獄が、苦しみが、本当に理解できるわけがない!」
「……」
ルクスの全身を、眩い光が覆う。真紅の身体強化、翡翠の因果強化が同時に、完璧な調和をもって発動していた。
「お前は俺で、俺はお前だ! 同じ肉体で、同じ苦痛を味わえば、お前だって最後には俺と同じ絶望の底に沈むだけなんだよ!」
「いや、俺とお前は、もう同じじゃない」
蒼穹の輝きから、色とりどりの魔法が一斉に放たれる。それらは黒の波動に瞬時に飲み込まれていく。しかしわずかに一条の光が闇を貫いた。驚きながらもアッシュは素早くそれを躱す。
「……何だと?」
「お前は、たった一人で絶望を抱えこむしかなかった。そして、誰にも言えずに押しつぶされた。……でも、今の俺には、お前という『過去の俺』がいてくれたんだ」
アッシュの、混濁した色彩の瞳が激しく揺れた。
「黙れ……っ」
「俺は、お前が一人きりで最果てに立ち尽くす姿を、何度も見てきた。この白い剣を通して俺の脳裏に流れてきた記憶の中に、お前の哀しい背中が、確かにあったんだよ」
「――黙れ!」
アッシュの声が、地を這うように低く、鋭くなった。
「きっと、俺の見たビジョン以上にお前は絶望したんだろう。心が完全に粉々に折れるほどの地獄を経験したんだろう。でも、だからこそ今の俺は違うんだ――お前が俺に、その絶望の重さを、あらかじめ教えてくれていたんだからな!」
「黙れぇっ!! お前に、俺の何がわかる!」
「全部はわからない! でも――!」
ルクスは爆発的な速度で踏み込んだ。翡翠の光の記述を纏い、本来なら届くはずのない間合いを一歩で踏破する。
「終わりに向かって一人で走るお前を、俺はここで止めたいと思ったんだ。お前を、過去の俺のすべてを――救いたいと思ってる。それだけは、何一つ偽りのない、俺の本当の意志だ!」
漆黒の剣が猛烈な勢いで振り下ろされた。ルクスはそれを真っ正面から受け止める。白と黒の光が、空間を軋ませながら激しく拮抗する。先程までとは、完全に違う光景がそこにあった。
「大人しく黙って終われ! 俺も、お前も! 彼女たちも! ここで物語が完全に完結すれば、もう理不尽に神に苦しめられる事もなくなるんだ!」
「終わらない! お前がこれまで繋いできた苦しみは、全部この先の未来のためにあったんだ! お前の苦しみも、絶望も!すべて俺が受け入れて、俺達は必ずその『先』に行く!」
純白の閃光と漆黒の闇が、激しく激突し合う。両者一歩も引かない、完全なる互角の死闘。調和の白の周りに鮮やかな三色の色彩が舞い踊り、そのすべてをアッシュの黒が塗りつぶそうと猛威を振るう。
「お前が、俺にずっと伝えていたんだ! 『諦めるな』って! 『救え』って!」
「ふざけるな! 俺が、そんなことを言うわけがないだろ!」
「言葉じゃない! でも、この剣を通して、お前の魂の叫びがずっと流れ込んできてたんだよ! 『今度こそ』って、何度も、何度もな!」
そのルクスの言葉に、アッシュの動きが、一瞬だけピタリと止まった。
「……それは……」
「何度も戦った。何度も失って、何度も終わって、また立ち上がった。134回分、そうしてきた。お前はその全てで、『俺』を支えていた。違うのか」
「違う……俺は――」
「これまでの全てが、俺を支えてくれていた。絶望も、喪失も。お前を、剣を通して見たものが、俺に力をくれていた……今の俺がここに立っていられるのは、他でもない、お前のおかげなんだ!」
完全な白の世界に、一瞬の静寂。
アッシュの手が、わずかに緩んだ。
「お前の苦しみを、なかったことにはできない。でも、それに意味を与えることはできる!お前の134回の絶望があったから、俺の4回の希望があった!そしてその先の未来がある!俺が、証明してみせる!」
アッシュの纏う混沌の闇が、揺らぎ始める。絶望に染まりきっていた134本の勇者たちの剣、その繋がりが少しずつ解かれ始めていく。
(――迷うな! 希望なんてどこにもない! ここですべてを終わらせることだけが、唯一の救いなんだ!)
アッシュは自身の迷いを振り払うようにして、弾かれるように大きく後方へと距離をとった。そして、二人は同時に、自身の全力を解放する。
最大出力の純白の閃光と、絶対的な暗黒が、世界の中心で真っ正面から衝突した。
「うるさい、うるさい! うるさい!! もういいんだ! 俺はもう終わりたいんだよ! 終わらせたいんだよ!」
闇と光が激しくせめぎ合う。黒と白が互いの領域を侵食し合う。絶望と希望が、火花を散らして鎬を削る。
「ここで終わったら、誰も報われない! お前の頑張りを無意味なものになんてお前自身にもさせない! 俺も、みんなも、お前も! 全部未来に連れていく!」
闇が惑った。眩しい希望の光に魅せられるように。純白の光が強まる。どこまでも固い、誰一人切り捨てないという決意と願いの元に。
そして、光が、完全に闇を飲み込んだ。
決着は、ついた。
「……最初は、違った」
純白の光に優しく包み込まれ、アッシュはその場へとゆっくり倒れこんだ。
「次こそは、今度こそは、って。そう信じて物語を眺めていた」
その身体から、ドス黒いオーラが霧散していく。
「でも、何度も失ったら――何度も倒れたら――もう、すべてを終わらせることしか、考えられなくなった」
「それがお前の限界だった。ずっと一人だったから」
「……」
「でも今は、違う」
ルクスが、倒れたアッシュの前に静かに立った。
「お前が抱えてきた全部を、俺が引き受ける。だから、一人で終わらせようとするのはやめろ」
アッシュが、ゆっくりと顔を上げ、ルクスを見つめた。
長い、長い沈黙だった。
彼の手の中にあるケイオスが、ドクドクと黒く脈動していた。しかしその不気味な脈動が、一瞬ごとに、少しずつ弱まっていく。
「……お前、本当に俺なのか? ……その光は、眩しすぎる」
「きっと、お前の中にも同じ光があるさ。今はちょっと曇ってるだけだ」
「――そう、か……」
アッシュが、満足そうにそっと目を閉じた。
ケイオスの黒い脈動が、完全に止まった。
「……負けだ」
それは、驚くほど晴れやかな、静かな声だった。
「俺の負けだ、ルクス」
アッシュの手から、漆黒の剣が、勇者たちの絶望の結晶が、カランと静かに床へ零れ落ちた。
「ルクス――!」
「ルクス!」
「ルクスさん!」
「――みんな!」
向こうから、三人の少女たちが一斉にルクスのもとへと駆け寄ってくる。ルクスは晴れ晴れとした笑顔で彼女たちを迎え――直後、三人の渾身の拳が少年の腹部へと同時に叩き込まれた。ルクスは目を見開いて、アッシュのすぐ隣へ倒れこんだ。
「ぐおっ!?」
「あんたねぇ! あれだけあたし達にやらせておいて、結局『全員が好き』ってどういうことよ、この浮気者!」
「流石に不愉快だね。こちらは特別な想いを伝えたのだから、ちゃんと一人を選んでもらいたかったんだが」
「そうです! ルクスさん、あれはずるすぎます! 完全な反則です!」
「そう言われても、あれは俺の嘘偽りない気持ちで……」
(あぁ……本当に、懐かしい光景だ……『俺』が見た中では、ここまで仲を深めたことは、そう無かったが……)
アッシュの視点から見れば、ルクスを囲んで少女たちが怒っている様子は、ひどく微笑ましく、愛おしいものだった。
かつて自分もその中にいて、命に代えても守りたいと切に願った。しかし守れなかった、光に満ちた大団円の光景。
「――みんなが好きなのは、変わらないんだな。お前も」
「当たり前だろ? 俺はお前なんだから」
「……そうだな。本当に、お前の言う通りだ」
嘆息し、笑い合う二人の勇者。その間に、一切の禍根はなかった。
「――こいつの鈍感ぶりは、最初から筋金入りだったってわけね」
「記憶を失う前の段階からとは……。苦労するわけだね」
「でも、これでひとまず落ち着きましたかね」
痛む腹を押さえながら立ち上がり、お互いに笑い合う四人の姿を、アッシュは眩しそうに見守り――その視界に、一筋の冷酷な『影』が過った。
「――失礼しますね」
唐突に、無機質な声が響くと同時、瞬きの内に少女たちの姿が消えた。
「――っ!?」
アッシュは驚愕しながらも、ケイオスを即座に握り直してルクスを突き飛ばした――その直後、アッシュの胸を、背後から細い腕が貫いた。
「……外しましたか」
「が、は……っ!」
「は?……おい! おい!? アッシュ!!」
叫ぶルクスを無視して、アッシュは残された力を振り絞り、ケイオスを一閃する。既に輝きを失いつつあった漆黒の剣は、主の強い意志と呼応し、最期の力を発揮して猛烈な闇の渦を放つ。
「くっ……! これは――」
襲撃してきた下手人――マリアの身体を、闇が完全に飲み込み、彼女の存在ごと消し去った。
「危ない、ところだった……な……!」
「お前、なんで……!」
「女神は……お前を、次の新しい『俺』にする気だったんだ。お前を書架に縛り付け、物語の新しい始点にする。恐らくは、そのために襲ってきたんだろ」
アッシュの身体から、急速に力が抜けていく。始まりの勇者が、ついにその長い物語に幕を引こうとしていた。
「お前に、託す。俺のような擦り切れた灰じゃ、あの女神には絶対に勝てない。神に抗うだけの力も、未来への思いも、俺はもう持てない……だが、お前は違う。お前なら、あの女神を倒し、みんなを救える……」
「ふざけるな! 俺は、お前も――」
「いいんだ」
アッシュは静かに微笑み、最期の言葉を紡いでいく。
「お前がそう思ってくれているだけで俺は……『俺達』は十分、救われている。だからこそ――」
アッシュの血塗られた腕が、ルクスの胸元を強く掴んだ。魂のすべてを振り絞って、自らの最後の願いを託す。
「誓え。あの三人を、必ず、絶対に幸せな未来に導け。……俺が、できなかった分まで」
「……あぁ。約束する」
「後は、任せる。俺の記憶も、力も――絶望も、全部お前に託す。負けるなよ」
「負けないさ。必ず、最高の未来をつかみ取る。お前の分までな」
「――全く、最後の最後まで……眩しいやつだ……」
アッシュが、満足そうにそっと目を閉じた。
その傷だらけの身体が、粒子のような白い光に包まれていく。漆黒の影が、世界に少しずつ溶けていく。
ケイオスが、主の消滅と共に光を帯び始めた。
それが、ルクスの手の中の剣へと向かって、吸い込まれるようにして一体化していく。純白の光を放つ刀身に、新たなる凄まじい記述が流れ込んでくる。
ルクスがこれまで知らなかった、134人の『自分』が。その記憶、経験、そして最期の願いのすべてが。
(これが……お前がたった一人で抱えてきた、世界の重さか)
それはあまりにも膨大で、あまりにも重く、痛々しかった。しかし――不思議と、温かかった。
その全てを、ルクスは逃げずに受け止めた。
全ての『勇者』が、いま、ここに一つになる。
希望の白と絶望の黒が完全に重なり合い、世界の中心から眩い輝きが溢れ出す。刀身が、世界を統べるような神聖な黄金の輝きを放った。
「――『エクリプス』、か」
自然と、その銘がルクスの口から滑り出た。
光と影が完璧に重なり合った、至高の蝕の剣。
その黄金の輝きが、真っ白だった世界に巨大な空間の亀裂を走らせた。その引き裂かれた亀裂の先に見えたのは――果てしなく立ち並ぶ、無数の巨大な書架。そして、最奥の玉座からこちらを退屈そうに眺めている、一人の美しい金髪の女。
(あれが、天座の書架……あそこにいるのが、女神ミュトスか!)
受け取ったすべての記憶から、ルクスはその正体を看破する――同時に、あそこが自分にとっての、すべての因縁に決着をつける最後の戦いの場になることも、理解した。
空間の亀裂が、徐々に閉じていく。これが完全に閉じれば、再び世界の漂白が再開することは、容易に想像がついた。
「ルクス――!」
はるか世界の遠くから、自分を呼ぶ声が微かに聞こえる。必死にこちらに駆け寄ってこようとする、赤髪の少女の愛おしい気配。
「ルクス!」
目を見開いて、食い入るように書架の構造を観察し、活路を探そうとする青髪の少女の愛おしい気配。
「ルクスさん!」
必死に走りながら、こちらに手を伸ばす翡翠の少女の愛おしい気配。
(――悪い、必ず戻る)
その全てに背を向け、黄金の聖剣を強く握りしめる。そして、天座の書架裂へと、迷うことなくその身を投げ入れた。全ては、この世界を、あの身勝手な女神の手から奪い返すため。
――◇――
「まさか、自力でここまで辿り着くとはね。会えて嬉しいわ、ルクス」
「お前が……女神、ミュトスか」
「ええ、そうよ。どうも今回の物語は、バグというかノイズがあまりにも多すぎてね――よく読み取れなかったの。ねぇ、代わりにあなたの口から、どんなお話だったか、詳しく聞かせてくれないかしら?」
天座の書架。無数に立ち並ぶ書架の中、女神はまるで新しい玩具を見つけたかのように朗らかに話しかけてくる。
「どうして物語を、何度も何度も繰り返すんだ。……『俺』が絶望し、苦痛に歪む姿が、そんなにお前はおもしろかったのか!」
「ええ、そうよ?」
「……何?」
当然だと言わんばかりにに、女神からあっさりと肯定される。
「私は紡がれる物語に、極上の感動を求めているの。それが幸せなハッピーエンドの物語だろうと、凄惨なバッドエンドの物語だろうとね。その点、あなたの物語は本当に素晴らしかったわ……正の感情の爆発も、負の絶望の感情も、大いに私を楽しませてくれた」
「お前は……! 自分の娯楽のためだけに、他の生きている人間に、苦しみをずっと強要してきたのか!」
「ふむ……なにか、根本的な勘違いをしてるみたいね」
「がっ……!?」
突如、不可視の圧倒的な神威の圧力が、ルクスの身体を大理石の地面へと激しく叩きつけた。
「あなた達は、人間なんかじゃないわ。私の書架に収められた、ただの物語の登場人物に過ぎないの。本の中の文字がどれほど苦しんだところで、現実の私に、一体何の関係があるっていうのかしら?」
「お前……!!」
「……どうやら、これ以上おもしろいお話は聞かせてくれないみたいね。いいわ、じゃあ、あなたを始点にした新しいお話を、また最初から楽しませてもらうから……慣れてるでしょう? 主人公」
女神の手が、すっと伸びてくる。それは、ルクスの自我を再び戒め、真っ白な白紙に戻して、新しい物語を始めようとする神の手。
「ふざ――けるなァァッ!!」
ルクスの手元から、黄金の輝きが爆発的に放たれ、天座の書架を太陽のように照らし出した。
神の不可視の圧力を力ずくでかき消し、鋭く後方へと距離をとる勇者。
「あら? 随分とイレギュラーな力を持ってるじゃない。あまり抵抗はしないでほしいのだけど。私の大切な書架が荒れてしまうわ」
「ここでお前を倒して、俺たちの世界を、みんなの未来を救う! ――そのために、俺はここに来たんだ!」
抜き放たれる、黄金の聖剣。
主人公たる勇者と、物語の創造主たる女神の、世界のすべてを懸けた最終決戦が、幕を開けた。