天座の書架と白紙の勇者   作:maki@

48 / 51
黄金の勇者/黄金の女神

 天座の書架は戦場と化していた。

 

 天を衝くほどに無数に立ち並ぶ書架。その狭い間で、上空に傲然と浮遊する女神を、地から鋭く睨みつけるようにして立つ勇者。

 

「まずは小手調べといこうかしら?」

 

 女神ミュトスが、その白く細い指を空中でありありと躍らせる。その指先が描いた軌跡が、虚空に輝く神聖な文字となった。

 

「『無数の剣が勇者に向けて射出された』。――さぁ、どうかしら?」

 

「くっ……!?」

 

 女神がその場で紡いだ文字の一説が、世界の絶対的な前提として瞬時に現実のものとなる。もはや数えるのすら億劫になるほどの、空間を埋め尽くす鋭利な剣が、ルクスめがけて一斉に飛来した。

 

「この程度、どうってことない!」

 

「あら、中々やるじゃない」

 

 エクリプスの刃で、自身に直撃する軌道の物だけを最小限の動作で弾きながら、迫り来る剣の群れから急速に距離を取る。

 

(滅茶苦茶な……!)

 

「ふふ、久しぶりに直接動いたもの。少しは読者である私を楽しませてちょうだい?」

 

 どこまでも楽しげな声だった。神としての絶対的な余裕に満ちた、圧倒的な上位者の声。

 

 ミュトスが静かに手を翳した。それだけで、書架の空間そのものがぐにゃりと不気味に歪む。重力の概念が消滅し、ルクスの身体が虚空へとふわりと浮いた。

 

「っ!」

 

「世界の記述を都合よく書き換えるのは、私の最も得意とするところよ。あなたのその剣の速度と、どちらが早いかしらね?」

 

 ルクスを中心に、周囲の空間が猛烈に収縮し始める。勇者の肉体をそのまま記述ごと木っ端微塵に押しつぶそうとする、世界の圧力。

 

 しかし、ルクスの手にあるエクリプスが爆発的な黄金の光を放ち、その神の圧力を強引に押し返した。

 

「なかなかやるわね。でも――」

 

 ミュトスが、パチンと楽しそうに指を鳴らした。今度は、周囲に立ち並ぶ巨大な書架そのものが生き物のように動き出す。何万冊もの本を納めた巨大な棚が、上空からルクスに向かって容赦なく倒れ込んできた。

 

「うおっ!」

 

 ルクスは横へと鋭く飛んだ。間一髪の連続でその質量を躱す。しかし、次の棚が、また次の棚が、まるでドミノのように連鎖しながらどこまでも少年の先回りを叩き込んでくる。

 

(速い。強い。そして何より――)

 

 ルクスは奥歯をガチリと食いしばった。

 

(あの女神は、まだこれっぽっちも本気じゃない……!)

 

 それが、何よりもルクスの心を削った。ミュトスはこれほどの死闘を、ただの「ちょっとしたお遊び」として消費している。読者がハラハラする冒険小説のページをめくって楽しむように、この決戦を上から消費しているのだ。

 

 ミュトスにとっては、この世界すべてを懸けた戦いすら、少し刺激的な娯楽の物語でしかない。

 

「少しはそちらからも、私を楽しませる攻め手を見せてくれないかしら? 逃げてばかりでは、プロットとして面白くないわ」

 

「言われなくても、お前のそのお気楽なツラをぶっ叩いてやる!」

 

 エクリプスの柄を両手で強く握り、空中で強く踏み込む。放たれた黄金の輝きと共に、虚空に確かな光の記述の足場が生まれた。ルクスはその足場を猛烈な勢いで駆け上がる。光の尾を纏った、神速の一閃。

 

 ミュトスが上空で鮮やかに躱した。しかし、二人の距離はもうそう離れてはいない。ルクスは手ごろな書架の側面を強く蹴り、新たな光の足場を生成しながら、淀みなく追撃の一手を繰り出す。

 

「あら」

 

 ミュトスの端整な表情が、ここで初めてわずかに変わった。驚きではない。もっと別の、新しいおもちゃを見つけたときのような、純粋な興味の色。

 

「随分と見事な身のこなしね。それは、あの子から受け取った経験かしら?」

 

「そうだ! お前がこれまで都合よく弄んできた、『俺たち』のすべてが、今この体に宿ってるんだ!」

 

「そう……おもしろいわね。だったらもっと見せて頂戴? あなた達キャラクターが何度も足掻いて紡いだ、物語の集大成を!」

 

「思う存分見せてやるよ! お前のその高い鼻に届くまでな!」

 

 黄金の刀身が翻る。過去から受け継いだ技が、女神と勇者の間にあった絶対的な距離を、一瞬にして完全に消失させた。

 

「へぇ?」

 

 ミュトスが、正面からの勇者の斬撃を、ここで初めて己の肉体で受け止めた。

 

 女神が前に翳した白い掌に、黄金の聖剣が激しく激突し、凄まじい衝撃波を周囲に撒き散らしながら拮抗する。

 

「でも、まだこれだけじゃ読者を満足させるには足りないわよ?」

 

「まだだ……! まだ、始まったばかりだ――!」

 

 聖剣を女神の掌に力ずくで押し付けながら、ルクスはその周囲の空間に、無数の超高密度の光の塊を一斉に生成した。それら一つ一つが、かつて蒼穹の勇者が放った最大出力の一撃と同等の破壊力を秘めていた。

 

「この程度かしらね?」

 

 ミュトスは、聖剣を押さえているのとは逆の手で、宙に小さな壁の文字を生み出す。その爪先ほどの薄い壁が、かつて魔王をも一瞬で滅ぼした至高の光を、完全に遮断して見せた。

 

(このまま、強引に押し込む!)

 

 ルクスは瞬間的に、自身に対する強化の幅を限界を超えて引き上げた。突如として爆発的な圧力を増した黄金の剣が、僅かに、しかし確実に女神の掌を後方へと押し込んだ。

 

「なるほど、随分と大層な力を手に入れたようね」

 

(届く――!)

 

「でもね」

 

 ミュトスの美しい目が、冷酷に細くなった。

 

「それだけでは、読者たる私を倒すには、決定的に足りないわ」

 

「――っ!?」

 

 突如として、神の力の『質』そのものが変わった。

 

 これまでとは全く次元の違う、世界そのものの質量をぶつけられたかのような圧倒的な圧力が、抗う間もなくルクスの身体を遥か地上へと叩き落とした。

 

 書架の硬い大理石の床に、ルクスは盛大に叩きつけられた。

 

(なん、だ……!? 一体何が起きた!? いや、それより――!)

 

 激しい混乱と激痛の中、ルクスは自身の視界の端に、先ほどよりもさらに数倍の規模となった無数の剣が、上空から超高速で接近しているのを捉えた。

 

「ぐっ……! これも、さっきの雨より速い……っ!」

 

「防げるかしら? まぁ、それを防いだところで、次の頁にもその次にも、無限の雨が用意されているのだけれどね」

 

 ルクスは必死に床を転がり、躱し、弾き、死に物狂いで防御姿勢を取る。

 

 聖剣の力で虚空に翡翠の防壁を生み出すが、それは数秒と持たずに神の剣の雨によって粉々に粉砕された。

 

 全速力で後退して距離を取ろうとしても、絶えず射出される剣は、どこまでもルクスの身体を追ってくる。

 

 相殺を狙って打ち出した蒼穹の魔法は、拮抗することすら許されず、無慈悲に貫かれた。

 

「ほらほら、そんなことで息を切らして、足元が疎かよ?」

 

「なっ!?」

 

 突然、自分の両足が踏み締めていた足場が完全に消失した。書架の床の記述が一時的に消去され、ルクスの体勢が完全に崩れる。無防備になったその瞬間、上空から飛来した数本の剣が、容赦なく少年のわき腹を深く切り裂いていった。

 

「こんな展開は、どうかしらね?」

 

 体勢を立て直す間もなく、今度は自分の身体が唐突に「上」に向かって激しく落ち始めた。重力が自在に操られ、空間の天と地が完全にひっくり返る。上下左右の感覚を失った不安定な姿勢では、死角から迫る剣の雨を弾き返すことなど不可能だった。

 

「はい、そこでストップ」

 

「がっ……あ……!」

 

 光の足場を新たに生成し、強引に次の踏み込みをしようとしたその瞬間。不可視の絶対的な圧力が、ルクスの四肢を鎖のように完全に縛り付けた。完全に身動きを封じられ、回避も防御もできない状態の少年の全身に、無数の剣が一切の容赦なく殺到し、突き刺さる。

 

(まだだ……っ! すぐに、身体を治せば……!)

 

 黄金の輝きが再びルクスの全身を覆う。『傷を負った』という過去の凄惨な事象そのものを世界から消去し、肉体を万全の状態まで強制回帰させる。

 

「それだけじゃ意味がないわよねぇ」

 

 ミュトスが冷酷につぶやくと、絶えず射出されていた剣の雨が、治療を終えたルクスの身体を再び容赦なく切り刻んでいく。治療し、傷つき、また治療する。その不条理な地獄の繰り返し。

 

(突破口が……どこにも見えない……!)

 

 ルクスが何度目かの治療を行おうとしたその時、その身に纏う黄金の輝きが、突如としてプツリと完全に消え失せた。

 

「――は……?」

 

「同じ展開ばかりじゃ、読者が退屈しちゃうでしょう? 『それ』、私の権限で一時的に禁止ね」

 

「う、おっ――!!」

 

 傷を深く負い、もはや思うように動かない満身創痍の身体を、ルクスは気力だけで強引に操った。飛来する剣を何本かは弾いたものの、一本、また一本と、その傷だらけの身体に新たな鮮血の赤が刻まれていく。

 

 勇者による決死の抵抗が続いたのは、それからほんの十数秒の出来事だった。

 

 

 

「ふむ、このくらいかしらね」

 

 永遠に続くかと思われた最悪な剣の雨が、唐突にピタリと止む。

 

 大理石の床に倒れ伏すルクスは、もはや全身から血を流し、ぼろ雑巾のようになっていた。ただ、その手の中にあるエクリプスだけが、主の意志を体現するように変わらぬ黄金の輝きを静かに放ち続けている。

 

 ルクスは必死に立ち上がろうとした。しかし、全身をズタズタに引き裂かれ、身体が全く言うことを聞かない。

 

「ごほっ……は、あ……っ!」

 

「これが、物語の創造主たる私の力よ」

 

 ミュトスが、上空から静かに地上へと降り立って近づいてくる。コツン、コツンと床を叩く彼女の足音だけが、静まり返った書架の空間に不気味に反響する。

 

「私は指先一つで世界を生み出し、書き換え、そして不要になれば消滅させる。あなたの手に入れた力は確かに素晴らしかったわ。でもね、一介のキャラクターの力では、世界を動かす読者そのものには、絶対に届かないのよ」

 

「……っ……」

 

「あなたの紡いだ物語は、十分に私を楽しませてくれたわ。だから、今回の頁はこれでおしまい。さぁ、次の物語を始めましょう。今度は、あなたという異分子を始点にした、新しい最高の物語をね」

 

 ミュトスの白い手が、ルクスの顔へと向かってゆっくりと伸びてくる。

 

 ルクスはそれでもなお、立ち上がろうと足に力を込めた。エクリプスを握る両手に、血を滲ませながら力を込める。しかし、肉体は限界を迎えてピクリとも動かない。

 

(まだだ……。まだ、こんなところで終わるわけにはいかないんだ……!)

 

薄れゆく頭の中に、大切な三人の少女の顔がありありと浮かび上がった。

 

 アイリスが、怒ったような、でも愛おしそうな顔で自分の名前を叫んでいた。ソフィアが、冷静な顔で自分を信じて前を向いていた。クロエが、今にも泣き出しそうな顔で必死にこちらに手を伸ばしていた。

 

(あいつらのいる世界を、あいつらの未来を、こんな神様のオモチャにされてたまるか……!)

 

 さらに、自分の胸の内から、声が聞こえた気がした――負けるな、と。

 

(何より――)

 

 剣を握る手が、激しく震えた。微笑みながら自分をキャラクターとして見下して向かってくる女神を、ルクスは真っ直ぐに睨みつける。その余裕に満ちた表情に、魂のすべてを懸けて剣を強く握りこんだ。

 

(この女神に一発くれてやらなきゃ『俺たち』の気が済まない――!)

 

 

 

 その瞬間だった。

 

 広大な天座の書架が、そこに収められた無数の鮮やかな本の数々が、突如として一斉に眩い光を放ち始めた。

 

 天座の書架は、女神ミュトスがこれまでに管理し、消費してきた無数の物語の保管場所。そこに置かれているのは、ルクスたちの生きる『リベラ・オルビス』の歴史だけではない。女神が気まぐれに観測し、ハッピーエンドやバッドエンドの娯楽として消費し尽くした、すべての世界の物語が、そこには眠っている。

 

 一冊。また一冊。書架に収められた無数の本たちが、その背表紙から一斉に淡い光を放ち始める。真紅、蒼穹、翡翠。ルクスも見慣れたその三つの象徴色。それだけではなく、金、銀、紫、橙――ありとあらゆる色とりどりの膨大な光の記述が、書架全体の空間を埋め尽くすようにして広がっていく。

 

「――あら……?」

 

 ミュトスが、初めて不審そうにその足をピタリと止めた。

 

 空間を満たした無数の本の光の粒子が、濁流となって倒れ伏すルクスの肉体へと一気に流れ込んでくる。それは力というよりも、胸が締め付けられるほどに圧倒的な、生きている者たちの『温かさ』そのものだった。

 

(これは――)

 

 無数の声が、ルクスの脳内に直接聞こえた。言葉という形ではない。しかし確かに、その本たちが抱えていた魂の叫びが、ルクスへと明確に伝わってくる。

 

 かつて誰かが世界の不条理に抗って抱いた希望が。誰かが命を懸けて守ろうとした大切な願いが。誰かが最後の瞬間まで絶対に諦めなかった気高い意志が――そして、自分たちをただの玩具として弄んできた女神に対する、果てしない怒りと恨みが。

 

(神に弄ばれ、消費されていった、すべての物語の仲間たち、か。……お前たちも、俺に力を貸してくれるのか……!?)

 

 この巨大な書架に眠る、女神に踏みつけにされてきたすべての物語の魂が、いま、一人の勇者のもとへと結集し、その力となった。ルクスという存在の記述の密度が、神の領域すら超えて急激に高まっていく。

 

「あら、あら……? これは一体……」

 

 一時的に禁止されていたはずの黄金の輝きが、世界そのものの記述を上書きするようにして、再びルクスの全身を包み込んだ。全身の致命傷が一瞬で完全に消滅し、失われていた活力が、かつてないほどの規模で身体を満たしていく。

 

(お前たちの生きた証も、その消えない思いも、全部俺が一緒に連れていく。最高の未来に、必ず繋いで見せる!)

 

 ルクスは力強く大地を踏み締めて立ち上がり、エクリプスを正面へと構え直した。その全次元の力を集めた光の波動が炸裂し、白の世界のすべてを眩しく染め上げていった。

 

 その奇跡のような光景をじっと観察し、ミュトスが初めて余裕の笑みを少しだけ消して言った。

 

「書架の、全ての物語たちが、あなたに力を貸しているのね……面白いわ。あなたという一点の光に群がる、ただの哀れな羽虫のよう」

 

 しかし、その神の目はまだ、余裕を失ってはいない。

 

「でも、そんなことで私に届くとは思わないことね。私はすべての物語の『外側』にいる創造主。どれだけ内側の文字の力を集めたところで――」

 

「届くさ」

 

 ルクスの身体中に、光が満ち溢れている。何万の物語の、何億の願いの、その消えないすべての歴史が、いま少年の手元へと集約されていた。

 

「届かせてみせる。いや、今ここで届かせるんだ」

 

 エクリプスの刀身が、これまでとは全く次元の違う、神々しい輝きを放ち始めた。黄金の光の中に、無数の世界の鮮烈な色彩が、美しく、そして猛烈に重なり合っている。

 

「お前に見せてやる。これまでただの娯楽として踏みつけにしてきた、すべての生きている者たちの思いを!」

 

「ふふ」

 

 ミュトスが、挑戦的に妖しく微笑む。

 

「いいわ。見せてもらいましょう。この私にただ観測され、消費されるためだけに生まれてきた存在が、一体どこまでできるのかを!」

 

 ルクスは、強く大地を蹴って踏み込んだ。

 

 無数に並ぶ書架の間を、一直線の光の矢となって。すべての世界の願いをその一撃に乗せて。

 

 ミュトスもまた、神の全能の記述でそれに応じた。周囲の事象を力ずくで書き換え、空間を不規則に歪ませ、世界そのものの強固な強度を盾にして、勇者を迎え撃つ。

 

 光と、世界そのものが、正面から激しく激突した。

 

「確かに速い、そして強いわ! でも、それだけかしらね!」

 

 ミュトスの指が躍る。頭上から再び降り注ぐのは、先ほどを遥かに凌駕する神の剣の雨。無数の鋭利な雨粒が、ルクスを完全に押し潰さんと襲い掛かる。

 

「同じ手ばかり……! どうやら女神様も、物書きとしての才能までは無かったみたいだな!」

 

「……何ですって?」

 

 ルクスは素早く一歩下がると、エクリプスを天に向かって真っ直ぐに翳した。刀身から溢れ出た圧倒的な光の記述が、上空の剣の雨を一瞬で空間ごと消し去り、空を完全に満たした。

 

(私の放った記述の前提を、上から力ずくで書き換えた……!? この子の存在の位階が、私の書架の総量と同じ規模まで上がっているのね……)

 

「なら、こういう展開はどうかしら!」

 

 女神の指が、今度は狂ったように激しく躍る。宙に描かれた禍々しい文字が、不気味な光を放った。

 

『勇者、殲滅。任務、遂行』

 

直後、ルクスにとっては嫌というほど見慣れた、あの不気味な世界の終焉――魔王が、ルクスの目の前に巨大な記述の壁となって立ちふさがった。

 

「今回は『特別製』よ? あなたがこれまで戦ってきた、すべての魔王の耐久力と記述を併せ持った――」

 

「御託はいい、時間の無駄だ!」

 

 ルクスは全く臆することなく踏み込み、魔王の胸を斬りつけた。しかし、すべての歴史を内包した魔王の黒い装甲には、黄金の聖剣をもってしても傷一つつかなかった。魔王の放った反撃の巨拳を紙一重で躱し、ルクスは至近距離から蒼穹の最大魔法を放つ。

 

「無意味よ! その程度の出力では、この最強の魔王には傷一つ届かないわ!」

 

(確かに、全く効いていないな。異常に硬く、あらゆる魔法が一切通らず、世界の書き換えそのものにも絶対的な耐性がある、か)

 

「――関係ない。真正面から、力ずくでぶった斬るだけだ!」

 

 凄まじい光の波動が、ルクスの肉体から一気に炸裂する。書架の本たちから供給されるエネルギーを使い、極限まで自身の体と聖剣に、限界を超えて強化の記述を上書きしていく。

 

「これで、どうだァァッ!!」

 

 黄金の尾を引きながら、魔王の懐へと肉薄するルクス。掲げられた黄金の聖剣が突き立てられ、その破壊不能だったはずの強固な装甲を、真っ正面から力ずくで貫いた。ルクスはそのまま、刀身から魔王の存在そのものを内部から完全に崩壊させる因果の記述を一気に流し込む。

 

 音もなく、魔王の巨体が、光の塵となって空間に霧散していった。

 

「――あらあら、本当に……この私の記述の前提を、力ずくで上書きして消し去るのね。流石にこれは、私の予想外、かしら」

 

「その余裕ぶったツラを、今すぐ引っぺがしてやる!」

 

 未だに美しい微笑みを崩さない女神に向かって、滅ぼした魔王の塵を踏み越えて、勇者が一気に肉薄する。

 

「ここまで届いたら、少しは考えてあげるわ!」

 

 そのミュトスの言葉と共に、先ほどルクスを阻んだ世界の壁が、何層、何十層にもわたって二人の間に立ち並ぶ。

 

「届かせる!!」

 

 一振り。斬るが、激しく弾かれる。二振り。斬る、今度は真っ正面から拮抗する。三振り。全身の力を込めて強引に押し込むと、神の壁に巨大なひびが入った。

 

(出力が、私の計算を超えて上がり続けている……っ。この子、無数にある書架の物語から、無限に等しい記述の供給をリアルタイムで受け続けているわね……!)

 

「はぁぁぁっ!!」

 

 ルクスの魂の咆哮と共に、ついに一枚目の世界の壁が木っ端微塵に破られる。淀みなく振り下ろされた次の刃で、二枚目の壁が一振りで砕け散った。その次の壁は、ルクスの纏う光の圧力だけで、触れることすらなく音もなく消失した。

 

「とうとう、世界そのものの記述すら一瞬で消し去るようになったのね……! 本当に、一介のキャラクターのくせに、身分不相応な力を手に入れたものだわ!」

 

 もはや、女神がどれだけ世界の壁を並べようとも、ルクスの進撃の足を止めることは誰にもできなかった。今もなお、書架の無数の本たちが、少年の背中を押し上げるようにして光を送り続けている。

 

そして――ついにルクスは、ミュトスの、神の目の前へと完全に辿り着いた。

 

「いいわ、私の全霊でそれを受け止めてあげましょう!」

 

 空間が一際大きく歪む。女神の持つすべての神威を込めた、絶対不可侵の最後の盾。

 

 そこに、すべての世界の思いを乗せた黄金の聖剣が、大上段から激しく叩きつけられた。

 

(届け――!!)

 

 一際大きく、世界のすべてが反転するような光の爆発が弾けた。同時に、勇者と女神を遮っていたすべての因果の防壁が、この世から跡形もなく消え去る。

 

 ミュトスの絶対の防御を、ルクスの放つ生きた光が、真っ正面から完全に貫いた。

 

「な、に――!? 神の記述が……消さ……っ!?」

 

「受けてみろ!! お前がこれまでただの文字として弄んできた、すべての想いを!!」

 

 黄金の聖剣が、そこに集まった数多の物語に眠るすべての思いが、ついに女神に触れた。

 

 その瞬間だった。

 

 

 

(これは……一体、何……?)

 

 女神ミュトスが、その場に完全に動きを止めた。

 

 剣を通して、ルクスの掌を通して、彼女の神の心へと、濁流となって直接流れ込んでくる。

 

 文字ではない、設定でもない。生々しい物語の『記憶』が。本物の『感情』が。そのすべてが。一瞬のうちに、女神がこれまでの歴史で強いてきた、あらゆる悲劇と喜劇の物語の主人公たちの追体験が、彼女の脳内へと一気に叩き込まれた。

 

 『喜び』が心に流れ込んだ。初めて必死に魔物を倒した時の、魂の高揚。過酷な旅の途中で、仲間たちと焚き火を囲んで笑い合った夜の、消えない温かさ。大切な誰かをその手で守り抜けた時の、胸が震えるほどの充足感。

 

 『悲しみ』が心に流れ込んだ。大切な誰かを自分の力不足で失った時の、胸が引き裂かれるような痛み。最期の瞬間に届かなかった言葉の重さ。どうしても間に合わなかった後悔の、涙が出るほどの苦さ。

 

 『怒り』が心に流れ込んだ。神の理不尽な気まぐれによってすべてを奪われることへの憤り。途中で諦めることを強要される悔しさ。

 

 『愛』が心に流れ込んだ。自分の命に代えてでも誰かのために生きたいという、純粋な願い。世界が変わっても共に歩みたいという、剥き出しの真っ直ぐな思い。

 

 そして――『絶望』が流れ込んだ。何よりも一際大きく神の胸を突いたのは、かつての勇者たちが抱えてきた、黒い闇。幾重にも積み重なった、終わりのない諦観の温度。

 

 最後に、眩い『希望』が流れ込んだ。最高の未来を願う強い思い。目の前の勇者が放ち、それに感化されたすべての書架の仲間たちが抱いた、消えない希望の光。

 

(これが……これが、物語の中に、確かに存在していた本当の想い……? 上からただ観測しているだけでは、決して感じ取ることのできなかった……これが、本物の『感情』なの……!?)

 

 これまでミュトスが得ていた感動は、すべてページの「外側」から客観的に受け取るだけのものだった。完成した物語を安全な場所から観測し、その劇的な結末に心揺らすだけの、綺麗な消費。

 

 しかし今、ミュトスの心に狂ったようにあふれ出す感情のすべては、かつて自分が文字として見下していたキャラクターたちが、その命を燃やして抱いた感情そのものの追体験だった。聖剣に込められた億万の生きた思いが、神の魂を内側から猛烈に揺さぶり、引き裂いていく。

 

 これまでずっと物語の外側にいたはずの唯一の観測者が、いま、初めて、物語の「内側」に、一人の当事者として確かに存在していた。

 

 

 

「――あぁ、これは……」

 

 ミュトスの大きな目が、驚愕と、それ以上の法悦に大きく見開かれた。

 

「これが……内側から、魂で感じる……本当の感動……!!」

 

 その声は、初めて激しく揺れていた。これまでの神としての絶対的な余裕なんて、もう彼女のどこにも残っていなかった。

 

 あらゆる感情の濁流が、同時に、内側から爆発するようにして溢れ出してくる。もはや神の力をもってしても制御なんてできない。外側からどれだけ何百年も物語を観測し続けても、決して手に入らなかった、至高の宝物がそこにあった。

 

 その圧倒的な初めての体験に、女神の美しい目から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。

 

「素晴らしいわ……っ。こんなにも、こんなにも生きている想いが、美しいなんて……!」

 

 それは、女神の長い生において初めての経験だった。物語を安全な場所から観測するだけでは絶対に得られなかった、命の通った『生きた感動』だった。

 

「いい、いいわ、最高にいいわ!! 素晴らしいわ、ルクス!! もっと、もっと私に頂戴!!」

 

 ミュトスはどこか狂気的な、心からの歓喜の笑顔を浮かべ、自ら進んでルクスへとその身体を突き出した。もはや神としてのプライドや余裕などはどこにもなく、その魂を焼き焦がすような、生きた感情への渇望だけが女神を衝き動かしていた。

 

 あまりにも隙だらけになった女神に向かって、ルクスは魂のすべてを懸けて、今一度黄金の聖剣を真っ直ぐに振りかぶった。

 

「これで、本当に終わりだ! ミュトス!!」

 

「ええいいえ、終わらないわ! こんな至高の体験、そう簡単に終わらせるもんですか――!!」

 

 世界を引き裂く、一閃。

 

 黄金の聖剣エクリプスが、ミュトスの胸の中心を深く、真っ直ぐに貫いた。

 

 溢れ出た黄金の輝きが、女神の身体を内側から満たしていく。

 

「ぐっ……あ……! そうよ、これよ! 私はずっと、ずっとこれが欲しかったの……っ! いつまでも、永遠にこのまま――!」

 

 ミュトスはその傷口から光を溢れさせながら、ルクスの身体を愛おしそうに強く抱きしめた。より深く聖剣が己の胸へと突き刺さろうとも、それこそが自分の求めた真実だと言わんばかりに、歓喜と共にそのすべてを受け入れた。

 

「悪いが、お前の身勝手な趣味に付き合うつもりはない。――ここで、終わらせる!」

 

 ルクスが叫ぶと同時、空間のすべてに光が溢れ出す。広大な天座の書架のすべてを真っ白に照らし、女神を内側から優しく焼き尽くしていく、生命の輝き。

 

 やがて、その凄まじい閃光がゆっくりと収まっていくと――。

 

 天座の書架に、静寂が戻ってきた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。