天座の書架と白紙の勇者   作:maki@

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白の思索/青の魔導

窓外に広がるリベラ・オルビスの空は、今日も一点の曇りもなく、あまりに完成された青を湛えていた。

 

 学園の最上階に近い、紙とインクの匂いに満ちた図書室。そこは「賢者」という役割を与えられた少女、ソフィアの聖域だった。

 

「……いいかい、ルクス。まず前提として、キミはあまりにも世界を知らな過ぎる」

 

「……はい」

 

 ソフィアは羽根ペンを置き、眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。彼女の周囲には、何が書いてあるのか理解できない羊皮紙が、まるで雪崩のように積み上がっている。

 

 辛辣な一言目から始まった講義に、教えを乞う相手を間違えたかと冷や汗を流す。

 

「魔法について教えて欲しいと言ったね?それを語るには最低限の知識が必要だ。そして記憶喪失だというキミにはそれがない」

 

 依然として名前以外の情報を思い出すことなく、この世界の人間として馴染みきれていないルクス。欠けた記憶を埋めるように、知識を詰め込むことにしたのだった。

 

「この世界の知識が欠落しているキミのために、今日は特別に魔法の構造を基礎からレクチャーしてあげよう。……いいかい? 基本的に、魔法とは無から有を生む奇跡などではない。世界の記述に干渉する、極めて論理的なプロセスだ」

 

 ソフィアが細い指を空中に滑らせる。不可視の力が収束し、淡く発光する数式のような文字列が浮かび上がった。

 

「魔力は、世界の記述に書き込むためのインク。私たちが何を認識し、何を望むかによって、世界という大きな紙に、一時的な追記を行う。それが魔法の正体だ……その疑問符に満ちた顔。当ててあげようか。『世界の記述ってなんだ?』だろう?」

 

 ズバリと内心を言い当てるソフィア。生徒の躓きを予見しているあたり、口調に目を瞑れば案外良い教師なのかもしれない。

 

「もちろん形として実在するものではない。この世界が正しく回るためのルール、といえばわかりやすいかな?果実が木から落ちるように。太陽が昇れば夜が明けるように。物語が始まれば結末へと向かうように。当たり前に『そこ』にあるものだ」

 

「なるほど、世界が正しく回るためのルール、ね。これに干渉するのが魔法ってことか」

 

「そういうこと。そして、一口に魔法と言ってもその中には大別して3つの分類がある」

 

 そう言って人差し指を立てる。

 

「まずは無属性魔法。世界の記述に直接インク――魔力を継ぎ足すことでそれをそのまま『強調』する魔法だ。キミがこれまで見た中だとアイリスの身体強化魔法がこれに当たる」

 

 そう言ってソフィアは自分の細い腕を指した。

 

「何もしなければ簡単に折れてしまいそうなこの腕も魔法で強化すれば重い鉄の塊を振り回すことだってできる。……疲れるからやらないけどね」

 

「ってことはアイリスもそれを使って自分の力を強化して戦ってたってことか……てっきり素であの腕力なのかと」

 

 正直、彼女に力負けする展開が多すぎて自信を失っていたルクスだがそういったカラクリがあったらしい。

 

「そんなわけがないだろう……とにかく、これが無属性魔法。単純に強調したい記述に魔力を注ぎ込むだけでいいから比較的簡単な魔法だね。最悪、記述が読めなくてもとにかく魔力を込めれば発動できる。もしキミが魔法を覚えたいならここから始めることをお勧めするよ」

 

「そうだな、使えるのとそうじゃないのではかなり差が出そうだ」

 

 脳内にある今後の訓練予定に、無属性魔法と書き込んでおく。

 続けて、ソフィアが二本目の指を立てる。

 

「次に、私がよく扱っているのが属性魔法。これは世界の記述に遍在する地水火風――四大元素に関する記述を、一時的に主役へと引きずり出す技術だね」

 

 ソフィアが掌を返すと、その上に小さな火種が灯った。熱はある。けれど、それは薪が燃えるような生々しさはなく、完全にコントロールされた、「火という概念の投影」のようにすら見える。

 

「火は熱く、水は冷たい。地は生命を育み、風がそれらを運ぶ。神が定めたそのルールを、魔力によって『ハイライト』する。何もない場所に火を生むんじゃない。目に見えなくとも確かにそこにある『火の性質』を、大きな声で読み上げて顕現させる……。それが属性魔法」

 

 ソフィアの掌の上で、火が水に飲み込まれ、消える。濡れたその手を柔らかな風が乾かしていく。

 

「あれ、地の魔法は?」

 

 単純な疑問。挙げられた四個の要素の内、一つだけが実演されていない。

 

「目の付け所がいいね。さっきも言ったけど、属性魔法はあくまでそこにあるものを目立たせているだけだ。つまり、最初から存在しないものを生み出すことはできない。この地上から離れた部屋では地の要素が見つけづらいのさ」

 

「なるほど……逆に普段『修練の森』で土とか石とかの魔法を多く使ってるのはその要素が多く存在してるからってことか?」

 

「理解が早くて助かるよ。キミは知識がないだけで飲み込みは随分と早いらしいね」

 

 そう言って、ソフィアが三本目の指を立てる。

 

「最後に、神聖魔法について。クロエが使っている魔法だね。おそらくはマリア女史も使えるとは思うが……これは他二つとは少し毛色が違う。ルクス、キミが今まで見てきたクロエの魔法を思い出してみたまえ」

 

「……まずは、壁を作る魔法、だよな?それから支援魔法……後は、回復魔法?」

 

「うん、まぁそんな所だね。そしてこれら全てに、さっき話した他二つの魔法と明確に異なる点がある。わかるかな?」

 

 ここは自分で考える段階らしい。先程聞いた内容と記憶の中の神聖魔法を照らし合わせる。

 

「……壁を作ること自体はソフィアも地属性の魔法でやってた。でも、あれはあくまで地面を隆起させた土の壁だ。クロエが出してる盾は何もない所から現れていた……ような気がする」

 

 ルクスの答えにソフィアは目を丸くする。

 

「――驚いた。考えてみろとは言ったがまさか正解に辿り着くとは。そう、世界の記述に無かったものを書き足して現実のものにする。それがあの壁を作る魔法の正体だ。私が作るものと比べて現実のものではないから、物理的な干渉にめっぽう強いのが特徴と言えるね。では支援魔法はどうだい?」

 

 支援魔法。彼女がこちらに掛けるそれは、身体能力を大きく向上させる。今思えば身体強化ができない自分が曲がりなりにもアイリスと肩を並べて戦えていたのはこれのおかげなのだろう。

 

(得られる結果は無属性の身体強化と同じ。強化の度合いが凄いって程度ならわざわざここで挙げたりはしないよな?それ以外でこれまでの魔法と違うところは……待てよ?身体強化?)

 

「無属性魔法ってのは自分に関する記述を強調する、だったよな?」

 

「うん、その通りだね」

 

 満足げに頷くソフィア。その反応から自身の考えが的外れではないことを確信する。

 

「支援と身体強化。どっちも得られる結果は同じ魔法だけど、そこに違いがあるとするなら自分以外に効果が現れてることじゃないか?」

 

「そう、自分以外の、しかも生命体の記述に干渉することができるのは現状、神聖魔法だけなんだ。他の魔法でも同じことが出来るはずなんだが、他人の記述を読むだけでも殆ど不可能なのにそこに干渉するとなるとね……」

 

 口惜しそうに呟くソフィア。賢者である彼女にとって、他人の魔法が自分に使えないというのは我慢ならないことなのだろう。

 

「ま、それは置いておいて最後だ。回復魔法、その特異性はなんだと思う?」

 

 あっさりと表情を戻して問いかける。回復魔法。かけられるとたちまち傷が治り、体力も少し戻る不思議な魔法。一体どんな原理がこの魔法に隠されているのか。

 

(他人に影響を及ぼすって点じゃ支援魔法と同じだ。でも、何かが違う気がする……)

 

 傷を治す。口で言うのは簡単だがその仕組みがまるで想像できない。

 

「――ダメだな、さっぱりだ」

 

「まぁ前二つがわかっただけでも十分大したものだよ。特にこれに関しては知っていないと中々想像もし難いだろうしね」

 

 どうにも考えつかず、素直に目の前の少女に答えを委ねることにする。

 

「回復魔法の特異性。それは傷が治る過程にあるんだ」

 

「傷が治る過程?」

 

「あぁ、以前私自身が回復魔法をかけられた時に自分に関する記述を眺めていたことがあってね。驚いたよ。傷が治ったんじゃない。そもそも傷なんて無かった、ということになっていたんだ」

 

 治すのではなく、無かったことにする。それはつまり……

 

「世界の記述そのものを書き換えているんだ。『傷を負った』という現実を『傷を負っていない』という記述で書き換える。強調するのでも、取り出すのでも、書き足すのでもない。世界の理を捻じ曲げる、まさに神の御業だね」

 

 ここまで来ると模倣しよう、という気も失せてくるよ、と自嘲気味に吐き出す。

 

「クロエにも色々と聞いてみたんだが彼女、ほとんど感覚的に魔法を使うタイプみたいでね。今一つ使う側の理論は理解できなかった。マリア女史はそもそも祈りがどうとかではぐらかすし……古い文献には女神様に近しい存在であればあるほど、より大規模な『書き換え』ができる、とあるが……あまり論理的ではないね」

 

 不満げに鼻を鳴らすソフィア。

 

「私は賢者。この世界の全てを探求し、解き明かす者。そのためにも理解できないものはなんとしても理解したいんだ」

 

 ソフィアは一冊の古びた手帳を取り出した。そこには、彼女が独自に観測した星の動きや、魔力の流動グラフがびっしりと書き込まれている。

 

「私はまだ、この世界の真理にはたどり着けていない。けれど、確信している。この世界、リベラ・オルビスは、巨大な何かの『意思』によって編まれている。それは物理法則というよりは、もっと恣意的な、劇的な……そう、『文脈』のようなもの。……私はそれを突き止めたい」

 

 ソフィアの瞳に、危うい程の光が宿る。

 

「……ルクス。キミは、私の計算に現れた変数だ」

 

 ルクスへと歩み寄る。その視線は逸れることがない。

 

「過去の記憶。不規則な言動と行動。キミの存在は、この世界の中で浮いている。……キミを見ていると、なにか今までない発見ができるような気がするんだ」

 

 手を伸ばす。そして彼女の手が頬に触れようと――その瞬間。

 

 ――視界が、揺れる。

 

 

 

 焦点の合わない目。

 

 痩せこけた頬。

 

 目元には濃い隈を浮かべている。

 

 何日も整えていないのか髪も乱れ、見慣れた美しい青はくすんでいる。

 

 その手には見覚えのある――『無銘の剣』。なぜそれを持っているのか。その答えを聞く前に、彼女は剣を自身の体に向けて――

 

 

 意識が、現実に回帰する。

 

「――大丈夫かい?」

 

「――あぁ、なんでもない。ちょっと驚いただけだよ」

 

(また、こんなビジョンが……一体なんなんだ?毎回趣味の悪いもの見せつけてくれるな)

 

 折に触れて垣間見る謎の光景。その原因は未だ不明。

 

「少し脱線してしまったが、魔法について、基礎的なことはこのくらいだね。お役に立ったなら、何よりだが」

 

「あぁ、助かったよ。なにか、俺に手伝えることがあったら言ってくれ。できる限り力を貸すよ。大したことはできないけどな」

 

「あぁ、その時は存分に力を発揮してもらおうかな。この後はどうするんだい?」

 

 特に予定はない、であれば――

 

「せっかくだから無属性の――身体強化の魔法についてもう少し調べてみるかな。使えるようになるならそれに越したことはないだろうし」

 

 そう言うと少し微妙な反応。

 

「それは殊勝な心がけだが……ここの図書室は広いよ?しかもたまに禁書が紛れ込んでたりする」

 

 改めて見渡すと、確かに。見渡す限り、本棚と机が所狭しと置かれた空間が続いていた。振り返り、

 

「……あー、ソフィアさん?先程の貸し、もう一つ増やす気はございませんか?」

 

 ソフィアは呆れ顔で、

 

「利子は高めに設定してもいいかい?」

 

「無利子無担保でお願いします……」

 

 白紙の勇者に新たな記述が刻み込まれる、そんな一幕。

 

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