天座の書架と白紙の勇者   作:maki@

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白の奔走/赤の奮闘

 夕暮れに差し掛かる頃、学園の正門前。

 

 鐘の音が響いた。

 

 それは時の流れを告げるものではなく、緊急を知らせる警鐘だった。

 

 空気が変わっている。ルクスはそれを肌で感じた。『修練の森』の方角から漂う、濃密な獣臭。普段とは比べものにならない密度。そして遠くで揺れる、無数の影。知らず、『無銘の剣』を固く握りしめる。

 

 気付けば、ルクスを含む四人が学園前に集まっていた。

 

「……来るわね」

 

 アイリスが愛剣の柄に手をかける。その声には、研ぎ澄まされた静けさとともに、隠しきれない緊張が滲んでいる。

 

「まずは状況を確認しておこう。何が起きているのか」

 

 ソフィアが周囲を見回す。彼女の眼鏡のレンズが夕陽を反射し、鋭く光る。その奥の表情は、固い。

 

 その時だった。クロエが声を上げる。

 

「あ、シスターマリア!」

 

「皆さん、無事でしたか」

 

 背後から穏やかな声。振り向くと、マリアが静かな足取りで歩み寄ってくる。いつもと変わらぬ柔らかな微笑み。それはこの場に満ちる張り詰めた雰囲気とは少し不釣り合いで、しかし四人の過剰な緊張を取り去っていた。

 

「状況を説明します」

 

 マリアは四人の顔を順に見渡し、落ち着いた声で続けた。

 

「『修練の森』を囲っていた結界が崩壊しました。原因は現在調査中ですが、森の奥で何者かが結界の要を破壊したものと思われます。これにより、森の魔物が統制を失い、外部へ溢れ出しています」

 

「スタンピード、か」

 

 ソフィアが低く呟く。

 

「ええ。既に街の外縁部で被害が出始めています。学園内部に侵入した魔物は他の学生が対処中。住民の避難誘導は学園の他の教師たちが当たっていますが……」

 

 マリアは一瞬、間を置いた。

 

「魔物の親玉と思われる存在が、既に街へ侵攻しています。通常の討伐隊では対処が難しい規模です」

 

「つまり、あたしたちに行けと」

 

 アイリスが静かに言う。問いではなく、確認だった。

 

「プロタゴニスト――あなたたちにしかできないことがあります。街の防衛と、魔物の討伐をお願いします」

 

 マリアの言葉は柔らかい。しかし、その中に有無を言わせぬ何かが宿っていた。勇者パーティ、プロタゴニスト。初めての訓練ではない戦闘を命じる言葉。

 

 四人の間に、短い沈黙が落ちる。

 

 彼らの顔に決意が浮かぶのを確認し、マリアが続ける。

 

「既に街の各所に魔物が入り込んでいると思われます。二手に別れ、各個討伐するのが良いでしょう。ただし、魔物の親玉――情報によれば巨大なゴブリンの姿だという話ですが、こちらはそう簡単には討伐できないものと思われます。決して、無理はしないように」

 

「わかりました」

 

 アイリスが口を開いた。

 

「ペアを振り分けましょう。あたしとソフィア、ルクスとクロエ。前衛と後衛を一人ずつ、これでいくわ」

 

「……へぇ?」

 

 ピクリとソフィアの眉が上がる。アイリスの有無を言わせぬ口調。側から見れば特に問題のない編成だが、ルクスの胸に懸念が浮かぶ。

 

 昼間の光景が脳裏をよぎる。過剰に仲間を守ろうとするアイリス、噛み合わない連携。最後には口論のようになってしまった二人をペアにするのには抵抗を感じる。

 

「……アイリスとソフィアのペアは、少し不安がある」

 

 慎重に言葉を選ぶ。

 

「昼間の戦闘でも、連携に齟齬があった。今夜は規模が違う。もし――」

 

「そう。大規模な戦闘。だからこそ、よ」

 

 アイリスは静かに、しかしはっきりと言った。

 

「まだ未熟なあんたにはいざというとき治療ができるクロエが必要。それは合理的な判断でしょう? あたしはソフィアとの連携の問題は自分で解決する。ソフィアも、それでいいわよね」

 

「……まぁ、君がちゃんと連携を守ってくれるなら文句はないよ」

 

 ソフィアが肩をすくめる。

 

(合理的、か)

 

 理解はできる。懸念は消えないが、自身の非力を引き合いに出されてはルクスとしてもこれ以上の反論は難しい。

 

 喉の奥に引っかかる違和感。しかし今は、それを言葉にしている時間はなかった。

 

「……わかった。その編成で行こう」

 

「決まりね」

 

 アイリスの表情に、僅かな安堵の色が差す。それはすぐに、騎士の顔へと塗り替えられた。

 

「ソフィア、行くわよ」

 

「はいはい。今度はやり過ぎないでくれよ」

 

「わかってるわよ」

 

 ルクスはクロエに向き直る。

 

「俺たちも行こう、クロエ」

 

「はい、よろしくお願いします、ルクスさん」

 

 彼女は静かに頷いた。その瞳には、いつもの穏やかな光がある。

 

「お互い、無事で」

 

「あんた達もね」

 

 それぞれ背中越しにそう呼びかけ、戦場となったオルトゥスの街へと踏み入れるのだった。

 

 

 

 街の外縁、石畳の広場。

 

 昼間まで大道芸人が笑顔を振りまいていた場所に、今は魔物の群れが溢れていた。ゴブリン、コボルト、それより一回り大きなオーク。それらが無秩序に闊歩し、逃げ遅れた住民の悲鳴が街の空気を引き裂く。

 

「――行くぞ」

 

 ルクスは地を蹴った。同時、覚えたての身体強化を起動。僅かながら自身の身体能力を底上げしていく。

 

 訓練の日々が、今夜初めて実戦で結実する。

 

 剣を抜く。型はまだ荒削りだ。アイリスの洗練された剣舞とは程遠い。しかしルクスの剣には、無駄がない。最小限の動きで急所へ届く、機能だけを突き詰めた軌跡。何かに導かれるように、その鋭さは増していく。

 

「そこは通しませんっ!プロテクション!」

 

 クロエの長杖から翡翠色の光壁が展開される。ルクスの背後から迫るゴブリンの突進を弾き返し、その隙にルクスの剣が閃き、正面のゴブリンとコボルトを続けざまに切り裂く。横から迫るオークはひらりとかわし、距離をとる。鈍重なオークはその動きに追従できない。

 

「一体、二体……」

 

 数を確認しながら動く。雑多な群れは、囲まれないように立ち回り、各個撃破していくのが基本。アイリスの教えはルクスに間違いなく根付いていた。

 

「ルクスさん、右後方!」

 

「わかった!」

 

 クロエの声を合図に体を捻る。視界の端で動く影を捉え、剣を滑り込ませる。ゴブリンが霧散する。

 

(動ける……予想よりもずっと、思い通りに!)

 

 ルクスは確信していた。訓練前と今では、別人だ。体が知っている動きの引き出しが、確かに増えている。アイリスに叩き込まれた基礎が、今夜初めて本当の意味で機能していた。

 

「ルクスさん、あちらに傷ついた方が!治療に向かいます!」

 

 クロエが民家の軒先を指差す。倒れた老人、その傍らで泣く子供。

 

「行ってくれ、俺が抑える」

 

「お願いします!」

 

「こっちだ!お前らの相手は俺だぞっ!」

 

 クロエが駆け寄り、膝をつく。翡翠色の光が老人を包む。ルクスは周囲の魔物をひきつけつつ、向かってくる魔物を次々と迎え撃つ。霧散していく魔物。しかし、後から増え続けていく魔物の影に、気を引き締める。

 

 その間も、街の別の方角から激しい音が響き続けていた。

 

 

 

 一方、オルトゥスの中心に繋がる路地。

 

「フレアストーム!」

 

 ソフィアの短杖が火焔を吐き出す。路地を塞いでいたゴブリンの群れが、一瞬で霧散した。石造りの路地であれば延焼を恐れる必要もない。速やかに広範囲の火力で殲滅していく。

 

「……こいつで最後、ね」

 

 アイリスが残った個体を一閃で仕留め、息を整える。

 

「お疲れ様。まずまずの成果だ……それにしても、数が多い。この密度は異常だ」

 

 ソフィアが眼鏡を押し上げ、周囲を見回す。学園から街に向けて進んできたが、加速度的に魔物の数が増えている。

 

「……中心に何かいる。魔物を束ねる、強い意思のようなものが」

 

「先生が言ってた親玉、かしらね」

 

「どうする?周辺には逃げ遅れた人もいないようだし、ルクスたちを待っても――」

 

 苛烈な戦闘が予期される。戦力を整え、全員で向かうべきだと考えるソフィア。しかし――

 

「行くわよ」

 

「待て、策もなく突っ込むのか? 相手はこの規模のスタンピードを統率する親玉だぞ」

 

「策? あたしが前で全部受ける。あんたが後ろで全部撃つ。それだけよ」

 

「……それを策と呼ぶのかどうか、私には判断しかねるね」

 

 呆れたように言いながらも、ソフィアは短杖を構え直した。

 

「ルクスたちが来る前に終わらせるわよ。余計な危険に近づける必要はないわ」

 

(やはり過保護じゃないか……?悪い方に転がらなければ良いが)

 

 二人は路地を駆け抜ける。

 

 広場に飛び込んだ瞬間、空気が変わった。

 

 燃え盛る街。

 

 崩れている建物。

 

 そこにいた。巨大な影。

 

 ゴブリンキング。

 

 自分たちよりも二回りは大きい巨躯。錆びついた剣を片手に握り、汚れた王冠を頭に乗せている。その周囲には、残存するゴブリンたちが群れを成していた。

 

「……これはまた随分と大きいね」

 

 ソフィアが静かに言う。

 

「ええ」

 

 アイリスは剣を構えながら、その目に炎を宿す。

 

「やりごたえがありそうじゃない」

 

 ゴブリンキングの眼が、二人を捉えた。

 

 

 

 ほぼ同時刻、ルクスは広場にいる魔物の討伐をほぼ完了させていた。

 

「最後の一体……っ!」

 

 剣を振り下ろす。オークが霧と消え、広場に静寂が戻る。既に夕陽は沈み、辺りは暗闇に包まれつつあった。

 

 逃げ遅れた住民も、治療と避難が完了したようだ。広場で動いているのは自分と、クロエのみ。

 

「お疲れ様でした、ルクスさん。お怪我はありませんか?」

 

「あぁ、かすり傷程度だ。クロエも援護に治療、避難誘導。助かったよ」

 

「いえ、それが私の役割ですから」

 

 ルクスの体に残る小さな傷を次々と癒していく。翡翠色の光が夜の闇の中で柔らかく揺れた。

 

(一通り、終わったか。アイリスたちの方は――)

 

 ルクスは息を整え、別れた仲間たちに思いを馳せる。その時。

 

 ――ガチャリ、と自身のすぐ傍から鳴る金属音。

 

 役目を終えたばかりの『無銘の剣』が鞘の中で何かを訴えかけるかのように震える。

 

――視界が、揺れる。

 

 

 

 燃え盛る街。

 

 崩れている建物。

 

 巨大な影。

 

 それと対峙する、少女の背中。

 

 影は手に持った何かを大きく振りかぶり――

 

 

 

 ドォン、という重低音が夜を揺らし、ルクスの意識が現実に戻る。

 

 方角は、アイリスたちが向かった先。

 

 次いで、建物が軋む音。何かが崩れる音。空を裂く咆哮。

 

 体が、考えるより先に走り出していた。

 

「クロエ!行こう!」

 

「わかりました、ついていきます!」

 

 二人は暗い路地を駆ける。

 

(無事でいてくれ……!間に合ってくれ……!)

 

 幾度となく見たビジョン。その光景が頭から離れない。

 

 いやな想像を振り払うように、ルクスは必死で足を動かすのだった。

 

 

 

「これ……は……!」

 

 広場に飛び込んだルクスが見たのは、地獄だった。

 

 既に夜も深まっているはずの時間帯。しかし、広場は煌々とした灯りに包まれていた。

 

 燃え盛る街、崩れている建物。すべてが垣間見たビジョンと同じ。

 

 ソフィアが瓦礫の陰に倒れている。胸は上下しているが、意識がないのか立ち上がる様子はない。

 

 そしてアイリスが、ゴブリンキングと向かい合っていた。

 

 彼女の体は満身創痍だった。鎧には無数の傷。右肩からは血が滲み、剣を握る手が微かに震えている。それに対して、ゴブリンキングの体には目立った傷はなく、その暴威をあるがままに振り撒いている。それでも、アイリスの足は一歩も退いていない。ソフィアが倒れた場所と、ゴブリンキングの間に、騎士は立ち続けていた。

 

「クロエ、ソフィアを頼む!俺はあっちを……!」

 

「はい、どうかご武運を!」

 

 即座に役割分担。自分にできることを全力で行う。

 

「アイリス!」

 

「ルクス……! 来ないで、危険よ――」

 

「うるさい!そっちだって限界だろ!」

 

 ルクスは間に割って入り、剣を構えた。

 

「あぁもう!こいつ、とんでもなく固いわ!ソフィアの魔法もあたしの剣も碌に入らなかった!あんたはとにかく防御と回避に専念!隙ができるまでは攻撃しない事!」

 

 なし崩しに戦闘参加を認めるアイリス。彼女の言う事が真実なのは眼前に立つ無傷の巨体が証明している。

 

 ゴブリンキングがこちらを見る。その眼に、品定めするような光が宿る。

 

(でかい。そして、速い)

 

 次の瞬間、ゴブリンキングの巨大な腕が薙ぎ払われた。

 

「ガァァァ!」

 

「ぐっ!」

 

 辛うじて防御。すさまじい衝撃にたたらを踏む。

 

(なんて力だ!これがスタンピードの親玉……!何度も受けてたら保たないぞ!?)

 

「だから言ったでしょうに……!下がりなさい、ルクス!あたしが受ける!それがあたしの――騎士の役割なんだからっ!」

 

 さらに前に出るアイリス。しかしその体は限界で――

 

「くっ、きゃっ!?」

 

 幾度かの攻撃を受け流し、しかしついに正面から巨大な剣を受け止めてしまう。必然、すさまじい衝撃が発生し、少女の小さな体を吹き飛ばす。

 

「アイリス!」

 

 追撃を入れようとするゴブリンキングの前に割り込み剣を振るうルクス。しかし、アイリスですら防ぎきれないものを彼に捌けるはずもない。防御の隙間に再び巨大な拳が入り込み――

 

「やらせません!プロテクションッ!」

 

 突如現れた光の盾がそれを妨げる。見れば、最低限の治療を終えたのか、クロエがこちらに長杖を向けていた。

 

(助かった!この隙にアイリスを……)

 

「ガァ――」

 

 ――ピキリ。

 

「は?」

 

 嫌な音が響く。それはゴブリンキングの拳を受け止めていた光の盾にひびが入る音。これまであらゆるものを防いでいた盾が砕かれつつあることに一瞬ルクスの思考が止まる。――その停止は致命的だった。

 

「――ァアアアア!!」

 

 盾を砕き、いくらか勢いの削がれた拳がルクスに迫る。

 

 回避は間に合わない。咄嗟に剣を盾にしたが、衝撃は殺しきれない。なすすべなく吹き飛ばされ、倒れ伏すルクス。

 

 その視界を横切る赤い影。

 

「一旦逃げなさい、ルクス!ソフィアとクロエを連れて撤退!殿はあたしがするから!」

 

「何言ってるんだ!あんなの相手に一人で足止めできるわけないだろう!死ぬ気か!?」

 

「えぇそうよ!」

 

「……っ!?」

 

 即答するアイリスに面食らうルクス。

 

「仲間を守り、絶対に自分より先に死なせない。それが騎士よ!あたしが死んでも、あんたさえ生きていてくれれば、それはあたしの勝利なの!」

 

 それはこれまで幾度となく告げられていた、彼女の騎士としての誓い。

 

「体勢を立て直して、今度こそこいつを倒すの!そのために今は退きなさい!」

 

 勇敢に立つアイリス、その背中がいつか見たビジョンと重なる。

 

「ルクス。あんたは生きなさい」

 

 こちらに振り向き、そう告げる。

 

 穏やかな、しかしわずかに怯えの滲む微笑み。

 

(立て……っ)

 

 なんとか上半身を起こす。腕が痛い。腹に鈍い痛みが走る。

 

「ルクスさん!――きゃぁ!?」

 

 クロエが駆け寄ってくる気配。しかし、目障りだと言わんばかりにゴブリンキングの拳が向けられる。なんとか防御するも吹き飛ばされ、立ち上がる気配を見せない。

 

 気力を振り絞り、剣を杖代わりに立ち上がる。

 

 視線を上げた先、アイリスが一人でゴブリンキングの前に立っていた。

 

 その体はもう限界のはずだ。右腕の動きが明らかに鈍い。足元もわずかに揺れている。それでも彼女は剣を構え、大きく深呼吸をした。

 

 ゴブリンキングが巨大な剣を振り上げる。

 

「アイリス……!」

 

 その刃が、騎士の少女へと迫る。

 

 そして、勇者の少年は――

 

――◇――

 

――天座の書架にて、女神が物語の頁を捲る。その手元で赤く染まった栞が光を放つ。

 

『他者を守るための自己犠牲。運命づけられた結末……このまま終わってしまうのかしら?それとも……』

 

 放つ色は深紅――絶望と血の色か、それとも――

 

 

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