もしかしたらあったかも知れない世界をお楽しみください。
敬愛する祖父を失った虎之助は食事も取らずに一人で部屋に篭り続ける。
形見である刀を抱きしめ涙を流す彼の背中を見つめながら、大友には何も出来ない。声を掛けてやるべきなのか、手を差し伸べてやるべきなのか、それを判断するにはまだ大友は子供すぎた。
結局何をしてやればいいのか分からず、虎之助を見守ることしか出来なかった。
夜が明けて虎之助はようやく部屋から出てきた。連日の涙で目を真っ赤に腫らせながらも、虎蔵の遺影を抱えて葬儀に参列する。
すでに涙は出しつくしたかの、瞬きもせずにじっと見送る。その姿は毅然としながらも痛々しく、周囲の大人たちの同情を集めずにはいられない。
それは大成も例外ではない。虎蔵との面識こそ少ないが、剣を交えた彼もまた参列していた。
もっともそれとは別にもう一つ、虎之助を心配したと言うのも理由にある。
二人の剣術の師事にたいする経緯を、祖父への敬愛を知るからこそ放ってはいられなかった。
「しっかりとお別れを済ませたかい?」
泣き出しそうになるのを堪えていたのだろう、声を掛けられた瞬間に肩を震わせるがそれも一瞬だけ。振り返った虎之助は、口を硬く結んだまま頷く。
「今は辛いかもしれないけど頑張るんだよ。虎蔵さんが君に教えてくれたことはずっと君の中で行き続けるんだ。君が立派に育てば、きっと天国の虎蔵さんも喜んでくれる」
虎蔵が教えてくれたこと。厳しくも優しい祖父は多くのことを虎之助に教えてくれた。
それは礼節であったり常識であったり。本当に数え切れないほど多くあるが、その中でも一際輝きを放つのは、剣術。
虎蔵の生き様そのものとも言えるであろう剣術は、確かに虎之助の中に受け継がれている。
そのことに気がついた時、虎之助の中に一つの思いが浮かぶ。
「大成さん!」
「なんだい?」
「オレに剣術を教えてください!」
祖父との絆を忘れないため、その信念と生き様をしっかりと受け継ぐため。子供なりに考えて出した答え。
時は流れて2009年。北陸は黛流剣術道場。
朝の静寂の中を二人の少年少女が竹刀を構えて向かい合う。
一人は虎之助。少年らしさを残しつつも逞しく成長した姿は、剣士として立派な体つきになっている。
もう一人は由紀江。髪を長く伸ばし、大和撫子という言葉に相応しい清廉な成長を遂げている。
互いに構えたまま時が止まったように静けさだけが道場内を支配する。それを打ち破ったのは第三者の乱入。
「お姉ちゃん。トラお兄ちゃん。もう朝ごはんだよ」
道場の扉を開いて入ってきた少女、黛沙也佳。二つ下の由紀江の妹は、彼女と良く似ていて血の繋がりを感じさせる。
沙也佳の声を合図にするようにして虎之助たちが同時に竹刀を振るう。
「ぜいりゃあぁぁぁ!」
「せぇりゃぁぁぁ!」
素人の目には映らないほど早い両者の打ち込み。しかし、それでも由紀江のほうが一瞬だけ早く動く。ここ数年で埋まらなくなった、徐々に開いているその一瞬の差はそのまま虎之助の敗北を意味する。
「はい。お疲れ様」
小気味良い音を上げて面を打ち抜かれた虎之助へ、気安く声を掛けると一足先に朝食への向かう沙也佳。
朝の鍛錬も虎之助の敗北も彼が黛流へと弟子入りした7年前から続くこと。今更驚くようなことは何もない。
「お疲れ様です、虎之助さん」
「ありがとさん」
由紀江もそれは同じで、タオルで汗を拭いながら虎之助の分を差し出す。
身支度を整えた二人が居間へと入るとすでに大成と沙也佳、それに由紀江たちの母の三人が食卓を囲み待っていた。
「二人とも着たな。では、いただきます」
「「「「いただきます」」」」
しっかりと手を合わせてから食事が始まる。特別なことは何もしていないように見えるが、全員が当たり前のようにマナーを守っている。肘を突かない、箸で皿を動かさないなどの常識は当たり前、大人でも間違えてしまうような小さなマナーまでが完璧だ。
コレには来たばかりの虎之助は戸惑い注意されもしたが、今では彼もなれたもの。気を張ることもなくマナーを守る。こういった生活の端々の行動も全てが修行、それが師匠の家に住み込む内弟子というモノだ。
「そういえば虎之助くんに手紙が届いていたよ。大友花火さんからだ」
「あ、どうも。大友花火からかぁ」
テレビなどをつけたりはしないが、まったくの無言と言うことはない。
朝刊と共に郵便受けに入っていた便箋を差し出す大成。それを受け取る虎之助だが、少し眺めただけで中身も確かめずに食事に戻る。
「読まなくていいんですか? 何か大切な用事かもしれませんよ」
「いいんだよ。会社からってことは、花火の修行とかだから」
「虎之助くんも二年生だものね。そろそろお仕事を覚えないとね」
このご時勢にありがたいことに虎之助はすでに内定を貰っている。それも生まれた時から。と言うのも、彼の就職先は幼馴染の大友の実家にしてお隣さん、大友花火である。
祖父の代からお世話になっているため、彼が生まれると同時に就職は決まっているのだ。
今回の手紙も立花家や大友家ではなく、大友花火からと言うことは仕事がらみ。年齢的にもそろそろ仕事を覚えるための研修や現場の手伝いだろう。
「あれ? トラお兄ちゃんて帰っちゃうの?」
キョトンとしたように沙也佳が言う。虎之助が内弟子として黛家に来た時から決まっていたことだが、当時の彼女は小さ過ぎたため覚えていなかったのだろう。
「あら沙也佳は覚えてないの? 卒業したら帰っちゃうのよ」
「聞いてないよそんなの。いいじゃんこっちで就職しなよ。友だちだって一杯いるんだしさ」
「無茶言うなって。入る墓も向こうにあんだぞ」
元が人懐っこい沙也佳。この7年ですっかりと懐いてしまい、今では実の兄妹のように慕っている。
こうやって駄々をこねるのも見慣れた光景だが、いつか来る別れを思うと寂しさが湧いてくる。
「本当にあと二年しかないんだな」
「寂しくなりますね」
「あ、そうだ!」
しんみりとなりそうな空気を吹き飛ばす明るい声。その声の主である沙也佳がなにやら思いついたように頬を緩める。
「お姉ちゃんと結婚すればいいんだよ。そうすればうちの道場を継げばいいんだし」
「なななななななにを言うんですか!?」
もちろん冗談半分なのだろうが、由紀江が必要以上に顔を真っ赤に染めるものだから大成たちもからかってくる。
「それはいい。虎之助くんになら安心して由紀江と道場を任せられる」
「良かったはね由紀江。コレで虎之助くん帰らないわよ」
「わーい。トラお兄ちゃんが本当のお兄ちゃんになる」
畳み掛けられる言葉に目を白黒させながら虎之助に助けを求める由紀江。しかし、彼もこの状況を楽しんでいるのか意地の悪い表情をする。
「確かに由紀江ちゃんの飯がずっと食えるのは魅力的だな」
「あら、お料理の勉強頑張ってよかったわね」
味方がいないことを理解した由紀江は対応を攻撃へと切り替える。その標的は気が強いとは言えない彼女が強きに出れる相手。妹の沙也佳だ。
「そ、それなら沙也佳はどうなんです? あなたが結婚しても虎之助さんは残ってくれますよ」
「えー嫌だ。だってトラお兄ちゃんバカなんだもん」
間髪入れない拒否に悪意はない。兄妹として慕っても、男女としては考えられないと言うのがすでに刷り込まれているのだろう。
「コラ沙也佳。誰がバカだ誰が」
「バカじゃなかったら不器用? 人生を無駄に損してるとしか思えな痛たたたたた!」
「兄ちゃんの悪口言うのはこの口かぁぁぁ?」
軽口を叩く沙也佳の頬っぺたをつねる虎之助。笑いの対象が由紀江から沙也佳に移るも、一家の団欒は変わらない。
この7年で築き上げられた黛家の安息は虎之助が九州へと帰るまで続くかのように思えた。
しかし、安息の終わりは意外と近くにまで迫っていた……。
沙也佳とのじゃれ合いで気がついていないが、虎之助の携帯電話に一通の着信メール。
Frm『大友 焔』
タイトル『週末にそちらに遊びに行く』
この番外編は続きません。
次回からは天神館へと入学して一年生編をお送りいたします。
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