今にも掴みかからんと両手を広げる長宗我部と、いつでも来いと拳を構える群田。
仲間たちが固唾を呑んで見守るなか、すでに睨み合いは十数分に達していた。それでもなお二人とも動こうとしない。
「おいおいどうした? ヤル気がないなら帰らせてくれよ」
「そんなつれないことを言うな。なんならお前から打って来てもいいんだぞ」
互いに軽い調子で言いながらも構えは崩さずに隙を伺う。
何度となく繰り返されたやり取りだが、一向に戦況は動かない。二人とも分かっているのだ、下手に手を出せば自分がやられると。
組み敷こうとタックルのタイミングを狙う長宗我部だが、行こうとする度に脳裏には拳で打ち落とされる自分の姿が浮かぶ。そして群田もまた、拳を出そうとすると、ソレを掻い潜り組み付いてくる長宗我部がはっきりとイメージできた。
ゆえにどちらも手が出せないまま睨み合いが続く。しかし、いつまでもこのままでいるわけには行かない。
先に動いたのはやはり長宗我部。仏智霧学院を攻め込むという立場はもちろん、彼自身の気性もあるだろう。鍛え上げた肉体と、四国を盛り立てきた勢い、それらに駆られるまま太い腕を伸ばす。
「ぬおおおりゃあああぁぁぁ!」
もちろん群田も大人しく掴ませはしない。素早いジャブを雨のように浴びせるが、それでも長宗我部の勢いは弱くならない。
そしてついに止まることなく郡田の体へと届く。
「貰ったぞ」
「こっちがな」
一気に勝負をつけようと体を寄せた長宗我部の視界が縦に揺さぶられる。
顎に感じるのは拳の感触。激しい突進にアッパーカットを合わせられたのだ。
仰け反りながらも踏みとどまった長宗我部だが、それは判断を誤ったかもしれない。この好機を逃すまいと、怒涛の追撃が始まる。
「うら! うら! うらあぁぁぁ!」
フック、ストレート、ボディ。あらゆる拳打が息もつかせぬ速さで長宗我部を打ち据える。その連撃にはさすがの巨体も徐々に揺らぎ始める。
そして、反撃の糸口が掴めぬまま引いてしまう。そこは群田の距離。
十分に開いた間合いから群田が前へと体重を掛ける。十分に力の篭った右拳が長宗我部の厚い胸板を打ち据える。
「ぬぐっ!?」
その時、拳が唸りを上げた。
命中した瞬間に回転を加えられた攻撃、コークスクリュー・ブロー。群田のフィニッシュブローの衝撃は長宗我部の体をつき抜け、巨体を浮かせる。
吹き飛ばされるままに床を転げていく長宗我部。大量の筋肉をまとったその体にはまだ戦う力を感じさせるが、それでも立ち上がろうとしない。
実力は拮抗しつつも一方的に終わった今の攻防。それは諦めさせるには十分だろう。
実際に群田は勝利を、天神館の生徒たちは敗北を確信していた。床で倒れる長宗我部本人を除いて。
「フ、フフフ。フゥワーハッハッハ!」
「どうした? 壊れたか?」
突然の笑い声に皆がいぶかしむが、それを気にもせずに長宗我部が悠然と立ち上がる。
全身を拳打のダメージで赤く腫らせながら歩き出すと、目の前の群田を無視して仲間に預けていた荷物を受け取る。
「群田よ謝ろう、貴様を舐めていた。俺も本気にならねば勝てぬようだ」
「ガキのいい訳かよ。何するか知らないが、そんなすぐに強くなる魔法なんざ――」
「ある」
群田の声を遮りながら受け取った荷物、壷の蓋を開け放つ。ソレを高く掲げながら長宗我部ははっきりと言い放つ。
「強くなる魔法……それは存在する」
壷をゆっくりと傾けながら力強く断言する。武人として有るまじきその言葉の正体が降り注ぐ。
「それが、オイルレスリングだ!」
全身にくまなく油を浴び、ぬらぬらと輝きを放つその姿に一同言葉を失う。
いい笑顔でポーズを決めたりもするが、それがより一層コミカルな空気を醸し出す。
「ふざけてんだろ」
「そう思うのなら打って見ろ」
挑発するように腕を開き胸筋を動かせる。戦闘にあまり乗り気でなかった群田だが、それにはさすがに我慢の限界だ。
茶番を終わらせようと距離を詰めるが、そこで気がつく。足元には長宗我部が被った油の残りが広がっていることを。
「ちっ。くだらねぇ、コレが狙いかよ」
油に足をとられまともに踏ん張ることが出来ず、軽い拳しか繰り出せない。それは長宗我部の肉体に届くことなく、表面の油で滑っていくばかり。
「オイルレスリングを――」
苛立ちながらも腰の入っていない打撃を繰り返す群田に対して、長宗我部はしっかりと踏み込み力を込める。
「舐めるなッ!!」
まるで油などないかのように力の篭った豪腕を唸らせる。それはラリアットのごとく首を刈り取ろうとするが、間一髪で群田の両腕が差し込まれる。それでも踏ん張りの利かない床は、そのまま群田の体を真後ろへと滑らせていく。
壁に激突したところでようやく止まる。息をつこうと視線を上げる群田の目に信じられないモノが映る。
「コレが本物のオイルレスラーというモノだ!」
「テメ、冗談も大概にしやが――」
油を物ともせずに駆けて来た長宗我部は腕を素早く群田の脇に差し込むと、ガッチリと掴む。
先ほどの踏み込みもそうだが、とても油にまみれているとは思えない走りとホールド力。そう、ヌラヌラと光る姿は悪ふざけにしか思えない。事実たいはんの人間はその見た目と滑る油にだけ意識を奪われるだろう。しかし実際には、そのような悪条件で組み合いを制するための足腰、腕力こそがオイルレスリングの真の恐ろしさなのだ。
それは、挫折し落ちぶれたとは言え実力派のボクサーであろうとも、彼らオイルレスラーの土俵で戦えるほど生易しいものではない。
「コレで、終わりだああぁぁぁ!」
捕らえた群田を抱え上げ、勢いに任せて床に叩きつける。
ボクシングでは想定もしていない叩きつけられるという攻撃。それに受身をとれるはずもなく、群田の意識は闇に落ちていく。
その僅かな時間にかすかに聞こえる長宗我部の声。
「なかなかに熱い戦いだった。次にヤル時には、鍛錬をサボらぬことだな」
最後まで自分を落ちぶれた不良ではなく、一ボクサーとして扱う長宗我部に苦笑いを浮かべながら群田は意識を失った。
天神館の生徒たちが次々と拠点を制圧していることは、聞こえる怒声やネットに流出された画像からすでに多くの仏智霧学院の生徒たちに知られていた。
そして、我が身を危険に晒してまで学校を守ろうという意思も忠誠心も持たないものは少なくない。ココにも一人、保身に入った学生がいっる。
「クソが。仏田について行きゃ美味しい思いできるとおもったのによ。何でトチ狂って天神館になんか手出ししたんだよ本当に」
敵である天神館は元より、裏切った仏智霧学院の生徒にも警戒しながら物陰から物陰へと移動する。その間も口からは不平不満が尽きることなく流れ出るが、彼は仏田が直接声を掛けるほどの人材ではない。
強者へと勝手に近づいてきただけの流された者。仏田の傘下に入ったのも、天神館を襲ったのも彼が浅知恵を働かせたに過ぎない。
だというのに責任の全てを仏田に被せ、自分は被害者のような顔を平気でしている。そんな人間を信用する者がいるはずもなく、いるとすれば利用する者だけ。
「ねぇ、そこのお兄さぁん」
「だ、誰だ!?」
突然の声に慌てて振り返ると、そこには制服を着崩して色香を撒き散らす天神館の女生徒。普段ならば良からぬことを考えるところだが、今の状況ではそれよりも警戒が勝る。
懐に隠し持っていたナイフを突きつけると、一挙一動見逃すまいと目を見開いて威嚇する。
「動くな! 一歩でも動いたら刺すぞ!」
何もする前から精神的に追い込まれている男子生徒。女生徒はそれを癒すように、蕩けさせるように、甘ったるい声色で語りかける。
「そんな怖いこと言わないで。もう私たちの勝ちは見えているでしょ?」
言われるまでもない。それを見越して逃げ出そうとしているのだ。
「だから寝返らない?」
「なん、だと?」
「そんなところ裏切って、私たちと手を組みましょうって言ってるの」
自分が引き抜きに掛かるとは夢にも思っていなかったのだろう。言葉が理解しきれない一瞬で間合いを詰められる。そのまま女生徒は体を密着させながら耳元で囁く。
「私たちも余計な被害は出したくないの。だから一人でも多く味方に引き入れたいのよ。それに、お兄さんって結構私の好みだし」
思わず深い意味があると錯覚してしまうような妖艶な笑み。鼻腔をくすぐる甘い匂いと合わさったそれは、男子生徒から警戒心という言葉をなくす。
「ああ。ああ、いいぜ。俺もあいつ等にゃ愛想が尽きてたんだ」
「話が分かってくれて嬉しいわ。それじゃあ……ちょっとついて来て」
妖しく微笑んだまま近くの空き教室へと誘う。それを何の疑いも持たずについていく男子生徒。その姿が完全に教室に隠れた時だった。
「うぎゃああぁぁぁぁ! なんじゃこりゃ!?」
女生徒の首が突如百八十度回転したかと思うと、制服を突き破るようにして現れた奇妙な物によって完全に拘束されてしまった。
「このような見え透いた罠に掛かるとは。やはり非童貞は隙が多い」
「だ、誰かいるのか!? 頼む助けてくれ!?」
闇からにじみ出るように現れた鉢屋に、その正体も確かめずに助けを求める。冷静に考えれば今の状況と台詞から大よその真相は察せそうなものだが、完全にパニックを起こしているためそれも望めない。
「安心しろ。拙者が起爆しない限りは安全だ」
起爆という不穏な言葉にさすがの男子生徒も顔を引きつらせる。すでに何度も聞いた砲撃音から、決してそれが冗談ではないと言うことが分かるからだ。
「こちらの質問に素直に答えるならば解放しよう。だが、もしも断ると言うのなら――」
「話す話す話す! 俺が分かることなら何でも話すから助けてくれ!」
最後まで言い切る前から全力で自白を始める男子生徒。こそこそと逃げる様子から、簡単に口を割ると目をつけた鉢屋ですら呆れるほどの腰抜けだ。
仏智霧学院のボスと主戦力の名前、その居場所、弱点、武器。校内に仕掛けられた罠や特殊兵器の有無。有用そうなことを片っ端から尋ねるが、結局分かったのは仏田の名前と居場所だけ。それほどまでの下っ端なのだ。
「フム。いささか不満ではあるが、最低限の情報は確保できたか」
「な、なら早くコレ解いてくれよ」
「そうだな。では、しばし眠っていろ」
トンっと首筋に手刀を入れて意識を刈り取る。この程度ならば本当に解放しても問題はないかも知れないが、そのせいで仏田に潜伏場所を変えられる可能性もなくはない。
「さて、もう一人くらいは情報を集め、何ヤツ!」
新たな情報源を探そうと意識を教室の外に向けた瞬間だった。何者か、恐らくは鉢屋と同じ隠密の者の気配を感じ、くないを投げる。
しかし反応はなく、近づいてみればくないで切り取ったのだろう制服の切れ端があるのみ。
「正規の忍びではないと思うが、あれほどまでの隠密がいたか……。コレは早く情報を持って言ったほうがよさそうだな」
警戒を新たに鉢屋が駆け出す。目指すは本陣、石田の下。
鉢屋が駆け出すのと同時に大黒も走り始めた。
彼女こそが仏智霧学院の隠密の正体だ。もっとも、彼女は忍びとして鍛錬を積んでいたのではなく、その性格から自然と自分を押し殺すクセがついて気配を薄くしているだけだが。それでも忍者である鉢屋の警戒網を突破するほどなのだから、誇っていいのかもしれない。
そんな彼女が向かうのは先ほど鉢屋が聞き出したばかりの仏田の下。
鉢屋がそうであるように、大黒もまた情報収集のために駆り出されていた。
「ただいま戻りました」
「ご苦労。戦況はどうだった」
気配を殺したまま突如話始めた大黒に、さして驚きもせずに言葉を返す仏田。天神館との戦いが始まって以来この場所に篭りきりの彼が自由に出入りさせていることと、今のやり取りから相当の信頼関係が伺える。
「各拠点が次々と撃破され、天神館の進撃が止まりません。また、逃亡者からこの場所の情報も漏れた模様です」
仏智霧学院にとって何一つ良い事のない戦況を、淡々と報告する大黒。本来ならば彼女も仏田も慌てふためくのが道理であろうに、二人にはそういった気配は微塵もない。
それどころか、仏田に至っては愉悦の表情さえ浮かべている。
「そうかそうか。それはまったく」
「仏田さんの作戦通りに動いています」
室内には笑う仏田と無表情に付き従う大黒だけ。
その笑いがただの強がりなのか、全てを手の平の上で弄ぶ楽しさなのかは当人にしか分からない。