大成へと連絡を入れながら、一度自宅へ戻った虎蔵は竹刀袋を手にすると、すぐさま家を出てくる。
その中にあるのは彼が剣聖の名と共に与えられた軍刀。
手入れですら家族の目を避けていた虎蔵が、刀を屋外に持ち出したのだ。
殴られた時から尋常でないと感じていた虎之助だが、いよいよ持ってただ事ではない。
「爺ちゃんどこいくんだよ?」
「いきゃ分かる」
不安から何度も行き先を尋ねるが、答えはこればかり。
その間もどこかへ電話しているのだが、虎之助には聞き取れない。結局最後まで教えて貰えず、警察署の前にまでつれて来られる。
まさか喧嘩で相手に怪我をさせたことで警察に突き出されるのかとギョッとする虎之助だが、虎蔵は受付で一言二言交わすと深々と頭を下げられながら警察署の奥へと通される。
暫く進むと突き当たりの大きな扉が見えてくる。その前にはココの署長であろう中年の男が待っていて虎蔵を見るなりペコペコと頭を下げてくる。
「コレは立花さん。ようこそいらっしゃいました」
「頭を上げてください署長さん。無理を言ってスミマセンな」
「いえいえ。こちらも剣術顧問として名前をお借りしていますから」
挨拶もそこそこに扉を開く。そこは広い空間で、床は板張り。体育館かとも思えるが、壁に掛けられた賞状などを見るに、武術道場と言ったところか。
そして、その道場の中央には黛大成が正座の姿勢で待っていた。
ただ座っているだけだというのに、真っ直ぐに伸びた背筋が、閉じられた瞼が、静かながら圧倒的な存在感を醸し出している。
彼の傍らには虎蔵が持っているのと同じような竹刀袋。おそらくはあちらも真剣が入っているはず。
「それでは私はこれで」
きっちり九十度頭を下げて、逃げるように道場を後にする署長。
残された三人の中で、唯一事情の分からない虎之助が狼狽していると虎蔵が口を開く。
「急な申し出、受けてくださってありがとうございます」
そこでようやく瞼を開いた大成は、射抜くような眼差しを向ける。それは剣士としての鋭さだが、一抹の戸惑いが混ざっている。
「いえ、こちらこそよろしくお願い致します。それよりも、手合わせではなく仕合とのことですが」
手合わせと仕合の二つは似ているようで、まったく違う。
互いの技量を競い合う試しあいが手合わせ。一方、仕合は死合いに通じる。つまりは、命を掛けた武のぶつかり合い。
その結果、どちらかが命を落とすこともあるだろう。
それを承知で、虎蔵は大成に手合わせではなく仕合を申し込んだ。
「もちろん。はら、この通り準備はしてきましたよ」
竹刀袋の口を開き、中から刀を取り出す虎蔵。そこに含まれる意味合いを理解し切っていない虎之助は、刀を握る祖父の姿にただ目を輝かせる。
その純粋な姿に、大成の迷いは大きくなる。
「虎之助くんが立ち会うのですか?」
「ええ、コイツに剣術ってもんを教えてやらなきゃいけなくてね」
「なるほど、そういうことですか」
虎蔵の剣術とは殺人術であるという信念。由紀江との手合わせ以外で増えた虎之助の傷。そして彼に教えなければいけないと言う“剣術”。
それだけで、虎蔵の言いたいことを察した大成は刀を手に、ゆっくりと立ち上がる。
「では不肖黛大成。お相手仕ります」
鞘に収めたままの刀を腰に挿し、抜刀の構え。大成が得意とする抜き打ちのために、柄を握る右手からは、いつ刃が飛び出すか分からない威圧感を放っている。
それに対して虎蔵は、鞘から抜いた刀を体の右側に立てる八双の構え。
これは、突きにおいて他の構えよりも向いておらず、単純な攻防では実用性の低い構えだ。それでも、体力を消耗せずに長時間構え続けることに特化しており、ある意味では実戦的と言えるかもしれない。
多対一や、多対多でその真価を発揮するこの構えを、虎蔵が取った理由はただ一つ。
「ッエェェェイヤァァァ!!」
走り回る、飛び跳ねることに適した八双の構え。
虎蔵は迷わずに大成へと向かって駆け出す。抜き打ちで待ち構える彼に真正面から突っ込むのは愚行としか言えない。
だというのに虎蔵には臆した様子はなく、秘策があると思わせる迫力がある。
「タアァァァ!」
間合いに入った瞬間に、刀を抜き放つ大成。しかし、その一瞬だけ前に虎蔵は地面を蹴っていた。
左側から迫る刃を、上に逃れる虎蔵。そのつま先を大成の刀が掠めていく。
ココまで来て跳躍は回避から攻撃に変わる。通常よりも高い位置から振り下ろされる袈裟切りは、凄まじい勢いで大成に襲い掛かる。
「ッ!」
間一髪、反身になって避ける大成。だが、虎蔵は反す刀で今度は逆袈裟に切りかかる。
焦らずに後退した大成は、改めて虎蔵の姿を確認する。
自分よりも三十以上も年上の老体。鍛えこんだ訳でもない矮躯には力強さは微塵も感じない。
だというのに、今まで感じたことのない迫力がそこには合った。
これが、技の継承ではない、精神修行ではない。殺人のために剣を身に着けた人間。
気を引き締め正眼の構えを取る大成だが、それに対して虎蔵は溜め息をつく。
「やはり、この程度じゃヤル気になっちゃくれませんか」
意味が分からない言い方だ。大成は本気(ヤルキ)になって構えを取り直した。
だというのに、虎蔵は仕方ないと言った態度で深く息を吐く。
吐いたのと同じだけ息を吸い、大成の目を見据えた瞬間、道場内の空気が変わった。凍りついたと言えばいいのか、鋭くなったと言えばいいのか。
今の今まで二人の気迫に満ちていた道場は、虎蔵の放つ殺気で塗りつぶされた。
それは、壁際で大人しく仕合を見守っていた虎之助が腰を抜かすほど。
対峙する大成は、辛うじて引かずにいたが、もう五年ほど早く向き合っていたなら逃げ出していたかも知れない。
これが虎蔵の言う|殺す気(ヤルキ)。
「よく見ておけ虎之助。コレがお前のやったことだ。コレがお前の習いたがってた剣術だ」
虎之助が頷くのも待たずに、虎蔵が仕掛けた。
場を支配する殺気のままに、刀を振り下ろす虎蔵。
大成には、それを捌く技術ならばいくらでも合った。防ぐことも、逸らすことも、流すことも、どうとでも出来た。
だが、満ちる殺気がそれを許さなかった。
「な、あ……」
呆然とする大成は、ただただ噴出す鮮血を見つめるしか出来ない。
見守っていた虎之助も、訳もわからず体を固まらせる。
そんな二人を同時に動かしたのは、頬に掛かった血のぬめりと、虎蔵が倒れる音。
「爺ちゃん!」
「虎蔵さん!」
傷口を広げないように、駆け寄る虎之助を宥めながら、自分の上着で傷口を押さえる大成。
あの瞬間、虎蔵から発せられる殺気に思わず殺すつもりで刃を動かしてしまった。それを防ぐでもなく、先に切りかかるでもなく、虎蔵は自ら切られた。
つまりはコレが彼なりの孫へ教える剣術。
大成がとっさに動きを止めはしたが、真剣で切られた傷は決して小さくはない。
だというのに、虎蔵は虎之助へと優しい祖父の目を向け語りかける。
「分かったか、虎之助。コレが……こんなもんが剣術だ。こんなもん、覚えたところで、何にもならないだろ。こんな、野垂れ死ぬ、くらいしか……」
虎蔵が見たもの、感じた剣術の最後。確かに彼の言うことも剣術の切り離せない側面。
それでも、ソレだけが剣術ではないはずだ。少なくとも、虎之助には別の物も見えた。
「だけど……。だけどオレは、爺ちゃんみたいに」
血を流す祖父の姿に、顔をぐしゃぐしゃにしながら虎之助は言葉に出来ない感情を訴える。
虎蔵の姿から感じた尊さ。剣術を人殺しと言い捨ててしまうのは、逆を言えばそれだけ命の価値に向き合っているということ。
そんな真摯な生き様を、表現できないながら感じ取った虎之助は、やはり言葉に出来ない嗚咽で訴える。
「オレ、ひっぐ。爺ちゃんみたいに……えぐ」
そんな虎之助のひた向きな感情を感じ取ったのだろう。
虎蔵は、怪我も忘れたような晴れやかな顔で笑う。
「たく。本当にしょうがないガキだ。分かったよ」
「え?」
「お前に剣術教えてやるよ。もっとも、ワシもうろ覚えだがな」
「爺ちゃん。うわぁぁーーーん」
「わ! このバカ抱きつくな! 傷が広がるだろうが!」
その後は、虎蔵があらかじめ署長に頼んでいた医師がすぐに駆けつけ治療を始めた。
幸いなことに、大成の腕前が良かったお陰で傷口は浅く、命に関わる事態は避けられた。
それでも傷口が開かないように激しい運動は禁止されたが、翌日からは口頭による虎之助の剣術修行が始まった。
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