立花家の庭先では新しい日常が始まっていた。
今までは虎之助が一人で木刀を振るっていたのだが、虎蔵がソレを指導し構えを整えている。
「野球のバット構えるみたいにしてみろ。もう少し脇締めて、そうだ」
取らされているのは、一般的な正眼ではなく虎蔵も使っていた八双の構え。
現代剣道では昇段試験などでしか使わないような構えのため、虎之助には若干の戸惑いが見れる。
「どうしてこの構えなんだ? 普通に構えた方がなんだかやりやすそうだけど」
「コレはな、刀を持っていることにだけは向いてる構えなんだよ。だから構え自体にはあまり体力を使わない。その分走り回ったりとかできるんだ」
「でも、戦うならそんなに走り回らなくていいんじゃねえの? 相手に向かっていくんだろ?」
漫画やアニメのバトルをイメージしたのだろう。虎之助が疑問の声を上げるが、虎蔵はソレを鼻で笑う。
「ハッ。いいか虎之助。実際に誰かと戦うようなことが合ったら、真正面から向かっていくだけじゃどうにもならんことがよくある。そん時は走り回って自分に有利な場所まで逃げたり、罠に誘い込んだりするんだよ」
「えー逃げんのかよ。カッコわりー」
子供らしい思考で不満そうに言うが、即座に拳骨が振ってくる。
しかも、それでは終わらずに上からグリグリと捻りが加えられる。
「生意気言ってんじゃねぇぞ。逃げたって何したって勝ちは勝ちだ」
「何したって、それじゃ鉄砲とか使ってもいいのかよ」
「どっちも死ななけりゃ、それもいいな」
子供の屁理屈を、笑って肯定する虎蔵。
彼が今教えているのは、正確に言えば剣術ではない。剣を使って、極力相手を殺さない方法だ。
虎之助に教えるべきものは殺人術ではなく、剣を通してみた命なのだと彼は思っている。
だからこそ、稽古は剣技ではなくこう言った横道が多くなる。
「どうせ、今の世の中命がけの戦いなんて滅多にないんだ。手合わせで勝つだけならどんな手でも使えばいい」
「普通逆じゃねぇの?」
命が掛かっているからこそ、どんな汚い手段も肯定する。技量を競うだけだからこそ、純粋に剣技を磨く。
虎之助にはそう思えるのだが、虎蔵は違うらしく静かに首を横に振る。
「そいつぁ違うな。そんなもんは本当に命がけで戦ったことのないヤツか、殺しを仕事にしてるヤツの考えだ」
「じゃあ、どうなんだよ」
「命が掛かってるからこそ、死んで悔いの残らねぇように戦うのさ。剣術を真面目にやるってのはそういうことだ」
そう言う虎蔵の瞳を見ていると、思い出すのは先日の大成との一戦。
あの戦いで、彼は虎之助に剣術の本質を教えて死ぬつもりだった。運よく助かったが、虎蔵はそういった意気込みで挑んでいた。
ソレを思い出した虎之助は知らずにつばを飲み込む。意外と大きな音を立てたそれを聞いて、虎蔵は表情を和らげる。
「ま、そういうことだからお前もいざとなりゃ逃げ隠れしろ。なんらな土下座ってのもいい手だぞ」
「土下座はねぇだろ!」
「いやな。これが意外といいもんなんだぞ? どうせあんなもんポーズだけだ。心ん中で何考えてても、相手は知りようがない」
いまいち納得できていない虎之助だが、それも祖父から見れば孫の青さ。
これから分かるようになると、頭をなでながら笑うだけ。
「お前もそのうち平気で土下座できるようになる。っててて」
「どうした!? まさか傷が開いたんじゃ」
「いや、そうじゃない。どうにも最近背中が痛くてな」
「大丈夫か? なんだか最近痩せてきたし」
祖父の不調を心配する虎之助だが、そこで不安にさせたままでいるほど虎蔵は老け込んだつもりはない。
空元気で笑顔を作ると、おどけた風に言う。
「お前まで次郎のアホと同じようなこと言うんじゃねぇよ」
「心配してやってんだろうが!」
すでに剣術の話からは完全にそれてギャースカ騒いでいると、玄関から虎之助を呼ぶ声が聞こえる。
あまり稽古をしていた覚えはないが、もう大友が向かえに来る時間になっていたようだ。
「たく、心配しがいのない爺さんだ。遊んでくる!」
「おう、気をつけていけよ」
虎之助を見送り、そのまま自室に戻った虎蔵。
しかし、背中の痛みは一向に引かずに、ついには床に倒れてしまう。
祖父の容態を知るはずもない虎之助は、いつもの空き地へと向かっていた。
しかし、どうにも最近大友の様子がおかしい。今までならば肩を並べて歩いていたのに、現在は半歩遅れてついて来る形だ。
話しかけても生返事が多く、さすがの虎之助でも不信感を感じる。
「おい焔」
「な、なんだ」
「ゲェっ」
そのことを尋ねようと思うのだが、タイミング悪く以前空き地を巡って争った上級生の一団とすれ違う。
向こうから睨みを利かせて来るが、虎之助によって流血させられた記憶は鮮明なのだろう。睨み返しただけで、視線を逸らし足早に去っていく。
結局大友と話が出来ないまま空き地についてしまう。
こうなれば話は後でいいかと思う虎之助だが、サッカーの最中でも彼女の調子は戻らない。
「トラにボール回ったぞパスに気をつけろ!」
「その程度で防がれるか! いくぞ焔!」
ブロックの隙間を縫った巧みなパス。いつもならば、そこには阿吽の呼吸で大友が待ち構えてる。はずなのだが、今日は何故か有馬がいた。
「あれ? えええ!? ほむちゃんこっちだよ!?」
「なに? うわあああ、明奈すぐにこっちに」
「えーーい!」
パスを貰う位置を間違えた大友が慌てて有馬にパスを要求する。
しかしそこは有馬である。いきなりパスを回せと言われて、とっさに狙った場所へ蹴れるはずがない。
ボールは明後日のほうへと飛んでいき、茂みの中へと姿を消す。
「何やってんだよ有馬ー」
「いや、今のは大友が悪いだろ。有馬にあんな長距離パスさせるなんて」
「それもそうだな。何やってんだよ大友」
友人たちは散々に大友を責めるのだが、虎之助は一人で彼女を心配する。
ここ最近でおかしくなった様子に、パスまで通らない。もしや何処か悪いのではないかとまで不安になってくる。
「なあ焔。ここんところおかしいぞ? 夏風邪でも引いたか?」
熱を測るために額へと手を当てる虎之助。しかし、風邪などではない大友はその手を慌てて避けると茂みへと駆け出す。
「大友ならこの通り元気だから心配するな! どれ、ちょっとボールを捜してこよう」
確かに元気なようだが、心配するなというには無理がある。
虎之助どころか、他の友人たちもどうしたのかと首をかしげている。
そんな中、同じ女の子として他のみんなよりは深く踏み込んで話が出来ると思った有馬が大友の後を追う。
「待ってほむちゃん。私も一緒にさがすよ」
背の高い草のお陰で、茂みに入って身をかがめれば外からは完全に見えなくなる。
それを確認した有馬はボールも捜さずに小声で語りかける。
「ねぇほむちゃん。本当にどうしたの? トラちゃんと喧嘩でもしたの?」
「明奈まで何を言うのだ。そんなこと全然ないぞ」
本人はそう言うが、虎之助の名前が出たとたんに目に見えて落ち着きがなくなる。
そこで有馬にも一つ思い当たるものがあった。
先日の上級生たちとの喧嘩だ。彼女自身は虎之助に助けを求めるために全力疾走で体力を使い果たし、最後は見ていないが彼のお陰で勝ったというのは後から聞いていた。
それを目の当たりにして、大友の中で何か意識の変化があったのだろう。
「トラちゃんのことが怖くなった?」
聞いた話では、木刀を振り回して相手に怪我をさせたらしい。そんな暴力を目の前で見れば、いかに幼馴染でも恐ろしくなるだろう。
けれども、大友は力強く否定する。
「そんなはずある訳なかろうが! トラは大友たちを守るために頑張ったのだぞ!」
「じゃあ、なんであんな風に避けるの?」
「ム、それはだな」
口ごもってしまう大友。その顔に浮かぶのは、普段は見れない少女の側面。
ココまで来てようやく彼女が何に戸惑っているのか理解する。
「トラちゃんのこと男の子だって気がついちゃったんだ」
ずばり言い当てられ口をパクパクとさせるが、もはや誤魔化しきれないと観念して小さく頷く。
「そうなのだ。今までは当たり前にしていたことなのに、トラが男だと思うとこう、むず痒くてしかたない」
「そうだよね。今までは家族だったのに、いきなりだもんね」
「だろう。だというのに肝心のトラはいつも通り。大友一人でバカみたいではないか」
ふて腐れたように言う大友を可愛いと思いながら有馬が同意する。
「トラちゃんは女の子にも優しいもんね」
虎之助を褒める言葉なのだが、それに大友は引っかかってしまう。
前ならば家族を褒められたと嬉しく思っていたのに、今はどうに気に入らない。
「確かにあいつは誰にでも優しいが、そんなにか?」
「うん。私がこうやって一緒に遊べるのもトラちゃんが声を掛けてくれたからだもん」
何故だか笑顔で虎之助のことを語る有馬に嫉妬を覚える大友。
彼女自身、有馬を嫌ってなどいないのに、よくない感情が一瞬だけ顔を出した。
「そうだったな。今思えば、大友はそんなことにも気がついていなかったのか」
「しょうがないよ。ずっと近くにいたんだから、気がつけないこともあるよ」
「ならば、明奈から見たトラはどういうなんだ?」
少しだけ期待を込めた質問。できることなら、彼女には虎之助を男として見て欲しくない。
そんな気持ちで尋ねたのだが、有馬は遠慮がちながらしっかりと答える。
「とっても優しくて、頼りになる男の子だよ」
その瞬間に、大友は目の前が暗くなる錯覚に囚われた。
自分が一番理解していると思っていた。けれども、そんな物は勘違いで、この友人のほうが当たり前のように違う側面を知っていた。
とたんに訪れる不安。虎之助を有馬に取られてしまうのではないかという思い。
「そ、それはつまり。トラのことをす、す、す」
「好きだよ」
どん底に突き落とすような一言。
しかし、固まる大友を気にせずに有馬は笑顔で続ける。
「でも、私の好きはきっとほむちゃんとは違うよ」
「大友とは違う? どういうことだ?」
「私はトラちゃんのことは好きだけど、同じくらいにほむちゃんも好きなの。トラちゃんの横にはほむちゃんが居て、私は二人のちょっと後ろに居られればそれでいいの」
それは、恋愛感情ではなく友愛、憧れと言ったものだろう。
有馬の言いたいこと理解した大友は安堵の声を零す。
「なるほど。そういうことであったか」
「だから二人には仲良くしてて欲しいんだ。でないとみんなが心配しちゃうよ」
「うむ、そうだな。努力しよう」
有馬に話すことで幾分かは気持ちの整理がついたのだろう。
ボールを見つけて戻った時には、はじめよりもずっと明るい表情を大友は浮かべている。
「もう大丈夫か?」
いち早く変化に気がついて声を掛ける虎之助。
その顔を見て、先ほどの会話を思い出し一瞬だけ顔を赤くするが、すぐに気持ちを切り替える。
「心配を掛けたな。大友はもう大丈夫だ!」
「そうか。よし! それじゃいくぞ!」
「うむ! 大友に遅れるなよ!」
元気にサッカーを再開する虎之助たち。
その時、空き地のすぐ横を救急車がサイレンを鳴らして走っていった。
それが立花家を目指していることを、虎之助たちは知らない。
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