彼方の光芒   作:総流し

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決起

 真っ直ぐに見上げる黄祖の眼を、劉琦は見つめ返していた。

 父が倒れた。家と荊州、両方にとっての一大事である。それなのに、想像していたよりも心は揺れていないのだ。黄祖は、まだ自分から眼を離そうとはしていない。膝をつき、じっと姿勢を固める。なにか、言葉を待っていることは明白だった。

 

白史(はくし)

 

 改めて、美しい響きのある名だと劉琦は思う。

 真名で呼ばれて、黄祖が一瞬だけ身をふるわせる。それも、報告の前にあったふるえとは別のものだった。

 

「先程の様子、父はもう長くはないのだな。おまえのことだ。わからないと申せど、それなりに見当はついているのだろう」

「御意。しかも、これは蔡瑁どもにとってはまたとない好機ともなりましょう。体よく劉表様の御身を囲い、とどめを刺してしまうつもりなのやもしれませぬ。欲にまみれた(けだもの)たちが、実権を握るのです。そうなれば、緋桜様も」

「とどめ、か。その口ぶり、どうあっても私を起たせたいのだな、白史」

 

 黄祖の忠義を、疑うつもりはない。自分が幼い頃からの付き合いであり、黄忠と並んで無二の守護者となってくれているのだ。

 だからこそ、その苛烈な忠義の裏に潜む危うさを、時折案じたくもなる。

 どこまでが、黄祖の手の内なのか。正直、それはどうでもいいことだった。忠臣が、父の危篤を知らせにやってきた。あるのは、それだけのことなのだ。

 

「すべては、緋桜様の御心のままに。ふっ、ふふっ……。お疑いとあらば、いつでもわが首を差し出す所存。ゆえに、その時が来るまでは、いくらでも使い捨ててくださればよいのです。貴方様には、力がある。同じ死ぬなら、華々しく散ってみせるのも一興ではありませぬか、ククッ……」

 

 矢継ぎ早に言い切り、黄祖が再び顔を伏せる。

 もうすぐ、夜が訪れる。徐々に拡がる闇の帳に、決断を急かされているようだった。なににも影響されたくなくて、眼を閉じた。静寂が、あたりを支配する。

 洛陽で権勢を誇っていた董卓が敗れ去り、世は混迷を極めている。中原には袁紹と曹操。そして、南方には袁術と孫堅がいる。その中で、荊州を狩り場とされることなく生き延びさせなくてはならない。考えるまでもなく、容易なことではなかった。

 昼間、賊徒に襲われた時のことを思い出す。血の滾り。命を預けられる仲間のいることの嬉しさ。そうした感情から、目を背けて生きてきたのが自分だった。

 濁流に身を投げ、存在ごと消えてしまえればどれほど楽なのか。

 瞼をゆっくりと持ち上げる。傲岸ともとれるような黄祖の笑みが、そこにはあった。

 

「舞い散るように、命を燃やす。それが、私の運命(さだめ)なのかもしれないな」

「ああ、緋桜様」

 

 黄祖の冷たい肌に、手を触れさせる。手を重ね、黄祖は与えられた熱を甘受しているようでもあった。この熱を、生かすも殺すもおのれ次第。視線を合わせた状態で、劉琦はちょっと笑っていた。

 思考が、次々に切り替わっていく。襄陽にいたのでは、あまりにも味方が少なすぎる。黄祖の手勢は、江夏にとどめ置かれているからだ。その力のなさを担保にして、黄祖は蔡瑁の勢力下にあっても自由に動くことができている。

 

「まずは、江夏に居を移そう。黄忠親子をすぐに集めよ。脱出の手筈は、すべておまえに任せる」

「よきご判断かと。手の者を動かす備えは、いつでもできております。それに、緋桜様のためとあらば、あの女もさぞかし必死になって弓を引くことでしょう。ククッ……。これ以上ない囮として、使えそうではありませぬか」

「紫苑とは、よく話し合って役割を分担することだ。おまえも、ここで友人を失ってはいられないと思うが」

「……友人などと。よくて、同志でしょう。あれはあれで、貴方様をつけ狙っていることに、いい加減お気づきになられるべきでは」

 

 いつものように、黄祖が悪態をつく。数少ない、真名を許し合っている相手なのだ。それに、どれだけ兵を集めようと優秀な指揮官を用意できなければ闘いに勝つことは難しい。そうした意味でも、黄忠は貴重な戦力だった。

 江夏行きを決断した以上、璃々にも武官として働いてもらうことになる。この状況で、頼れる身内がいてくれるだけ自分は幸せ者だと思うことにした。

 

「魏延には、私から話を通しておく。初手で見限られるようなら、それまでの人間だったというだけだ」

「そちらは、お任せいたします。万が一、魏延が背いた場合は私が始末を」

「いちいち物騒なことを言うな、白史。とにかく、人が入り用だ。すでに持っている繋がりほど、大切にしたい」

 

 言って、脱出の準備を整えに行く黄祖と別れた。

 門の傍に立っている魏延に声をかける。雰囲気の変化をなんとなく察しているのか、少し表情がこわばっていた。招いた室内で、茶を用意してやる。わざわざ江夏まで運ぶわけにもいかないから、使えるのは今の内だ。

 

「ずずずっ、あちっ……。ン……、緋桜様。それで、なんだよ話って」

「突然だが、江夏に引っ越すことになった。できれば、おまえには同行を頼みたい。傍にいて、支えてもらえはしないだろうか」

「い、いきなり愛の告白っ!?」

 

 魏延が軽く茶を吹き出す。確かに、自分でもかなり言葉足らずだったように思えてくる。

 

「父が倒れた。朝になれば、襄陽一帯は蔡瑁の支配下と成り果てるだろう。そうやって、荊州全土が腐敗していく姿を私は見たくない。だから、焔耶」

「な、なんだ。それならそうと、最初からはっきり言ってくれればいいのに。だが、そうだな」

 

 茶を一気に飲み干し、魏延が立ち上がる。

 

「荊州中を巻き込んだ喧嘩、緋桜様がやると決めたのなら先陣切ってやってやる。理由はどうあれ、私を頼ってくれたのだろう? だったら、付き合うのが筋というものだ。うまい飯も、期待しているからな」

 

 拝礼しながら、魏延が豪快に言い切った。

 不器用なくらいの勇気が、今は胸に強く響く。自分の茶をじっくりと味わいながら、劉琦は熱の高まりを実感していた。

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