彼方の光芒   作:総流し

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甘寧

 先刻あらわれた一団の護衛を受けて、劉琦は危地を脱した。

 一度接舷し、陸に上がる。安定した足場に降り立つと、昂揚していた気分がようやく静まった。

 同じように、乗組員が船から下りてくる。城郭で見かける兵士とはかなり違った出で立ちをしている、と劉琦は思った。

 

「みなのおかげで、命を拾うことができた。この劉琦、受けた恩はいつまでも忘れぬ」

 

 臣下と、それから救ってくれた乗組員たちに向けて言葉をかける。

 襄陽を発つと決めてから、死ぬ覚悟はいつでもできている。それにしても、とにかく江夏入りを実現させてからでなければ、荊州に波風ひとつ立てることすらできないのだ。

 

「劉琦様。もう、そのくらいで。お気持ちは、十二分に伝わっておりますから」

 

 黄忠に、優しく背中を撫でられる。

 ざわめき。劉琦という名を聞いたからか、乗組員たちが俄然色めき立っている。彼らは、どこまで事情を説明されていたのだろうか。段取りを整えた黄祖は、黙ったままである。

 屈強な男たちを押しのけて、ひとりの女が近づいてくる。身体つきこそ華奢であるが、発する雰囲気は鋭かった。

 女の目が、黄祖をしっかりと捉えている。滲んでいるのは、怒りなのか。

 

「ふふっ……。大儀であったぞ、甘寧。錦帆賊の働きには、わが主も満足されている」

「黄祖。貴様、よくもやってくれたな。われらの闘った相手、あれは蔡瑁の麾下だろう。ちっ……。なにが、くだらん賊徒を打ち払ってくれだ」

 

 二人の緊迫したやり取りを観察する。とくに、甘寧はいまにも黄祖に斬りかかりそうな雰囲気だった。

 これが、噂に名高い錦帆賊の頭目。誰に仕えることもなく、仲間と気ままな暮らしをしていると聞いている。賊といっても民を苦しめるようなことをせず、むしろ水上の治安維持に努めているとの話である。ただし、その義侠心ゆえに公的な軍勢との諍いがしばしば起こる。本格的な戦にはならずとも、襄陽の役人からの評判は悪かった。

 

「口では文句を並べても、受けた仕事だけはまっとうしようとする。おまえの美徳だな、甘寧。ククッ……。だが、これでもう後戻りはできぬぞ。蔡瑁は、いよいよ本気で錦帆賊を潰しにかかるであろう」

「仕組んだ本人が、よく言う。ここで貴様たちの首を()り、蔡瑁にくれてやってもよいのだぞ。その薄ら笑い、地上から消し去れると思うと、気分がいたく晴れやかになる」

 

 甘寧が、剣の切っ先を黄祖に向ける。どうやら、半分騙すようなかたちで今回の依頼を受けさせたらしい。それに、二人は元々不仲なようでもある。

 真横にいる魏延が、肩を指で突いてくる。

 

「なあおい……。まずいんじゃないか、劉琦様。無茶苦茶怒ってるぞ、あの甘寧って女」

「黄祖さん、人を怒らせるの得意そうだもんね。いざとなったらお願い、魏延ちゃん」

「いや、知らないが。劉琦様のことはお守りするが、璃々は自分でどうにかしろ」

「うわ、ひどーい。だったら私、ずっと兄様の後ろに隠れてよっと。間違って撃ったらごめんね、魏延ちゃん」

「ぐぬぬっ……。き、貴様ぁ……!」

 

 言葉とは裏腹に、璃々も魏延もまだまだ余裕そうだ。襄陽からここまで、船上で緊張と闘ってきた経験がある。溜まっている鬱憤も、あるのだろう。

 

「甘寧。私が、蔡瑁に追われている張本人の劉琦である。巻き込んだことは、謝罪する。だから、首を奪るのはしばらく待ってもらえると助かるのだが」

「ああ、だろうな。噂に聞いている通りの優男だから、すぐにわかった」

「少し、二人で話したい。いま黄祖の顔を見ていると、おまえも腹が立ってくるのではないか」

「ちっ……。まあ、いいだろう。こい、劉琦。水くらいは出してやる」

 

 唾を吐き捨て、甘寧が指で合図をする。

 怒っていても、筋だけは通そうとする女だ。黄祖が、引き合わせたいと考えたのもわかる気がする。

 立ったまま、甘寧と水平線を見つめる。先に声を発したのは、劉琦だった。

 

「荊州は、いまより嵐を迎えることになる。父、劉表が病に倒れ、実権はわが弟と蔡瑁の派閥に移るだろう。私には、それが許せなかった」

「ふんっ……。結局は、くだらん権力争いか。貴様たちは、いつもそうだ」

 

 起伏のない甘寧の言葉が、胸に刺さる。

 

「言い訳はしない。すべては、私によるわがままなのだ」

「つまらん。やはり、時間を無駄にしただけだったな。悪いが、死んでもらうぞ。貴様と黄祖。二つの首さえ揃っていれば、蔡瑁も納得するはずだ」

 

 甘寧が、おもむろに剣を構える。なのに、殺気はそれほど感じなかった。

 

「このままでは、荊州は澱んだ水で満たされる。その停滞を、乱世に生きる群雄たちは見逃してくれぬであろう。それに、蔡瑁が実権を完全に掌握すれば、錦帆賊のような者に対する締めつけは、いまよりも遥かに強くなる。生きづらくなるのは、おまえたちも同じなのだ」

 

 弟と蔡瑁の側には、すでに出来上がった統治の基礎がある。

 であれば、間違いなく今後はその強化を目指すのだろう。それには、中央の力を強める必要がある。在野の勢力は、邪魔な存在でしかなかった。

 

「なんとなく、予感はあったんだ。あの黄祖に乗せられた時点で、私の負けだったのだろう。傲岸不遜で憎たらしいことこの上ない女が、珍しく殊勝な態度で頼みごとにやってきたのだ。それで絆されてしまったのだから、私も焼きが回ったのかもな」

 

 言ってから、前金ありで金払いがよかったのも理由のひとつではある、と甘寧が付け加える。名高い錦帆賊といえども、略奪抜きでは暮らしは楽ではないのだろう。

 

「力を貸してもらえないだろうか、甘寧。統治する側にも、様々な立場の人間がいるべきなのだと私は思う。錦帆賊の中で希望者がいれば、禄を与えて召し抱えてもよい。もちろん、いまの暮らしを続けたければ、それでもよい」

 

 甘寧の眼に鋭さが宿る。首筋。冷たい感触を受けたが、劉琦は動じなかった。このくらいのことで、揺れてはいられない。自分は叛乱軍の盟主として、多くを決断していかなくてはならないのだ。

 

「荊州のため必要なしと判断したときには、私の首を奪ってくれていい。黄祖も、そうした覚悟で私に仕えてくれている」

「あの女が? はははっ。取るに足りない男かと思えば、まったく」

 

 刃の感触が、遠くなっていく。

 

「いいだろう、劉琦。錦帆賊総出で、貴様たちに乗ってやる。真名を教えろ。私のことは、思春でいい」

「緋桜だ。今日よりよろしく頼む、思春」

 

 真名を伝えると、ちょっと満足したように甘寧が笑った。

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