僕のヒーローアカデミア〜シスターズ・ニュー・ワールド〜 作:BONDX
後の轟家の救世主になる前の辛い時期の話です。
末娘の零火の個性が発現した日のことを、轟炎司(エンデヴァー)は呪いのように覚えている。
焦凍が鮮やかな氷と炎を見せた直後、双子の妹である零火の掌に灯ったのは、どこまでも透き通った純白の炎だった。
(……何なのだ、これは)
それは炎司が積み上げてきた「個性」の法則を、根底から嘲笑うような異形だった。
妻・冷の氷でもない。自分のの炎でもない。燃えているのに、周囲の空気はキィィィンと凍てつき、美しくも残酷なダイヤモンドダストが舞う。
(氷ではない。炎でもない。……得体が知れん。まるで、魔法ではないか)
合理主義者の炎司にとって、未知は「不安」でしかなかった。
最高傑作である焦凍を磨くことに心血を注ぐ傍ら、彼は零火をどう扱えばいいか分からず、ただ「そこにいないもの」として距離を置いた。
妻の面影を強く残しながら、その手には得体の知れない白炎を宿す娘。
それが、家族を繋ぎ止める最後の「希望」だとは、当時の彼は露ほども思っていなかった。
*
それからの轟家は、加速度的に壊れていった。
焦凍は隔離され、訓練部屋からは父の怒声と焦凍の悲鳴だけが響く。
燈矢は父を追いかけては拒絶され、夏雄は父を憎み、冬美は泣きながら食卓を整える。
その中で、零火はいつも独りだった。
冷たすぎる白炎を持つ彼女には、誰も近寄らない。母の冷でさえ、零火の白炎を見ると夫の「炎」の形を想起してしまい、無意識に目を背けるようになっていた。
(……あたしは、お父さんにとっても、お母さんにとっても……いらない子なのかな)
零火は自分の掌に灯る、孤独な白い火を見つめ、静かに涙を流すことしかできなかった
轟家の食卓は、いつも凍てついていた。
父・炎司(エンデヴァー)が焦凍を連れて訓練室に消えた後、残された母・冷と零火の間に流れるのは、痛々しいほどの沈黙だ。
「……お母さん。……これ、おいしいね」
五歳の零火が、おずおずと差し出した手。その掌には、無意識に揺らめく純白の炎があった。
冷は、びくりと肩を揺らした。
娘の顔は、自分にそっくりだ。愛おしいはずの、我が子。
けれど、その掌で燃える「炎」を見た瞬間、冷の脳裏には夫の――自分を、そして子供たちを縛り付けるエンデヴァーの影がよぎる。
(……火だ。……この子も、あの人の血を引いている……)
「……ええ、そうね。……ごめんなさい、零火。少し、……気分が悪いの」
冷は目を伏せ、逃げるように席を立つ。
嫌っているわけではない。ただ、零火の個性が「氷」でも「炎」でもない『未知の熱』であるという事実が、精神的に追い詰められた冷にとっては、夫の支配の象徴に見えて仕方がなかった。
*
それは、双子の兄である焦凍も同じだった。
訓練の合間、廊下ですれ違う二人。
「……焦凍、大丈夫? お父さんに、また……」
零火が心配そうに手を伸ばす。
焦凍はその手を、反射的に、けれど静かに振り払った。
「……触るな。……お前の火は、……冷たいのか、熱いのか……よく分からないんだ」
焦凍にとって、父の炎は「憎むべき熱」であり、母の氷は「安らぎ」だった。
けれど、零火の白炎はそのどちらでもない。
(……零火は、ずるい。……父さんに期待もされず、母さんに怖がられて……。……僕とも、違う場所にいる……)
それは、幼い独占欲と、自分だけが地獄にいるという孤立感が生んだ、無自覚な拒絶。
嫌いではない。けれど、自分を焼き切る「左側」を持つ焦凍にとって、得体の知れない「火」を持つ妹を全面的に受け入れる余裕は、どこにもなかった。
*
轟家の夕食。
焦凍のいない食卓は、いつも針のむしろだった。
五歳の零火が、隣に座る夏雄の袖をそっと引く。
「……夏雄兄さん。あのね、今日の特訓で、白い鳥を作ったの。見て……」
掌に、小さな白炎の小鳥が宿る。
だが、夏雄はそれを見た瞬間、嫌悪を隠さずに顔を背けた。
「……やめろよ。飯の時に火を見せるな。……父さんみたいで、胸クソ悪い」
「……、ごめん、なさい……」
零火が慌てて火を消すと、今度は冬美が困ったように眉を下げた。
「零火、夏雄を困らせちゃダメよ。……お母さんも、今は静かにしていたいんだから」
誰も、零火を叩いたり、怒鳴ったりはしない。
けれど、誰も零火の「火」を、零火の「心」を、まっすぐに見ようとはしなかった。
二階から響く、燈矢の荒い呼吸と、壁を叩く音。
この家で「火」を持つことは、それだけで罪なのだと、幼い少女は思い知らされていく。
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瀬古杜岳の空気は、常に焦げ付いた匂いがした。
立ち並ぶ木々の隙間から漏れるのは、夕陽ではなく、一人の少年の執念が形を成した青い焔だ。
「……ハァ、ハァ……ッ!」
轟燈矢は、自身の熱に焼かれ、赤く爛れた皮膚を震わせながら膝をつく。
父に見てほしい。認めさせたい。焦凍じゃない、俺を見てくれ。
その一心で灯し続ける炎は、皮肉にも彼自身の肉体をじりじりと削り取っていた。
そんな地獄のような熱気の中に、場違いなほど「冷ややかな気配」が混じる。
「……ハァ…ハァ…零火、何しに来たんだよ。」
燈矢が顔を上げずとも分かった。背後に立つのは、家で最も影の薄い末妹。
父・炎司から「焦凍のスペアにすらなれない異質な個体」と恐れられ、突き放され、母や他の弟妹達からもその異質な力を恐れられている、零火だ。
「……燈矢兄さん。……送って、いくから」
ポツリと、零火が呟く。
彼女の手の先には、ゆらりと「白い炎」が灯っていた。炎でありながら、触れるものを凍てつかせる矛盾の結晶。家族の誰もが「気味が悪い」と目を逸らすその光を、彼女は燈矢の火傷を癒やすかのように、そっと近づける。
「……同情かよ。お似合いだな、お前も俺も。」
燈矢は自嘲気味に笑い、彼女の手を振り払った。
今の燈矢には、妹を慈しむ余裕などない。だが、自分と同じ……いや、自分以上にこの家に「居場所」を持たない妹の瞳に宿る、静かな絶望だけは理解できた。
「いいか、零火。……俺についてきたって、何もいいことなんてねえぞ。俺は、お父さんに認めさせるまでは止まらねえ。お前みたいに透明人間で甘んじるつもりはねえんだ」
「……私は、透明でもいい。でも……兄さんが、消えちゃうのは、嫌だよ。」
零火の言葉に、燈矢の肩が一瞬ピクリと跳ねる。
誰も見ていない山中で、二人の出来損ないだけが、互いの体温(熱と冷)を確かめ合う。
「……勝手にしろ。ただし、怪我しても知らねえからな…。」
ぶっきらぼうに背を向けた燈矢の耳に、雪が踏みしめられるような、微かな足音が続いた。
それが、当時の二人が分かち合えた、唯一の「家族」としての形だった。
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それは、冷え切った食卓を少しでも明るくしたいという、五歳の零火なりの切実な「願い」だった。
母の好きなリンドウの花。
零火は、自分の『白炎』を極限まで細く絞り出し、掌の上で小さな氷像を編み上げた。
燃えているのに凍る、矛盾の火が形作った花。それはクリスタルのように透き通り、室内の僅かな光を反射して、幻想的な輝きを放っていた。
「……お母さん、見て。お花、作ったの」
零火が、食卓の真ん中にその氷の花を置いた。
向かいに座る母・冷が、一瞬だけ、その美しさに目を細める。だが、次の瞬間には、その花を形作った「白い火」に怯えるように、視線を落としてしまった。
そこへ、足音と共に強烈な「熱」がリビングに流れ込んでくる。
訓練を終えた父・炎司(エンデヴァー)だった。
「……焦凍はどうした。まだ部屋から出てこんのか」
苛立ちを隠そうともせず、炎司が席に着く。
彼の身体からは、激しい鍛錬の名残である高熱が、陽炎(かげろう)のように立ち昇っていた。
――ジュッ、……。
残酷な音だった。
炎司が何気なく置いた大きな掌。その熱が、零火が心血を注いで作った氷の花を一瞬で侵食していく。
繊細な花びらが歪み、崩れ、ただの無機質な水滴へと変わっていく。
「あ……」
零火が小さく声を上げるが、炎司は気づかない。
彼にとって、食卓にある「未知の氷細工」など、視界の端にも入らないノイズに過ぎなかった。
「……冷。焦凍の食事を運んでおけ。あいつは明日も早い」
炎司はそれだけを言い残し、溶けて水浸しになったテーブルの上で、無関心に新聞を広げた。
零火は、震える手で、水溜まりを拭おうとした。
けれど、母の冷はそれを見ようとしなかった。
氷の花が溶けていくのを、そして娘の心が死んでいくのを、ただ黙って見つめているだけだった。
冷にとって、その「溶けた跡」すらも、夫の圧倒的な熱に屈した自分の無力さを突きつけられているようで、耐え難かったのだ。
(……あたしの作ったもの、お父さんは溶かしちゃうんだ)
(……お母さんは、助けてくれないんだ)
一滴の水が、零火の頬を伝って床に落ちる。
それは凍ることなく、ただ冷たく、彼女の孤独を濡らしていった。
救済前の轟家の冷え切った環境、いかがでしたか?
カタルシスの前のフラストレーションを溜めていこうと思いました。
3話はなるべく間を置かず描こうと思います